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ジオの過去

 俺はもともと、現在住んでいる山とは無縁のところで生まれ育っている。

 そこには自然があり、数は多くないが人々が活発に活動するごくありふれた村だったが、他所とは違うであろう特徴が一つだけあった。

 それが、歪なものを嫌うというもの。

 父は俺が物心つく前に事故で亡くなり、それからは母が女手一つで育ててくれた。

 だが、村の人々にとって、片方の親が欠けているというのは「完全」ではなかったのだろう。

 俺たちは住民から差別され、食糧などもほぼ最低限のもの、それも売れ残った品質の悪いものしか手に入れられなかった。

 それでも母はめげずに俺を育ててくれたが、度重なる過労に身体が保たず、ついには病に倒れてしまった。

 彼女が息を引き取る前に言った「ごめんね」という言葉が今でも脳にこびりついている。

 

 このままでは自分もこの村で死んでしまう。

 もう人の汚い部分には触れたくない。

 絶望にも似た嫌悪感を覚える中、俺は、以前村で唯一俺に優しくしてくれたお姉さんが「君は南にある山に住んだらいいんじゃない?」と言っていたのを思い出した。

 偶然にも、その山へと向かう馬車が通る日にちも近づいている。

 俺は母が遺してくれた最低限の荷物をまとめて、夜中のうちに村を出ることにした。


 辺鄙な村の近くを通る冒険者はいないし、車輪の回る音を聞いて馬車を見つけるのは簡単だった。

 御者に気付かれないように後ろから近づき、キャビンに潜り込む。

 だが、そこには1人の先客がいた。

 自分より少し若い男の子。

 彼は俺を見ると安心したような、しかし疑問に思っているような不思議な表情をした。


「お兄ちゃん、どうしてここに入ってきたの?」


 御者に聞こえるのを防ぐため、彼はゆっくりとこちらに寄って耳元で囁く。


「どうしてって、これに乗れば誰もいない山に行けるんだよね?」

「うん、そうだけど……。もしかしてお兄ちゃんは、その山に行きたいの?」

「そうだよ」


 返答を聞くと、彼の顔はみるみるうちに青ざめていく。


「や、やめたほうがいいよ」

「君は行きたくないの?」

「うん。だってあの山は――」


 彼は声を無理やり抑えながら、必死に何かを言おうとしている。

 しかし、それは俺の耳もとには届いても、鼓膜に伝わることはなかった。

 なぜなら、俺は彼の言葉に言いようのない希望を感じていたから。


「行きたくないなら、僕に行かせてくれないかな?」

「…………え?」


 少年は口を開けてこちらを見つめている。


「流石に2人いると重さでバレちゃうと思うんだよ。寒いとか言って頭から布を被っていれば顔も見られないだろうし、君が行きたくないなら、代わりに行かせてほしいんだ」

「で、でも……」

「もちろん言いたいことはわかるよ。ただ、渡せるものって言ったらこれくらいしかなくて……」


 俺が差し出したのは、母が遺してくれた2枚の金貨。

 本当は一枚は形見として持っておきたかったが、きっと母は、金貨が残るより、俺が生きているほうが嬉しいだろう。

 そう思って、なけなしの2枚を差し出した。


「……い、いいの……? 僕、生きて良いの……?」

「? よくわからないけど、この2枚で足りるなら俺と代わって欲しい」


 瞬間、彼の目に一筋の光が差した。

 それを生気というのか希望というのか分からないが、瞳には感謝が浮かんでいた。


「あ、ありがとう、お兄ぢゃん……あ、ありがと……」


 溢れ出る涙が、鼻水が彼の言葉をつっかえさせる。

 そこまでこの金貨には価値があったのだろうか。

 とにかく、彼は納得してくれたらしい。


「こんな道端で降ろすのは申し訳ないけど、お互い頑張ろう。君もそんな暗い顔をしていないで、楽しく生きる方が、喜んでくれる人がいると思う」

「楽しくなんて……できないよ」


 少年の顔には、なぜだか見覚えがあった。

 いや、その顔が、という意味ではなく、悲しそうな表情にだ。

 何者にも頼れない、世界に救いはないと言いたげで、俺はそれが悲しくて、思いつく限り楽しませようとする。


「ほ、ほら、暗い顔をしてると、クライしてると思われちゃうよ?」

「くらい……?」

「いや、あの……今のは『暗い顔』っていうのと泣いてる『クライ』をかけてて――」


 必死で意図を説明する俺を見て、彼はくすりと笑った。

 そして、小さな手で俺の手を握ると、口を開く。

 

「お兄ちゃんはこの後どうするつもりなの……?」

「俺か? 俺は誰もいないところでゆっくり暮らすつもりだよ」

「暮らすって、それは――」


 何か言いたげだったが、御者が気付くと全て無駄になってしまう。

 少年の言葉を遮って早々に降ろすと、俺は布を被って蹲ることにした。

 1人だというのに寂しさはなく、母が喜んでいる気がして、胸が熱かった。


「ほら、ここが終点だよ。降りたら2回キャビンを叩いてくれよな」


 なぜか御者はこちらを見ようとしなかった。

 好都合とばかりに俺は馬車から降り、荷物を持つと馬車を二度叩く。

 その乾いた音を聞いて、御者は「ごめんな」と謝ると、振り返らずに出発した。


「ここが僕の……」


 眼前には、それが一つの世界だと言われても信じられるような巨大な森。

 東を見ると、遠くに人為的に建てられた木の柵がある。村があるのだ。

 しかし、山中は特に整備されている様子もなく、人は立ち入らない場所のようだった。

 俺は一度大きく息を吸うと、ゆっくりと山へと歩き出す。

 ここからの三年間、俺は死ぬ気で毎日を生き抜くことになる。

 今までの人生で魔物と戦ったことのなかった俺は、恐怖し、圧倒され、傷つき、そうやって少しずつ生態系に食い下がっていく。

 時には麓の村に降りて、故郷との待遇の差に驚きもした。

 最初は洞穴に住んでいたのが、3年目には簡易的な家が建てられるようになっていた。

 そこからさらに2年で完全に地形を把握し、あの日がやってくる。

 今でも夢に見る、眼前に広がる一面の火の海――。

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