新たな力
松本の捨て身の応戦により、小松の触手がわずかに乱れたその瞬間。
一刀は、背後から伝わる静の強く、純粋な祈りを感じ取った。それは、単なる感情ではなく、昨日流した彼女の血、そして代々受け継がれてきた守り人の魂が、光の短刀へ送る強大な霊力だった。
「これで終わりか……! 刀司よ!」
小松の触手が、再び一刀の心臓めがけて迫る。
その瞬間、一刀の右腕に装着された光の義手から、これまでにない、桁違いの輝きが噴出した。短刀の刃紋に、燃えるような朱色と、夜空のような群青色が混ざり合い、刀身全体が生きた炎のように脈動し始めた。
「な……!? これは、何だ!」
小松が初めて驚愕の声を上げた。
轟音がこだまする。光の義手は、迫る小松の触手を一撃で粉砕した。そればかりか、その勢いは止まらず、小松の異形の甲殻を深々と切り裂いた。
「ぐあああああッ!」
小松から、黒い霧のような血が噴き出す。
その一撃で、一刀の心に、冷たく、しかし力強い声が響いた。それは、昨日「契約ノ成立ダ」と告げた声よりも、はるかに威厳に満ちた、古代の声だった。
「よくぞ、その『業』の穢れを恐れず、難儀と対峙する道を選んだ」
一刀の視界の隅に、天狗のような、漆黒の羽を持つ影が、一瞬で現れては消えた。
「我、天の使い精霊。お前の『守り人』としての覚悟、しかと受け取った。これより、我らが力を、お前の神具に宿す」
一刀が手にしている神具は、単なる難儀の抑止力ではなく、神を御す力そのものだったのだ。一刀の光の義手は、朱色と群青の炎を纏った真の神具として覚醒した。その力は、疲労困憊の一刀の身体を突き動かし、痛みさえも一時的に麻痺させた。
「これが、神具の力……!」
一刀は、その圧倒的な力に戸惑いつつも、小松だった怪物へ、覚醒した神具を振りかざした。
「悪魔の契約者め! 今こそ、お前の『業』を断ち切る!」
一方、小松の触手で吹き飛ばされ、血まみれで地面を這っていた松本の意識は、朦朧としていた。弟の復讐も、出世の夢も、全てが小松の業を食らうという言葉で、下劣な餌として踏みにじられた。
松本の心に渦巻くのは、弟への悲痛な愛と、小松への激しい憤怒、そして無力な自分への絶望だった。
『——その憤怒、我らが糧に相応しい』
その時、松本の耳元に、低く、甘く、冷たい囁きが響いた。
松本の目の前に、光沢のある、小さな黒い石が転がっていた。それは、小松の甲殻から飛び散った破片のようでもあった。松本の心臓が、その石に引き寄せられるように激しく脈打つ。
『欲するか? お前の弟を奪った世界の力、それと同等のこの悪魔を討つ力を——?』
「ちくしょう……俺は……俺は……負けねぇ! 弟の願いを、こんな化け物に笑われてたまるか!」
松本は、弟を殺した世の中と、弟の復讐を嘲笑った小松への全ての感情を込めて、その黒い石を失った左手首の傷口に押し付けた。
鮮血がほとばしり、松本は意識を失いかけたが、その直後、彼の全身の痛みが消え、代わりに背筋の凍るような力が身体を駆け巡った。
松本の失われた左手首から、黒い煙のようなものが立ち上り、みるみるうちに漆黒の装甲が形成されていく。それは、小松の触手とは違う、硬質で重厚な、悪魔の力を具現化した左の義手だった。
「契約ノ成立ダ、松本鞍馬」
松本は、弟への愛という純粋な業と引き換えに、悪魔との新たな契約を果たした。彼は、憎しみに満ちた顔を上げると、立ち上がった。その目は、一刀に向けられるのではなく、小松ただ一人に向けられていた。
「小松……俺の出世なんざもうどうでもいい、テメェの命さえもらえればな!」
光の神具を覚醒させた一刀、悪魔の力を宿した松本。二人の契約者が、それぞれの正義と業を背負い、原初の悪魔へ同時に挑みかかる。
光の神具を覚醒させた一刀と、悪魔の義手を宿した松本。二人の「契約者」による挟み撃ちに、小松の怪物めいた体躯は凄まじい勢いで追い詰められた。
「馬鹿な……! 業に飲まれたはずの人間が、なぜここまで……!」
小松は、一刀の朱と青の炎を纏った刀による神聖な斬撃と、松本の漆黒の義手から放たれる憎悪の力が混じった打撃を同時に受け、甲殻を砕かれていく。
「お前の時代は終わりだ!」
一刀が叫ぶ。
「テメェの命は、俺の出世の代償だ!」
松本が吼える。
覚醒した神具の力が、小松の『業』を糧とする悪魔の本体を深くまで貫いた、その瞬間――
小松の異形の体は、断末魔の叫びを上げる間もなく、黒い霧となって急速に崩壊し始めた。黒い霧は、峠道の空気に溶けるように消え失せ、彼の存在は完全になくなっていた。
その代わり、小松が倒れていた場所に残されていた物は、異様な光沢を放つ物体だった。
それは、まるで悪魔の体内で精製されたかのように、人間的な形を失った宝石と、金銀の塊だった。
静は、息を呑みながら、その残骸を見つめた。
小松の怪物めいた姿は消え、元の巡査の制服すら残っていない。代わりに残ったのは、強欲や私欲といった人間の『業』を食らい続けた結果として具現化した、純粋な財宝だった。
松本は、その金銀の塊を見つめ、ハッと息を飲んだ。
「これ……これが、悪魔の食らった業の残骸か……」
松本が、その漆黒の義手を震わせながら、財宝に手を伸ばそうとした、その時。
一刀は静かに言った。
「松本巡査。それは、お前が求めていた甘い汁かもしれない。だけど、お前の弟が求めたものではない。彼が求めたのは、この世の安寧だったはずだ」
静も、安堵の涙を拭いながら、松本に語りかけた。
「松本さん……この金銀は、私たちを苦しめた業の残骸です。これを手にして、あなたの弟さんを悲しませるような真似はしないでください」
松本の漆黒の義手は、財宝の塊の目前で静止した。彼の顔は、復讐の達成感と新たな誘惑、そして弟との約束との間で、激しく葛藤していた。
峠道には、小松が残した財宝と、無力な死体となった手下たち。そして、神具と悪魔の義手を宿した二人の契約者が、重い沈黙の中で立っていた。




