一週間前
朝起きて携帯をみる。煌々と光るそれが顔を照らす。
ついさっきまで闇の中にいたのに、急な光を視界に入れるんだからそりゃ不快にもなる。
次第にその不快感は焦りへと変わっていく。時刻は八時をまわっていた。
「そうか、今日はお休みか…」
俺は大きめの息を携帯に当てながら、胸をなでおろしていた。
今日は金曜日だが、実家へ帰る必要があったのでお休みをもらっていたのだった。
眠い目を手や水でこすりながらこじ開けていく。
着替えも終わり、住んでいるアパートを出た。
2階にあるアパートから見える桜並木は、そろそろ花をつける様相で、今にも人だかりができそうなくらい綺麗を準備しているのが分かった。
階段を駆け下りると、帽子をかぶった小学生たちが何やら楽しそうな声色で話をしながら歩いている。
楽しそうな声色というだけで、話題はわからないにもかかわらず、これだけ人は幸せな気分になれるんだなぁと感じていた。
起床直後に不快に感じていた光の景色が、今度は浮足立つような楽しい気分にさせてくれた。現金だなぁ。と自分でも思う。
実家までは電車で数駅。そこまで遠くはないが、意図的に実家と距離を置きたいということで、社会人一年目に独立した。母親は最後まで反対していたが、俺に嫌われるのが嫌だったのだろう。最終的には折れて、独立を許してくれた。
意図的に実家を離れた理由は少し複雑である。まず父親が宗教団体の教祖なのだ。
俺はそこまで敬虔な信者というわけではないが、一応入信している。正確に覚えていないが、小さいころ俺も入信の儀式を行い、入信したらしい。母親にはそう聞かされている。
まぁ教えには特に突飛なものはないし、いわゆる道徳的なものがほとんどなので、今更教団を辞めたいとかってことではない。理由はほかにある。
それは彼女である。大学三年生の頃、彼女ができた。明るく元気でどんな暗い雰囲気の中にいても光り輝くようなそんな人だ。名前はモモといった。
俺は大学に入ってすぐ、テニスサークルに入った。
高校の頃テニスをやっていたということもあるが、それ以上に陽キャへのあこがれが強かったんだと思う。大学の陽キャといえばテニスでしょ!という偏見まみれな色眼鏡を携えて入部した。
入ってみると意外や意外。俺が憧れていたような雰囲気でもなかった。
ただ、テニスが好きなことに関しては本当で、しっかりテニスにのめりこんでいった。
とはいえ、大多数が俺みたいな陽キャにあこがれて入った人たちで、テニスをさかんに行うようなサークルではなかった。だから俺が憧れていたような雰囲気じゃなかったんだろう。
このサークルで真剣にテニスをしていると、否が応でも目立つ。テニスサークル名義で体育館を抑え、一人で練習していたとき、はじめてモモに話しかけられた。
「あの、半分使ってもいいですか?」
最初は一人だからってなめやがって…と思った記憶がある。確かに俺しか練習はしていないが、テニスサークルでこっちは予約とってるんだ。練習時間終わったらにしろよ。そう思った。
しかししっかり目線を向き合うと、モモも一人だった。不思議に思って話していると、どうやらバスケサークルに入ったはいいものの、ほかの人たちは飲みにしか興味がなくて、バスケサークルで体育館の予約を取ってくれないという話だった。だからコートの隅でいいので貸してほしいということだった。
そうか…俺が入るべき正解はバスケサークルだったのか…と思いながらも、親近感を覚え、コートの隅を貸すことに承諾した。
そこからはとんとん拍子にことは進んだ。俺が体育館を借りるときはモモに連絡するようになり、モモは俺が練習をしているときだけバスケに励むような生活が繰り返された。つまり二人きりの時間が放課後のメインディッシュになったのである。
モモは特別バスケがうまいということでもなく、俺のテニスもまた、下手の横好きといった実力だった。
モモがスリーに失敗しては俺が嘲笑し、俺が壁から跳ね返った球に追いつけなかったときはモモがあおる。そんな日々が続いた。
ある日俺はテニスボールよりもモモを眺めている時間のほうが多いことに気づき、告白をした。
モモからの返事は喜んでというものだった。有頂天だった。
今までカノジョというものができたことがない俺にとって、ネットは恋愛のバイブルだった。俺の入信している本物のバイブルには恋愛について一言も書かれていなかった。
どうやってリードするべきか。どうやって記念日を祝えばいいか。何をしたら喜ぶ確率が高いか。等。
結局そのお付き合いは今でも無事に続いている。
しかし、それは〝俺の父親が教祖ではないこと〟が第一条件だった。モモは小さいころに、ほかの宗教団体で両親を亡くしているのだ。
宗教団体で亡くしているというのも少し難しい表現だが、その宗教団体のアンチに殺害されてしまったのだ。
モモはその事件でひどい傷を負ってしまい、宗教という文化に対してひどい嫌悪感を抱いていた。
実家に招こうと思っていた矢先、そのことが発覚。ギリギリ気づけて良かった。もしもその事実を知らなかったら俺は間違いなく実家へ連れて行って父親が教祖だということが判明しただろう。そのあとは平穏無事にお付き合いを…とはいかなかっただろう。今でも思い出して冷や汗をかく。
まぁそんなこんなで、モモを第一に考えているがゆえに親元を離れて暮らしたいと考えたわけだ。
色々考えていたら実家の最寄り駅についていた。ここからは歩いて20分ほどかかる。バスもなければタクシーも止まっておらず、地味に遠い。
ただ今日はその20分も短く感じられた。人通りが少ない道を選び、予行練習をしていたからだった。
その予行練習は、モモとの将来を真剣に考えてもらおうというものだった。
モモと結婚するうえで、礼儀として一度実家に招く必要がある。そのためにまずは父母に、モモのことをまず一から説明しなければならないし、さらに相手様は宗教団体というもの自体がタブーだということを伝える必要もある。で、それはなぜかという理由の説明も必要だろう。そのうえで父親が教祖ということや実家が宗教団体であるということを隠してほしいという旨を伝える必要もある。
なかなかにハードだ。伝えることだけでもハードなのに、これをすんなり受け入れてくれるような父母ではない。伝え方をミスればこの時点でモモとの結婚は危うくなる。それだけは阻止したい。
実家に着いた。回り道をしながら練習をして、30分かかったがそれでも完璧な説明には程遠いだろう。
でももうこれ以上俺の頭ではいい説明ができそうにない。もうパッションで説明するしかない。
実家のインターホンがいつもよりも固く感じた。
「はい、あ、海斗様」
金曜日に来ることを想定していなかったであろうお手伝いの小鳥さんが出た。
「すみません、一日早いですが大丈夫でしょうか」
「もちろんでございます。ご準備は整っておりますので、ごゆっくりおくつろぎください」
俺が小鳥さんほど頭も気も回るような人であれば、説明もうまくいくだろうになぁ、と思いながら、実家に入る。戦闘開始だ。