89話 永過ぎた祈り
〜神の庭 パルキオンテッド教会内部〜
美しいステンドグラスから降り注ぐ七色の斜光と、優しく微笑む等身大の女神。床のタイルに刻まれた魔法陣は1000年前に描かれたそうで、これを目当てに態々遠方から訪れる学者も少なくなかった。しかし、それ以外にはこれといった名産品も特にないため、旅行者は愚か帰省する者も殆どいない。しかし、それでも毎朝のように村人が訪れ、小さいながらも活気に満ちていた――――――――
「……酷い有様だ」
パルキオンテッド教会に足を踏み入れたハザクラは、思わず眉間に皺を寄せて口元をマントで覆った。
嘗ては紙幣の柄にも描かれた神聖なる魔法陣には幾つもの亀裂が走り、恐らく生物由来であろう液体がこびり付いて泥のように変色している。窓ガラスなど当然残っているはずもなく、風雨に削られた女神像は鳥の糞に塗れその表情の判別もできない状態だった。それどころか、辺りには葉っぱや骨を加工したであろう道具の成れの果てや正体不明の塊が散乱し、猿の巣になっているのではないかと疑うような散らかりようであった。
そんな中、この悲惨な光景に目もくれずカガチが教会内部へと歩みを進める。まるで何にも気付いていないような振る舞いに、ジャハルが思わず言葉を溢した。
「……私にも、もう少し明哲さがあればな」
誰に言ったわけでもない小声の独り言にカガチは突然足を止めて、ほんの少しだけ首をジャハルの方に傾ける。そして、洞穴に木霊する地響きのような重苦しい声で呟いた。
「全くだ。家で辞書でも読んでいろ」
吐き捨てるように言い放った後、カガチは再び歩き出す。ジャハルにカガチの表情は見えなかったが、恐らく虫けらを見るような目をしていたであろうということは容易に想像できた。見かねたハザクラがジャハルを肘で突いて怪訝そうな眼差しを向けると、ジャハルはハッとしてカガチに頭を下げた。
「す、すまない。軽率な発言だった」
カガチは再び歩みを止め、今度は片目だけをジャハルに向けて睨む。その目に軽蔑や嫌悪の色は見られなかったが、ジャハルにとっては氷を飲み込んだような息苦しさと、泣き出したくなるような後ろめたさを感じた。
「……気にしなくていい。幸せ者に、そこまで期待していない」
明らかに皮肉めいた発言であったが、カガチにとっては特別珍しい事情ではなかったのだろう。その声色は非常に穏やかなものであった。しかし、その事実はジャハルに再び罪悪感を抱かせた。静かに目を伏せるジャハルに、シスターが後ろから近づいて心配して肩を撫でる。
「大丈夫ですか……?」
「ん……? ああ、大丈夫だ。非は全て、こちらにある」
ジャハルは遠ざかっていくカガチの背中を見て、悲しそうに呟いた。
「使奴というだけで特別視することが多かったが……、なんてことはない。同じ人間であることに変わりはないんだ。幾ら頭が良くても、知識があっても、強くても。傷付きもするし、涙も流す。理解していたつもりだったんだけどな……。本当に理解していた“つもり”だけだったとは」
ジャハルが小さく嘲笑を漏らすと、ハザクラがカガチの後を追いながら口を開いた。
「理解している“つもり”でいいだろう。どうせ使奴どころか、自分のことすら理解なんてできやしない。分かった気になっているより、ずっと健全だ」
〜パルキオンテッド教会 防空壕〜
地下へと続く真っ暗で狭い階段を降り、暗闇の中でカガチが光魔法を発動する。手元から無数の光の球が放たれ、光の球は部屋中を駆け巡り昼間のように辺りを照らした。地下とは思えないほど高い天井と、幾つもの巨大な柱。そこはまるで、防空壕と言うよりは宮殿のエントランスのような造りになっていた。しかし、地下であるが故に風通しは極めて悪く、一階とは比べ物にならないほどに酷い臭いが立ち込めていた。辺りには相変わらず生物由来の汚れがこびりついており、恐らくここでも“何らかの非人道的な儀式”が行われていたのであろうと推測ができた。
あまりの汚臭にシスターは思わず咳き込み顔を覆う。そこへナハルが慌てて駆け寄り、何かを訴えるようにカガチを一瞥した。カガチは面倒臭そうに舌打ちをすると、使奴であることをシスターに隠しているナハルの代わりに魔法を使い、浄化魔法で周囲の汚臭を軽減させる。シスターは直ぐ様息継ぎのように大きく息をして、カガチに深々と頭を下げた。
