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フューマン  作者: nandemoE
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安楽死

 安楽死執行予定日の前日のことだった。


 大君は施設の女性に案内されて小さな一室に通された。小さな部屋にベッドが一つ。明日はここで眠りにつく予定なのだと説明を受けた。執行前に気持ちが変わらないものかと、こうして何度か尻込みを促されるような、暗に試すようなことが行われた。


 大君の気持ちは全く動かなかった。だからそのままベッドに寝転んで見せた。


「何なら、今がその時でも構いません」


「それはちょっと……でも、喜屋武さんの気持ちにお変わりがないことが本日ご一緒させていただいてハッキリと伝わってきました」


「よろしくお願いします」


「はい。では最期の前に、出来る限りで依頼者様のご要望を承っておりますが、何かお望みはありますか?」


 普通ここに至る人間は全てを片付けた後なので、味噌汁が飲みたいとかパンが食べたいとか言うところだと事前に説明を受けていたが、大君は少し迷ってこう答えた。


「では、誰でも良いので知らない人と会話がしたいです。出来れば今ここで」


「かしこまりました。それでは、僭越ながら私が伺います。よろしいですか?」


「よろしくお願いします」


 大君は女性をパイプ椅子に座らせて、自分は病人のようにベッドから半身を起こした。


「それで、喜屋武さんはどうしてまたこんなお願いを最後にしたんですか?」


「やっぱり少しもの寂しさって言うんですかね。誰かに俺のことを話して知って欲しかっただけなんですよ。知らない人だったら何でも話せるかなと思って」


「それでは、ビールでもお持ちしましょうか?」


「お気遣い無く。俺、酒飲まないんですよ」


「そうでしたか。……多少は気が紛れるかとは思いますが、思い詰める前に試してみたりはしなかったのですか?」


「ごくたまに飲むこともありますが、問題の解決にはなりませんからね」


「さぞ辛いことがあったのでしょうね」


「これでも結婚して、子供も出来て、楽しかった時期はあったんですけどね。ところで、貴女のことは何とお呼びすれば良いですか?」


「何とでも呼んでいただいて結構ですよ。ただ、こういう仕事ですから、本名を名乗るのは憚られますが」


「仮名でも構いませんよ」


「そうですねえ。ではこうしましょう。死神、とお呼び下さい」


「はあ。何でそんな物騒な名前なんですか?」


「実は、私の本業は医師なのです。しかしその裏では、こうして多くの人を死に至らしめる殺し屋でもある訳で。常々、自分を死神のような人間だと思っております」


「俺はむしろ救われる思いですけどね。望んだのは俺自身なんですから、殺すだなんて思わないで下さい。……死神さんが悩み苦しむようなことじゃないですよ」


「お気遣い有難うございます。ですが、私も信念を持ってやっていることですので」


「そうでしたか。それは失礼いたしました」


「いいえ。……では、話を喜屋武さんのお話に戻しましょう」


 女性は咳払いを一つした。


「理由は、ご家族の関係ですか?」


「はい。最愛の息子をね、失ったんですよ。賢くて、明るくて、優しくて。父親目線ですけど器量も良い子で」


「自慢の息子さんだったんですね」


「はい。女の子にもモテモテで。保育園の先生にも言われたんですよ、女の子はみんな昴流君のことが大好きみたいなんですよって」


「あらあら」


「こんなこともあったんです。ある日息子がニコニコしているから何か良いことがあったのか聞いたんですよ」


「そしたら?」


「何と好きな子とチューしたんだって。4歳でですよ。でもね、ある日保育園に迎えに行く時、偶然一緒になった余所のお母さんがこう言ったんです、うちの娘、こないだ昴流君にチューしてもらったって凄く喜んでいて。可愛いですねえって。でも息子が好きなのは別の子だったはずなんです。変だなと思って保育園に近づくと、門のところで息子が変な格好をしている。直ぐに解りました、息子が今まさに誰かにチューしようとしていると。そしてその相手は俺が想定していた女の子でも、一緒のお母さんの子でもなく、三人目の女の子だったんです」


「あらあらあらあら」


「その場は急いで止めて、そのお母さんに大謝り。そして家に帰って聞いたんです。好きな子としかチューしてないよね? って。そしたら息子、うん。みんなとは一回ずつしかしてないよって」


「みんなとはって……?」


「はい、先生の言葉が的中です。女の子はみんな息子のことが好きだったようで。で、さーっと血の気が引いた俺は、妻の前で息子をこんな風に叱ってしまいました。こちらにも責任ってものがあるんだ! と」


