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一番大切な……

作者: 瀬川椎泰

いつものように文芸部の部室で喋る部長と部員、部長が問いかけて、部員が答える。そんなありふれた日常の一幕。

堂々と外で話すには憚られる、そんな現代の闇ともいえる話題に二人は切り込んでいく。



「ルッキズムという考え方を知っているかい?」


狭い八畳ほどの一室の奥で、文庫本を手に取っている先輩が僕に問いかけてきた。黒髪ロングの隙間から見える彼女の美貌は、入り口側のパイプ椅子に座る自分とは目線さえ合わない。僕に話しかけてはいるが文庫本の方を向いたままだ。


「確か、外見至上主義みたいな意味合いですよね。

ルックスが優れている事が最も大事なステータスであるということ…」


で、合ってますか?と自信無く解答を返す。正確な発信元や定義は知らないが、このコンプライアンス規制社会というご時世において、意識した事がないといったら嘘になる。


「君にもそれぐらいの知識はあるようだね、日本一の愚か者だと思っていたが、関東一の愚か者に昇進させてやろう」


毎日のように浴びている皮肉を彼女は僕に伝えながら、読んでいた文庫本に栞を挟んで机に置く。クルッと体の向きを変え僕の方に振り返り、続けて口を開いた。


「ではもう一つ我が部員に問う、ルッキズムは悪か?」


「そりゃあダメでしょう、外見で人を差別するなんて現代で許されないことでは? いや、過去現在未来においても決して許される考えではないと思いますけど」


彼女はそれを聞くと、右手で頭を抱えて「ハァー」とわざとらしい大きなため息をした。どうやら非常にお気に召さなかったらしい。


「やはり君は日本一の愚か者に降格だ、この浅慮者め」


昇進後20秒で即降格、この部活が本当の社会組織なら暴動が起こりかねない。


「しがない部員君よ聞きたまえ、ルッキズムは許されないことか? と問われたらその解答で模範解答だろう。しかし私は、悪かどうかを聞いている。愚かな君にこの違いが分かるかい?」


「……言っている意味がよく分かりませんが、許されない事と悪い事は結局同じでは?」


「全然違うよワトソン君、現にルッキズム、もといルックスの良さは我々の世界で大事な基準となっているからね」


彼女は自身が座っているキャスター付きの椅子を足で蹴り、クルクルと椅子ごとその場で回転し始めた。約5秒に1回程度の頻度で、彼女の端正な顔立ちと目が合う。


「例えば就職活動だ、面接時にまったく基準が同じなら、外見が良い方が選択されるだろう? 企業的にもその人材のルックスで後々に得をすることはあっても損はしないからね」


なんの仕事でも、と付け加えながら彼女は続ける。


「では男女問わずアイドルはどうだ? 顔が整っていない偶像をキミたちは応援するのかい? ルッキズムが悪ならば、誰にでもアイドルになれるはずだろう?」


今のところ彼女の、部長の論理に破綻はないように感じる。僕がもっと博識で討論がうまければ、何か反論できただろうか。


彼女は椅子の回転を止め、再び体を正面に向けた。少し酔ったのだろうか、あまり表情は芳しくない。


「だが決してこれらは責められることではない、我々が根源的なルッキズムになってしまったのは、進化の過程上仕方のないことだからな。結局、人間は顔が一番大切で価値のあるものなんだ」


そう言うと彼女はスクールバッグからペットボトルを取り出し、キャップを開け透明な液体を口に運ぶ。


部長が僕にも分かる隙を見せてくれたので、一つ彼女に反論してみることにしよう。


「それは違うんじゃないですか? 人間の良さは性格とか、何を成したかとか、友人とか…もっと言うなら財産とか……人の価値を顔だけと言い切るのは、それこそ許されないルッキズムの本質では?」


自分の中でも、割と完璧に思える反論だと自信を持って断言できる。しかし、彼女は口元に薄ら笑いを浮かべながら、引っかかったと言わんばかりの表情をしていた。


「では証明して見せよう、人類はみなルッキズム的な生き物であると、今から言う質問に続けて答えてくれ」



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「君は一人っ子だったね、ご両親……そうだな、父方の祖父母はご健在かい?」


