フューマン
翌朝、大君を迎えに病室に来た昴流の傍らには若く美しい女性の姿があった。
「初めましてお義父様、ナナと申します」
互いに軽く挨拶を交わしてから、手持ちの荷物をまとめてすぐに退院することとなった。
それはどう見ても人間の姿をして、滑らかな二足歩行によって軽やかに移動した。
「お義父様、お荷物をお持ちします」
「あ、良いよ良いよ。自分で持てますから」
「そうは参りません。本日はお義父様のお世話も仰せつかっておりますので」
「いや、しかしどうも初対面の方に、しかも息子の、その、奥様? に向かって……」
「そんな、私などが昴流様の奥様だなどと……」
「え?どう言うことですか? さっきはお義父様と……? 昴流、ちょっと説明してくれ」
「ゴメン、面白そうだったんで、つい」
昴流はそう言って悪戯に微笑み、彼女の腰を引き寄せて見せた。
「まあ、彼女が色々な意味で僕のパートナーであることに間違いは無いよ。でもね、彼女は人間ではないんだ。簡単に伝えようとするならば自立人型アンドロイド、かな」
「マジか? 35年でここまで? 凄いな、驚いた」
「最近じゃあ車産業に迫る勢いで急成長してる分野でね。未来の人間、フューマンという呼称で呼ばれているよ。因みに御面さんから聞いてるか知らないけど、僕はそのフューマン関連を一手に引き受けるFHF、通称フッフのトップなんだよ」
「すごいな、軽く想像を超えてたよ」
「でしょう? その気になれば下手な国なら丸ごと買え……味方に付けられる規模さ」
「さらっと言うこともデカいな」
「まあ、実際視野に入っているから出る言葉なんだけどね。フューマンに関してこの国で支障が出るようなら味方になってくれる余所でやらなきゃならないから」
「大丈夫なのか、それ」
「心配には及ばないよ。だってこの国はもう、フューマン無しには成り立たない」
「つまり、昴流はそういう力を持っているって訳か?」
「僕としては人の生活を豊かにしたいだけ。これが本心だし、今の立場を鼻に掛けるつもりは毛頭ないよ」
「尚更凄いことじゃないか。殊勝な気持ちで、世界を良くして」
「別に、僕は世直しなど考えていないよ」
「でもこうして結果が出ているんだろう?」
「それ以上は照れるよ父さん。さ、それより早く帰ろう。ナナ、悪いけど車を正面に回してくれないか。父さんの荷物は僕が持つからさ」
「わかりました。では先に失礼いたします」
ナナはそう言って微笑みながら軽やかな足取りでその場を立ち去った。大君と昴流もゆっくりとその方向へ追うように歩きながら会話を続ける。
「それにしても凄いな。姿に表情、動作までまるで人間だ。本当にアンドロイドなのか? 父さんをからかおうとしているんじゃないのか?」
「本当だよ。より自然に人間に寄り添えるよう、可能な限り人間と同じように作られているからね。チタン合金の骨格と神経、脳の他はほとんど生体部品を使用してる。だから触感も人間そのものだし、下世話な話をすると人間同様に性行為も出来る」
「は、凄いな。つまり内臓も人間同様にあるってことか?」
「一部だけはね。メインのエネルギーは電気だけれど、別途生体部品を維持するための酸素は肺で処理するし、栄養素では主にタンパク質等を食事から摂取できるよ。言ったろ、フューマンは本当の意味で人間のパートナー足りえる存在なんだ、一緒に食事くらいできないとね」
「確かに。自然な笑顔もプログラムとは思えないレベルだった」
「感情に関しては完全ではないし、改良の余地は多いけどね。ひとまずミラーニューロン……つまり前頭葉にある感情の読み取りや吊られ笑い等を司る部分の信号パターンを導入してから、人が人に近いと感じる程度の表現ができるようになったとは言われているね」
「悪いけど父さんには難しくて良く理解できないな。異世界転移して現代知識で無双どころか35年前の知識で最弱と言ったところか、今の俺は」