「4歳の子供に、責任って言葉を?」


「はい。咄嗟に出たのは俺が高校生の時に親父にぶん殴られた時の言葉です。俺の中ではそれが心の中に残っていて、それが勝手に。妻に大笑いされました」


「それは、そうですね」


「本当に、幸せだったんですけどねえ」


「事故か何かですか?」


「いいえ、離婚です」


「離婚ですか。しかし、失礼かも知れませんが、それだけの理由なんですか?」


「それだけって言ってもね。普通の男にとってその後は最悪なもんですよ。惨めと言うほかない扱いを受ける。それが例え、相手に原因があってもね。こっちは男だから」


「お子さん、親権を取られてしまったのですか?」


「当たり前じゃないですか、相手は女ですよ? 俺だって簡単に手放すつもりはなかった。でもね、自分が相談してる弁護士ですらこう言うんですよ、まず親権は女性ですねって。いくら女が不貞しようが、いくら息子が俺の方に懐いていようが関係無い。それがルールなんですって。後は面会の条件が有利になるよう考えましょう、と」


「平等じゃないんですね」


「それだけじゃない。交渉だって酷いもんだ、養育費だって自分の満足いく金額でなければ子供に会いたくないんだ、その程度の気持ちなんだってほざく。でも条件なら俺なんかまだ良い方でしょうね、裁判までは行かずに済んだ。でも、公正証書を書いてしまったらもう逃げられない。泣こうが喚こうが養育費を絞り取られるんだから。相手はあっさりと約束された面会を反故してくるのにさ。息子に会えないのに金だけ取られるんですよ? 拒否すれば即職場に連絡行って給与差押でさ。あ、そうならずちゃんと払ってましたよ? 俺は」


「会えないのに抗う方法は無いんですか?」


「一応は手順があります。あるけど、それをしてどうなるのって話です。そりゃあ改善する人もいるだろうけどって話で。ここまで徹底的に俺を痛めつけてくる人間相手にどんな効果が期待できますかね?」


「酷い話です」


「おまけに離婚が済んだら即これ見よがしに浮気相手と開き直りやがって。ああ、そう言えばこんなこともされたな。俺、DVしてることになってましたよ。住民票や戸籍情報の公開制限を掛ける目的でしょうね。まさに女様は何やっても許されるんだ」


「酷い、本当に酷いですね」


「殺したい。本当のことを言えば殺したい。でもそんなことをしたら息子が人殺しの子になってしまう。あの勝ち誇って俺を見下す顔を見た時、俺の中にこんなにもドス黒くて莫大な殺意があったんだなって驚きました。まるでトラックに撥ねられたように殺意の衝動に意識を持って行かれそうだったのは今でも覚えているし、一生忘れないだろうな。それまで自分のことを穏やかな人間だと思ってたんだけど、危うく飛びかかるところだった」


「耐えたんですね、偉いですね、凄いですね」


 女性が目元にハンカチを当ててきたことで大君は涙を流していたことに気付いた。


「ああ、すみません。見っとも無い。一度は飲み込んで、その後3年間はなんとか生きてきたんですけどね。心の蓋を開けるとコレだ」


「それで、この辛い決断をなさったのですね?」


「正直なところ、どうなんでしょうね。自分でも良く解らないんですよ。なんでこれだけの時間が経過してからなのか。一番辛かった時期は乗り越えているのに」


「他にも、何か辛いことがあったのですか?」


「無い、とは思っていますね。むしろ、最近は楽しかったんです。元妻のことは今でも殺したい程恨んでいますが、俺、意外とポジティブな性格なので、少し経てばこれはこれで気楽な独身生活が楽しめることに気が付いたのですよ。まあ養育費で生活はキツイですけどね、職場の同期で同時期に離婚した奴がいて、そいつから料理とか教わったり、健康とコストを意識しながら何事も楽しくやってました」


「あら、素晴らしいじゃないですか前向きで。そう言えば喜屋武さん、身嗜みもしっかりしてて清潔感あるし、何か運動もされてるんですか? 身体つきもスマートだし、きっとしっかり栄養管理されているんでしょうね、全然38歳に見えませんよ。意外とお話も楽しいし。その、不覚にも先程正直に見せられた涙には心を揺らされました。される辛さを知ってるってことは浮気もしそうにないですし。私、喜屋武さんのこと普通に好きになれそうですけどね。どうして新しい恋を始めないんですか?」


「いや、離婚後試しにやってみたマッチングアプリとやらで何人か彼女は出来ましたよ。恋と言う程ときめいたものではありませんし、みんな数ヶ月で別れましたけどね」


「ええ、勿体ない。どうしてまた」


「もう俺、結婚とかする気、更々ないんで」


「まさかのヤリモクってヤツですか」


「出ましたね、それ。女ってのはどれだけ自分に価値があると思ってるんでしょうか。まあ確かに俺も人間だし本能的に求める時はありますけどね。でもそれは最初だけ。後はむしろウザいんですよ。いや、正直最初から面倒だと感じることもありました。俺の本音は全ての女に対する復讐とでも言うんですかね。誰でも良いから行き遅れた女どもの婚期を更に無駄にさせるなり、苦い思いをさせてやろうと思ってただけなんですよ。だから口説く内心は嫌々だったこともあったし、正直、体の関係は面倒だとか不快に思う方が多かった。そんな気も知らないでヤリモク警戒とか滑稽過ぎる、興味すら持たれてないのに」


