93話 故意は盲目
〜ピガット遺跡 ピガット村〜
「罪人が逃げたぞー!!!」
「誰かそいつを捕まえろー!!!」
ラルバが投獄された翌日。ピガット村は朝から大騒ぎになっていた。使奴が大人しく投獄されたことに唯ならぬ違和感を覚えていた連中は少なくないが、まさか翌日に大脱走を図るとは誰一人として夢にも思ってはいなかった。即座に武装した警備隊が大勢出動したが、屋根から屋根を曲芸師のように飛び回るラルバに翻弄され時間と体力だけが消耗していった。
文明の進んだ肉撒州の力を借りればまだ打つ手はあったが、ピガット村の沽券に関わる手段など彼らに選べる筈もなく、魔法社会では時代遅れの甲冑に身を包み、鈍器としての大楯を構えながらの追いかけっこは早々に決着がつき、最早警備隊はラルバを追いかける気力もなく屋根の上の彼女を恨めしげに睨むだけであった。
「どうしたどうしたぁ! ほら、もうちょいで追いつくよ? 頑張れ頑張れ!」
戯けて見せるラルバに、警備隊は尽きかけの気力で顔を上げる。しかし今の彼らには魔法一つ扱うことは出来ず、鋼鉄の甲冑のせいで立ち上がるのが精一杯であった。ラルバは困って頭を掻き、不貞腐れるように独り言つ。
「思ったより体力ないのな。もうちょい騒ぎになってくれないと魔王もイッチーも呼べないじゃないの……ん?」
亡者のように蹌踉めく警備隊の奥から、1人の青年が徐に手を上げた。
「あのぉ……その罪人。俺が捕まえちゃってもいいんですかね?」
冒険者のような出で立ちの青年は、黒く長い前髪が被った目で眠たそうに辺りを見回し、徒手空拳のままラルバの方へ歩み寄る。その余りにも相手を軽んじた態度に、警備隊の長であろう女性が兜越しに彼を睨みつけた。
「はぁっ……はぁっ……!! ガ、ガキは引っ込んでいろっ……!! お前なんぞっ、がっ……使奴を相手になど……」
「あ。俺一応、魔王討伐隊の隊長です」
「……はっ?」
青年が懐から美しい装飾が施された紋章を取り出す。
「訓練とか殆どしてないんで技術は素人かもですけど、一応前の討伐隊長から正式に任命されてます。なんか前代未聞の特例だとかで」
「なっ……なんだと……!?」
「まあ、それでも貴方達よりかはマトモに働けるとは思いますけど」
そして青年は面食らっている警備隊の長の真横を素通りし、屋根の上にいるラルバを見上げる。そして手を前方に突き出し魔法を発動して、中空から霊合金で作られた禍々しい双剣を召喚した。
「罪人さん。あ、えーっと……お名前は?」
「……ラルバ」
「ラルバさん。初めまして。俺の名前は”ギリウス・リギルウェリウス”。取り敢えず、大人しく牢屋に戻ってもらって良いですかね? ……じゃないと、ちょっと痛い目みることになりますけど」
ギリウスは依然として気怠そうにしながら剣の鋒をラルバに突き付ける。ラルバは少し首を傾げた後、「ま、いっか」と呟いて屋根から飛び降りた。そしてギリウスの目の前まで歩み寄り、態とらしく格闘家っぽい豪快な動きをしてから片足立ちで両手を大きく広げ出鱈目な構えを取る。
「やれるもんならやってみろ! 超最強の必殺奥義見せちゃるよ!」
「はぁ……しょうがないか。町が壊れると周りが煩いんで、あんまり本気出したくないんですけど……っ!!」
ギリウスは愚痴を言い終わるのと同時に地面を踏み割り、猛スピードでラルバに接近。炎魔法を纏わせた双剣でラルバの左肩と喉元を捉えた――――が、当然ラルバはこれを躱し、擦れ違いざまに双剣を小枝のように圧し折ってからギリウスの衣服を全て破り捨てた。
「は――――えっ!?」
「フォー……ヒョアッファーッ!!」
