#1
良く晴れたある日の朝、外から大きな声が響き渡る。
「朝早くからお騒がせして申し訳ありません。」
ただのセリフの一つのように感情の籠らない枕詞を使い、全く悪びれる様子もなく遠慮なしに名前を連呼し、そして誇らしげに後ろ盾を叫び続ける。
伝えたい事は、自分の名前と後ろ盾だけのようだ。No Choiceで押し付けられるものほど私にとって不快なものは無い。その声は私の感情を全く無視しながら去っていった。
そういえば選挙が近々あったっけ?そう思いながら、溜まっていた郵便物に目を通す。外であれだけ選挙運動をしているのだから当たり前だが、案の定、選挙案内の通知が届いていた。投票日は来週日曜日。その日は仕事で行けないが、期日前投票制度がある。
昔の人達は、自分達の事は自分で決めるという志から、高額納税者のみしか認められなかった選挙権を誰もが投票できるように、苦労の末に手に入れたというのは学校で習ったが、そういう先人たちの苦労はすでに昔々の話であり、イマドキの人達にはただの面倒事の一つに過ぎない。
何時頃からだっただろう?この手の話をまともに聞けなくなったのは?何時からだろう?この人達の主張を馬鹿にするようになったのは?何時からだろう?この人達を信用しなくなったのは?
実際、選挙に行っても行かなくても何も変わらないのだ。それは、これまで生きてきた経験から自分が良く知っている。
選挙のたびに、候補者の話に耳をすまし、機関紙を手に取り、国をどうしたいのか候補者の訴えを見てきた。それに共感し、応援したいと思えば票を入れるという簡単な作業だが、それでも大事な一票と思い慎重に吟味してきた。
そして、応援した人が無事当選したなら、国をその志のように引っ張って欲しい。そう思いながら票を託したはずだが、その後の活躍を目にすることはなく、選挙期間中にはあれほど駅や街中で目にした人も、その後はどこで何をしているのかわからない。その様は、本当に実在していたのか疑わしく、存在が希薄化し、まるで夢のようだったとさえ感じる。
実際には、きっと当選者たちは国会で色々な仕事をしているのだろう。しかし、目にするのは政党・派閥同士の権力闘争のための口喧嘩であり、足の引っ張り合いであり、ただの勢力争いの数合わせだ。そういう事が何度も何年も何十年も繰り返されていくうちに、私は選挙への関心が無くなった。それと比例するように仕事にも関心がなくなり、生活のために仕方なく働くという、典型的な”社会人”の一人になっていた。
漫然と仕事をする生活に潤いはない。数少ない休日はもっぱら寝ているか、インターネットで遊ぶくらいだ。最近は「異世界転生もの」というジャンルが流行っているらしく、何となく見ている。ストーリーはどれも似たり寄ったりで、社畜がトラックにはねられて死亡し、神様からチートスキルをもらい異世界で有能を発揮しハーレムを作って無双するという、底辺中年男性の夢を無理やり詰め込んだ「ドリームセット」が定番だ。
私もきっとトラックにはねられたり過労死したら、気が付くと異世界にいる事になるのだろうか。そう思いながら眠りについたことがあったが、勿論、そのような事は起こりえず、目が覚めると絶望の朝がいつも迎えてくれている。
「そんな都合のいい話があってたまるか!」と、仕事に行き、現実の問題に向き合い、夜には疲弊しきってアルコールを胃に流し込む日々だ。夕べもそのようないつもの一日で、翌日は休みなので、いつもより深酒をし寝坊する気でいたのに、朝の街宣だ。
毒も吐きたくなる。自分の生活が良ければそれだけでいい。自分が楽に生きられたらそれだけでいい。働かなくても不自由なく暮らしていけるならそれだけでいい。きっと誰もが憧れる人生の目標だ。なんせ私も立派な”社会人”とやらなので、思想もそのように時代に合わせてアップグレードしている。
誰しもが人のためよりも自分の事を最優先する時代。選挙権行使さえ面倒な雑事となった時代。そういえば昔見た教科書に、選挙日だというのに、どこかの遊園地が満員御礼だっていう話が載っていた。その系譜はしっかりつながれていますよ!と、思いながらいつものように、大量にストックしているストロング系アルコールに手を伸ばす。
台所のゴミ箱にはストロングの空き缶が山のように詰まれている。ゴミ出しをめんどくさがって、溜まる一方になっているのだ。空き缶の山を見ると、命の負債を積み立てているような錯覚を覚える。自分で愛飲しておいてなんだが、きっとこのアルコールはすこぶる体に悪い。絶対早死にする。そう確信させられるような飲み物なのに、安く手っ取り早く酔えるので止められない。
「プシュッ!」今日何本目かの缶を空けた。すでに十分酔っているが、何となくもう一本もう一本と空けてしまう。飲みながら見ているアマゾンプライムのアニメはエンディングが流れているが、何を見ていたのかさえ既に覚えて居ない。今日は飲み過ぎたかな?と思いながらも、アルコールの誘惑に勝てず、いつも通り一気にのどに流し込む。
来た来た!胃の中に熱いものが降りてきて胃を持ち上げるような感覚。そして胸が少しキュッとするような感覚。少しばかり不快な感覚だが、これがないと酔った気分になれないぐらい、私はすでにアルコールジャンキーだ。
酔い過ぎて意識が飛びそうになりながら、ふと時計を見ると、針は12時を差している。ということは、2時間ぐらいでストロングを8本も空けたという事か。なんて思いながら、ふと我に返る。
あれ、おかしくない?
