孫
正午に差し掛かり、二階から人が降りてくる物音に反応して昴流が席を立った。
「何処へ行くんだ」
「コンビニ」
「その前に少し顔を出して行きなさい」
宙光は舌打ちして履きかけた靴を脱いだ。
「こんにちは」
ソファに腰掛ける大君を見るなり、宙光は明らかに昴流に対する口調とは異なって丁寧な挨拶をした。
「こんにちは」
「で、お爺ちゃんは何処?」
「何言ってるんだ、今お前が挨拶しただろう」
「は? フザけてんの、どう見たって親父より若いだろ」
「それも説明しただろう」
「じゃあ聞き流してたんだろうね」
「全く、お前という奴は」
「まあまあ、昴流も良いじゃないか。はじめまして。宙光君でいいかな? 俺は喜屋武大君。正真正銘、昴流の父親で君の祖父に当たる……らしいね」
「マジ? 嘘だろ、俺てっきり親父の頭がイカれたのかと思ってた」
「だからそう思うのも無理はないがと先に断ってから説明しただろう」
「いや、普通信じねぇだろ冷凍保存とか何とか。親父も親父でフューマンのことしか頭にねぇんだからさ、とうとう自分の父親までフューマンで作っちまった、とか考える方が普通だろ」
「呆れたものだな」
「いや昴流待て。確かに言われてみれば宙光君の言う方が正常な考え方かも知れない」
「父さんまで」
「いや、でも解るよ? 親父に対しての態度でさ。本当にお爺ちゃんなんだ」
「信じてくれてありがとう」
「あ、すいません。知ってるとは思いますけど孫の宙光です。色々あって、渡月宙光と名乗っていますが、どうやら血は繋がっているようです。これからよろしくお願いします」
「こちらこそよろしく……昴流、礼儀正しく良い子じゃないか」
「父さん、親からすると色々あるんだよ」
「いやむしろさ、親父はさして興味ないくせに干渉しようとし過ぎなんだよ。俺はフューマンと違って言いなりじゃないの、人間なの」
「ほら父さん、こう言うところなんだよ」
そんな調子で言い合い続ける様子を見て、大君は堪えきれずに大口を開けて笑い出した。
「ええ? どうしたのお爺ちゃん。今の笑う場面じゃないでしょ?」
「いやゴメン、何だか微笑ましくてさ。当人間じゃ笑い事じゃなくてもさ。家族でこうやってイガミ合うのも幸せの一ページって言うか、お爺ちゃんが求めていたのはこういう幸せなんだって言うか……」
「え、何? 今度は涙?」
「何だか嬉しくなっちゃってさ……言っておくけど、年老いて涙脆くなるのはまだ先だからな。でも嬉しくてさ。幸せでさ。俺、離婚してから3年間、ずっと一人だったから」
「お爺ちゃん……」
「ごめん父さん、僕もみっともないところを見せちゃったようだ」
「いやいや良いんだよ。気にしないで続けて見せてくれ」
「続けてって、凄いなお爺ちゃんは。これを見て嬉しいとか笑っちゃうとか。何て言うか、大きいだろ。本当にお爺ちゃんなんだな。若い見た目じゃ、えっ? て思うけど、なんか今、完全に腑に落ちた感じがした」
「嬉しいよ。俺、宙光君に会えて本当に嬉しい。死ななくて良かった」
「泣かないでお爺ちゃん。それに俺のことは宙光でいいよ、お爺ちゃんなんだからさ」
「解った。これからよろしくな、宙光」
「うん、よろしく。今度色々話聞かせてよ。俺、お爺ちゃんの話、すげー興味ある」
「解ったよ。それより時間大丈夫なのか、何処か出掛けるつもりだったんだろう?」
「あ!ゴメン、ちょっと友達に会いに行くんだった」
「コンビニじゃなかったのか」
「これだけ身なりを整えてコンビニだけは無いだろう。確かにお前は優秀なんだろうけど、そう言うところだぞ昴流」
「面目ない、父さん」
「うわすっげえ、親父が折れたよ。俺、お爺ちゃんとは上手くやれる気がする。あ、ゴメンもう行くわ」
「気をつけて行くんだぞ」
「ありがと、じゃね」
玄関の閉じる音を聞いて大君は昴流に謝った。
