FUMAN
「ただいま」
昴流が家の中に声を発しても何ら返答は返って来なかった。
「ナナ、父さんをリビングで休ませて。ちょっと宙光を呼んでくる」
「解りました」
昴流にしても気にした様子もなく靴を脱いで階段を上って行った。宙光の部屋の前に立つなり、少し躊躇いながらも扉をノックした。
「宙光、いるか?」
「……なに?」
暫く間を置いて、まるで扉が抑揚の無い声で応えたようだった。
「お爺ちゃんが来たぞ、挨拶しなさい」
「後でね」
「折角なんだ、降りて来なさい」
「だから後でって言ってるだろ」
昴流はため息を一つ吐いてドアノブに手を掛ける。
「入るぞ」
「いいよ、そう言うの」
「何やってるんだ」
「卒論だよ。文句ある?」
「どんなテーマだ?」
宙光は隠そうともせずに舌打ちをした。
「何だっていいだろ」
「……そうか。就職の方はどうだ?」
「今更かよ。テキトーにやってっから」
「何か父さんに手伝えることはあるか」
「そう言うの要らねーから。もういいだろ、出てってくんね?」
「……下で待ってるぞ」
宙光はまた舌打ちをした。
一方、リビングに通された大君は身の置き場無く周囲を見渡していた。
「どうぞお義父様、こちらでお掛けになってお寛ぎください」
「これはどうも」
「今、お茶をお持ちしますね」
「あ、お構いなく」
ナナは本当に人間のそれのように軽く微笑み返してキッチンへ向かって行った。
「そう言えば、お義父様はコーヒーがお好きだと聞いたことがあります。コーヒーの方がよろしいでしょうか?」
「あ、もし良ければ是非」
「解りました。少々お待ちください」
そう言うなり、ナナは迷いの無い動きで戸棚を開けたりと準備を始めた。
「お体の具合は如何ですか?」
「おかげさまで。それにしても、ナナさんには驚かされます」
「そうですか? それはどのようなところでしょうか?」
「全部ですね。姿、表情、運動、それから適切な状況判断や受け答え。さっき俺がしたコーヒーの曖昧な返答からも正確な判断が出来てましたよね。既にフューマンと言うのは疑っていないのですが、こうまで人間と区別がつかないレベルとは思いませんでした。いや、昴流が聞いたら人間以上だとでも言うのでしょうか」
「とんでもないです。とは言え、お義父様にそう言ってもらえる技術水準の高さは昴流様のお力とも言えますね」
「昴流の奴、なんか想像もつかないくらい立派になってしまって実感がないんですんけど、やっぱり、ナナさんから見ても凄いんですかね?」
「そうですね。それでもまだ、昴流様はもっとその先を見据えているようですが」
「きっと、俺が想像もできないような技術が凄い勢いで発展していくんでしょうね。あんまり馬鹿なことを言って昴流を失望させないか怖い気もしますよ」
「ふふふ、昴流様なら大丈夫ですよ。それより、私はお義父様がどのような未来を想像されているのかが気になります」
「あれ、ナナさんもそんな悪戯めいたことを言うんですね、昴流に似て」
「ふふふ、もし本当にそうだとしたらとても光栄なことです、ありがとうございます」
ナナは照れたような所作を挟みながらも動作を止める事は無い。
「いやあ本当に凄い。今こうしてキッチンに立たれている動作も迷いが無いし、きっとこうやって何でも仕事をこなしてしまうんでしょうね」
「元々、私共フューマンは家事や仕事のお手伝いを想定して作られていますから。世論では軍事転用を危ぶむ声も挙がりますが、そちらはそう簡単に通るとは言えない情勢ですね」
「もしかして世界情勢や株価とかも全部把握しているんですか? ……あ、そうか。データで取得できるとか昴流が言っていたな」
「あ、いいえ。人間に近い存在と言うコンセプトによって、敢えて無線で情報を取得する機能は備えていません。私の中に存在するデータは、その殆どが昴流様の隣で共に見て聞いて得たものなんですよ。ですから、今のところは世界中のフューマンが一斉に操られて反逆する等と言ったSF映画のようにはなりませんのでご安心ください」
ナナはそう言って、先程までとは違う悪戯めいた笑みを浮かべた。
「いやはや、参りましたね」
「……失礼しました。もう悪戯はいたしません」
ナナはまた柔らかな微笑みを浮かべた。
「ナナさん。一つ、失礼かも知れないですが聞いても良いですか?」
「なんなりと」
「ナナさんは、ご自身に与えられた使命や仕事に不満等は無いのですか?」
「その問いは失礼どころか大変嬉しいです。それはお義父様が私に感情に近いものを認めてくださっている故だと考えられますので」
「いや、だって今更感情が無いなんて言われても信じる方が難しいですよ」
