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小松という男

子供の救出という予期せぬ出来事を経て、松本は静と一刀を追跡する任務を「一時休止」とし、野営地となっていた質屋の跡地へ戻った。彼の顔には、功名心と、救出劇で感じた人間的な動揺が複雑に入り混じっていた。


小松少警部への報告は、もちろん嘘を交えるしかなかった。


「報告します、小松警部殿!」


松本は、敬礼もそこそこに、荒々しく捲し立てた。


「人相書きの二人は、東へ向かう街道沿いで確認しましたが、抵抗が激しく、銃撃戦の末、深い森の中へ逃げ込まれました! こちらも深追いは危険と判断し、部隊の安全を優先して撤退しました!」


疲労と興奮を装う松本に対し、小松少警部は静かに、そして端正な制服のまま、焚き火のそばに立っていた。彼の表情は穏やかで、感情の動きがまるで読めない。


「そうか、松本巡査。ご苦労」


小松はそう労った後、冷徹な論理で松本を追い詰めた。


「しかし、おかしいな。君は神道無念流の心得を持つ。単なる逃亡犯なら、一人で仕留められたはずだ。ましてや、君の目的は出世と言う名のそれはそれは甘い蜜だったはずだ。なぜ、その手柄をみすみす逃すような臆病な判断をした?」


小松の問いは、松本の内心を正確に突いていた。


「私が聞いている情報では、逃亡犯の一人は片腕を失い、もう一人の女は歩き通しでへばっていたそうだ。武装はしていたとしても、弱り切った二人に、なぜ銃撃戦にまで発展するほどの抵抗ができたのかな?」


「それは……ッ!」


松本は絶句した。彼は、道中の茶屋での子供の異変や、一刀の光の義手のことは一切報告していない。それなのに、小松はまるでその場にいたかのように、二人の正確な状態を知っている。


「それに、彼らが逃げ込んだのは深く険しい森の中などではない。そこから東へ行けば、すぐに開けた山間の街道へ出る。十三里先の山間の町へ向かっていると察しがつく。なぜ、君はそんな拙い嘘をつく必要があったのかな?」


小松の言葉は、まるで透明な刃物のように、松本の嘘を切り裂いた。


松本の額に冷や汗が滲んだ。彼は、自身の功名心を満たすために動いたはずなのに、小松の掌の上で踊らされているような戦慄を感じた。


(こいつ……まるで見てきたかのように話しやがる。まさか、俺の部隊に密偵スパイでも仕込んだのか!?)


松本は、怒りよりも得体の知れない恐怖に駆られた。自分の部下だけでなく、街道での一挙手一投足、さらには自分の内面にまで、小松少警部の監視の目が及んでいるのではないかという疑念が、松本の胸中に渦巻いた。小松の冷静な笑顔が、今や悪魔の契約者よりも恐ろしい新たな敵に見えた。


「松本巡査。次に君が目指すべき場所は、十三里先の山間の町だ。君の失敗は今回に限り不問に付す。ただし、次は必ず彼らを始末をしてこい」


小松は、すべてを知り尽くした上で、次の命令を下した。


一夜明けての二日目、静と一刀の旅路は、初日のような混乱こそなかったものの、その厳しさは変わらなかった。しかし、静もまた、「国を揺るがす戦い」に巻き込まれているという自覚からか、昨日ほどのわがままは言わなくなっていた。


二人は、昨日の茶屋での小休止と、子供の命を救ったことで得た一時的な安堵を胸に、十三里の道のりを着実に進んだ。


「ふう……」


昼過ぎ、二人は街道沿いの小さな飯屋で最後の腹ごしらえを終え、再び立ち上がった。静の顔色は、まだ疲労の色を帯びていたが、昨日ほどの憔悴は見られない。


「一刀さん、残り二里ちょっとですわね。飯屋のおかみさんの話だと、この道なりで山間の町に入ると」


静は、以前にも増して冷静に状況を分析していた。彼女は、飯屋での聞き込みも済ませ、町の様子を把握している。


「そうだな。この先、道が急に険しくなったら、それが合図だ」

一刀は光の義手を隠した袖を払いながら頷いた。

「このあたりまで来ると、源兵衛や松本巡査のような人間に化けた脅威が、既に先回りしている可能性が高い」


「おかみさんの話だと、この町の旧家は、『古い蔵を決して人に見せない』という妙な家訓があるそうですわ。あれが、きっと私たちの目指す宝の守り人の目印に違いありません」


静は、疲労にもかかわらず、その表情に使命感を宿していた。


一刀は、その変化を静かに見つめた。二日間の旅路は、静を嫁入り前の娘という立場から、真の守り人へと変え始めていた。


「よし。最後の二里だ。気を抜くなよ、静。難儀は、必ず宝のそばで待っている」


二人は、十三里先の山間の町と、そこに待ち受ける次の宝、そして松本鞍馬や小松警部の追跡という最後の難関に向け、重い一歩を踏み出した。


最後の二里、山間の町へと続く道は、急に人の気配が途絶えた人気のない峠道へと変わった。両側から木々が覆いかぶさり、昼間だというのに、薄暗い影が辺りを支配している。


静は、その静けさに嫌な予感を覚え、一刀の着物の袖をぎゅっと握った。


「一刀さん……静かすぎますわ。まるで、待ち伏せしているみたい」


「ああ、その通り。獣たちの匂いで満ちている」


一刀は、光の義手を隠した右腕を静の前にかざし、警戒態勢に入った。


その直後、木の葉を踏みしめる音が、前後左右から響き渡った。


峠道のカーブを曲がった先、そして二人が歩いてきた道の後ろ、さらに道の両側の木立の陰から、複数の人影が現れた。彼らはすべて巡査の制服を身に着けている。


そして、その集団の中央で、刀の柄に手をかけた男が、冷たい笑みを浮かべて立っていた。


松本巡査だった。


「よう、悪党ども。また会ったな」


松本は、昼間の茶屋での優しさも、子供を助けた時の人間的な葛藤も、すべて忘れたかのように、再びギラついた欲望の目を宿していた。彼の後ろには、四人の手下の巡査が、松本と同じように刀を抜き放ち、静と一刀を完全に取り囲んだ。


「逃がさねえぞ、一刀。今回はお前の小細工は通じねえ。俺の出世と、お前らの命、きっちりいただくことになっているんでな」


松本の冷酷な宣言に、静は恐怖で顔を歪ませた。刀を構えた巡査たちが、前後左右を完全に塞いでいる。もはや逃げ場はない。


「い、一刀さん……」静は震える声で訴えた。

「人殺しは……人殺しはまずいですわ! 私たちが悪党に落ちる必要はない! 誰かを傷つける前に、話を……」

静の言葉は、一刀の心に重く響いた。彼女は、悪魔に立ち向かう守り人であろうとも、人殺しという道だけは頑として拒否している。この道徳的な線引きが、静の最後の矜持だった。

一刀は静の声を背中で聞きながら、奥歯を噛み締めた。

(静。お前は正しい。だが、この男たちには正義も道理も通じねえ。出世という名の毒に冒されている。

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