そして、ラルバは再び態とらしく豪快に構えを取ってから意味のない奇声を上げた。全裸のギリウスは慌てて局部を破けた衣服で隠し蹲る。何をされたのかを全く理解していない彼に、ラルバは構えを解いて憎たらしくにやけ面を作って見下した。
「……お前、碌な人生送ってないだろ」
「え……は?」
「魔力量は確かに多いが……、ちょっぴり優秀なだけの大器晩成型だな。子供の頃に弱さを理由に虐められでもしたのか? 態と余裕振ってみたり、目上の相手をこれ見よがしに挑発してみたり……」
「ちっ違っ……! 別に余裕ぶってなんか……!」
「ふぅーん? じゃあ訓練殆どしてないとか前代未聞の特例だとか言わなくていいじゃん。褒めてもらいたかったんでしょ?「うわー!すげー!」って」
「そんなこと思ってない!!」
「でもってドヤ顔したかったんでしょ。「え? なに? これってそんなに凄いことなのー?」って。使奴相手に斜に構えちゃったりしてさー。そういうのは大人になると恥ずかしいから義務教育と一緒に卒業しようね。あれ? ピガット村って義務教育ある? あるよね?」
ラルバの悪態にギリウスは顔を真っ赤にしながら目に涙を溜め、その握り締めた拳に魔力を集中させる。
「うっうるせぇ!!!」
ギリウスが放った炎弾はラルバの眼前まで勢いよく飛んでいくが、ラルバの張った薄い防壁魔法によって難なく防がれてしまう。
「こんなんじゃ魔王討伐どころか牛だって倒せないよ。みんなに褒められて嬉しくなっちゃうのはいいけど、そろそろ現実見よっか。パパとママの言うこと聞いて、大人しく畑仕事でもしてなさい」
そう言ってラルバがギリウスに背を向けると、そこには拳を振りかぶったイチルギが構えていた。
「大人しくするのはお前だっ!!!」
「がっ――――」
ラルバは殴られた頭を押さえ、鬼の形相のイチルギを睨み返した。
「なにすんのさ!!」
「なにすんのはこっちの台詞よ!! 四肢捥いで月までぶん投げるわよ!!」
「そんなことしたら月落とすぞ」
そこへ少し遅れてハザクラ、ジャハル、ラデック、ハピネス、バリア、ラプーの6人も合流した。ラルバは辺りを見回してからシスター達4人がいない事をハピネスに尋ねる。
「あれ、ハピネス。シスター達は?」
「ゾウラ君と一緒に大道芸を見てるよ」
「何で連れてこないのさ。魔王討伐劇の方が絶対面白いでしょ」
「何で私があの4人を説得できると思うかな」
「それもそうだね」
ラルバが少し不満そうに鼻を鳴らすと、イチルギが溜息をついてラルバに提案をする。
「じゃあ私ここで待ってるわよ。シスター達が来たら追いかけるから」
「ほんとにぃ? 5人でこっそり私に都合の悪いこと企んだりしない?」
「しないしない」
「信用ならんな。バリア! ラプー! イっちゃん達が変なことしないか見張っておいて!」
「しないってば」
一行は再び二手に分かれ、ラルバ、ラデック、ハピネス、ハザクラ、ジャハルの5人は先に魔王を探しに行くことにした。
〜ピガット遺跡 魔往照御成道〜
ピガット村はピガット遺跡最東端に位置し、そこより東側の砂丘一帯を魔王の領域として畏怖していた。そこへ足を踏み行った者は必ず村へ引き戻され、魔王の怒りを買ったならば気を狂わされる禁足地。立ち入りを許されるのは、魔王の使いを出迎える時と、死者を魔王へ献上するための葬式のみ。無論、魔王を信仰していない外来人からしたら唯の砂丘であることに変わりはなく、ピガット村以外のピガット遺跡の人間が立ち入ることは往々にしてあった。
ラルバは時々バッタのように飛び跳ねながら辺りを観察し建造物を探した。しかし見渡す限りの砂丘には建造物どころか人工物らしきものも見当たらず、探究心は次第に不満へと変わっていった。
