第1章 誓って言うけど生まれてはじめて 4
≪私は、やはり彼女の話を聞いてみるべきだと≫
「やなこった」
打ち返すように返ってくる。
≪だから、聞いてみるだけ。それに封筒の中身だって、シキが読んでくれなければ私には読めないわけだし≫
「永遠に読まなくていいよ?」
頑固なこと山の如し、と蛇は小首をかしげて考え込む。
御堂寺の名前に恩を売りたいわけではない。貸しをつくりたいわけでもない。だが蛇屋の看板を掲げている以上、紹介状を携えてやってきた人間を無下に追い返してはならないのではないか。と彼は彼なりに思うのだった。
だいぶ古くなっているドアの前で、蛇は考えていた。ここしばらくやっていなかったが、ひとつ、やってみるか。
心を決めて、ドアの左下にあいている小さな穴に鼻先を突っ込む。シキが子供の頃、猫ドアじゃなくて蛇ドア! と自作してそのままになっている小さな穴だ。
「お前さあ。自分の今の図体、わかってんの?」
気配を感じて、シキが呆れた声を出す。
蛇の体は、その気になれば相当狭いところにも入りこめる。頭骨をねじ込むときはさすがに厳しいかと思ったが、頭さえ入ってしまえばあとの胴体はなんとでもなった。
「うわ、無理やりだな……」
≪お前が人の話を聞かないからだろう≫
「オヤジ腹のくせに、よくそこ通ったねえ」
オヤジ腹じゃない、と言い返そうとして、蛇ははっと思い直す。
いけない、いけない。シキの憎まれ口につられてしまっては。
≪とにかくお前は、もう少し相手の話を聞いたほうが≫
「うわ、説教」
≪あと、喧嘩っ早い毒蛇みたいに見えるから、すぐに怒ったり声を荒げたりしない≫
「言っとくけどそのたとえ、蛇関係者にしか伝わらないから」
≪そもそも始めて来た娘さんだったのに、もう少し親切に≫
「十分親切だろ! あれ以上なにをどうせえと?」
≪私が他の人間たちとも話せれば、シキの非礼を謝ることもできるんだろうけどね。……ああそうだ、カードを用意しておこうか。うちの子がすみません、というのと、口は悪いけど根はいい子ですから、というのと。私の食事はもう済みました、というのと≫
これを、シキは無視した。
≪咬んだり呑んだりされる心配がないとわかれば、初対面の人でも少しは私が怖くないんじゃないのかね、シキ。どう思うね、シキ≫
「やかましいいい」
ぼふっと枕を投げつけるのを、蛇は背筋で受け止めた。
それを丁寧に返してやりながら続ける。
≪そういうとこだな、シキ。大きな声を出したらご近所迷惑だろう≫
この建物は三階建ての独立した鉄筋コンクリート作りだ。土地は狭くて、周囲の建物との隙間はないに等しい。
≪ただでさえ蛇がうろうろしていて怖い店なのだから。すべてにおいて、注意深く、穏便に、また礼儀正しく≫
「だからうるさいって、この、オトコ小姑!」
がぷ。なおも大きな声を出すシキの頭に、蛇は大きく喰いついた。
本気で攻撃しているわけでも、牙を立てているわけでもない。どちらかというと教育的指導に近い。その証拠に、胴体は彼女の腕にゆったりと巻き付いているだけだ。これくらい大型の蛇が獲物を本気で攻撃する時は、むしろ、牙よりもその締め付けによって息の根を止めることが多いのだ。
へっ、とシキはそれを鼻先で笑い飛ばす。
「あのさあ。あたしが蛇にちょこっと咬まれたくらいで動揺するとでも思ってんの? ねえ? 思ってんの?」
≪そうでは、ないけど≫
声帯を通してしゃべっているわけではないため、咬みついていても会話は可能だ。
「いたければずっとそこにいればいいじゃん。あたしは寝るけどね。いいよ、永遠にそうしていれば? 朝になったらこのままで店の前の掃除してやる。人に見られたらストラップですって言い張ってやるから」
シキの憎まれ口はできるだけ聞き流すように心がけて、蛇は淡々と説得を続けようとしたが、なにを言っても彼女が頑として聞き分けないので、やがて、黙って口に力を入れた。やむなく。というか、どんな蛇にも、忍耐の限界というものはある。
毒蛇ほどではないものの、蛇の口内には細い牙が内側に向かって生えているため、咬みつかれると相応に痛い。はじめのうちは、なんだそのくらい、という顔をしていたシキだったが、蛇が顎に力を入れるにしたがい、顔をしかめて身をよじった。
「なにやってんだよ、痛ぇよ。ステイ」
≪犬ではないわけで≫
蛇がじわじわと顎に力を込めるので、シキの声が大きくなる。
「黙って怒るのよせよな、口で言えよ、口でっ!」
≪口で言って聞くなら私も苦労はしないわけで……≫
顎の力をさらにもう少し加えてみると、シキは絡みついた蛇を引きはがそうとじたばたする。が、蛇の体はびくともしない。
むろん蛇の方も上手に手加減はしているのだが、ある程度の大型に成長した蛇の筋力は、大人の男でもおいそれと勝てるものではない。
このくらいだろうか、と慎重に限界を見極めつつ、蛇は少しだけ、巻き付いた首元の方にも力を入れてみた。
≪どうするね、シキ。私の言うことを聞くかね、それともまだちょっと力が足りないようかね≫
ぎゃーギブ! ギブ! という叫び声が蛇屋の建物に響き渡った。
◇◇◇
同じ夜のこと。
珊瑚はベッドの中で、昼間のことを思いだしては眠れずに幾度も寝返りを打っていた。
もういい加減夜も更けて、さすがにそろそろ寝なくては、と珊瑚がベッドの中で目をつむった時。
コツコツ、と音がした。
じっとしているともう一度、コツコツ。
窓ガラスの鳴る音に、珊瑚が部屋履きをつっかけておそるおそるカーテンをあけてみると、そこにはシキの顔があった。
あけろー。という形の彼女の口が動くので珊瑚が鍵をあけると、
「いったいどこまでが庭なんだよ、ここはっ!」
彼女はいきなり怒りながら入ってきた。
その首には昼間見たのと同じ、大型の青灰色の蛇が堂々と巻き付いていたので、珊瑚は反射的に二、三歩あとじさった。
「なんだよ」
シキがそんな珊瑚をじろりと見やる。
「なに引いてんだよ」
「いえ……」
ベッド近くまで遠ざかりつつも、珊瑚は曖昧に答えて話題を変えた。
「よく来られたわね。ここ、二階なのに」
「まあね。あたし、身は軽いから」
そういう問題だろうか、と珊瑚はまじまじと彼女を眺める。
鮮やかな緑色の半袖シャツはバティック織りで、くっきりした色と柄が日焼けした彼女の肌によく似合っている。短い黒髪には艶があり、彼女がひとりいるだけで、いつも静謐な珊瑚の寝室に、熱帯の花が咲いたようだった。




