95話 死に伏線は無い
〜ピガット遺跡 ピガット・ウロボトリア遺跡中層〜
「ラデック、ハザクラ2名の死亡まで――――あと1時間」
トールによる極彩色の虚構拡張に閉じ込められたラデックとハザクラは、トールの発言を聞いて戦慄した。が、恐怖以上に疑問を感じた。
虚構拡張とは、結界魔法に類似した異能特有の現象である。異能が支配する領域を体内から体外へ裏返すように広げることにより、一時的な不可侵の結界を形成する。虚構拡張の特徴としては、結界の外と中で距離の概念が異なったり、室内で発動した場合結界自体の大きさが部屋の大きさに依存したりと様々である。しかし、最も注目すべき点は異能の強化にある。異能の支配領域を体外へ広げたことによって、異能の発動条件や対象範囲が変化する。
ラデック達はトールの虚構拡張によるメリットを“発動条件の緩和”だと推測した。キザンの説明を真とするならば、トールの異能は“相手が信じている嘘を現実にする”異能。そして虚構拡張により、この”相手が信じている“という制約を無視することができる。トールの余命宣告は、信じようと信じまいと発動する――――と。
そこで2つの疑問と1つの推測が成り立った。
まず一つ目は、”本当に異能は発動しているのか“という疑問。幾ら虚構拡張内部だけとはいえ、嘘を真に出来る異能は余りにも強力。それだけ圧倒的な力を持つ異能ならば、今回の嘘が絶対服従でも即死でもなく”1時間後に両者が死亡する“という内容というのは極めて不自然。故に、最初のトールの行動がブラフなのではないか、と推測した。
次に二つ目。”何故トールは態々時間制限を設けたのか“という疑問。使奴であるトールにとって、ハザクラとラデックは幾ら異能者と言えど通常の人間、格下の存在であることに変わりはない。数分もあれば充分瀕死に持ち込める力量差であり、1時間という時間は余りにも長すぎる。故に、この1時間という制限は”トール自身以外の何かの為に設けられたのではないか”と推測した。
そして最後に、この2つの推測から導かれる1つの合理的かつ不合理的な目的――――
「……トールさん。どうして……どうしてこんなことを……」
ハザクラは哀しそうに歯を食い縛る。
「……これじゃあ……まるで……」
最後の言葉を口にしようとするが、理性がそれを拒否する。嘔気を堪えるように咳き込むハザクラを見て、ラデックが恐らく彼が言おうとしたであろう推測を述べる。
「まるで、俺達に“殺されたい”みたいじゃないか」
トールは微笑んだまま動かない。
「折角“嘘を真に出来て“俺達を殺したいなら即死を宣言すればいい。そうでなくとも俺達を殺すことなんて、使奴からしたら赤子の手を捻るも同然だろう。でも、アンタは態々1時間なんて悠長な時間制限を設けてから俺達の死亡を宣言した。俺達が生き延びる為には、アンタを殺すしかない」
トールは微笑んだまま動かない。ラデックはハザクラが何も言わなずに顔を伏せ続けているのを見て、少し躊躇ってから再び話を続けた。
「使奴の区分で”隠遁派“ってのを聞いた時、少し疑問に思ったことがある。どうして誰も死の魔法を使わないのだろうか、と。でもって思い出した。たしか使奴は、“自死を選ぶことが出来ない”」
トールの口角が少しだけ上がる。
「正確には、“自死だけを目的に行動することが出来ない”。自身の殺害を他者に強要することは出来ても、能動的に死の魔法を自身にかけることは出来ない。多分アンタの異能を用いた自殺教唆は、俺たちをナイフや毒薬といった道具として扱うことと同義。直接的な自死に含まれるんだろう。だから自殺教唆の命令は出来なかった。そして、使奴の物理的な殺害方法は未だに見つかっていない。唯一の処分方法である死の魔法は、旧文明でも太古に封じられた禁忌魔法だ。使奴研究所が復元させたのは自殺用の死の魔法だけ。他者を無条件で殺害する魔法は、未だに発見されていない。使奴も、使奴を殺せない」
トールの目が薄らと開く。
「死の異能なんかがあればよかったかもしれないが、もしかしたら使奴には効かないかもな。何せ使奴は“人間に似ているだけの存在で、雌雄どころか生物かどうかも分からない特殊な魔導人形”だ。もし使奴に魂という概念が存在しないのなら、そもそも死ぬ死なない以前の問題だ。だから、隠遁派は隠れることでしか世界を拒否出来なかった」
