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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

白い夜がこたえてくれた日

 1

「これが喉仏です」

 漆黒の制服が似合う、火葬場職員が遺骨の説明を続けている。浅黒い大男である。全身が黒い制服のように、私には見えた。

 雪がちらつく。12月28日午前だ。

 寒さに耐えきれず、真っ赤なセーターを着た体を何度もちじこめた。隣の母も震えていた。

「本当にこれで良かったの? 直葬で本当に良かったの?」

 同じくセーター姿の母は、小さく言うと骨の山から顔を背けた。

 私は無言で聞いた。そして昨日まで父だったものに目を落とした。私は、通夜も葬儀もすることなく、父の遺体を焼いたのだった。

「母さんもこれで良かったんじゃないか?」

 そう言いかけた時、LINEが着信した。恋人のMからだった。

(会いたい)

 というスレッドだった。私は携帯をしまい込んだ。

「行こう」

「えっ?」

「もうここには用はないよ」

「ちょっと、まだお骨をもらってないわ」

「いらない」

 私は、骨を拾わずに帰りかけた。その時、視界が黒くなった。

「出過ぎですが、人間として、……決してしてはならないことです」

 だが私は、彼を無視して、雪の中へ出ていった。


 2

「英語は、『英文読解プロセス50』を2年までに2回やって。……数学は『1対1対応の演習』を1年生のうちに終える。物理のエッセンスも1年だ!」

 火葬場から帰ると直ぐに私はこもった。そして「受験勉強ごっこ」と言うものを始めた。空想の中で完璧な受験勉強計画を立てるのである。

 使う参考書はどれも古い。なぜなら現在、私は22歳なのだから。高校を中退して以来、この歳になっても、毎日必ず、このおろかな儀式をやり続けている。

何時間も集中しているうちに、自分の意志とは関係なく、合格の映像が脳内を走るようになる。本当にどこの大学でも入れる気持ちになる。

 しかし今日は違った。頭蓋骨の中には父の思い出ばかりが出て来たのだ!

 ……幼い私は庭で行水をしていた。夏のさかりだった。

 父が帰ってきた。

「おかえりなさーい。おかえりなさーい。」

 私は父に濡れたまま飛びつく。

 次の瞬間、視野がブレた。次になぜか罪悪感につつまれた。

 なにが起こったのか、わからないまま、涙が溢れる。

 私は筒に父に、大人の力で手加減なしに殴られたのであった。

 それから、脳が止まらなくなった。頭の中が映画館になって、耐えられない映像ばかりになった。物置に閉じ込められたこと。食事を与えられなかったこと。

 最後に、鼻の骨を折られた事件が蘇ってきた。顔からの血が、手にいっぱい、赤くついた……。

 吐こうとしたとき、携帯の着信音が鳴り、私は覚醒した。Mだった。


 3

 私たちは、裸のまま、一緒に動画を見ている。椎名林檎の『ここでキスして』だ。

 赤黒いバラ園の中で、林檎は歌っている。体には何本もの縄が巻き付いている。

「病んでるね。彼女」

 とM。私もたれかかってくる。

「お前もだよ」

 私はウイスキーを取りに行った。

 ウイスキーは冷凍庫に眠っている。凍る直前の蒸留酒を私はいつも飲む。極限にまで冷やすと、香りも、角もなくなって、シルクのように飲みやすい。しかし飲みすぎると体が冷たくなりすぎる。

「あなたこそ病んでるわ。もう昼間から酒やめなよ。それより、わたしの話を聞いて」

「また何時間もかかるのか?」

 Mも冷凍ウイスキーに手を出す。グラスを持つ手首には、新しい傷が3本ついている。

「相変わらず死にたいのか? 正直、もうお前の未遂話はききたくない。親父が死んだので手一杯だよ。余裕ないよ」

 Mは返事をするかわりに酒を飲み干した。動画では、男をつなぎとめる歌を林檎が歌っている。わたしのウイスキーは5杯目になっていた。

「あなたこそ、いつまで酒におぼれているの。また飲んで私を殴ろうとするんでしょう」

「実際に殴ったことはないだろう」

「いつも真似ね。度胸なしだから」

「ほんとに殴るぞ」

 Mはまたウイスキーを飲んだ。私も6杯目を飲み干した。Mのグラスに涙が落ちた。

「きのう、切った後、首つりも失敗したの」

 反射的に、Mを私は殴っていた。しかも拳で。

 Mの目の下が切れ、少しだが出血した。


 4

「俺は、親父と同じ。同じ。同じ。」

 ガラスが割れる。

「同じDVだ。同じDVなんだ! 同じDVだったんだよ!」

 Mが帰ったあと、私は叫びまくった。血を出したMの顔が焼き付いてしまった。

 今はもう、父ではなく、赦せないのは自分だった。絶対に許せない存在は、私自身だった。

 ウイスキーの瓶は空になろうとしていた。


*********************************************


 夢の中で、私は、ドストエフスキーの大審問官になっていた。教会への反逆者を火あぶりにしていた。

 錆びだらけの鉤が天から下りている。そのさきから更に大きな檻が下がっていて、様々な罪人が焼かれているのだ。檻の中には、これまでに私に害をなした人間も大勢混じっていた。

 私をいじめた同級生。私を笑った憧れの女生徒。私を迫害した同僚と上司……。そして父!

「もっと薪をくべろ!」

 助祭たちが業火の中に薪をつぎ足していく。みんな、猿のように焼けていった。それを見ながら、わたしはウイスキーをあおった。

 その時。

 Mが檻の中にいることに私は気づいたのである。彼女は顔から血を流しながら焼かれていた。

「みんな、ストップしろ。その娘はちがう。消すんだ。火を消すんだ!」

 しかし、助祭たちは黙々と火をくべ続けた。


*********************************************


 目を覚ますと、汗びっしょりだった。体中震えていた。私は酔いつぶれて眠っていたのだ。時計は十二時前だった。

(俺、すっげえ恐ろしい人間になってやしないか?)

 まっさきにこの言葉が浮かんだ。

 闇を見つめる。

(ここは地獄だ。助けてくれ。なんでもする。なんでもするから……)

 闇につぶやくと、私の心が目覚めてくるのがわかった。

 時計が12時を打ち始める。

 その瞬間、こころの照明が変った。

 わたしは、今日のすべてを闇に告白してみた。


 5

 ……雪が降りだしたのが見えた。

 私は火葬場の赤いセーターを着て外に出た。降る雪に罪を洗ってもらいたかった。

 空を真正面から見上げる。顔に次々と雪が落ちてくる。降る雪の量は圧倒的だった。

 その前では、わたしの存在は塵芥に過ぎなかった。

 が、同時に、母のような優しさで、雪は私をつつんでいた。白さ以外の価値観はないようだった。

「これが、世界の本当の姿か……」

 何もなくなった世界を、雪だけが、神の意志でもあるかのように降っていた。私は自分の小ささを自覚した。

「ごめんなさい」

 急にその言葉がでた。なにか大きなものに謝りたかった。ここ数日の凄惨な出来事はすべて、私の中の「悪」が招いたものであると思った。


 そして私は、父とMのために祈った。

 ゆるすように降る雪はやむことがなかった。

                                          (終わり)

 

 


 読んでくださってありがとうございます。

 処女作です。

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 夏瀬 拝

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