「んんん〜……。わかんない! ギブ! ギブでーす! ハピネスさん答えをどうぞ!」
「私も知らない」
「はー! 役立たず!!」
「いつもはネタバレすると怒るクセに……」
砂丘のど真ん中に大の字になって寝転がるラルバに、ハザクラが呆れて溜息を溢した。
「はぁ……。ピガット村の人達の話では、魔王は”見えない屋敷“に住んでいるそうだ。朽の国、神の庭の時と似ている。あの時みたく波導濃度や何かで発見できないのか?」
「うんにゃ。あれは結界が魔力を弾いているが故の現象だ。気圧の変化に近い……。今回は別に魔力を弾いているわけじゃないだろうし、それで言うならハザクラの異能でどうにかならないの?「俺は見えないものも見える!」みたいな自己暗示でさ」
「さっきからやっているが何も見えない。恐らくこの”見えない屋敷“自体が嘘なのか、単純な異能の鍔迫り合いに負けているのか……」
「ああ、アンタのとこの大将にバリアが首ちょんぱされた時と一緒か」
「自分で言うのも何だが、俺の異能も相当なレベルのものだとは思っている。何せ10年以上使奴という強者を一方的に洗脳し続けてきたんだ。しかし、もし相手が100年以上生き続けてきた異能者であるならば、敵わないのも無理はない」
そう言ってハザクラが再び双眼鏡を片手に辺りを見回す。すると、その視界に1人の人影が映った。
「む、人だ」
その呟きにジャハルも双眼鏡を構える。
「ピガット遺跡の人間か?」
「いや……あれは……。”肌が青い“……?」
ハザクラの呟きに、寝転がっていたラルバは勢いよく飛び起きて目を凝らす。
「来た……”紅蓮の青鬼“だっ!」
ラルバは歯をギラリと輝かせ人影に向かって走り始めた。ハザクラとラデックは互いに顔を見合わせるが、走るのは面倒だと思いジャハルとハピネスと共に徒歩で後を追いかけた。
「こぉぉおんにちはぁぁぁぁああああああ!!!」
ラルバは青い人影に追いつき、勢いよく急停止して砂を巻き上げる。
「アンタ、魔王の使いの“紅蓮の青鬼”さん?」
真っ青な肌をした女性は黙ったまま小さく首を傾げた。紺色の長髪に、全身に夥しい縫い痕。黒く染まった白目には藍色の瞳がぼんやりと浮かんでおり、気怠そうに、それでいて興味深そうにラルバを見つめている。しかし、何よりも目立つのはその扇状的過ぎる服装。薄い赤マントの下はほぼ全裸に近く、首輪に吊るされた細長い前掛けで辛うじて局部が少し隠れている程度。丸出しの乳房を隠そうともしない彼女に、ラルバは顔を顰めて半歩退いた。
「……変態?」
「アンタも中々っスよ」
青い肌の女性がラルバの胸を指差す。そして、遠くからラデック達が近づいてくるのを一瞥した後に、ラルバの顔をじぃっと見つめた。
「……何よ」
「いや、別に。ウチの名前は“キザン”。こう見えて使奴っス」
「ラルバ」
「ラルバさんっスね。ラルバさんはウチに何の用事っスか?」
「クソ雑魚村にイキリ散らかしてる自称魔王がいるって聞いたからシバき倒しに来た」
「ああ、残念っスね。魔王なんていないっス」
「……そんな気はしてた」
「残念そうっスね」
「めちゃ残念……。見たところキザンちゃん悪者じゃなさそうだし……」
「まぁ、一応品行方正で通ってるんで」
「品行方正で通すなら服着たら?」
「一応なんで」
「まあいいや。キザンちゃんはなんでピガット村ビビらせてんの? 趣味?」
「まあ趣味っちゃ趣味なんスけど……。気になるんなら見ます? 全容」
「え? いいの?」
「いいっスよ別に。どうせバレた所で特に困りませんし。こっちっス」
キザンは中空を指差して歩き出す。ラルバはこちらへ歩いてきてるラデック達に合図をしてからキザンの後を追った。