「あ、ありがとうございます。助かりました」
「想像はついていただろう。外で待っていればよかったものを、何故ついてきた」
カガチの悪態に、シスターは顔を伏せながらも答える。
「……知らずに幸せに生きるより、知って後悔をしたいんです」
「見かけによらず悪食だな」
「ラルバさんに強制連行されなきゃ、こんなこと考えもしませんでしたよ。毒を食らわば皿までです」
「……訂正する。無自覚なマゾヒストだ」
カガチは一切表情を変えずに背を向けた。ゾウラが駆け寄って「あんなこと言ってはいけませんよ」と注意をするも、「申し訳ありません」と形だけの謝罪で済ませた。ナハルはシスターにかける言葉が見当たらずに狼狽えていたが、シスターはナハルに振り向いて優しく微笑んだ。
「大丈夫ですよナハル」
「ほ、本当に嫌な時は隠さず仰ってください。シスター」
「分かりました。でも、今は大丈夫です。あ! 私が本当にマゾヒストって意味ではありませんよ?」
「それは分かっていますっ!」
シスターが軽い冗談を挟み、ハザクラ達は再び防空壕の深部へと歩みを進めた。3枚ある扉のうち、左の扉にカガチが手をかけた。そして鍵がかかっていることに気がつくと、開錠魔法を発動して鍵を開けた。しかし、錆び付きで扉が開かないことがわかるや否や、一切の躊躇なく鉄の扉を蝶番ごと怪力で引き剥がした。ゾウラだけが開通に喜んで拍手をする中、カガチ達は部屋へと足を踏み入れた。
中はまるで図書館のように本棚が並んでおり、並べきれなかったであろう本があちこちに積み重なっている。長い間誰も足を踏み入れなかったのか、人の立ち入った形跡はなく小さな虫だけが地面や壁をを走り回っている。カガチが近くの本を手に取ってパラパラと捲った後、部屋をぐるりと見渡して溜息を吐いた。
「恐らく全てが旧文明時代の本だ。殆どは何の変哲もない市販品だな」
ゾウラが近くにあった本を何冊か手に取り、物珍しそうに表紙を見比べる。
「200年前の本なんて、私初めて見ました! えっと……“初めてでも分かりやすい! 裁縫入門”。“新春大人コーディネート”。“衣装から読み解く歴史の真実”。“革靴の全て22号”……。カガチのそれは何ですか?」
「これは市販品ではなく、200年前の人間が遺した手記の様です。この地域周辺の食用植物や調理法が記されています」
「昔の図書館……って訳ではないんでしょうね」
部屋の入り口で本を物色していたハザクラが、苛立ちを堪える様に小さく舌打ちを鳴らして呟く。
「……確か、“ネフュラムの財宝”だったか……」
ハザクラは近場の手帳を手に取り、ページを捲りながら声色に憤りを重ねていく。
「ある時代に、ネフュラム族という部族がいた。ネフュラム族の住む地域では年々病死者が増えていて、一族は壊滅の危機にあった。そこへ当時大陸を収めていた王が、ネフュラム族の長にある杯を与えた。ネフュラム族を脅かしている病気の原因である毒素、それを中和する素材で作られた杯を。しかし、あろうことかネフュラム族は、この杯を聖杯だと崇め神殿の奥深くにしまい込んでしまった。結果、ネフュラム族はそのまま滅んでしまった。…………この本は、ネフュラムの宝だ」
ハザクラが手帳を隣にいたゾウラに手渡すと、ゾウラが開かれていたページの文章を読み上げる。
「えーと、”戦争が始まってからもう2年が過ぎた。今、私が生きているのは奇跡でしかない。もしかしたら全くの逆かもしれないが。大体の本は教会の地下に運んでしまったし、多分この日記も直にしまわなくてはいけないのだろう。結界のせいで波導が薄れて魔法も禁止され、電力が絶たれて機械も使い物にならなくなってしまった。今は最早、紙こそが唯一の情報の保存方法だ。こんなことになるんなら、もっと本を買っておくんだった。娯楽のない世界がこんなにも苦しいなんて“」
ゾウラは手帳から目を離し、辺りを見回す。
「……本は大切って話だけが一人歩きして、触る事も禁止されてしまった……って事ですか? そんなこと、あり得るんですかね? だって、文字がなくちゃ生きていけませんよ。それに、ここの本は生活に役立つ本が沢山あります。なんで読まなくなっちゃったんでしょう」
