94話 紅蓮の青鬼
〜ピガット遺跡 魔往照御成道〜
突如ラルバ達の目の前の現れた、青い肌をした使奴“キザン”。彼女の振る舞いはピガット村を支配する悪の支配者とは程遠く、のんびりとしていて穏やかな人物であった。使奴であるにも拘らず真っ青に染まった肌と体中の赤黒い縫い痕、そして裸同然の服装という外見の異質さを除けば、特別変哲ではなかった。
ラデック達がラルバと合流して小1時間も歩くと、キザンは突然手を上げて誰かに合図を送るように数回振った。しかし辺りには誰もおらず、獣どころか草木一本生えていなかった。ところが、キザンが合図を送ってから数秒後。一行の目の前に突然巨大な遺跡が現れた。まるでテレビの画面を点けるように現れた遺跡の周囲にはアンテナのような鉄塔が数本疎に建っており、幾らか文明的な雰囲気が感じられた。不可思議な現象にラルバ達が唖然としていると、キザンが手招きをして中へと案内した。
〜ピガット遺跡 ピガット・ウロボトリア遺跡中層〜
嘗ては一つの都市が築かれていたピガット・ウロボトリア遺跡。その文明が滅んでから数千年。遺跡は世界的に有名な観光地となっていたが、世界を滅ぼす大戦争で遺跡は跡形もなく消し飛び地図からは抹消されてしまっていた。
「まあ、遺跡が消し飛んだってのはウチらが流したデマなんスけどね」
ピガット・ウロボトリア遺跡の内部を案内しながらキザンが口を開く。
「200年前の戦争が終わった後、丁度何人かの使奴が結託して文明を元通りにしようって決めた時っスね。結構な人数反発する使奴がいたんスよ。人間に協力する使奴、しない使奴、穏当に暮らしたい使奴、全てがどうでもいい使奴。で、最初にそれぞれの目的に応じて使奴達を3分割したんスよ。まず、文明を取り戻すのに使奴のスーパーパゥワーを使って協力する“復興派”。文明を取り戻すのには賛成だけど、自分が使奴であることは隠したい“沈黙派“。そもそも何にも関わりたくない“隠遁派”。幸い文明復興に反対した使奴はいなかったんで、意外と上手い具合にコトは運びました。復興派が世界中を回って手直しをして、沈黙派は陰からそれをサポートしてくれましたし、隠遁派は邪魔しないよう隔離地域でひっそりとしてました。んでもって、このピガット遺跡は沈黙派と隠遁派のイイカンジの隠れ家として機能したんス。だからここには使奴しかいないっス」
ラルバが怪訝そうな顔でキザンに尋ねる。
「隠れ家って、誰から隠れるんだ」
「人間からっスよ」
「何でまた」
「沈黙派の大多数は一般人に紛れて生活してるんスよ。その中で、子作りが可能な個体は多くの子孫も残してます。家庭を持たずともそれに近い関係を築く個体は多いんスよ。けど、別れは必ず訪れ、使奴は1人取り残されます。肉体が傷つかなくても心が傷つきます。ここはそんな使奴を外界から切り離すのに打ってつけなんスよ」
「折角公陸がいっぱいあるんだから、勝手に隠れてりゃいいのに」
「ここはそれ以上にサポートも万全っス」
キザンは通路脇の出窓を指差す。そこは吹き抜けの中庭になっていて、3人の使奴が談笑をしていた。しかし、それほど遠い距離でもないのに3人の声は一切聞こえなかった。
「音の異能者がプライバシーの保護をしてるんス。記憶の異能者が精神の治療をしたりすることもあるっス。他にも停止の異能者、夢の異能者、闇の異能者と。1人じゃどうしようもない困難を共に乗り越えてくれる仲間がいます。まあ全員復興派ではないんで、表立って何かすることはありませんけど。言うなればここは“異能互助会”っスかね」
「ふぅーん」
キザンが再び歩き出し、一行もそれに従う。ラルバは物色するように辺りを見回しながら彷徨き、ふとあることを思い出す。
「そうそう、“ガルーダ・バッドラック”って使奴知らない?」
「ガルーダ? いや、知らないっスね」
「本当に?」
「本当に」