べろんべろんに酔っていたのに、冷静に空けた本数を数えている。ほんの少し前まで何のアニメを見ていたのかすら覚えていないのに。やっぱりおかしい。
自分の意識を確かめる。私は酔っている?・・・確かに酔っている感じだ。
今は何時?・・・12時だ。
ちゃんと視点あう?・・・大丈夫、しっかり見えている。
よし、まずは動こう。何もおかしくはなかった。ちょっと飲み過ぎてただけで、たまたまよく覚えていただけだ。そう、たまたまだ。このまま寝よう。そう思いながら、椅子から立ち上がる。ふらつきは無い。意外と足元はしっかりしているようだ。
あれ、そういえば外がやけに赤い。夕焼けか?時計を改めて確認する。針は変わらず12時を差している。壊れているかな?よく確認すると、時計の秒針は適切なタイミングで1秒を刻んでいる。スマホで時間を確認する。時刻は12時だ。時計は壊れていない。しかし外は相変らず赤い。そういえば車や人がいない。いつもならひっきりなしに行ったり来たりしているはずなのに、一台も車は通っていない。空を見上げると、赤い太陽が近い。・・・いつもの太陽ではない。
太陽は本来、遠くから遠慮がちに社会を眺めているものだ。けれど今日は違う。至近距離でじっとこちらをにらみつけているかのようにギラギラしている。それでいて、熱くない。どうなってる?
冷静に考えれば考えるほどに訳がわからなくなる。これまでの日常と違いすぎる。もう一度自分に問いかける。
まず、自分は酔っているか?・・・はい。
具体的に心の中で返事をする。
足元はしっかりしているし、思考と視点はブレず脳は正常に機能している。
考えをまとめることができるし、今、冷静に考えることができている。
酔ってるような感覚はあるが、飲み過ぎた翌日だけど二日酔いには至っていないという中途半端な感覚だ。
では、外は何?・・・改めて状況を確認する。
太陽が近く、おかげで景色が夕焼けのように赤い。かといって熱くなく、適温。しかし人や車がなく音がしない。
なぜ?・・・わからない。寝ぼけている?夢の入り口?わからない。
・・・わからないまま時だけが過ぎたようだ。時計は相変らず12時を差している。スマホも同様だ。その間、トイレには行ったし、ご飯も食べた。自分の体は正常だった。もちろん、家の外にも出てみた。太陽と景色以外は全て同じだった。自分だけが世界に取り残されたかのようだった。
何も変わらず感覚だけが過ぎていく。時が全てを解決してくれるとよく言われるが、今回の異変には効果がないようだった。ソファに横になりながら、どうすればよいか考える。
新たなストロングを開けながら、問題の発端は何だったのか考える。そういえばストロングを飲みながらアニメ見てて、そのアニメは何だったのか?見ていたアニメが原因?そんなバカな。アニメの世界に引き込まれた?ありえない。今見ている世界は現実が止まったような世界で、見ていたアニメは、俺ツエエの転生者が美女と旅するありきたりな物語だったはず。飲み過ぎて頭バグった?あり得るな。確かにここ最近はストロングを飲み過ぎていた。空き缶の山が全てを物語る。命の負債は一部崩れていた。
さすがに酒量減らさないとな・・・。さて、色々と考えないと・・・まずは、さて、どうしようか。・・・・。アルコールが回り始めると途端にどうでもよくなり眠たくなる。何の考えもまとまらないまま私は意識の深淵へ飛んだ。