ハザクラがゾウラから手帳を受け取り、憐れむ様に目を伏せる。
「……本を読むには、文字が読めなくてはならない。ここには学校もないし、教師もいない。病院もないから平均寿命も低い。勉強する時間があるなら食い物を探しに行くだろう……。勉強ってのは娯楽だ。豊かな人間にしか得られない贅沢品。この神の庭に、そんな余裕はないんだろう」
「本は大切って話だけが一人歩きしたんじゃなくて、本は大切って事だけしか伝えられなかったんですね」
「ああ。でも……俺が気になったのはもう一つの方だ」
「もう一つの方?」
ハザクラは手帳を戻し部屋を出る。そして大きく深呼吸をした後、3枚ある扉のうち、微かに開いている真ん中の扉に目を向けた。扉に手をかけると、狐の鳴き声の様な甲高い悲鳴を上げて扉が開く。その先は広い廊下の様になっていて、奥にもう1枚扉が見えた。そこからは僅かに波導が漏れ出し、異様な雰囲気を放っている。
「……神の子達がラルバに飲ませた波導を含んだ石の破片。恐らくあの部屋から採取した物だろう。俺が気になったのは、“何故この村の人間達は結界による隔離に協力的だったのか“ということだ。村中の本を教会の地下に運んだり、食べられる草を手記に纏めたり……。さっきの手帳の筆者も娯楽がないことを嘆いてはいたが、結界そのものや戦争への抵抗は薄いように見られた。これは俺の推測だが、”そもそも結界は早々に解かれる予定だった“んじゃないか?」
廊下の奥の扉も鍵はかかっておらず、開けると同時に咽せ返るほどの悪臭と波導が流れ込んできた。
「……どこかで、不測の事態が起こったんだ」
飛び込んできた部屋の光景にハザクラ達は息を呑んだ。壁や床を無作為に削られた洞窟の様な空間。しかし、部屋の中央部だけは齧られた林檎の芯の様に残されており、そこには1人の蹲る苔生した人形があった。それをみて、シスターが瞳孔を揺らしながら両手で口元を覆う。
「ひっ……!! あ、あれ、あの、人……!! い、生き、てる……!?」
シスターの言う通り、人形は全身真っ白な苔に包まれ微動だにしないながらも全身から波導光を放ち、それは一縷の筋となって天井にまで続いている。そこへカガチが眉一つ動かさずに近づき、辺りに舞っている白い綿のような物体を手に取り指先で転がす。
「……見たことない菌だ。ここへくる前にラルバが言っていたな。“防空壕から新種のバクテリアが発見され、長寿の薬に大きく貢献をした”と。しかしこれは……」
カガチがしゃがみ込んで人間の顔を覆う苔を剥がし、その素顔を露わにする。痩せて乾ききったミイラのような風貌だったが、個人の判別が不可能という程ではなかった。
「……“パルシャ・レイブス・エイドン”。旧文明の研究者だ。確かに、こいつぐらい優秀なら1人でこの“ヘングラスの檻”とかいう結界も発動できるかもな」
カガチが立ち上がって皆の方を振り返ると、ゾウラが小さく首を傾げて問いかけた。
「カガチは分かったんですか? 何でこんなことになったのか」
「……拙い推測です」
「聞かせて下さい。きっと皆も聴きたいと思います」
「……わかりました」
カガチは少し困ったように溜息を吐くと、パルシャの方を向いて話し始める。
「200年前の大戦争が起こった時、パルシャは研究の為に偶然この教会に来ていた。そして、彼は隠蔽魔法”ヘングラスの檻“を展開し、この戦争をやり過ごそうとした。村人達もそれに応じた。しかし……、何処かでトラブルがあった。何者かがこの新種のバクテリアに手を加えた。それによってパルシャは魂の抜けた不老となり、ヘングラスの檻を閉じられなくなってしまった。村人達は選択を迫られた。恩人であるパルシャを殺して檻を壊し、世界を滅ぼす大戦争に立ち向かうか。波導が遮断され緩やかに衰退していく結界の中で一生を終えるか。そして、後者を選んだ。ヘングラスの檻は天体から得られる魔力と抜け殻になったパルシャによって半永久的に維持され、その代わりに結界内の魔力源はパルシャ本人から漏れ出す波導光のみとなった。村人はその波導光に当てられた教会の建材を頼りに、世代を経て、今日まで来てしまった。……当時の人間全員が、誰も死なせないようにした末路だ」




