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シドの国  作者: ×90
ピガット遺跡
98/285

97話 殺し殺され、死なせ死ぬ

〜ピガット遺跡 ピガット・ウロボトリア遺跡中層〜


「Mr.ハザクラ。どうか、僕を殺してはくれないかな?」


 トールの態度は、まるで喫茶店でコーヒーでも頼むかのように穏やかであった。しかしその真っ赤な瞳に生気は宿っておらず、そのあまりにかけ離れた様相にハザクラは吐き気を(もよお)して首元を抑える。


「トールさん……何故……!!」


 ハザクラは唾を飲み込んで嘔気(おうき)(こら)え、歯軋(はぎし)りで(あご)の震えを押し殺しながら(うめ)くように言葉を(つむ)ぐ。


「何故死を選ぶんだ……!?」


 トールは、少し困ったように眉を寄せる。


「トールさん達使奴は……!! もう人権を手に入れた……!! もう辛い思いはしなくていいんだ!! これからは使奴にとって住みやすい世の中になっていく!! 俺がそうさせる!! 確かに使奴はいつか自死を選択する必要があるかもしれない……でも、まだ……まだ死を選ぶには早過ぎる……!!!」


 トールが口を開こうとすると、ラデックがトールとハザクラの間に入ってハザクラを睨む。


「早過ぎる? それは違う。(むし)ろ遅過ぎるくらいだ」

「ラデック……」

「ハザクラ。お前は確か、トールに“2回会ったことがある”。と言っていたな」

「……ああ。そうだ」


 トールの視線をラデックが遮ったことで、ハザクラは少し落ち着きを取り戻して呼吸を整える。


「2回目にトールさんに会った時、彼女はまるで死んでいるかのようだった。使奴として、相当酷い扱いを受けたんだろう。そんな使奴を何人も見てきた。俺はその度に洗脳を強いられた。その度に、俺の使奴を救いたいという気持ちは強くなっていった。だから、彼女を救うことは諦められない」

「トールを救いたいんだったら、さっさと殺してやるべきだ。彼女は今も、奴隷だった過去に(さいな)まれている(はず)だ」

「……使奴研究所から解放された今、死を救済にしたくない。昔のトラウマに心が侵されていても、それを癒し、心の底から喜びを感じられるようになること。それを救済としてやりたい」

「それはお前のエゴだ。ハザクラ」

「分かっている」

「いいや、分かっていない」


 ラデックがハザクラに背を向け、トールの方へと歩いて行く。そして、少し躊躇(ためら)ってから尋ねる。


「大変失礼かとは思いますが、その、服の下を見せていただいても宜しいですか」


 トールは微笑んだまま(うなず)いて、そのゆったりとした薄いワンピースをたくしあげる。ハザクラは女性のあられもない姿を見まいと、思わず顔を背ける。


「目を逸らすな。ハザクラ」


 ラデックの半ば攻撃的な物言いに、ハザクラは暫く目を泳がせた後にトールへと視線を戻す。


 傷一つない、真っ白な美しい女体。下着を着けていない彼女の裸体は、使奴特有の肌の白さも相まってまるで美術彫刻のようで、どこか神秘的な雰囲気さえ感じられた。しかし、それはそれとして女性の裸をまじまじと見つめる事に強い抵抗感を覚えたハザクラは、数秒眺めただけで再びトールから目を逸らす。


「綺麗なものだろう。彼女の身体は」


 ラデックがトールの裸を見つめたまま呟く。


「“リサイクルモデル”とは、到底思えない」


 その言葉に、ハザクラはハッとして視線を戻す。彼女の肌には黒い(あざ)など一つもなく、それは彼女が“生涯を通して物理的損傷を負っていない何よりの証明”であった。ラデックはトールの手を掴んで着崩した服を戻しながら、物憂(ものう)げな表情のまま誰に言うでもなく独白を続ける。


