96話 人の殺し方
ピガット遺跡。豊富な資源と安定した気候と波導。その大部分が海に面している為船舶の往来も非常に多い。中でもここは魚介類の一大産地であり、ヒトシズク・レストランや世界ギルドが輸入している魚介類の7割近くを占めている。当然それだけ行き来する人間も多く、観光客の他に要人も頻繁に訪れる。例えそれが“ヒトシズク・レストランの現国防長官“だったとしても――――
〜ピガット遺跡 ピガット・ウロボトリア遺跡上層〜
キザンの目の前で脈動する石油の化物。遺跡の床や壁の隙間からそれは染み出し、人間のような形が徐々に鰐のような形態へと変化していく。キザンはその化物の発生源に心当たりがあった。
「死体操作の範囲が化石燃料まで及ぶとか、聞いてないっスよ。アビスさん」
キザンはスモールソードを構えて石油の鰐を細切れにする。しかし、当然液体を切るなどという芸当が出来るはずもなく、石油の鰐は一瞬で再生してキザンへと飛び掛かる。キザンが後方へ飛び退いて攻撃を躱すと、部屋の至る所から石油が湧き出して様々な生き物の形態へと変化した。
「多対一はきちぃ〜……おん?」
その石油の化物の奥から、1人の人物が姿を表す。ラルバと同じ黒スーツに身を包んだ黒髪の使奴は、満月のような金色の瞳をキザンに向けて優しく微笑んだ。彼女の登場に合わせて石油の化物が攻撃を止めると、キザンも一旦敵意を収めて武器を下ろす。
「……アビスさん。取り敢えずは――――祝辞と謝罪を」
キザンは深く頭を下げる。
「まず、この度はヒトシズク・レストラン国防長官への就任。おめでとうございます。今後ともピガット遺跡をよろしくお願いします」
「ご丁寧にどうも」
「次に、隷属化の件。復興派を代表して謝罪致します。ヒトシズク・レストランのゼルドーム審査委員長并に“愛と正義の平和支援会”の“バガラスタ国王”の真意を把握できなかった我々の落ち度です」
「ご丁寧にどうも」
アビスは変わらず微笑み続ける。キザンの挨拶が終わる頃にはラルバの再生も終わっていたが、回復魔法の発動によって僅かではあるが確実に弱体化していた。立ち上がったラルバにアビスがサムズアップで応えると、ラルバはキザンを一瞥してラデック達の元へと走り去った。
「さてと……」
アビスは次々に石油の化物を呼び出しキザンを取り囲む。眩暈がする程の刺激臭が立ち込める中、キザンは眉間に皺を寄せて軽蔑するようにアビスを睨んだ。
「……貴方とはあんま話したことなかったんで、ウチの勝手な想像で話しますけど。アビスさんって、ウチらを襲う理由無いっスよね? 隷属化中に助けにこなかったウチらへの腹癒せってことなら少しは理解出来るんスけど……」
「ああ、腹癒せ。いいですねソレ。そういうことにしておきましょうか」
「何が目的っスか? 自分を助けてくれたラルバさんへの恩返しのつもりっスか?」
「恩返し……それもいいですね。腹癒せよりも道徳的な理由で」
「理解に苦しむっス。まさか”貴方までラルバさんに期待してる“訳じゃないっスよね?」
「私にはキザンさんがそこまで“ヴァルガンさん“に入れ込んでいる方が理解に苦しみますよ。彼女は確かに尊敬に値する人物ですが……貴方のソレは、尊敬と言うより崇拝に近い」
「崇拝で結構っス。ファンってのはどんな時でも憧れを盲信する熱狂者であり狂信者なんスよ。合理じゃない」
「分かりやすくていいですね。じゃあ、死にましょうか」
「出来もしない癖に」
キザンが前傾姿勢を取ると同時に石油の化物達が一斉にキザンへと襲い掛かる。キザンは勢いよく走り出して化物達の隙間を掻い潜ってアビスへと接近する。そしてアビスの視界を封じようと両眼に向かって斬撃を放った。それをアビスは避ける素振りも見せずにモロに食らい、頭の上半分が両断されて宙を舞った。しかし、その断面から血が噴き出すことはなく、切り離された頭蓋は地面に落ちる前に“モザイクのような靄となって霧散した”。
「え……幻覚魔法!?」