「悪いように言ってすまなかったな」
「とんでもない、むしろ僕も言ってもらえて良かった。確かに僕はそう言うところに目が行かないからさ。しかし凄いな父さんは。あの宙光を一瞬で手懐けちゃってさ。流石としか言いようがない」
「たまたまだろ。それに手懐けるっていう言葉は家族に向ける言葉じゃないぞ」
「あ、うん。気をつけるよ」
「大体解ったよ。父さんに教えられるかは解らないけど、少しずつ、色々なことを父さんと話して行こう。そうすれば、きっと宙光もお前に心を開いてくれるようになるさ」
「ありがとう。やっぱり僕は父さんの言うことなら素直に聞けるみたいだ。確かに今のは僕が悪かったと思う、思える」
「無理に聞かなくても良いんだぞ?」
「昴流様はフューマンではないのですからね」
そこへずっと黙って控えていたナナが茶を持って入った。
「ナナ、良いところを持っていくな」
相変わらずの優しい笑みを浮かべてナナはまた静かに離れた。
「ところで、お爺ちゃんとしては孫を見送るにあたり、お小遣いをあげようと思ったんだが、俺は今一文無しで間違いないんだよな? この時代じゃどうやって職を探せば良い?」
「何言ってるんだい父さん。幾ら定年が延びたとは言え、もう年金受給資格を持っている年だよ? ああ、確かに実感38歳じゃ思い至らなくとも無理はないか」
「え、嘘だろ」
「その辺、御面さんと僕に抜かりがある訳ないだろ? しっかり備えているから安心してね。後で通帳を返すよ」
「すまん、恩に着る。と言うより、35年寝てただけとか世の中の人に申し訳ないな」
「働きたいの?」
「国民の義務を果たせていないような、落ち着かないと言うか、変な感じがする……正直、何かしたいと思う。35年前の知識で最弱の俺にできることがあるならば、だが」
「真面目だなあ父さんは。解った、じゃあ何か良い方法を考えておくよ。でも、折角なんだし、暫くはノンビリした方が良いんじゃない?」
「うん。暫くはそうさせて貰おうかな、変わった世の中を見て回りたいしな。あ、仕事と言えば昴流、お前は? 相当忙しいだろうに、俺のためにこんなに空けて良いのか?」
「何言ってるんだい。フューマンの代名詞フッフが仕事をフューマンに任せないでどうするのさ。彼らは実に優秀だよ、心配無用」
「凄い世界だなあ」
「あ、そうだ! 良ければ父さんもフューマンを見に行かないか、パートナーとしての」
「マジか? そう言う話になるのか」
「なるなる。早速明日行こうよ」
「でも大丈夫なのか? 父さんの年金で買えるのか」
「うわあ父さん、その台詞は完全にお爺ちゃんだよ。大丈夫、僕がプレゼントする」
「え? 幾らくらいするんだ? インフレとか、そう言うのどうなってるんだ?」
「気にしない気にしない。僕がいるんだから」
「いや、気にするだろ。ナナさん、お聞きしますがどれくらいの相場なんですか?」
「そうですね。平均的な所得水準より少し上の方々が、良く一生の買い物として持ち家かフューマンかを検討されますね。勿論、お義父様が馴染まれた時代からの変動等も考慮する必要がありますが」
「マジか……」
「父さん、所得水準がどう推移しているか予想つくかい?」
「俺だってそんなに馬鹿にしたものじゃないよ。割と残酷な社会のことも想像に難くない……それにそんなに値が張るものをポンとプレゼントとか言えるお前にも驚いているし、何とも言えない気分だ」
「どうする? やめておく?」
「いや、折角の機会だし、昴流の成し遂げたことを良く見ておきたいな」
「ようし、じゃあ明日の予定は決まりだね」
「かしこまりました昴流様。早速手続きを整えておきます」
「ダメダメ! お忍びさ、あそこに行くんだから。僕とは言わずにやっといてよ」
「かしこまりました」
首を傾げる大君に悪戯な笑みを向けて昴流は言った。
「明日のお楽しみさ」