「使奴とは“使い捨て性奴隷”の略称だ。でも、こんな出来のいい人造人間達が使い捨てられていたのには訳がある。それは使奴の特性である“黒い痣”だ。乱暴に扱えば、その分黒痣は増える。顧客は自分の性対象から外れた使奴を研究所へ返品するが、見た目が劣る中古品をもう一度購入しようとする客は少ない。俺のような改造の異能者がいれば痣も消せたんだろうが……当時の使奴研究所に、そういった人材はまだ居なかった。だから使奴研究所は“使用済み使奴”を労働力や魔力電池として消費し、失敗作や型落ち品が増えれば片っ端から死の魔法によって処分していった。……なんでも人形ラボラトリーにいた魔力電池としての使奴は、皆肌が綺麗だったな。恐らく、失敗作があまりに多かったために使奴研究所側も見た目の悪い中古品の扱いに困っていたんだろう。だから、リサイクルモデルが主流になった後でも、使い捨て奴隷なんて俗称がずっと使われてきてしまったんだ」


 ラデックがトールの目を見る。彼女は変わらず微笑んだまま動かないが、ラデックの目には彼女が”酷く哀しみ“、そして”喜んでいる“ように見えた。形容するなら、目を背けたくなる程に残酷で自虐的な同意――――


「多分……彼女は、リサイクルモデルの発端となった使奴だ。顧客が、大切に、使用した。決して良い意味じゃない。肉体が傷付いていないだけで、俺達なんかじゃ想像もつかない程(おぞ)ましい目に遭ったんだろう」


 ラデックがハザクラの方へ振り向く。


「ハザクラ。お前の無理往生の異能を無視できるのはどんな時だ」

「無視?」

「例えば俺に”前に歩け“と命令したとして、俺が自らの足を止められるようになるのはどんな時だ」

「それは……両足を切り取られたり神経を切断されたりして、物理的に歩けなくなった時だ」

「他には?」

「そうだな……前にどうしても突破できない障害物が現れた時。例えば異能の虚構拡張内とか。あとは薬物や病気なんかで“前”の概念があやふやになってしまった場合も中断されるかもしれない……」

「そうか」


 ラデックはトールに視線を移す。


「じゃあ彼女はきっと、“命令をこなせなくなる程に心が壊されてしまった”んだろうな」


 トールが満足そうに目を細める。


「ハザクラ。コレは俺の推測だが、多分お前の異能には実質無限とも思えるところに限界が存在する。前にイチルギと会った時に言ったそうだな。その気になれば命令に逆らえるんじゃないか、と。恐らく一度下した命令も、200年という途方もない時間をかければ解除されてしまうことがあるんだろう。なら、“途方もない無茶”をし続けても解除されてしまうのかもしれない。これはきっと”どうしても突破できない障害物”に該当すると思う。”“正気を保て”という命令も、“途方もない無茶”をし続けた結果、解除されてしまったのかもしれない。だからこそトールは壊れ、返品されるに至った。そうでもなければ、家事も政治も完璧にこなす無尽蔵の体力を持つ使奴を手放す理由がない」


 ラデックが下げかけていた目線を再びトールに戻すと、彼女は満面の笑みでラデックを見つめていた。


「大正解だ。Mr.ラデック」


 その声は、今までで最も優しく、透き通った美声だった。


「……そうか。やはり貴方は……」


 ラデックは少し言い(よど)んでから言葉を続ける。


「……使奴の購入方法に“残価型”という物がある。頭金と月々の支払いを収め、一定の期間の後に品を返却するか残額を払って購入するかを決める。レンタル品のようなものだと思えばいい。その時に設けられた規約が、“使奴の肌を損傷させないこと”だった。中古品として利用価値がなくなる黒痣を発生させなければ、安価で使奴を一定期間使用できるといった方法だ。そして、その購入方法が考案される切っ掛けとなった使奴が……トールだ。肉体さえ損傷していなければ、精神を矯正するだけで再利用が可能であることが判明してしまったんだ」


 ラデックが顔を伏せると、トールは和かに話し始める。その声色は、まるで映画の感想を言うように軽快なものだった。


「僕が憶えているのはMr.ハザクラと再会したあたりから。それ以前の記憶は彼の命令で忘れてしまったからね。でも、もう一度出荷の手続きをされた時に、全身が現実を拒否するのを感じた。僕は憶えていなくても、体が憶えていたんだよ。気づいていたかい? 実は、あれから200年経った今でも君たち男性の顔を見るだけで吐きそうになるんだ」