「……流石に引きますよ。女の敵じゃないですか」


「女も俺の敵ですけどね」


 一瞬会話が止まるも、大君の崩した笑顔には場を和ます雰囲気があった。


「まあ、何だかんだ言っても結局新たなパートナーを定めない最大の理由は息子がいるからなんですけどね。万が一息子が俺のところに来た時、別の女性が俺の傍らにいたら悲しむかも知れないでしょう? 会えなくても、俺にとって一番は息子なんですから」


「なんだかもう喜屋武さんが良く解らなくなりました。結局良い人なんですか? 駄目な人なんですか?」


「それは間違いなく駄目な方でしょうね、クズです。今も何処かで養育費を待ってる息子を放って死ぬのですから。それだけが心残りなんですけども」


「それでも、死ぬと?」


「はい」


「一応聞きますが、一番辛いの、耐えたんですよね? 後半の話を聞く限り、なにも死ぬことはないんじゃないですか?」


「色々あったけど、結局は代わり映えのしない毎日が続くようになって飽きた、疲れたってのが原因なのかも知れないです。特に死にたい理由は無いですが、生きていたい理由もないし、むしろ将来苦しんで死ぬ可能性があるくらいなら楽に死ねるチャンスで楽に死んでおきたい……そんな時、幸運にも安楽死へ繋げてくれるここのサービスに出会えてしまった俺は、今なら楽に死ねるんだって思って衝動買いしたんです。今はまだ滅多にできないじゃないですか、安楽死。確かに息子は心残りだけど、誰だって死んだ後のことは知らん訳だし」


「ああ、聞くんじゃなかったです。本当に最低の答えですよ、失礼ながら」


 女性は遠慮せず大きくため息をついたが、真剣な表情をしていた。


「でも……ずっと、こういう本音を言わないで来たんですよね」


「ま、社会で生きてる人間は殆ど本音言えませんからね」


「じゃあ、私が今聞いてるのは人間の生の声なんだ」


「そりゃあ死ぬ前ですからね」


「見栄も、保身も、立場も。恥もへったくれも無い人間の心の内側、か」


「他の人間のことは知りません。でも、紛れも無く俺も普通の人間のはずです、普通の」


「そうですね。そう考えると、私、案外貴重な話を聞いてるのかも知れないですね。何か、今になってようやく喜屋武さんの話を本心で聞いてみたいと思えて来ました」


「遅いな」


「あはは、ごめんなさい。でも、私も腹を括りました。気が済むまで何時間でも付き合いますよ、喜屋武さんの最期の話。あ、ちょっと待ってください。ビール持って来ても良いですか?」


「死神さん自由だなあ」


「生きるって、良いものですよ?」


 そうして暫くの間、大君は死神を名乗る女性と生涯を振り返って語り明かしたのだった。


「さて、人生の最期にする話、本当にこんなんで良かったんですか?」


「俺は別に、どんなでも良いんですけど」


「じゃあもう少し続けます?」


「いいや、もう大分スッとしたかも。涙出たのが大きかったのかな」


「何だ、やっぱり重かった話が響いてたんじゃないですか」


「……そうかもなあ。何だかんだ強がっても結局、俺の人生じゃアレが一番キツかった」


「ですよね。私にもそれくらいは解りますよ」


「うん。ありがとうございました、こんな話を聞いてくれて」


「いいえ。こちらこそこんな辛い話を打ち明けてくれて。その、なんて言うか、普通は知らない人だからって、ここまで打ち明けて話せるものなのかなって心揺れました」


「最期、だと思ってるからね」


「はい、解りました。そのお覚悟が」


 女性の声のトーンが少し下がった。


「もし、喜屋武さんのお気持ちが既に定まっているのだとすれば、明日まで待つことはせずに、今このままのお気持ちで逝かれますか?」


「はい……でも、ちょっと息子が気掛かりですね」


 死神さんは少し困ったように頭を捻った。


「では、こうするのはどうですか? 私に貴方の命を売るんです。今なら貴方の息子さんが立派に成長するまでの費用で買いますよ」


「それは素晴らしいですね、売ります」


「はい、買いました。他に何かありますか?」


「少し、眠るように死ぬって、恐い気がします」


「何を仰るんですか? 貴方の生殺与奪権は私が握っているんです。今から貴方は眠るだけですよ? そう、ただ眠るだけ」


「案外楽になるもんだ」


「ふふふ、まあプロの殺し屋ですしね」


「ありがとう。死神さんのお陰で心置きなく逝けるよ」


「それは何より」


 そこで少しの間、静かな静寂が訪れた。


「本当にもう良いんですか?」


「はい、もう良いです」


「最期に、思い残すことはありませんか?」


「ありません。本当に、もう何も」


「では、最期に残しておきたい言葉などは?」


「では、あの子が生きる世界が少しでも良い世界になりますように」


 そう残して、彼は読み終えた小説を閉じるように永い永い眠りについた。

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