雪起こし
我が一族は古来より暗殺を生業としてきたそうだ。だから私も当然のように幼少より我が一族に伝わる暗殺術の数々を叩き込まれて育てられた。
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「千鳥、帰りにカラオケ寄っていかない?」
「ええ、大丈夫なの? 由貴ん家、親御さんが厳しいじゃん。バレたら雷が落ちるよ?」
外で初雪が降る中、授業も終わり、もう帰るだけとなったところで、そんな提案をしてきた由貴に私が尋ねると、由貴はにやりと片側の口角を上げる。
「今日は大丈夫なんだあ。両親二人とも仕事で不在なの。だ・か・ら、今日はちょーっと帰りが遅くなっても、親に怒られる事ないって訳」
そう言ってパチリとウインクする由貴。この辺一帯を治める名家に生まれ、厳しく育てられたであろうに、天真爛漫な彼女は、見ていてとても眩しかった。
「……まあ、由貴が良いなら、私は別に構わないけど」
そう応えて私は席を立ち、長いマフラーを三重に巻いてから、由貴と共に放課後の少しいけない遊びに向かうのだった。
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「はあ〜〜! 楽しかったあ!」
一時間と決めていたカラオケであったが、それで由貴の普段からの鬱屈が晴れる訳もなく、延長して二時間歌い続けた。外に出れば既に日が暮れている。
「ゴメンね、千鳥。私ばっかり歌っちゃって」
「別に良いわよ。由貴が行きたいって言い出したんだし。私、流行りの曲とかあんまり分からないし」
「ええ。釣れないなあ。折角ハスキーで良い声しているのに」
そう言われても困る。
「雪、結構積もってきたね」
私が困っているのを察してか、由貴が別の話題を振ってくれた。
「そうね。早く帰りましょう。これだけ積もっていると、家に着いた頃には、足がかじかんでいるでしょうから」
「ふふ。そうね」
「何が可笑しいのよ?」
真面目な話をしたのに笑われ、私は少しムッとして半眼を由貴に向ける。
「ううん。可笑しいって言うか、嬉しかっただけ」
「嬉しい?」
「だって、こんな雪の日に、遊びに付き合ってくれるのなんて、千鳥くらいなものだもの」
そんな事ない。と言おうとして、私は口を閉じた。由貴が名家の生まれと知っている他のクラスメイトたちは、普段はそれを気にさせないように他のクラスメイトたちと同様に由貴と接しているが、やはり気後れしているのか、何か由貴に危害を加えたら、この地域で立場がなくなり、村八分でこの地域を出ていかなければならなくなるのを恐れてか、一定の距離を置いて接しているのが透けて見えた。
対して転勤族の家に生まれた私は、他のクラスメイトたちに比べれば、ニュートラルに由貴に接するので、由貴からの感触が良い。
「千鳥」
「何よ?」
「言ってみただけ」
「何それ」
たわいない会話を交わしながら、お互いに傘を差し、肩を並べながら、ザクザクと雪を踏み締めて家路を急ぐ。
「千鳥」
「また?」
「だって呼びたくなる名前なんだもん」
「それで何よ」
「ありがとう」
「何よ?」
「私の横にいてくれて。千鳥が転校してきてくれて、私は救われたわ」
「大袈裟よ」
「……ううん」
そこで会話は止まり、ザクザクと雪を踏み鳴らす音だけが耳に響く。
由貴の気持ちを想像する事は出来る。名家に生まれ、周囲からは距離を置かれ、これまで孤独に過ごしてきたのだろう。そこに私が現れ、彼女の心に踏み込むような距離感で接してきたのだ。初めは驚いただろう。でも彼女は私を受け入れた。それは由貴がそんな関係を望んでいたから受け入れたのだろう。でもそれは私が推察した妄想だ。由貴が本当に何を思っているのかは、由貴本人にしか分からない。
「ここでお別れね」
「うん」
どこにでもある十字路。でもそれは私と由貴の行き先を分ける別れ道。
「じゃあ、さようなら」
「うん」
由貴に背を向けて、私は一人家路に着く。
「千鳥!」
いつもよりも大きな由貴の声に私が振り返ると、電灯に照らされた由貴は、どこか不安そうな顔をしていた。それはまるで、これが今生の別れとでも思っているかのような、どこか切羽詰まったような、侘しさと心細さが顔に表れていた。
「また! 明日!」
でも由貴はそんな不安を飲み込むように精一杯の笑顔へ変えて、普段と変わらないように私に声を掛けてきた。
「ええ。また明日」