「ははは。あったね、父さんの録画してた番組にそんな嗜好のが」
「嘘だろっ? 最期にちゃんと消し……く、引っ掛けか」
「しかしもう遅い……僕の勝ちだな」
「やられたよ」
「あはは、冗談だよ。僕だって色々と人生経験は積んで来たつもりだからね。父さんがどんな嗜好の持ち主だったとしても個人として尊重するさ」
「複雑だなあ。俺の息子なのに俺より大人なんだものなあ」
「すぐ慣れるよ。ほら言うだろ?幾つになっても子供は子供だって」
「それを子供の方が言うかね?」
「じゃあ人は一定の年齢で精神の成長が止まるって話があるだろ。それなら僕が父さんに追いついてたって普通のことでしょう。同じだよ、同じ」
「……これが老いては子に従えと言うヤツか」
「上手いこと言うね。父さんももう73歳だもんね、戸籍上は」
「ああ、そうか、そう言うことになってるか。考えてみりゃ当然のことだけど」
二人は病院を出てナナの回して来た車に乗り込んだ。
「車、タイヤが付いてるな」
「父さん面白いこと言うね。車からタイヤを取ってどうするのさ」
「近未来では、あんなの飾りですとか何とか言うんじゃないのか?」
「僕は言った覚えないよ、そんな台詞」
「ロマンなのに。偉い人にはそれが解らんのですな……じゃあ自動運転とかは?」
「それなら当然発展してるよ。でも今日はナナがいるからね、運転してもらう」
「いいのか」
「そのためのフューマンだからね。フューマンは人を助けるために存在するんだ」
「何でも出来るんだな、フューマンは」
「人間以上にね」
「人間以上? そんなに?」
「そりゃそうだよ。35年前ですら特定の分野に絞れば人間に勝るAIだってあったろ。それが進歩すればこうもなるよ。物忘れもないし、覚えるのなんかデータ転送で一瞬だからね、そのうち完全に人間の上位互換になるんじゃないかな」
「大丈夫なのか、それ」
「大丈夫って、どう言う意味?」
「いや、父さんの時代には映画等で良くあったんだ、機械の逆襲とか反乱的なヤツが」
「人間が滅ぼされそうになるヤツ?」
「そう。今の技術では、もしかしたら馬鹿らしいって思うかも知れないけど」
「うーん、馬鹿らしいとは思わないけど……」
昴流は軽く首を捻って見せた。
「どうして人間は滅んじゃいけないんだい?」
大君は息を飲んだ。
「困るだろ。だってそう、滅んだら今までの歴史も何も。嫌じゃないか」
「感情論かい? でも僕は、感情的にも別に嫌じゃないよ。だって、仮にフューマンの反乱で淘汰されるならフューマンが残る訳だろ? 彼らは人間以上の知性を持っているし、人間と同じDNAを持っているんだから種は保存される。これってさ、むしろ人間の次の進化の形なんじゃないかな」
「でもさっき言ったじゃないか。まだ感情面では完全ではないし、改良の余地があると」
「確かにそうだね。でも、既に必要十分を満たしているのも確かだよ。父さんがナナを人間と認識してくれたようにね。フューマンは近い将来、必ずや人類の代わりを担っていける、そう僕は信じているよ」
「それじゃあ今いる人間はどうなるんだ?」
「さっきも言ったけど、フューマンは人間を助けるために作られたんだよ? 仮にフューマンが人類の代わりに立ったとしても、今いる人間のことは適正に管理してくれる」
「管理、それが幸せと言えるのか」
「幸せなるものを一律に語るのは難しいけど、少なくとも感情論抜きで言えば人間より頭の良いフューマンに舵を取らせた方が合理的だし、環境、治安、政治ほか、あらゆる分野で世界の平穏な時間は長く続くと思うよ? ひいてはそれが人類の幸せに繋がるとは言えないだろうか」
「昴流は、そうなることを望んでいるのか?」
「だったらどうする?」
「昴流様」
大君が言葉に窮しているところに割って入ったのは運転席に座るナナだった。