キザンが思わず一歩後退ると、アビスの身体は先程の頭蓋と同じく輪郭がぼやけて大気中へ消え去った。怯んだキザンへと石油の化物が襲い掛かり、キザンは舌打ちを挟んで窓から遺跡の外へと飛び出す。
「うわ〜ズッけぇ〜。まーじでズッけぇ〜」
地上4階の高さから飛び降りたキザンは、恨み言のように文句を吐き捨てて遺跡から走り去る。
アビスの異能は死体の操作。厳密に言えば“元生物の現非生物を一時的に生物へと変化させ操作する異能”である。つまり、自分は矢面に立つ必要がない。幾ら魔法を使用して身体能力が低下しようとも、離れて戦っている限り自身の肉体の劣化などデメリットにならず、使奴同士の戦闘に於いて悪手とされる魔法が好きなだけ扱える。
キザンも”逆再生“という異能の都合上、魔法による身体能力の低下も当然無効化できる。しかし、魔法を使用した後に必ず異能を発動させ巻き戻らねばならず、巻き戻った直後を狙われては大体の攻撃が不可避になってしまう。結果的に後手に回される戦いを余儀なくされる為、キザンはコレを嫌って魔法を使わなかった。
しかし、キザンを追い込んでいる事実はそれだけではなかった。それは、果たしてアビスは石油を“使わざるを得ない”のか、“意図して使っているのか”という疑問である。ピガット遺跡は油田の他にも多くの貝塚や化石が発掘されており、石油はそれらよりもよっぽど深い場所に埋蔵されている。よって、アビスは石油に限らず貝や化石も操作することができる。にも拘らず、アビスは未だに石油のみを対象として異能を発動している。果たしてコレは、“石油を引火させたい”という狙いなのか。それとも“近くに貝塚や化石が無い”という苦肉の策なのか。アビスが自ら石油を燃やしていないことから、キザンにはそこの判断がつかなかった。
キザンはこれ以上遺跡から離れることを危惧し、石油の化物に氷魔法を放った。温度に拘らず凍結という現象そのものを引き起こす青白い光線は、石油の化物を一瞬で凍らせた。しかし、石油の化物の攻撃は止まず、寧ろ液体から固体になったことによりその攻撃はより重く破壊力を持った一撃となってキザンに襲い掛かる。
「うぇ〜状態関係ないのズッけぇ〜」
キザンがボヤきながら逆再生を始めると、凍った石油の化物の体表に模様のようなものが彫り込まれていく。よく見ると、小さな首の取れた甲虫が化物の身体を凄まじい勢いで齧りとっているのが見えた。
「あっ、ヤバっ。ストップストップ!!」
それに気づいたキザンは、慌てて異能を中断して凍った石油の化物に斬りかかる。しかしそれより早く完成した魔法陣は光り輝き、空間に墨汁を垂らすように闇魔法を展開した。
「うげぇ〜! 魔法使い放題はマジでしんどいぃ〜!」
快晴の砂丘は闇魔法によって光を反射しない真っ暗闇の空間へと変化し、キザンの視界を奪う。匂いは石油の悪臭で掻き消され、キザンは音だけを頼りに無数の石油の化物を相手しなくてはならなくなった。しかし、その肝心の音も液体相手ではまるで頼りにならず、キザンは不本意ながら再びその場からの逃走を図る。しかし闇魔法による結界はキザンを中心に展開されており、幾ら走ろうとも飛び上がろうとも新たな情報が得られることはなかった。ましてや今の状態でピガット村へ向かうことも遺跡へ戻ることもできず、この状態でアビス本人を探し出すことなど到底不可能であった。
手段の殆どを封じられたキザンは、とうとう賭けに出る。アビスが“止むを得ず石油の化物を使役している”と。もし石油の化物が苦肉の策であるならば、石油は燃えて変質した時点で異能の支配下から解放される。若しくは固形である化石や貝が材料になることで物理攻撃が通るようになるだろう――――と。
キザンは勢いよくスモールソードを振り回し。剣先を砂地に擦り付けて火花を散らす。石油の化物共は忽ち引火して大爆発を起こし、砂丘のど真ん中に隕石が落下したかのようなクレーターを形成した。爆煙が晴れ、爆心地にいたキザンは吹き飛んだ肉体を巻き戻して再生させる。すると、目の前に信じられない光景が映った。