トールが、ゆっくりと口を開く。
「Mr.ラデック」
「……何だ」
「君は、僕を殺せる?」
「分からない。俺の生命体改造の異能は使奴にも適用出来るが、命を奪うことまではやったことない」
「じゃあ、僕の感覚器官全てと思考の停止は?」
「……その辺は、俺よりハザクラの方が適任だろう」
トールがハザクラに目を向ける。その穏やかで優しい視線に、ハザクラは首を締め付けられるような悍ましい苦痛を感じて呼吸を荒げる。
「Mr.ハザクラ」
「――――っ」
「僕は、君に“死ね”と言われれば死ねるような気がするんだ」
「っ――――! トールさん。貴方が俺達2人の死亡に1時間という制限を設けたのは……俺達が、殺害する決心をする為の時間だったのか……!」
トールは微笑んだまま動かない。
〜ピガット遺跡 ピガット・ウロボトリア遺跡上層〜
「だからウチにはどうしようもないんスよ。トールさん自身が死にたがってるんで。ていうよりハザクラさん居ればソッコーで片付くんじゃないスか?」
ラルバの苛烈な蹴りの連打を顔面に受けながらも、キザンはどこ吹く風で暢気に話を続ける。
「1時間のシンキングタイムを設けるらしいですし、ぶっちゃけヌルゲーでしょ。それとも何スか? ハザクラさんって馬鹿お人好しだったり――――」
ラルバが放った渾身の回し蹴りがキザンの側頭部に命中した。キザンの首はその衝撃に耐えきれず縫い痕が裂けて広がる。胴体から引き千切られた頭部は砲弾のように壁へと飛んでいって、半分潰れながら壁にめり込んだ。ラルバは攻撃の手を緩めずにそのままキザンの胴体に両手を突き刺し、思い切り左右へと引っ張って真っ二つに裂いた。キザンの身体中にある縫い痕が裂かれて開き、そこへラルバは骨一本無事では済まさないと手刀の連撃を繰り出す。
「――――ちっ。ゾンビめ」
ラルバが苛立って舌打ちを鳴らす。するとぶつ切りにされた筈のキザンの胴体がひとりでに蠢き、みるみるうちに元の人型へと組み立てられていく。そして最後に壁にめり込んでいた頭部が勢いよく胴体へと飛んでいき、無傷のキザンの姿が出来上がった。
「うん。見た目も相まってゾンビ感は猛烈っスよね。ウチもトールさんみたいなカッコいい異能が良かったなー」
ラルバが再びキザンに蹴りを放つが、キザンがスモールソードによるカウンターを狙ったことで急停止を余儀なくされる。キザンはその隙を見逃さずラルバの軸足に切り掛かる。しかし、ラルバはその場でスモールソードを脛で蹴り上げるように宙返りをして、態と足を切り落とさせてからもう片方の足でキザンを蹴り飛ばし、切断された足を回収して傷口同士を押しつけ癒合させる。
「んー……器用っスねぇ」
キザンは蹴り飛ばされて床に倒れ込んだまま大の字になって愚痴を零す。そこへラルバが勢い良く踵落としを放つと、キザンの頭部がスイカの如く粉砕された。
飛び散ったキザンの破片が、再びひとりでに集まって再生される。その様子を見て、ラルバはギリギリと牙を擦り合わせて鈍い音を鳴らした。
「おい、キザン――――」
「いやいやいや。勝ち目無いからって交渉持ち掛けないで下さいよ。クソダサいっスよ」
使奴同士の戦いの場合。勝敗を決する要素はほぼ3通りに限られる。まず一つ目は、使奴部隊の用いる対使奴魔法を命中させた場合。次に、異能以外の魔法の使用で魔力が減少し、使奴細胞が衰え大きな筋力差が生じた場合。最後に、異能によって片方が著しく不利になった場合である。
ラルバ対キザンの戦いに於いて、両者は使奴部隊に所属していないため対使奴魔法の発動による決着は無い。そして互いに異能以外の魔法を発動していないため筋力差による決着も今の所無い。残るは異能による決着であるが――――
「ラルバさんの異能って、決め手無いっスよね」
キザンはラルバの蹴りの嵐を浴びながら平然と口を開く。