私の返事に満足したのか、由貴の笑顔はホッとしたものに変わり、雪の中、手が傘に当たるのも構わず、手を振ってくる。それに軽く手を振り返しながら、私たちは今度こそそれぞれの家路に着いたのだった。
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名家と言うものはそれだけで他者から羨望や恨み妬みを買うもので、由貴の家も他家に違わず、そんな人間の負の面から覗かれていた。由貴が家に着く前に先回りし、曲がり角から由貴の家の門前を覗き見る。
そこへ普段と変わらず、由貴が家に到着した。いや、普段であればこれだけ遅く帰ってきたなら、由貴の父が玄関前で仁王立ちしている。それがいないのは、様々な者たちによる思惑による結果だ。両親は由貴から遠ざけられ、由貴一人になったところを……殺す。そう言う算段だからだ。
雪が積もる中でも、足音を立てずにそろりそろりと由貴に近付いていく。由貴はそれに気付かず、門扉の鍵を取り出し、それで門を開けようとしたところへ、鋭いナイフが由貴の命を絶とうと煌めいた。
目の端でその少しの光に気付いた由貴が振り向くが、そこに人影はなく、あるのは誰かが通ったであろう足跡だけだ。何かの見間違いかな? と小首を傾げた由貴は、いつもと変わらず門扉を開けて、家の敷地内へと入っていった。
私はそれを見届けて、ホッと胸を撫で下ろす。そして私の下で暴れる男、ナイフで由貴を殺そうとした男へ目を向ける。
口をマフラーで塞がれ、腕を拘束され、上から私の自重を掛けられ、身動き出来ない男の目には、殺害を邪魔した私への憤りが表れていた。私がこれまで何度となく向けられてきた視線だ。そして私に対して何ら心を動かさない視線。
私はその視線を無視して、特別製のマフラーで男の首を絞める。息が出来なくなった男は、雪の中で暫く足をバタつかせていたが、それも数分で動かなくなり、遂には白目を剥いて息絶えた。
男が死んだ事を確認し終えた私は、スマホで父に電話を掛ける。
「パパ、終わったわ」
『そうか。こちらも滞りなく終わらせた。そちらの死体もすぐに回収に向かわせる』
複数の暗殺者が由貴の家の周辺を嗅ぎ回っていたので、こちらで罠を張らせて貰ったのが奏功したようだ。
由貴の家は様々な分野で成功してきた家なので、暗殺者を送り込む者も一人や二人じゃない。それを察知した由貴の親からの依頼で、今回の作戦が立てられ、一族で一斉に作戦を決行した形だ。他も問題なく始末出来たらしい。
「…………」
『どうした?』
「え? いや、……また転校かとちょっと感傷的になっただけ」
私自身以外だった。仕事が終わったなら、また次なる仕事場所へ向かう。それが私たち一族がこれまで連綿と続けてきた生き方だと言うのに、仕事が終わった。とホッとした私の頭に浮かんだのは、次の仕事は何だろう? ではなく、由貴が先程見せたあの精一杯の笑顔だった。
『珍しいな。お前がそんな事を吐露するなんて』
「ううん。一瞬だけよ。それでパパ、次の仕事先はどこ?」
どこかモヤモヤする気持ちを切り替えようと、父に次の仕事ついて尋ねる。
『それなんだがな。今回の依頼主の会社が、新素材の開発に成功したって話はもう耳にしているか?』
「いいえ。放課後は護衛対象とカラオケにいたから、そこまで追えていなかったわ。帰ったら目を通しておくわ」
『それでな。その素材が問題でな。機械、コンピュータ、建築、宇宙、他にも生化学に医療と、かなりの分野で需要が見込まれる素材らしくてな……』
「……ああ。それは敵が増えそうね」
『そう言う事だ』
電話の向こうで父がげんなりしているのが分かる。
「つまり、この家の護衛は継続って事で合っているかしら?」
『ああ。そうなるな』
「……分かったわ。任務了解」
『うむ。今後も頼む』
父との通話が切れ、私は「ふう……」と白い息をこぼし、暫し放心した後、手に持ったままだったスマホで、由貴にメッセージを送る。
『明日の数1って小テストなかったっけ?』
送ってすぐ、由貴から返信があった。返信早いよ。
『うわっ! 本当だ! どうしよう!? 何もやってない!』
『別に由貴は大丈夫でしょ。成績優秀なんだから』
『そんな事ないよ。私だって頑張って成績維持しているんだからね!』
『はいはい。それじゃあ、今夜通話しながら、小テストの対策でもしようか』
『本当に!? うおおおおお! やる気がみなぎる!!!!』
どんな返信よ。と思いながら、私は、早く死体回収来ないかなあ。と死体の上に座りながら、雪道でただ待つ事しか出来ず、途方に暮れるのだった。