第3話 コロッセオと鉄騎兵
鉄と鉄がぶつかり合う音が響き渡っていた。
巨大な鉄騎兵同士が、コロッセオの中で巨大な鉄剣をぶつけ合っている。剣と剣がぶつかるたび、赤い火花と共に轟音が響き渡る。
『これはすごいことになりました!急遽飛び入りしてきた余所者の鉄騎兵に、わが街の誇る剣闘士たちは蹂躙されてしまうのか!?』
コロッセオ内に怒号が響き渡っていた。観客たちは手にチケットを持ち、「お前がやられたら全財産することになるぞコラァ!」などなど、口々に好き勝手なことを口走っている。
「…ここ」
観客の声など、僕には関係がないことだった。
目の前の鉄騎兵が繰り出してきた斬撃を紙一重のところで交わすと、操縦桿を動かし、僕の愛機…アイゼン・フランメン・ケーニヒ・アイゼンが手にした鉄剣を振り下ろさせる。
巨大なものが壊れる音がする。
斬る、のではなく、ただ単純に力によって「叩き潰す」
鉄の装甲がはじけ飛び、相対していた鉄騎兵が前のめりに倒れてくる。
「おっと、あぶない」
僕が操るアイゼンがそれをよけると同時に、鉄の塊が地面に倒れこむ鈍い音がする。砂煙が舞い上がり、鉄騎兵は動かなくなる。
『勝者、挑戦者、水瀬海月と、愛機アイゼン!』
僕の勝利が告げられると、コロッセオは耳もつんざくばかりの怒号と歓声に包み込まれた。
ここは、夢と欲望が渦巻く街、瓦礫都市バシリカ。
戦争で使いつぶされた鉄騎兵たちが戦いの残照を求めて集まる街。
砂煙と金属があげる悲鳴で彩られたこの街に、僕とルクはやってきていた。
■■■■■
「…相棒の勝利を祝ってはくれないの?」
「わたしは忙しいんだ」
控室に戻ってきた僕を出迎えてくれたのは、レオタード姿の美女でもなく、静謐な空気をまとった修道士でもなく、椅子に腰かけてクロスワードパズルをしている金髪白皙の幼女だった。
「なにしてるの?」
「見て分からないのか?」
「クロスワードパズル」
「分かっているじゃないか」
僕が聞きたかったのは、何をしているのかという事ではなく、どうして今、そんなことをしているのかという疑問だったのだけど、どうやらこの気持ちは届いていなかったらしい。
「ここが分からない…」
綺麗な金髪をくしゃっとかきむしりながら、ルクはじっとクロスワードパズルの本を眺めていた。僕もちらりと見てみる。
「…ひとつも埋まっていないじゃないか…」
本当に、いったい、何をしているのだろう、彼女は。
「難しいから面白いんだよ」
ルクは顔をあげて僕を見上げた。その整った顔には、「どうしてこんな簡単なことも分からないのか?」というあざけりが含まれているのが分かる。
「僕の結果は聞かないの?」
「勝ったんでしょう?」
「…まぁ、そうだけど」
「海月が勝つなんて当たり前だ…そんな当たり前のものなんて、見ていて何が楽しいものか」
そう言いながら、手に鉛筆を握り締めてクロスワードにとりかかる。
「こっちの方が、よっぽど面白い」
「信頼してくれてる、って思うことにするよ」
僕はため息をついて、ルクの正面のテーブルに座った。
そのまま天井を見つめる。
戦後の荒野を旅するには、何はともあれ、金がかかる。
寝床、食料、燃料。生き延びるために必要なのは、綺麗なお題目などではなく、現実的な現金だった。
瓦礫都市バシリカの名前は有名だ。
もちろん、いい意味ではなく、悪い意味で。
先の大戦から4年。戦争時は英雄としてたたえられていた鉄騎兵たちも、戦争がなくなればただの無用の長物と化す。破壊と殺戮だけが目的である鉄騎兵に必要なのは「戦う相手」であり、戦争が終わり、戦う相手を求めたあげく、たどり着くのがこの瓦礫都市バシリカというわけだった。
戦争で使いつぶされた鉄騎兵たちは、いまや娯楽のための剣闘士となり、この街のコロシアムにて日々の喧騒の糧となっていた。
「…でもまぁ」
実際、金払いはいいんだよなぁ。
僕が戦う理由は「生活」のためだった。そこに理想もなにもない。ただ、生きるために僕は戦っていて、ただ死なないために息と呼吸をしていた。
どこに行こうという目的があるわけでもないし、何かを成し遂げようという野望があるわけでもない。ただ、漫然と生きているだけの僕は、ルクに言わせると「退屈」らしい。
「退屈でもいいじゃないか」
死ぬよりは、と思って椅子の背もたれによりかかっていると、
「いやぁ、お見事でした」
スーツ姿の男が立っていた。
口角をあげた、油の匂いがする主催者。
僕はあわてて座りなおして、今の雇用主でもあるその主催者に挨拶をする。
「ありがとうございます」
「いいんですよ、かしこまらなくても」
その主催者は、自らのことを「名無しのネイムレス」と名乗っていた。
(名乗っているなら、もうネイムレスじゃないんじゃ…)
初めて名乗られた時、心の中でそう突っ込んだことを覚えている。できるだけ表情を隠そうとはしていたのだけど、僕はそういうのがへたくそなので、たぶんバレバレだったとは思う。
でもまぁ、仕事はちゃんとしているんだから、特に問題はないだろう…と、思いたい。