「祖母は自分が5歳の頃に他界しました、祖父はまだまだ元気です」


まるで医者に診断されてるかのような錯覚を覚える、椅子を二つ並べて彼女と向き合うような構図で座っているのだ。


「そうか、では祖母のことはあまり記憶にないわけだな?」


「そんなことはないですよ、よく一緒に遊んでもらってたらしいですし、両親のお話では公園なんかに自分を連れてってもらっていたそうですから…」


当時の自分は、というより幼少期なんて誰でもそうかもしれないが、手のつけられないヤンチャ小僧だったらしい。家から勝手にいなくなることもよくあったそうだ。


「◯◯らしい、◯◯そうとは、随分曖昧な表現だな、そんな様子じゃ祖母の顔もよく覚えていないんじゃないのか?」


「それはあり得ませんよ部長、僕に優しく微笑んでくれる顔は今でも覚えています」


彼女の指摘は筋違いだ、ハッキリ思い出す事ができる。あの優しかったお婆ちゃんの顔と声。常に表情が穏やかで幼少期の自分をいつも見守ってくれていーー。


「なんて名前なんだ?」


「え?」


「だから名前だよ、()()()()()()()()()()を教えてくれ」


「…………」


「どうした? 答えられないのか?」


……思い出せない、絶対に聞いた事があるはずだ。数年とはいえ一緒に暮らしていたはずだ。葬式に出た記憶すらある、しかし十数年も昔の話だ。お墓参りも年一で欠かすことはない、だが、それでも、その情報を辿っても存命の頃の名前が出てこない……。


「思い、出せません……」


「なんと! 不思議なことをいうな君は! 祖母の名前は思い出せず、過ごした日々も朧げなのに顔はハッキリ覚えていると? これは傑作だ、人間の価値は何を成したか、性格、それが君の価値観ではなかったか?」


彼女が大袈裟に驚いたフリをしながら、コチラに問いかけてくる。わざとらしいその喋り方も相まって、自分の中の感情の昂りが大きくなるのを感じた。


「…………」


ーーまったく反論できない、それどころか返事をすることも、顔を上げることすら出来そうにもない。彼女の方を向いてしまったら最期、ギリギリで瞼に堰き止めている洪水が溢れてしまいそうだからだ。


「…………」


「…………」


しばらくそうしていると、ポンと頭に何かが置かれた。視線を上げると、どうやら彼女の手が頭上に載せられているようだ。そして、申し訳なさそうにしている顔とその瞳がコチラを見ていた。


「すまない、調子に乗って言い過ぎた……私の証明で君が傷つくのは、本意ではないんだ」


どうか許してくれ、と僕に白いハンカチを差し出しながら頭を下げる。


「別に気にしてませんよ」とハンカチを受け取り、潤んでいる瞳を拭う。洗って返しますと伝えて彼女にお礼を言う。


「いやぁ、本当はもっと簡単に説明できるんだが、もしかしたら君は納得しないかもしれないと思い手荒な手段を取ってしまった、大変申し訳ない」


「部長、もう大丈夫ですから謝らないでください。さっきのは少しビックリしただけですから……」


部室内を気まずい空気が流れる。初めに僕が反論し、彼女が証明した。それだけのはずだ。


いずれにしろ、こんな重い雰囲気を作り上げた原因が、僅か15分の間に起こった出来事のせいとは誰も信じないであろう、


部長は黙り込んだまま腕を組んで動かなくなってしまった。


「そういえば、簡単な説明方法ってなんですか?」


針のむしろみたいな空気感に耐えかねて、彼女に聞いてみる。すると彼女は複雑な顔をしながら話し始めた。


「君達はよく言うだろ? アイドルや有名人の話をしている時に、『わー⭐︎誰か思い出せなーい、()()()()()()()()()!』って」


それを聞いてハッと、1%の納得できなかったピースが埋まる音が聞こえたような気がした。


「それの逆を私は聞いた事がないんだよ、【名前は思い出せるのに顔が出てこない】ということは、我々には決して起こりえないんだ」


「だから、ルッキズムとはある種人間の進化によるせいなんだよ、顔情報が我々の脳内に一番深く刻み込まれるようにできてるんだ。それは危機回避のためか選択のためだったのかは、定かではないがな」


彼女はそう言うと文庫本と水の入ったペットボトルをスクールバッグに入れ、部室をあとにしようとする。帰り支度をしながら彼女は言う。


「第三者から見ればルッキズムは許されないことなんだろう。しかしそれ自体は悪いことではないのだ。人間の価値は第三者ではなく自分が決めるものだからな。全ての人間が、人の価値観や多様性を君のようにちゃんと理解していれば、問題になったりなどしないはずなんだ」


じゃあ、また明日放課後にーー


そう彼女は言い残し、部室から出ていった。スライドして閉まる扉の隙間から見えた笑顔は、作為じみたものではなく彼女の本心のような、そんな気がした。


しかし、それでも僕は彼女の意見を全て肯定するわけにはいかない。僕が文芸部に入り、彼女のことを追っているこの気持ちが、彼女に惹かれているこの思いが、その全てが外見が良いなんて理由で一括りにされるのは、我慢ならないからだ。


彼女の後を追うように急いで部室を出る。急げばまだ校内にいるはずだ。


貴重な放課後の一緒に過ごせる時間を、こんな会話で終わらせてしまうのは勿体無い。







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