「石を氷や溶岩に変える。ゴミを水に変える。水から氷を出す。ラルバさんの異能って、もしかして“星を構成している物体を呼び出す能力“だったりします? もしそうなら放射性物質とか炎とかガスとかも行けそうですけど、やってないだけだったりするんですかね。でも、それじゃあ普通の魔法と出来ること大して変わらないし、何より条件が非生命体の置換じゃ魔法の下位互換もいいとこっス。そんなんでウチを倒すなんて到底無理っスよ」
ラルバはキザンの言葉に一切の反応を示さず猛攻を続ける。しかし、何度キザンの首を刎ねようとも、胴を切断しようとも、四肢を引き千切り頭蓋を叩き割ろうとも、キザンの肉体は異能によって元通りに復元されてしまう。今はまだキザン本人がラルバの異能の正体を警戒して受け手に回っているものの、ラデック達の救助を急がなくてはならないラルバが圧倒的に不利であることに変わりはなかった。
カチッ
突如、どこからかくぐもったスイッチの音が聞こえた。そしてその直後――――
「――――!?」
キザンの身体が爆弾のように弾け飛んだ。
接近戦の最中に突然起こった爆発。威力こそ使奴にとっては大したものではなかったが、流石のラルバも体勢を崩され地面を転がった。彼女が体内に火薬を仕込んでいたのか。或いは何者かによって爆破されたのか。ラルバにその詳細を知ることは出来ず、ただただ今は何が起こったのかを把握するので精一杯だった。
そして起き上がろうと顔を上げたラルバの視界に、必然的に部屋の有様が映った。部屋中に飛び散ったキザンの肉片と、血液。それらを見てラルバはキザンの目論見に気付く。彼女が何故自爆したのかを。そして、その狙いを回避することが不可能だということも。
ラルバが異能を発動するより早く、キザンの異能が発動した。
「誰でも最初は絶対勘違いするんスよねぇ。ウチの異能」
キザンは地面に落ちている自分のマントと前掛けを拾い、身嗜みを整える。
「ウチの異能は、“再生”じゃなくて“逆再生”っス」
キザンが体内に仕込んだ爆弾。それによってキザンは自身の肉体を全方位にばら撒いた。その直後に異能を発動すると、飛び散った肉片は“元の場所へ”爆発した時と“同じ速度で”集まり、宛ら部屋の全方位から銃弾を放つが如く逆再生が始まる。そしてその現象は、逆再生という特性故に“障害物の殆どを無視して“行われる。
「名付けて”人間吊り天井“。いや、”人間アイアンメイデン“? うーん。あんまカッコ良くないっスねぇ」
ブツブツと独り言つキザンの足元で、先程まで”ラルバだった“肉塊がゆっくりと脈動している。微弱な回復魔法を帯びて幾つかの肉片と繋ぎ合わさると、漸くそれが元々人の形を成していたことが分かった。キザンは繋ぎ合わさっていく肉片の一部を踏み潰し、上半身と右上腕だけが再生されたラルバを見下ろす。
「――――で、ラルバさん。これからラルバさんの肉片を停止の異能者のトコに持っていって封印します。その間音も光も上も下も無い退屈ワールドで寝てて貰う感じになるんスけど、なんか辞世の句とか遺します?」
ラルバは頭部を回復魔法で再生させ、口が再生されると譫言のように言葉を零した。
「…………キザン。お前に聞きたいことがある」
「何スか? 好きな対位? 対面座位っス」
「お前は、運命を信じるか?」
「はぁ? 何スか急に。人が死に際にロマンチスト化する現象ってフィクション限定じゃ無いんスか?」
「私は信じない。運命なんて。ましてやこんな所で死ぬ運命など」
「でしょうね。運命の人なんていないし、天命も無い。でも、死にだって伏線は無いんスよ。英雄も凡人も老人も赤ん坊も、ドラマとか特に無く普通に死ぬんスよ。勿論ラルバさんも」
「けど、今は少し信じられる」
キザンの視界が突然真っ黒に染まった。
「――――っ!?」
何の前触れもなく起こった異変に、キザンは慌てて身を翻してその場を離れる。そして、自身を覆っていた”嗅ぎ覚えのある臭い“を放つ異形と対峙する。
「この臭い……石油?」
キザンの目の前に現れたのは、石油で構成された人型の怪物。しかしラルバは依然として地に伏せており、下半身は疎か左腕さえ再生出来ていなかった。そしてキザンは”この化物を作り出せる人物“を思い出し、歯軋りと共に呻き声を漏らした。
「化石燃料…………死体の操作!! アビスさん――――!!!」




