第七話 調理法
あぁ僕の口の中に入ってしまう。
この肉を食べれば―――
「うぉぉ雰囲気あんなぁ」
「こえぇぇーー」
男性の声が聞こえた。薫くんでも栄一郎くんでもない、男性の声。
おそらく僕達と同様、肝試しに来た人達だ。
「ちっ。いいところだったのになぁ。面倒だなぁ。殺すの勿体無いって言ったばかりなのによぉ。待っててねぇ。あいつら処理してくるから」
鉈を手に取り、処理をしてくると言いながら部屋を出ていく男を、僕達は黙って眺めることしかできずにいた。
彼らは殺されるのだろうか。
自分達の身に恐怖が迫り来ることを露知らずに、楽しげな声が聞こえる。
僕は手に持っていたナイフとフォークをテーブルの上に置き、葉月に声を掛ける。
「葉月、逃げよう。今しかないんだ、逃げるチャンスは」
「媛ちゃん…………わかった」
「大丈夫だから。僕がついているから」
絶対に大丈夫。そう自分に言い聞かせ逃げる決意を決める。
僕達は深呼吸し心を落ち着かせ、出口の方向へ視線を向ける。葉月の震える脚は幾許か治まり、お互いの手を握りながらゆっくりと目を合わせる。
逃げよう。僕は彼らの命を犠牲にする選択を取る。
他人の命を心配する余裕はなく、僕は自分の命と葉月の命を優先する。
僕達がいる場所は一階で男はおそらく二階に上がって行った。すぐには戻らないだろう。
「葉月、ゆっくりでいいよ。あいつはすぐに戻ってこないと思うから、とにかく外に出て下山しよう」
「わ、わかった、私ちゃんと走れるから。外に出たら走ろう。」
「じゃあ行くよ」
「どこに行くんだよぉ?」
「「ッッッ!」」
勢いよく後ろを振り返ると、べっとりと赤黒い血を垂らした鉈を手に持ち、男はこちらをジッと見ていた。
こっ、殺されたの?……こ、こんな短時間で……。
「勿体無いなぁ。いつもは血抜きをしてちゃんと処理するんだけどよぉ。あいつらのことはいい。今はぁ……お前たちだぁ!!」
突如こちらに向かって走り出す男と同時に、僕は葉月に向かって叫んだ。
「走って!!!!」
意外にも僕の声にすぐさま反応し、一緒に出口に向かって走り出す。
「はぁっはぁっ!」
「はぁ!葉月!全力で走るんだっ!」
出口を抜けると、辺りは真っ暗でがむしゃらに走る僕達を、男は楽しそうに笑いながら追いかけてくる。
「せっかく俺が作ったのによぉ。冷めちまうだろうがぁ!」
はぁっはぁっ怖い。
流れる汗を拭くこともままならずに、暗闇と迫り来る恐怖に包まれる。
どれだけ走ったのだろうか。ただ逃げることだけを考えて走る。呼吸を忘れただ走ることだけを考える。
男の声は聞こえなくった。
「はぁ!ふっ!はぁっ!は、葉月!あいつの声が聞こえなくっ、なった!撒いたっ、よっ!」
返事はない。
「っ……はぁ、え、葉月?」
葉月の姿が見えない。
暗闇によるものじゃなく、葉月は僕の隣にはいなかった。
「は、葉月?どっどこに……」
はぐれた?もしかして捕まった?いやそれはない、葉月の声は聞こえなかった。考えられるのは男は、葉月の方を追いかけて行ったのか?
