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第4章 ミルク色のダイヤモンド 5

 珊瑚が用意してあった茶葉を計り、彼はそこそこ手慣れた様子でお茶を入れる。手を動かしながら口の方も流暢だ。


 和菓子と洋菓子ならどちらがお好きですか。お茶はいつもストレートで? それともミルクを? これ美味しいですよ、どうぞ。


 朝彦はなにくれとなく世話を焼きたがり、珊瑚はすすめられるままにマフィンをひとつとりあげて口にした。香り高いレモンの風味に、柔らかいクリームチーズのアイシングが混ざり合って濃厚な味になる。


 この味、信田さんのだわと珊瑚は気づいた。朝食べたアーモンドブレッドと、味のバランスの取り方がまったく一緒だったからだ。それを言うと、朝彦は目を細めた。


「確かな舌ですねえー」

「褒めてほしくて言ったんじゃないわよ。こんなの、朝のカウンターにあったかしらって思ってるの」

「作ってもらったんですよ。頼み込んで」


 年上女の懐に入りまくりだなお前。シキがここにいたら言ったろうが、珊瑚にそのような語彙はなかった。


 彼がいれた紅茶はほどよい濃さで美味しかった。黙って飲み進めていると、朝彦はキッチンで見つけてきたトングやスプーンを使って珊瑚の皿にクッキーだの金平糖だのを取り分けてくる。


「これ好き? これは? はい、これも美味しいですよ」


 油断していなくてよかったと心から思った。浅いスプーンで取り分けた金平糖が、きらりと光ったような気がしたからだ。


(……んん?)


 砂糖粒の輝きじゃない。そんなものじゃない。

 頭の中で警戒信号がともると同時に、片手を立てて珊瑚は拒絶した。


「それは要らないわ!」

「あれー、美味しいのに」

「ご冗談でしょう」


 金平糖の粒にさりげなく混ぜられていたのは、石つきの指輪だった。

 土台がプラチナで、石がミルク色だったのだけかろうじて確認する。


「油断も隙もない」

「僕にとっては褒め言葉ですけど、それ」


 やっぱり東郷勝彦の孫息子なだけはあるようね、と珊瑚は朝彦をにらむ。一瞬しか見ていないけれど、中央の石は親指の先程もあった。


 朝彦は金平糖のなかから指輪を掘り起こすと、手のひらの内側で転がした。


「ムーンストーン……では、ないわよね」

「あはは、当たりー。ムーンストーンです。ほんのおもちゃですから、普段使いにどうぞ」


 大嘘つき。と珊瑚は目の下を軽く歪ませる。ムーンストーンが、あんなきらめきを放つものか。それに、あのカット。


 ムーンストーンはその多くが滑らかなカボションカットに仕立てられる。フラワーカットやラウンドブリリアントカットに仕立てられる場合も稀にあるが、その場合はあんな色艶、まして輝きにはならない。 ムーンストーン独特の乳白色のけぶるような不透明さは、さっきのミルク色の内側から乱反射するような輝き方とは全然違うものだ。


 ジルコン? と一瞬だけ珊瑚は思ったが、すぐに打ち消す。もっと違うし、第一、この少年が相手をたらしこむ駒として安物の模造品を使うとも思えない。


(まさかね……でも)


 記憶と照らし合わせるのに、もう一度石をよく観察したかったが、うっかり凝視してしまって興味があると思われる方が一大事だ。極力視線をそちらへは向けないようにして珊瑚は断言する。


「ホワイトダイヤモンドね」


 朝彦は微笑を浮かべたまま答えない。

 答えないことが答えだった。


 風がいっそう強くなる。窓ガラスが強風を受けて音を立てるほどに。


「受け取らないわよ、わたくし」

「ほら、石の雰囲気がね。あなたにぴったりだなと思って」

「否定はしないわけね」

「あ、肯定した覚えもないですけど」


 わたくしもう少し世間の波に揉まれたほうがよさそうだわと珊瑚は心からそう思った。


 こんな時に、びしっと相手を拒絶する強い言葉が欲しい。シキがいたらいくらでも言ってくれるのだろうに、自分はまだまだ言葉を知らない。自分が今まで覚えてきた、上品で婉曲で棘のある言葉などでは、この少年はびくともしないだろう。


 少年はやさしげな物腰で珊瑚の手を促す。


「さあさ、お手をどうぞ」

「いやだと言ってるでしょ」


 感情に見合った言葉が見つからない苛立ちで、珊瑚は朝彦の手を払いのけた。

 指先でそっとつまんでいた指輪が宙を飛び、視界から消えた。


「……拾わないの?」

「ええ。安価なものですから」


 挑発的に言ったのに、しれっとして朝彦は答える。


 金属の落下音が聞こえなかったところを見ると、指輪は部屋の隅にある観葉植物の鉢植えの上に落ちたらしい。しかし朝彦が悠々として動かずにいる以上、珊瑚もそちらへ目を向けるわけにはいかない。