「少し悪戯が過ぎるのではないですか。私共は反乱も起こしませんし、人間に代われるような存在でもありませんよ。お義父様にフューマンの欠点もお伝えするべきでは?」
「ああナナ、良いところだったのに」
「もちろん昴流様がお義父様との再会を楽しみにしていらっしゃったのは私も重々承知しております。それに、私にはこんなにはしゃぐ昴流様は初めてのことです。でも、子供の頃のように悪戯をするつもりでも、昴流様のそれは子供の悪戯のレベルではないのですよ。お義父様もきっとお困りになってしまいます」
「……解った、解ったよ。ナナの言う通りにする。ゴメン父さん。僕、少し浮かれてたみたいだ」
「悪戯か? 悪戯だったのか?」
「うん。父さんと話せるのが嬉しくて、ちょっとフザけてみたかったんだよ」
「お義父様、昴流様もきっと悪気があってのことではないんですよ。ただ、幼少期にお義父様に甘え切れなかった分を……」
「あーあー良いよ良いよ!……参ったなこれは」
昴流は照れ隠しに窓の外へ顔を背けた。
「ナナさん。失礼かも知れませんが、ナナさんがフューマンと言うのは本当なのですか?」
「本当ですよ。ですのでお義父様、私に敬語など不要です。機械に命令するように何なりとお申し付けください」
「でもなあ。どう見ても人間にしか見えない。だからいきなりそう言われても……」
「昴流様から聞いていましたとおり、お義父様は本当にお優しい方なのですね」
「そんなこと……俺は、親として最低のことをした人間ですから」
「父さん、その話はもう良いんだ。止めよう」
「そう言えば、昴流にもまだちゃんと謝っていなかったな。すまなかった。本当に。何て詫びれば良いのかも解らない程、父さんは申し訳ない気持ちでいっぱいだ」
「いいんだよ、父さん。いいんだ」
昴流はそう言って大君の手を取った。
「父さん。僕も、父さんの気持ちが解るよ。解るようになってしまったよ」
「昴流、お前」
「認めたくないものだな、自分自身の若さゆえの過ちというものを……」
昴流は自虐的に小さく首を振った。
「僕もさ、経験してしまったんだ。離婚をさ」
「そうなのか……それは辛かったな」
大君は昴流の手を強く握り返した。
「それじゃあ子供は? 子供はいるのか?」
「いるよ。でも、父さんと同じ目にあった」
「それは……すまない。父さんがちゃんと親としてお前を育ててあげられていれば少しは違ったかも知れないのに」
「それは違うよ父さん。これはあくまで僕の責任だ」
「辛い時、そばにいてやれなくて申し訳なかった」
「僕なら大丈夫。今はこうしてナナもいるしね」
「子供は、会えているのか?」
「うん。実を言うとね、訳あって親権を取り返したんだよ。だから今、家には一人息子がいるんだ。名前は宙光と言ってね、今年大学を卒業する年さ」
「そんなに大きな子供がいるのか」
「そりゃあ僕だって48だよ。言っとくけど、父さんはお爺ちゃんだからね」
「そう言うことになるのか。俺としてはまだ38なのに、もう大学生のお爺ちゃんか」
「仲良くしてくれたら嬉しいよ」
「そりゃあもう。目に入れても痛くないって言うもんな、孫は」
「それは小さいうちだけだよ。それに、どうだろう……ちょっと複雑だな」
「上手く行ってないのか?」
「嘘をついてもバレるからね、正直に言うとそれほど良くはないな。苗字にしたって未だ元妻の姓を名乗っているくらいだから。少し付き合い方に戸惑ってる」
「荒れてるのか?」
「いや。外では穏やかな子だろうね。ただ、僕の方針が気に入らないのかも知れない。僕は僕なりにあいつのためを思ってはいるつもりなんだけど」
「そうか……多感な時期だろうからな。よし! なら尚更お爺ちゃんが一肌脱ぐかな」
「大丈夫かい?」
「まずはやってみるさ。大丈夫だ、父さんが何とかしてやる」
「はは。それ、お父さんっぽい台詞だね」
「どれ、まずは挨拶からだな。家に着くのが楽しみだ」
車は静かに昴流の居宅へ向かっていた。