「え……そ、そんなんアリっスか?」
防壁魔法によって作られた半透明の球体の中から、アビス本人と石油の化物が数体現れる。その内の1体、子供のような人型の化物が球体の内壁に手をついており、防壁魔法を発動している術者であることが見てとれた。
アビスが石油の化物を使役していた本当の理由は、不都合でも、罠でもなかった。全ては、キザンに強烈な敗北感を抱かせるための“手加減”であった。
「うわー……。アビスさん、そういうことする人だったんスか……幻滅ぅ……」
キザンの目に映ったアビスはとても魔法を多用したとは思えない程の波導に満ちていた。今までの魔法は、現に目の前で行われている通り“石油の化物自身”が発動しているものであり、アビス自身は一切の魔法を使用していなかった。アビスの異能によって生まれた生物は魔法を使用することが出来る。つまり、アビスが魔法を使用するデメリットは全く存在しないことになる。
アビスと石油の化物達を守っていた防壁魔法が解除されると、すぐさま別の化物が大きく口を開け、風魔法による竜巻をキザンへと放つ。それと同時にまた別の化物は土魔法で細かな金属片を大量に召喚し、竜巻に混ぜて放出した。鋭く尖った無数の金属片を巻き込み巨大なフードプロセッサーと化した竜巻は、キザンの全身を容易く摺り下ろして全身の皮膚を剥いでいく。竜巻は一瞬で赤く染まり、中心のキザンはみるみる小さくなって消滅してしまった――――
「あー……きっつい」
逆再生の異能によって復元されたキザンは、砂地の上で不貞腐れたように寝転んでいる。そのすぐそばでアビスがしゃがんでキザンの顔を覗き込んでおり、キザンの顔を指先で突いて弄んでいる。
「綺麗に治るものですね。どの辺まで意識ありました?」
「ずっとありましたよ。クソ地獄でした。昔に提案された“使奴を粉微塵にして大海にばら撒こう作戦”はやめた方がいいっスね。しんどい。やっぱ正式な死亡方法を考えた方がいいっス」
すっかり戦意を喪失したキザンを見て、アビスは立ち上がってその場を去ろうと背を向ける。
「でも意外っスねぇ〜」
それをキザンが寝転がったまま呼び止める。
「イチルギさん並みにお人好しで平和主義のアビスさんがウチを殺すなんて。あの殺人鬼に人の殺し方でも習ったんスか?」
「まあ、そんなところですかね」
「で、結局目的はなんスか?」
「目的?」
「え? まさか本当に腹癒せとか言いませんよね?」
「ふふっ。まさか」
「じゃあなんなんスか」
アビスは思い出し笑いをするように目を細めながら目を逸らす。
「大した理由じゃありません。私は、ラルバさんがここで死ぬ事に反対だっただけです。恩返しとかじゃなくて、ただあの人の行く末を見守りたかった。それだけです」
思いも寄らぬ発言に、キザンは堪らず飛び起きてアビスを見つめる。
「え、そんだけ?」
「はい。仮に私が恩返しをするとしたら、ラルバさんよりもラデックさんでしょう。レベル3認証輪を解除して下さったのは彼ですし」
「それだけのためにウチを殺したんスか……?」
「はい」
「……自分で選んだ事ですし、もうこの際恨み言は言いませんけど。啓蒙はしますよ。アビスさん」
「啓蒙ですか? 私に?」
「啓蒙っつーか確認っス。ウチがどれだけ世界に貢献してると思ってるんスか? 仮にアビスさんがウチの後釜やるっつっても、ウチを信頼してる隠遁派の使奴の恨みを買うこと必至っスよ。一体どうするつもりで?」
「ああ、そう言えばそうですね……どうしましょう」
「……アビスさん。自分のした事の重大さ。分かってますか?」
「正直、あんまり」
アビスはキザンに背を向けて空を見上げる。
「後先のこと考えるのはやめたんです。私達使奴はいつでも取り返せるじゃあないですか。「やりたいことは出来るうちにやっておけ。死という期限を持たない使奴は、願望をいつまでも先延ばしにできるから」……古い友人の言葉です」