 よく言うわよ、と珊瑚は思う。普段使いとか言いながら、いましがた、はめようとした指は左手の薬指だったではないか。うっかり受け取りでもしようものなら、その瞬間に婚約者だ、くらい主張されかねない。


(それでは、いったいなんのためにここに来たのかわからないじゃないの)


「一度ちゃんと言わないと駄目みたいですね」

「なにを、とは敢えて伺わないわ。お茶とお菓子をどうもごちそうさま。わたくし部屋に戻ります」


 立ち上がろうとした珊瑚の手首を、朝彦はつかんだ。


「島から出たら、僕とお見合いしていただけませんか」

「お断りします」


「もちろん、将来的に結婚を前提としたお話になるとは思いますが」

「お断りしましたよね、今、わたくし」


「──こんな天気の時に言うのは、気が進みませんけど」

「天気、関係あります?」


 にこりともしないで言うと、朝彦はふと真顔になって声を低くした。


「この風ならね、少しは隠れ蓑になるかと思ったものですから」


 もっと大きな疑問符が頭に浮かんだが、騙し討ちの憤りの方がはるかに大きかったので、珊瑚は追及しないまま談話室を後にした。


◇◇◇


 部屋へ帰ると、シキがいた。

 部屋の中央に膝をついてうなだれていたシキは、珊瑚に気づくや泣きそうな顔で振り返る。


「ど、どうしたの」

「いないの」

「え?」


 スネークセンターの人とうまく会えなかったの? お仕事は見せていただけなかったの? と尋ねると、シキは首を横に振る。


 部屋で留守番させていた夜刀やとの姿がないのだと、どこを探してもいないのだと聞いて、珊瑚も顔色を変えた。


「あの……いつもあなたたちは互いにだけ聞こえるやり方で、お話しているでしょ。今は聞こえないの?」

「声は、あんまり離れると聞こえないんだ」


 悔しげにうつむいてシキは言った。


「今日は冷え込むって予報だし……雨や風よりもむしろ温度の方が気になる。ごめん、あたしちょっと探しに行ってくる」


 そして、珊瑚がなにか言うより早く続けた。


「珊瑚はここにいて。もしもあいつが帰ってきて窓やドアを叩いたら、入れてやってほしいの」


 珊瑚は力強くうなずいた。


「わかったわ」


◇◇◇


 それと同じ頃。


 朝彦はだんだん強さを増してくる雨に体を打たせながら、校舎棟の屋上で背中を丸めてしゃがんでいた。


 体全体で雨からかばうようにして覗き込んでいるのは、小型のノートパソコン。青白く光を放つ画面上では、いくつかのスクリプトが実行されている。


「……の子は、カウンセリングを……ていな」


 ざざっ。時折掠れて聞き取れなくなりながら、女の声がイヤホンに届く。

 いつもより頻繁にノイズが走る。やはりこの悪天候では雑音がひどいなと朝彦は眉をひそめた。だが校舎内や自分の部屋でこれをやるのは、あまりに危なすぎた。


「いえ、きっとそのうち」


 次に聞こえてきたのは学園長の声だった。どこか焦るような、機嫌をとるような声音は、学園内では決して聞かれない種類のものだ。


 彼の部屋にこれを仕掛けて正解だったと朝彦は思う。


「そのうち?」


 だが、彼が話している相手の女の声に覚えがない。ここにいる人間の声は全員聞き分けられると自負していたので、意外だった。

 いったい誰だろう、と朝彦は声を聞くことに意識を集中させる。


「そのうちでは困るわ。いつから……悠長になったの」


 女の声は深みのある声質で、同時に力強い威圧感も兼ね備えている。

 なぶるような抑揚をつけて言う女に、学園長は返す。


「大丈夫です、すでに次の手は打ってありますから。決して取り逃がすような……は」


 次の手? 朝彦は思う。それがなにを指しているのか、耳に意識を集中させたけれど、二人はそれ以上その話題を深掘りしなかった。


「ならいいわ……フフ」


 どこか妖艶に女は笑った。


「御堂寺の娘は手中にひとりいるけれど、あれでは弱……駒としてはね」


 えっ、と朝彦は首をかしげる。もうひとりって、誰のことだ。


「御堂寺の娘を、なにもなくここから出してはいけないわ。取りこむのよ、必ず」

「お言いつけのままに……」


 ザザッ、とひときわ大きな雑音がして、朝彦は目をすがめた。

 再び静かになった時、もう声は聞こえてこなかった。

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