パスワードを忘れただけなんだっ!
21XX年。
生まれた時から管理局に監視されながら生きる人間たちは、完璧で理想の生活を送っていた。
百年くらい前までは当たり前だった犯罪や喧嘩、戦争などは一切起こらない。
そんな平和な世の中に唯一の欠点があるとすれば、何をするにもパスワードが必要であること。
パスワードは本人証明証、そして第二の名前と言ってもいい。
初めの頃こそ面倒に思う人間も多かったらしいが、今となってはパスワードは当たり前。だから多くの人間はこの制度の欠点を考えもしなかった。
――そして被害者となる、男自身も。
彼は今年で三十になる若者だった。
二十歳になれば望めば恋人でも妻でも作ることが可能になったこの世において、独りで生きることを選択した変わり者である。
妻を取らなかった理由は単純で、共同生活というのが面倒臭かったから。男はズボラだった。
一人きりでも何も困ることはなかったので別にどうでもいいと思っていた。
ある日突然、パスワードを忘れるまでは。
「あれ?」
朝起きて、だらだら過ごそうとPCを開いた時に突然気づいた。
昨夜までは確かに覚えていたはずのパスワードが思い出せない。認知症でもないのに。
「おかしい。パスワード、パスワードは……」
ぶつぶつ呟きながら腕組みする。
ずぼら故にメモなど残しているわけもない。毎日使うものである、絶対に忘れないという自信があったのがいけなかった。
仕方ない。何か食べて気分を変えよう。
そう思って台所に行くも……冷蔵庫の中央、液晶画面に大きくと表示されていた。
『パスワードを入力してください』
PCにせよ冷蔵庫にせよ、空き巣への対策としてパスワード制が導入されている。つまり今の男には冷蔵庫を開けられない。
気分転換に家を出ようとした。――ダメだ、家を出るにも入るにもパスワードが必要になる。
小型連絡機で管理局に知らせようとした。――小型連絡機にパスワードを求められてそれも叶わない。
どうすればいいのだろう。
頭をどれだけ捻っても、考えれば考えるほどに思い出せないのだ。
男は耐えきれず、家の奥からハンマーを持ち出して窓を叩き割った。
警報のブザーが鳴り響く中、全速力で走る。向かうは管理局だ。
しかしダメだ。おそらくブザーの音で通報されたのだろう、警備隊によって男は捕えられた。
パスワードを教えろと銃を向けられる。でも男は何も答えられない。
――ああ、どうしてこんなことに。
「パスワードを、パスワードを忘れただけなんだっ!」