第八話 簡単なこと
葉月!葉月!葉月!
どこにいるの!?
でこぼこな山道に足がもつれ、呼吸をするたびに脇腹が痛む。
「ぐぅっ!たづけっ、あ゙ぁ゙!!」
近くで声が聞こえ、周囲を見渡す。
どすっどすっ!っと聞き慣れない音が耳を侵す。
暗闇に目が慣れてきたのか、視界に広がる光景が目に焼きついた。
何度も何度も殴られている親友の姿を。
口から唾液と血を垂れ流し、泣いている葉月と目が合った。
あっ。
「やめろおおおおぉぉぉぉぉぉ!!!!!」
疲れも恐怖も忘れ走り出す。
地面に落ちている鉈を手に取り、大きく振りかぶった。
躊躇はなかった。
足を踏み込み両腕に力を入れ、聞こえてきたのは僕の口から発せられた叫び声。
それは怒声か咆哮か、喚声なのかは僕にもわからない。
自分にこんな感情があったのか、こんなにも怒りに支配され、感情的になったことはあっただろうか?
両手で鉈の柄を持ち、思い切り振り下ろした。
男の肩から鎖骨にかけ、刃が食い込んだのが感触から伝わり、悲鳴をあげながら男は地面をのたうち回る。
「ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!あ゙あ゙ぁ゙!!」
五月蝿い。煩い五月蝿いうるさい五月蝿い。
男に食い込んだ鉈を手放し、葉月に駆け寄る。
「葉月っ!!」
返事は返ってこず酷く狼狽したが、呼吸をしているのがわかり気を失っているだけだとわかった。
「ごめんね……僕がついてるって言ったのに……」
葉月を抱きしめながら、彼女の身体を確認する。
刃物による外傷はなく、命に別状はないと判断した僕は、醜い声を垂れ流す男に目を向けた。
「いいぃぃぃ!ぐぅっ!あがぁぁぁ!!」
「ははっ。……最初からこうすればよかったんだ」
「がひっ!ひっ、っ、っ、!ひぃ……ぃ……っ……」
痛みは通り越したのか、次第に声が小さくなっていく。
男は呼吸ができないのか、痙攣を起こし悶えている。
気持ち悪い。
一体僕はどうしたのだろうか。
目の前には、大量に血を流し息絶え絶えの男がおり、その原因は僕が起こしたことは明白だというのに、まるで他人事のように何も感じない。
初めて人を傷つけ、明確に殺意をもって攻撃したというのに、不思議と気分は高揚している。
もうすぐ死ぬんだろうなぁ―――
僕が殺したんだなぁ―――
痙攣しながらも血を流している男と目が合い、男は徐々に動かなくなっていった。
羽化に失敗し地面に落ちた蝉みたいだなぁなんて思った。
憐れむこともなく興味を失くしたのか、どうでもよくなった僕は葉月の汚れた顔を拭くことにした。
カチっ。
音が鳴った。
これは僕の頭の中で鳴ったのだろうか……。
外れちゃいけない何かが……。
僕の何かが外れた音がした。
◇◆◇◆◇
「葉月ちゃん!媛ちゃん!何があったんだ!大丈夫か!?」
「葉月さん!媛さんもその血はっ!」
想像以上に早く駆けつけてくれた薫くんと栄一郎くんと合流した。
未だ気を失っている葉月に、返り血を浴びた僕、もう動くことはない人間だったもの。
簡単に理解できる光景ではなく、彼らは酷く混乱している。
「とにかく、無事……なんだな?悪い、すぐに助けに来れなかった」
「薫くんが謝る必要はないよ」
「謝らせてくれ、ごめんな。怖かっただろう。葉月ちゃんにも痛い思いをさせちまったな」
「……うん、ありがとう。来てくれただけで嬉しいよ。葉月もすぐに目を覚ますと思うから、僕が側にいてあげないとね」
「あぁそうした方がいいな。今栄一郎が警察と救急車を呼んでくれてるから」
意外と僕は落ち着いている。これからどうなるんだろうなんて、他人事のように考えている。
これは殺人なんだろうか―――
正当防衛のうちに入るのだろうか―――
両親にまた迷惑をかけてしまうなぁなんて―――
「事情は俺達も知っているし、恐らくその男は指名手配犯だ。媛ちゃん達が一方的に疑われることなんてないだろうよ。
正直に事情聴取で話せば大丈夫だ。だから心配する必要はないぞ媛ちゃん」
「ありがとね。安心した……ねぇ薫くん」
「ん、どうした?」
「側に…………側にいてくれないかな。すごく怖くてさ……」
「あぁいいぞ。ちゃんと説明するし、栄一郎もわかってくれてる」
「そっ……か」
僕は落ち着いているし、あの男に対する恐怖はこれっぽっちもない。
人を殺してしまった罪悪感でさえ。
”すごく怖い“なんて嘘をついた。薫くんと少しでも長く話していたい理由を作りたかったから。
ねぇ薫くん。どうして君といると落ち着くのかな?僕達はほんの数時間前に出会ったばかりなのに。
血が渇き鉄の匂いも慣れた頃、聞き慣れたサイレンの音が近づいてきた。
不安を煽るあの音は今日だけはとても安心できた。
数名の警察の人と救急隊の方が駆け寄より僕達を保護する。
「通報通り、高校生四名確認しました」
「男性の遺体確認。男性の遺体確認。」
「もう大丈夫ですよー」
「動けますかー?」
「こちらの方に移動しましょうか」
「担架の用意お願いしますー」
怪我人を見て、血を見て、遺体を見て慌てる人は誰もいない。
大人達の手慣れた作業に僕は安心したのか、睡魔が襲ってきた。
「薫くん少し……眠るね」
「おぅ。何も心配することはない。沢山眠るといい」
「う……ん。…………」
「おやすみ」
◇◆◇◆◇
ここはどこだろう。
これは夢?
視線の先には―――
僕がいた。
他人のように自分の姿が見え、僕は右手に包丁を握っている。
包丁を握った僕の足元には葉月が横たわっていた。
身体中を何度も刺された痕が見え、夥しいほどの赤黒い血が流れている。
僕は笑っている。
僕は笑って嗤って笑って嗤って嗤って嗤って嗤っている。
とても楽しそうに。
「葉月が悪いんだよ!!!!!僕のっ!僕の薫くんに!!!!」
僕の目の前にいる僕が叫んでいる。どうして、こんな……。
僕の薫くんに手を出すヤツは、みんな殺す。
例え葉月であっても。
殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す。
これは、夢。
ゆめ……だよね。
本当に夢なの……だろうか…………。
カチっとまた何かが外れる音がした。
外れちゃいけない何かが。
僕にはわからない。
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