「あちこちで人を殺しまくってる殺人鬼で、10年前の神鳴通り大量殺人事件の犯人」
「へぇ。そんならもうイチルギさん辺りが解決させたんじゃないスか?」
「イチルギさんも知らんらしいのよ」
「じゃあ尚更知らないっスねぇ。ウチら復興派の中じゃ、あの人が一番物知りっスから」
「役に立たねぇ〜……」
「お詫びにおっぱい揉んでいいっスよ」
「臭そうなんで結構」
「酷ぇや」
「てか何で裸なの? 趣味?」
「趣味っスけど」
「うーわばっちぃ。エンガチョエンガチョ」
「はぁ? 差別っスか? 別にエッチなのが好きな使奴がいたっていいじゃないスか」
「スケベと露出狂は違うでしょ……」
「性奴隷に生まれたら性欲を憎んで潔白に生きなきゃいけないんスか? 別に街中でおっ広げてる訳でもないし、誰にも迷惑かけてないっスよ」
「言いたいこと一杯あるけど一番は気分の問題よ。十分迷惑」
「それはラルバさんの我儘っスよね? 自分一人の意見を恰も世間の総意のように掲げるのは傲慢が過ぎますよ」
「ごめん。一発殴っていい?」
「嫌っス」
そんなたわいもない話をしながら歩いていると、通路の先で窓からぼーっと外を眺めている使奴にキザンが近寄って肩を叩いた。肩を叩かれた金髪の使奴は一拍間を置いてからハッとしてキザンに気付き、ゆっくりとこちらへ振り向いて会釈をした。ウェーブの金髪に薄い生地のゆったりとした服装。細く開けた目の奥には、真っ赤な瞳が微かに見てとれた。
「こちら、魔王信仰に於ける“見えない屋敷”を維持してくださっている“トール”さん。信仰の異能保有者っス」
ラルバが小さく「あー」と声を漏らす。
「やっぱ異能か。そりゃそうだよね」
「もう少し細かく言うと、“信仰を現実にする”異能って言った方がいいっスかね」
「え、なにそれ。つよ」
「ある一定数の人間が真実だと信じている嘘を現実にする能力なんスけど、コレ発動条件が結構厳しいんスよ。現実にできる嘘は自分がついた嘘だけってーのと、一定数の人間が全く同じ内容を信じていないとダメなんすよ」
「えー。よわ」
「あとこれ最初の一回が自動発動なんで下手なこと言えないんスよね」
「最初の一回ってのは現実化の一回目ってこと?」
「そうっス。例えば“馬鹿デカい怪獣が来る“って言いまくったら、異能の発動を意識してなくても条件満たした瞬間に怪獣が来るっス。直後に消せれば良いんスけど、これがもし”馬鹿デカい怪獣が街を壊しに来る“だったら街を壊されるまでが強制発動の範囲内っス」
「無茶苦茶不便じゃん」
「だから今のところ“魔王は見えない屋敷に住んでる”って嘘と“魔王の教えを破るとバレる“って嘘だけ発動してます」
キザンがトールの背後から突然彼女の胸を揉み始めると、ラルバ達は一斉に顔を顰めた。しかし当の本人は何の抵抗もせず、ただキザンにされるがままにされている。
「トールさんは“隠遁派”なんスけど、めちゃめちゃ優しいんでウチの言う事をよく聞いてくれてます。身体中どこでも触らせてくれるし一緒に寝てくれるし、気分のいい日にはもう少し複雑な内容も聞いてくれたりするんで、他の使奴と一緒にピガット村まで行って信仰の塗り替えとかをしてるっス。何せ信者が減り過ぎたら遺跡も見つかっちゃうんでね」
説明の通りトールは一切抵抗することなく微笑んだまま立ち尽くしている。まるで人形のような彼女の振る舞いに、ラルバ達はキザンへの唯ならぬ不信感が募った。キザンは一頻りトールの身体を弄り終えると、満足したかのように離れる。
「ちょっとラルバさん、2人でお話しいいっスか? 他の方はどっかその辺で遊んでて下さい。あ、でもトールさんとヤるのはウチが嫉妬で怒り狂うんでやめて欲しいっス」
そう言ってキザンがラルバに手招きをすると、ラルバは嫌そうな顔をしながらも渋々キザンについて行った。取り残されたラデック達4人は顔を見合わせて肩を竦める。ジャハルは特に大きく溜め息を吐いて左右に顔を振った。