焦りによるものか乱れた呼吸は治まらない。
「ま、まずいよ、約束したのにっ。一人にしないって……はぁっ。探さないと!」
来た道を引き返そうと後ろを振り返ると、もつれた左足を立て直すことができず、僕は思い切り転倒してしまい、カランっと何かが落ちる音がした。
「いっ……つぅ……あ、何か落ちた……あっスマホ!」
薫くん達と連絡を取ろうとした直前にあの男が来たので、ポケットに入れておいたスマホの存在を今まで忘れていた。
恐怖によるものなのか、どうして今まで忘れていたのだろうか……。
警察に連絡しないと!いや……でも警察はすぐ助けに来てくれるのだろうか。説明している時間はない、僕は今すぐにでも葉月を探しに行かなければならないのだ。迷っている暇はない。
ふと、頭によぎった二人の男性―――
ほんの数時間前に知り合い友人となった存在―――
彼らは僕達を助けに来てくれるだろうか―――
信じたいと思った。信用したいと思った。
どうしてこんなことを思ったのか自分でもわからない。
スマホの画面を開くと、僕は迷わず電話をかける。
ワンコールと経たずに電話に出た彼に、僕は縋るように声を出す。
「助けて!!!薫くん!栄一郎くん!」
『どこにいる?何があった?』
聞こえてきた返答は驚くほど冷静で、とても落ち着いた声だった。
「お、男が襲って、きて、み宮良山に今っ」
まったく口が回らずに、要領を得ない僕の言葉に薫くんは短く答えた。
『わかった。待ってろ』
「うっうん!」
どうしてこんなにも安心するのか。
彼らが助けに来てくれる。そうわかっただけで呼吸が少し楽になった。
電話を切り、僕は急いで来た道を引き返す。
葉月を探しに行かないと!
◇◆◇◆◇
私は今暗い夜の山道を走っている。
息を吸うのも忘れ、汗で張りついた髪がものすごく鬱陶しいのを感じる。
「はぁ!はっ!はぁっ!媛ちゃん!どこに行ったの!?」
恐怖と不安に包まれながら私は走る。
はぐれた!はぐれた!媛ちゃん!
どこに行ったの!?もしかしてあいつに捕まったんじゃ……。
あの男の姿は見えず、不気味な笑い声も聞こえなくなった。
聞こえてくるのは風で擦れ合う葉の音に、必死に酸素を取り込もうとする私の息遣いだけ。
ど、どこに行ったの?あの男は……。
助けて、媛ちゃん。誰か……。
「逃げるなんて酷いなぁおい」
男は私の背後に佇んでいた。右手に鉈を構えゆっくりと近づいてくる。
「い、いやぁ!媛ちゃんっ!だれかぁ!」
「少し静かにしてくれよぉ、煩い子は嫌いなんだよぉ。折角俺が作った料理を一口も食べずに、席を立つなんてよぉ。酷いじゃないかぁ」
「ご、ごめんさない……おっお願いします、殺さないで……」
「ああぁ今日はいい日になると思っていたのによぉ!嫌なことを思い出したじゃねぇかぁ!俺のっ!俺の作ったもんが食べられねぇってのかぁ!」
「ひっ!………わ、私は……」
男は持っていた鉈を地面に落とし、両手で自らの頭を掻きむしる。
「俺の!作った料理がっ!どいつもこいつも美味い美味いって食ってたのによぉ!クソっ!クソッ!」
血走った目に、話の通じないイかれた殺人鬼。
私は何もできずにその場にうずくまることしかできない。
男は私の髪を左手で乱雑に掴み、右手を振りかぶり私の腹部を殴打する。
一回。二回。三回と男の拳は止まらない。
「ぐぅっ!あ゙ぁ゙っ!やめっ、ぐぇっ!」
「肉は叩くと締まるからなぁ。この調理方は人じゃ初めてだぁ」
「あ゙っ!だづけっ!いっ!うぅ!」
「ちゃんと食べてやるからなぁ。俺は食べ物は無駄にしないんだよぉ」
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い媛ちゃん痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
殴られた衝撃により、口からはとめどなく胃液が溢れ出る。
苦しい苦しい痛い苦しい痛い痛い痛い苦しい媛ちゃん痛い苦しい痛い苦しい苦しい苦しい苦しい媛ちゃん苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい。
お腹だけを殴られているはずなのに、全身が痺れる感覚が襲い、とても熱い。
熱い熱い熱い痛い苦しい媛ちゃん痛い痛い苦しい熱い痛い熱い苦しい苦しい痛い痛い媛ちゃん熱い熱い熱い痛い。
涙と鼻水で顔はぐちゃぐちゃになり、引き攣った掠れた声だけが溢れる。
「あ゙っ…………い、…………いっ」
意識が遠のいていくのを感じる。視界が歪んでいく。
助けて―――
助けて、媛ちゃん―――
「やめろおおおおおぉぉぉぉぉぉ!!!!!」
媛ちゃんの声が聞こえた。
幻聴なのか。現実なのか、私にはわからない。
私は今どうなって―――
私の視界は真っ暗になった。
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は、葉月ちゃん……。