 トールはラデックの横を通り過ぎてハザクラへと歩み寄る。


「獣並みの嗅覚で男の匂いを嗅ぐ度に、股が濡れぼそって全身が酷い悪寒に襲われる」


 ハザクラはトールが近づいた分だけ後退(あとずさ)るが、トールは気にする事なく歩みを進める。


「男の低い声を聞くだけで視界に(もや)がかかって泣きたくなる程の頭痛が起こり、それとは正反対に女性器が(うず)いて刺激を懇願(こんがん)し始める」


 トールは少しだけ早口になり細めていた目を見開いていく。


「男の波導を感じるだけで心臓が突き刺すように痛んで絶叫したくなる。君に記憶を消され、マトモでいることを命じられ、命令を重ねがけされてしまったせいで他の使奴のように気合いで命令を反故(ほご)にすることが僕には出来ない。この疼きも痛みも苦しみも涙も眉間に(しわ)を寄せることでさえ表に出すことを禁じられた結果、僕は至って正常に見えてしまっている」


 ハザクラは足がもつれて転び、そこへトールが腰を大きく屈めて顔を近づける。


「この苦しみ。どうしてくれるんだい?」


 ハザクラは何も言うことが出来ない。


「勿論君も被害者だ。君のせいじゃないことは知ってる。でもさ、だからって逆恨みしないでいられるわけじゃあない。善を理解することと行うことは、全く別の話だ」


 トールは何も言わないハザクラの手を掴んで強引に立たせる。


「僕達使奴は、知識は完璧でも思想思考までは完璧とは行かないんだ。僕だって、心は不完全で弱いままなんだよ。だから言わせてもらうね」


 彼女の美しい顔が、女神のように(ほが)らかに笑う。


「君さえ生まれてこなければ。こんなに苦しまずに済んだのに」


 ハザクラは思わず胸を抑える。心臓が痛い。息が苦しい。目が(かす)む。視界が揺れる。足が震え、全身を悍ましい倦怠感(けんたいかん)が襲う。しかし、目の前の一見健康そうに見える使奴は、自分とは比べ物にならないほどの苦しみを抱え、それを表に出すことさえ禁じられている。それは、他でもない自分の命令によって。


「僕にこんな苦しみを与えておいて、自由を奪っておいて。200年もの年月放置されて。死という終わりさえ奪っていくのかい? Mr.ハザクラ」


 トールの言葉に、ハザクラは最早立っていることも出来なくなってその場に崩れ落ちる。


 救いたい。しかし、それは叶わず。それどころか、今自分が彼女の為に何が出来るかを考えることさえ烏滸(おこ)がましい。自分の中にある正義感と道徳観念を真っ向から全否定され、それを受け入れざるを得なくなったハザクラは、ある“愚策”を思いつく。


「ラデック。頼みがある」


 息も絶え絶えにハザクラが呟くと、ラデックはタバコに火を付ける手を止めて顔を向ける。


「なんだ」

「俺には、彼女を説得出来ない。俺には、説得力がない」

「そんなことない。お前には世界を救うという大きな志があるだろう。その果てしない覚悟は、それ相応の説得力になり得るだろう」

「ならないんだ。俺が何を言っても、結局は口先だけだ。俺の中にある覚悟は、取り出して見せることは出来ない。仮に覚悟が見える形であったとして、こんな野望など達成出来なければただのゴミだ。達成出来ていないことは、俺以外の人間にとっては妄言と何ら変わらない」

「そうは思わない」

「そうか。そう言ってくれるか。ラデック」


 ハザクラが噴き出すようにして少しだけ笑った事に、ラデックは背筋が凍りつくような感覚に襲われる。


「俺に出来るのは、行動だけだ。後は任せる」

「待て、ハザクラ何を――――」

『俺は、俺を殺す』



 ハザクラの異能が発動した。

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