マルノーチ探索
「Sランク冒険者に飛びつかれた人物が弱いわけないですからね。Aランク冒険者との手合わせはしなくて結構です。……というか逃げられました」
「はぁ……?」
少し挨拶があるとかでキャスは去っていき、入れ替わるようにボスリーさんが戻ってくる。
そして開口一番、俺にとってはありがたいニュースだ。
「良かったな。Aランク冒険者を倒すより遥かに名声を得られたぞ」
「えっ、そうなの……?」
「よく考えてもみろ、逃げ出した冒険者は酒場に行く。そして仲間に言うのさ。『危うく世界最強の男と戦うハメになるところだった……』とな」
「……全然良くないじゃん……」
人の噂が伝染するのは早い。
いまだに半信半疑だが、もしかしたら、世間的には俺は強い人間の部類に入る可能性がある。
だとしても、キャスなんかと比べたら豆みたいなものだろう。
名声なんてあったところで実際には損だと思うし。
妬まれたり恨まれたり、人間はそういう生き物だからな。
最終的には出る杭は打たれるんだ。
……とりあえずレイセさんの頼みを聞いてマルノーチに来てしまったが、できるだけひっそりと暮らしていきたい。
ただのおっさんとして、ひっそりと。
・
「ジオ! 一緒にマルノーチを回ろう! 案内する!」
今後の方針についての意思を固めていると、勢いよく扉が開き、出て行ったばかりなはずのキャスが戻ってくる。
「早いね!? 結構時間かかるってボスリーさんが言ってたけど……」
「身体強化して空飛べばちょちょいのちょいだよ!」
「あぁ、そういえば小さい時はよく身体強化の特訓を――」
「む、昔の話はいいから!」
教え子と再び会話する機会なんてないと思ってたから、どうしても思い出が蘇ってきてしまう。
「やはりなかなかやるな。まぁ、私は魔術など使わなくても翼を生やせるが」
どこで張り合ってるんだルーエは。
「っていうかなんか怖いこと言ってなかった?」
「翼のことか? いや、これくらい魔族なら――」
「それじゃなくて。マルノーチを回ろうって」
魔王なら翼の一枚や二枚生やしても驚きはない。
そうではなく、俺が気になったのはキャスの言葉だ。
「うん、街の案内をしたいと思ったんだけど、どうかした? ……もしかして、一緒に歩きたくない?」
「そういうわけじゃないんだけど、ほら、キャスって有名人なんだろ? 一緒に歩くと目立っちゃうっていうか……」
俺だって娘のような存在を邪険に扱いたくはない。
だが、彼女と街中を歩けばどんな噂が立つか分からないからだ。
やれ「あいつは強い」だの「実はすごい力を隠してる」だの言われ、実際の力を見て落胆され、そして街を追い出される可能性だってある。
そうならないためにも、できるだけ人目を避けて――。
「大丈夫だって、ジオは強いんだし!」
「そうだぞ。私が人目を逸らす魔術をかけてやろう」
「……お前はずいぶん寛容なんだな」
人々の恋愛観など俺の理解できることではないが、仮にも「妻になる」とか言っていたルーエは、俺が他の女性――恋愛対象ではないが――と出歩くことに何も思わないのだろうか。
「私も前世では一夫多妻だったからな。強い男は良い女と共にいるべきだ。それに私が正妻なのは自明の理、というやつだ」
「……私だよ?」
「ほう? ずいぶんな自信だが、私に勝てると思っているのか?」
「もちろん。他のみんなに負けないために必死で鍛えたんだから、負けるはずない」
二人は互いを見つめているだけなのだが、ばちばちと火花が散る音が聞こえてくるようだ。
キャスはあれか、父親が悪い女性に捕まらないか心配してくれてるんだな。
実際に彼女は魔族だし。
「とりあえず小娘との戦いは後回しだ。ジオよ、行ってくるがいい」
「ルーエはどうするんだ?」
「私は寝る。昨晩の疲れがまだ抜けてなくてな」
「そ、そうか! それじゃあキャス、行こうか!」
「う、うん……?」
別に隠すことではないが、なんとなく、娘のような存在にそういうことを知られるのは恥ずかしくて、キャスの背中を押してギルドから出ていく。
「ジオはどこか行きたいところはある?」
外に出てすぐ、キャスが問いかけてくる。
「行きたいところかぁ……特にないかな」
大図書館とやらはレイセさんが連れて行ってくれるだろうし。
「ずっとあの山に住んでた俺からすれば、どこも新鮮で楽しいよ。キャスの行きつけの店とかないのか? 都会の人には行きつけの店っていうのがあって、『いつもの』を頼むんだろ?」
「……それ、何の知識なの?」
もちろん「ワンダフルユーモア」だ。
基本的にはジョークが書いてあるが、下のあたりの余ったスペースに日常をスマートに生きる豆知識が記されている。
そこには「いつもの」を頼むと大人の男感が上がると記されていた。
説明してやると彼女は「まぁいいや」とかぶりをふり、気を取り直したように口を開いた。
「行きつけとは少し違うけど、最近この辺りに新しいパンケーキ屋さんができたらしいんだ。そこでもいい?」
「おお! もちろんだよ!」
そこが先日耳にした、ふわっふわのパンケーキが出てくるところだろうか。
ちょうど腹も減っていたし、キャスに手を引かれて店を目指す。
「姿を隠せる魔術のお陰でのびのび観光できるな。でも、誰かに話しかけたら、相手からはどう見えるんだろう」
「心配しなくて大丈夫だよ。相手が相当な手練れじゃない限りは、適当な顔の人に置き換えられると思う」
「強さを判別するのにも使えるってことか。便利だなぁ」
人間を餌としか思っていない魔物とばかりで関わってきたせいで、そっち系の魔術には疎い。
俺が学んだ本にも『最強の防御とは先に相手を倒すこと。すなわち小細工など最低限で良い』と書いてあったからな。
「っていうか、どうしてキャスは俺のことがわかったの? 探してたって言っても、俺だってかなり老けたし……」
腰も痛いし、抜け毛が増えてきたようにも感じる。
「え、そう? 昔から全然変わってないよ? やたらのんびりしてるところとか、髪形もそのままだし。服だけは違うね」
「これはね、マルノーチで浮いちゃうんじゃないかと思って」
「そっか。その……とっても似合ってるよ」
「はは、ありがとう。キャスもお世辞が言える年になったかぁ」
「お世辞じゃないし! いつまでも子供扱いしないでっ!」
小さい頃は早く大人になりたいと思っていたが、今では年をとって身体が衰えるのに抗いたい気持ちのほうが大きい。
だから、キャスに昔と変わらないと言われたことは嬉しくあった。
「と、もうそろそろ着くんだけど……うわ、めちゃくちゃ並んでるね」
キャスの指差す先には、赤い外観で見るからに若者向けの店。
しかも、20人ほどの待機列ができている。