「……ま、他人と関係を持ちたがらない使奴が各地の秘境でひっそりと暮らしている話は聞いている。ベル様が人道主義自己防衛軍に引き入れようと何回か勧誘に行ったそうだからな。無害なことも判明しているし、私は先に村へ戻っているよ」
ジャハルがその場を立ち去ろうとすると、ハザクラも頷いてから自分の荷物を手渡す。
「中に朽の国での資料とレポートが入っている。じきに人道主義自己防衛軍からの調査隊が俺達に追いつく頃だろう。渡しておいてくれ」
ジャハルはハザクラから荷物を受け取り、その場を離れた。ハザクラはトールの方へ向き直り、彼女の開いているのかどうか分からない目を見つめて躊躇いながらも問い掛ける。
「さて……トールさん。失礼を承知でお聞きしますが、もしかして貴方は……研究所で“トールクロス被験体”として扱われていませんでしたか?」
トールは微笑んだまま動かない。
「俺の記憶が正しければ……貴方の研究所での名前は“トールクロス被験体18番”。でも……18番は確か……」
トールは微笑んだまま動かない。
「確か……随分早くに出荷済みだった筈です」
トールは微笑んだまま動かない。
「しかし……貴方は今こうして生きている。200年前の俺の解放宣言を聞いていた……当時使奴研究施設にいた……」
トールは微笑んだまま動かない。
「そして何より……貴方だけではありませんが、俺は何回か同じ経験がある」
トールは微笑んだまま動かない。
「俺は貴方に、使奴になるための洗脳を“2回”かけている」
トールは微笑んだまま動かない。
ハザクラはそれ以上何も言うことができなかった。ハピネスがその場を離れ、ラデックは驚きの余りに思わず心の中に浮かべた言葉をそのまま口に出してしまう。
「……リサイクルモデル?」
トールは微笑んだまま動かない。
トールの目が、微かに開く。
「ハザクラ!! 逃げ――――」
ラデックが叫んだ瞬間、景色に“色が染み出すように”別の景色が浮かび上がる。遺跡の壁と窓から見えていた空は”色とりどりの落書き“のような風景に塗り潰され、ラデック達は狂気じみた極彩色の世界に閉じ込められた。
「予備動作無しの虚構拡張……!!」
「……!? トールさん……!?」
トールは微笑んだまま口を開く。
「ラデック、ハザクラ2名の死亡まで――――あと1時間」
〜ピガット遺跡 ピガット・ウロボトリア遺跡上層〜
「キザン。お前……何をした?」
「やったのは私じゃないっスよ。トールさんです」
ラデックとハザクラ2人の波導が途絶えたことにより、ラルバは2人の身に何かがあったことを察してキザンを睨みつける。しかしキザンは先程と変わらぬ無表情のまま眉一つ動かさずにラルバの眼光を受け止めている。
「でもまあいいじゃないっスか。別に」
キザンが口の中に手を突っ込み、”喉の奥から“鍔の小さいスモールソードを抜き出した。
「ラルバさん。ここで死ぬんだし」
キザンはそのままスモールソードの鋒をラルバに向ける。
「すんませんねーラルバさん。一応ウチ、結構熱心なヴァルガンさんのファンなんで。正直耐えらんないんスよ。貴方があの人の前に立つの」
「誰だ」
「元”狼の群れ“リーダーで、イチルギさんの相棒。”紅蓮の青鬼“と”漆黒の白騎士“って言えば、世界で知らない人はいないと思うんスけどねー」
「知らん。どうでもいい。今すぐトールを止めろ」
スモールソードの鋒を突きつけられながら、ラルバは生まれて初めて“怒りの表情”を見せる。不満や苛立ちを表すことは多かったが、心の底から憤りを感じ、それを表情に現したのはこれが初めてだった。
「まあ、どう足掻いても貴方達の物語はここで終わりです。あ、エッチさせてくれるってんなら見逃してあげてもいいスけど」
「黙れ」
キザンはスモールソードの刀身を額に当て目を細める。
「じゃあ、殺しますね」




