悪魔の影
一刀は知っている事を静に話す。歴代の長崎奉行には墓まで持っていかねばならない秘密がある。往来品の中には神の力が宿るものがある。神はその地に降り立つとその住民達を心を試すために多くの難儀を人々に降り注ぐと。
一刀は、質屋から離れた静かな場所を選び、静に知っている限りの真実を語り始めた。彼の言葉は、静がこれまで教わってきた歴史や常識とは、かけ離れたものだった。
「静よ。お前の父上を含む歴代の長崎奉行には、墓まで持っていかねばならない秘密があった。それは、異国との貿易とは無関係ではない」
一刀は光の義手をゆっくりと広げ、その複雑な機構を静に見せた。
「長崎は、長くこの国の唯一の窓口だった。そこから入ってきたのは、金銀財宝や舶来品だけではない。往来品の中には、人知を超えた神の力が宿るものが紛れ込んでいた」
静は、必死に彼の言葉を頭の中で整理しようとする。
「神の力……私の蔵にあった、あの箱や、この短刀のようなものが?」
「そうだ。だが、お前たちが神と呼ぶ存在は、必ずしも慈悲深いものばかりではない」
一刀の表情は厳しい。
「その神の力は、その地に降り立つと、その地の住民たちの心を試すのだ。人々が、その力に目が眩み、傲慢や欲望に駆られるかどうかをな」
「試す……?」
「その試練こそが、お前たちが難儀と呼ぶものだ。力が強大であればあるほど、神は人々に対し、疫病、飢饉、争いといった、多くの難儀を降り注ぐ。人々が欲に溺れ、力を悪用するなら、その地は滅びるまで災いは止まらない」
一刀は続けた。
「お前の家系が守っていた箱は、その神の力を悪しき者から守り、難儀を一時的に封じるための結界だった。そして、我々刀司は、その力が悪用されそうになった時、神の力そのものを御するために存在する」
静は、全てを理解したわけではなかったが、これで全てが繋がった気がした。源兵衛の常軌を逸した欲望、千代を襲ったガマ、そして綾を殺した毒。これらは全て、神の力を巡る試練であり、人々の欲望が引き起こした難儀だったのだ。
「源兵衛は、その難儀を御するのではなく、悪魔の力を使って、さらに増幅させようとしている。そして、お前がその箱を開けたことで、神の力が解き放たれ、この都全体に難儀が降り注ぐことになった」
一刀は静の手を掴み、力強く言った。
「源兵衛を止めるには、次の標的を見つけ、その『宝』と、守り人を守らなければならない。それが、お前が引き起こした災いを、わずかでも食い止める道だ」
一刀は、光の義手を収めたまま、静かに口を開いた。
「この日の本に、神の力を宿す『宝』が降り立ったのは、全部で五つ。お前の蔵にあったのは、そのうちの一つだ」
静は、自分の家が負っていた責任の重さに、息を飲んだ。
「五つ……では、残りもまだ?」
「ああ。残りは四つ。源兵衛が次に何を狙うかは分からんが、最も近いと思われる場所から潰していく」
一刀は東の方角を指差した。夜明けが近づき、空がわずかに白み始めている。
「ここより東に十三里(約51km)ほど行った、山間の町に一つある。その町の旧家も、長崎との繋がりが深く、似たような難儀の蓋を代々守っているはずだ」
静の目つきに、悲しみではなく、明確な目的の光が宿った。
「そこへ行きましょう。次の犠牲者を出す前に」
「まずはそこを目指す。急がねば、源兵衛だけでなく、悪魔と契約した他の妖たちも、神具の輝きに誘われて動き出しているだろうからな」
一刀と静は、身をかがめながら、人目を避けて路地裏から大通りへと抜けようとした。
二人が、質屋の異変を調べるために集まっていた巡査たちの影に隠れて、その小さな声の会話を交わしていた、ちょうどその時。
彼らの背後、質屋の前に立ち、腕を組んで建物を眺めていた一人の巡査が、微かに口角を上げた。二人の会話は、周りの雑踏と他の巡査の話し声にかき消されそうなほど小さなものだったが、その巡査にはすべて聞こえていたようだ。
彼は誰にも気づかれぬよう、独り言を呟いた。
「ほう……残り四つ。しかも十三里先の山間だと。随分と親切な道標。どうもありがとう。ふ、ふふ」
巡査は、西洋の帽子で隠された目を細め、静と一刀が逃げ去った東の方向を一瞥した。そして、その顔に浮かんだのは、源兵衛のような強欲な笑みでも、一刀のような使命感に燃える表情でもない。
それは、まるで玩具を見つけた子供のような、無邪気でありながら底知れぬ愉悦を湛えた、静かな笑いだった。
「ご苦労様です、刀司殿。まさか、手を汚さずして、獲物の居場所を教えていただけるとは……」
巡査は、制服の襟を正すと、東の空を背に、ゆっくりと、しかし確かな足取りで、質屋から離れていった。その足音は、源兵衛とはまた違う、何かの脅威が、すぐそこまで迫っていることを示唆していた。




