隠し球
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シャーロットが、取るに足らない人間が自らの急所を突こうとしていたとは思いもしなかった。
確実にその突きは眼球を抉り、勢いよく頭部を貫いていたはず。
勝負はここで決するはずだった。
……しかし、長い間披露することのなかった隠し球をトロルキングは持っていた。
自らの速度を一瞬だけ数倍にする「加速」の魔術。
先天的に身につけたわけでもなく、意図せず習得したものでもない。
ただ、トロルを束ねていく間に、いつしか使えるようになっていただけ。
自分を追い詰める相手がいなくなってから手に入れた、最後の切り札。
存在など忘れていた手札だったが、魔物は無意識のうちにそれを切っていた。
危うく敗北するところだったという恐れが、彼の心に人間への敬意を抱かせた。
だが、それと戦いは関係がない。
敬意を抱いたからこそ相手の命を奪うという考え方でもあった。
シャーロットは攻撃を出し切り、次の瞬間には自分の位置を探り当てる。
自分は彼女の死角……つまり、炎の噴射ができない右肘の裏に回り込んでいる。
いくら相手の位置がわかろうと、振り返って行動を起こす前に、こちらのトドメの一撃が肉体を粉砕する。
強者との戦いの満足感を胸に、勝利の前借りのようにトロルキングは棍棒を掲げた。
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言葉を出す猶予もない、一瞬の驚きがシャーロットの胸に広がる。
トロルキングはどこへ消えたのか。
どのようにして自分の視界から外れたのか。
なぜ攻撃が当たらなかったのか。
自分の影が、もっと大きなそれに塗りつぶされたのは――。
原理はわからないが、彼女はトロルキングの位置を理解した。
後方で武器を振り上げたことで、その影が自分を覆ったのだ。
今から対応しようにも、人間の速度には限界がある。
どう考えても攻撃をやり過ごすことはできない。
だが――。
「だから一番良いのが目を狙うことなんだよ。目は柔らかいから脳まで達しやすいし、振り返らないと見えない絶妙な位置で機会を窺えばあとは……ザクっとね」
「……なるほど。ですが、目を狙えない場合はどのようにすれば?」
「まぁ、その時は――」
再び過去の会話が滲み出してくる。
あの時、ジオはなんと言っていたか。
「……その時は、1発デカいのをかまして、全力で殴るといいよ」
シャーロットは既に思い出し、その通りに動いていた。
「はあぁぁあぁあぁあぁあぁあぁぁ!」
トロルキングを襲ったのは鋭い痛み……ではなく熱気だった。
そして、それよりもはるかに大きな驚きだった。
――どうして自分の顔に炎を放射されているのか。
たまらず魔物はのけぞる。
熱気はトロルキングに火傷を負わせることはできないが、柔らかい目玉を閉じさせ、動揺させることはできる。
「――この時を待っていたッ!」
放射していた右肘の炎をさらに猛らせ、推進力を利用して左回転。
そのままの勢いで槍を心臓へと突き刺す。
持ち上げられていた棍棒が、手から離れて後方へと落下する。
続いてがくりと膝が折れ、巨大な物体が地面に土煙を上げさせた。
トロルキングの見つけた弱点。
すなわちシャーロットの鎧の故障は意図的に仕組まれたものだった。
そもそも彼女の鎧は正しい動作を続けていたが、彼女が敢えて右肘の炎を使っていなかっただけ。
一定以上の思考能力を持つ相手なら、この弱点を察知してつこうとしてくると考えての賭けだった。
結果としてシャーロットは勝利したのだ。
「……王の元へ、向かわ、なければ……」
倒れ伏したトロルキングに目もくれず、シャーロットは歩き出した。
しかし、一度だけ喰らった攻撃の影響が予想以上に重く、視界が揺れる。
「こんな……ところで……」
今にも倒れそうなシャーロット。
しかし次の瞬間、彼女の目には生気が取り戻される。
嵐のような勢いで、しかしそよ風のように爽やかな動き。
自分が最も慕い、愛するジオの姿を見たのだ。
「……先生……先生! 私も今行きます!」
未だ足取りはおぼつかなかったが、シャーロットは安心感と勇気を得た。
そして、ジオの後を追うように城へと向かっていくのだった。
思ったより一戦が長くなってしまいました