「あと2勝すれば、優勝ですね」
「期待していてください」
「あー、そのことなんですけど…」
僕が胸をはって答えると、それを制するようにネイムレスさんは手でさえぎってきた。その指には、5指全部に指輪がつけられている。素人目にみても、高価な宝石で装飾されていると分かるほどのものだ…最初に見た時、コロッセオの主催って儲かるんだな、ならそのおこぼれを少しもらってもいいよな、と思ったものだった。
「勝たなくていいです」
「…え?」
思いもよらない言葉に、僕は思わず変な声をあげてしまった。
「勝たなくていいとは…」
「負けてください」
ネイムレスはそう言うと、にやっと笑った。口角はあがっているが、目は笑っていない。
「あなたがたの目的はお金でしょう?」
「…そうですけど」
「ならば話は早い。報酬は通常の三倍だします。それでわざと負けてください」
八百長、のすすめだった。
「…目的は?」
「あなた方と同じですよ」
ネイムレスは笑った。
「お金です。あなたは強い…いや、ちょっと強すぎるのです。少しくらい強いものがいてもいいが、絶対的な強者は必要ありません。勝ったり負けたり、それを繰り返すほうが、我々は最終的に儲けることができるのです」
「あはははははっ」
さっきまでつまらなそうにクロスワードをしていたルクが、今度はとても楽しそうに笑って口をはさんできた。
「いいじゃないか、海月。面白くなってきたじゃないか、海月。たまにはこんな、汚れた勝ち方をしてもいいんじゃないか?」
「汚れた勝ち方、ね…」
僕は考える。
戦争で、戦場で勝つことには意味があった。
倒さなければやられる。国が負けると故郷が蹂躙される。
絶対に負けることが許されない、絶対に勝たなければならない戦い。
けれど、今は違う。
勝ったところで、相手の鉄騎兵を叩き潰したところで、何も変わらない。名誉が手に入るわけでもない。ただ、むなしい日々が続くだけだ。
今の僕にとって、戦いは「生活のための稼ぎ」に他ならない。
なら…
「5倍ならいいです」
「これはまた、強欲なひとですね」
「どうせあなたも」
僕が負ける方に賭けるんでしょう?主催者自らが賭けるわけにはいかないでしょうけど、それはそれ、蛇の道は蛇。抜け道を知っているに決まっている。
「ま、そうですけど」
ネイムレスさんは肩をすくめて、あっさりと認めた。
ある意味、この人は信頼できる人なのかもしれない。
こうして、汚い汚い商談は、しごくあっさりと成立したのだった。
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そして試合当日。
僕は、あっさりと約束を破った。
『一瞬!まさに鎧袖一触!海月選手の狩るアイゼン・フランメン・ケーニヒ・アイゼン、まったく危なげない勝利で決勝進出です!』
コロッセオ内はあふれんばかりの怒声と怒号で満ち溢れていた。
試合開始と同時に放たれたアイゼンの一撃で、対戦相手の鉄騎兵は完全に完璧に完膚なきまでに戦闘不能に陥っていた。
観客席からありとあらゆるものが投げ込まれてくる。こまごまと契られた賭けチケットが紙吹雪のように舞っている。
「…やって、くれましたね…」
主催者席で、こめかみに血筋を浮かべてこっちを睨みつけてくるネイムレスさんの姿が見えた。
(ごめんなさい…けど…)
「ぶはははははははっ!これこれ、この顔を見たかったんだ!!!」
僕の後ろで、上品な顔にふさわしくない大口を開けて笑っているルクがいた。心底嬉しそうに、心底楽しそうに、指をさしながら笑っている。
昨夜のことを思い出す。
「それで、海月、本気で負けるつもりなのか?」
「そんなわけないでしょう」
ネイムレスさんが帰ったあと、僕とルクは、控室で2人で豆のスープを頬張りながら話し合っていた。
「ルク、僕が何のために戦っているか、覚えている?」
「お金と生活のためだろう?」
「そのとおり。なら、一番稼げる方法を僕はとるよ」
「…ということは?」
「五倍の報酬をもらいつつ、優勝して、優勝賞金もゲットする」
「…海月」
「なに、ルク?」
「君と組んでいると…」
本当に、退屈しないよ。
そういって、ルクは高らかに笑った。
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「…というわけで、決勝はあなたに本気になってもらうことになりました」
コロッセオの地下深く、幾多の鉄騎兵が並んでいる格納庫の中で、スーツ姿のネイムレスは苛立ちながら目の前の少女に向かってそう告げた。
「だから最初から、そんな下手な小細工する必要なんてなかったんだって」
告げられた少女は、明るい桃髪をみつあみにまとめ、青い瞳を輝かせながら腰に手を当てて高らかに笑う。
「誰が来ようと、何が来ようと、僕が負けるわけないんだから」
「…期待していますよ、毬藻」
その少女…元戦後復興軍独立遊撃部隊長「桃栗毬藻」は、自らの愛機、白銀の鉄騎兵の前に立つと、高らかに宣言した。
「僕の愛機、白銀のヴァルシュカは…無敵だよ!」