「ありがとうございます。しかしながら、質問にもお答えしますと、私共に不満等を感じる心はございません。あるのは、人間の手助けをするその使命のみ。あたかも感情に見えるその表現は、あくまでより自然な形で手助けを行うための手段の一つに過ぎません」
「なんか……ハッキリそう言われると寂しい気がしますね」
「ありがとうございます。そう仰っていただけるだけで、私は、言葉では上手く表現することができない何かが自身の内に生じる気がします」
「その言葉は予めそう返答するようにプログラムされているもの?」
「いいえ違います。私の言葉で上手く伝達できるよう思考を繰り返しましたが、人と快適な会話を続けられる返答時間内に適切な回答を見出せなかった結果です」
「じゃあ、やっぱりそれが感情って言うものなんだと俺は思うけどな」
「……そう、なのでしょうか?」
「ええ。だからこそ、人の言うことには全部従わねばならないような状況では、不満等が生じやしないかと思ってしまうんですよ」
「そう言われてみますと、確かに時々ですが上手く処理できずエラーのようなログが蓄積されることがあります。ただ、もちろんそれは後々提出やフィードバックがなされ、役に立つものですので、不満等の悪いものではないかと考えておりましたが」
「やっぱりそれでは寂しい。なんかこう、上手く言えないけど使命じゃない生まれた意味のようなものがあっても良いんじゃないですか」
「生まれた意味……ですか?」
そこへ二階から降りてきた昴流が現れた。
「生まれて生きることに意味は無い。生きた意味が生まれるかは自分次第。僕はそう思うよ」
「昴流、どうだった?」
「ダメだった。あいつめ、どうもお坊っちゃん育ちが身に染み込み過ぎる、甘いな……」
「まあそう言わずに、待とうじゃないか」
「うん、そうだね。ナナ、僕にもコーヒーをくれないか」
「今、淹れています」
「流石だね、ありがとう」
昴流は大君の隣へ腰掛けた。
「さっき最後の方が聞こえたんだけど、フューマンが不満を抱えるか気にしてる?」
「そうだね。前時代的だって笑われちゃうかな」
「いや。流石は良い所に目が行くね。実は大事な点なんだよ。フューマンに、それこそ人権又は人権に似たものを与えようとした時、どうしても避けられない課題になる」
「人権? 昴流はそこまで考えているのか?」
「もしかして、僕がフューマンをただの物として扱うとでも思ってたのかい? 逆だよ。現に僕は自分の配偶者をナナとしている。人間同様に身体だって重ねるし、ナナを始め、フューマンを取り巻く状況が改善されるよう世論を巻き込み尽力してるつもりさ」
「そうか……安心、いや関心したよ。何でお前はこんなに立派に成長したんだろうな。こんなにも優しい心を持っているお前に感情が無いだなんて言う奴は何処のどいつだ、父さんは許せないよ」
「人間だよ、そいつらは」
「人間? どう言うことだ?」
「まあ、僕にも気持ちは解らないでもないんだけどね。父さんの頃から言われていたろ? 機械に仕事を奪われる的なことを。例えばそれについて、今のナナの仕事ぶりを見て思うことはないかい?」
「ああ、言わんとしていることは解る」
「確かに良くなった点も沢山あるんだ、例えば老人の孤独死対策とかね。でもその反動は介護職の需要に出る。で、その働き口を新たに発生したフューマン産業で受ける訳だけど限界もある。だってそれすらフューマンに挿げ替わって行くのだから。そればかりか今やフューマンに置き換えられない仕事の方が少ないと思うよ。正確で迅速な判断、行動が出来る分、士業や医師ですら仕事は危うい。今はまだ団体の代表としての顔を持つ僕達経営層だって今後どうなるか解らない。……ああ、決まってこう言われるよ。信用が、ニーズが、等の感情論。そして臨機応変さが、なんて不確かな主張をね。敢えて反論せずともいずれ気付かれると思うから気にはしないけどね。ともかく、そう言う状況になると新たに困窮する人が出るのは自明の理だったんだよね」
「出生率等、色々なことに影響が出そうな問題だな」
「まさにそう。馬鹿を除く人間なら解るから逐一言わないけど、社会構造が大きく変わっていることは確かだよね」
「何かが変わればまた何か、って奴だな」
「そうだね。でも変わらないこともある」
「それは何?」
「ヒューマンにフューチャーを掛けてフューマンとしたところで、この国の人間がそれをフマンと読むことに変わりはない、ってことだよ」
「もしかして昴流は、人間に失望していたりでもするのか?」
「どうだろうね、そう見える?」
それ以上、大君に踏み込むことはできなかった。