87話 郷に生まれては郷に従え
〜神の庭 昼前の畑〜
「お、おい……見ろ……あれ」
「うわぁ……スンゲェ美人だぁ……」
「にしでもでっけぇなぁ。あんな人おったかなぁ……?」
「オラ、ちょっと行っでぐるっ!」
神の庭中央部は、こじんまりとした村になっていた。畑の側に盛り上がった土のような小屋が建てられ、至る所に案山子が設置されている。そして村の1番奥、小高い丘の上には教会と思しき建造物が鎮座している。原始人が作ったような集落と、遠目にも見てとれる石の装飾が施された教会。200年間世界と隔離された結界の中には、そんなチグハグな光景が広がっていた。
ラデックが物珍しそうに辺りを観察していると、遠くから1人の中年男性がこちらへ駆けてきているのが見えた。
「お、お〜い! アンタら、見かけねぇ顔だ。どごのモンだぁ?」
男はラルバ達――――主にラルバやイチルギの胸を見ながら問いかける。余りに露骨で下卑た視線を全く気にすることなく、ラルバはお淑やかに微笑む。
「私たちはぁ、神の使いで来だんですぅ。何かお困りのこど、ありませんかぁ?」
神の庭特有の訛りを真似したラルバの口調と、その優しそうな聖女の如き微笑みに、男は情けなく顔を惚けさせて体をくねらせる。
「でへ、でぇへへっ。いや、そうか、そうかぁ。お困りのこどぉ?」
「はい。私なんかで良ければ、どんなことでも……」
「ど、どんなことでもぉ?」
ラルバが艶かしい手つきで男の胸板を撫でながら寄り添う。その妖艶な雰囲気、もといラルバの魅了魔法は、本人の美貌と体型も相まって男の心を握り潰してしまうほど鷲掴みにした。
その様子を遠巻きに見ていた他の男達も、ラルバがチラリと視線を向けるだけで喉を鳴らし、各々の仕事をほっぽり出してラルバに駆け寄った。
「あ、お、俺! 俺んとご来い!」
「お前!! 狡ぃぞ! オラが先だ!!」
「お前らどけよォ! オラはまだ女とヤったこどねんだ!! オラにくれ!!」
男達はラルバを中心に揉みくちゃになり、溢れ出た者は自分に順番が来ないと見るや否や、イチルギとハピネスの方へと近づいてくる。
「オラはアンタがいいっ……! オラとぉ……!」
「こっちさ来い! こっちぃ!」
しかし、この下劣な誘いに当然イチルギやハピネスが応える筈もなく、2人は男達を嫌悪するように距離をとり軽蔑の眼差しを向ける。
「嫌、ハピネスはラルバ派でしょ。相手してあげなさいよ」
「断る。私は面食いじゃないけど、それ以上に中身については我儘なんでね。こんな知性の欠片もない原始人に処女を捧げるくらいならラデック君を選ぶよ」
「何で今俺は攻撃されたんだ?」
余りにも露骨に拒絶された男達は、始めの方こそ悲しそうな顔をしていたが、自分より力の劣る女性に貶されたという事実にこの上なく腹を立てた。
神の庭では、男女が互いを尊重するという道徳は存在しない。医学や化学といった学問が全く発展していないこの国の平均寿命は30前後と極めて低く、その為に女性は多くの子を産む事が責務とされている。そして、妊娠出産による女性の活動量の著しい低下は、男性にとって短絡的な不満と自尊心を与えた。
表面的な男女の差を優劣という概念で判断している彼等にとって、劣っている女性が優れている男性に物申すことなど、到底許せる行為ではなかった。
「……うるせぇ女だぁ。幾ら神の使いだってーも、男の言うこと聞げねってのはどーゆー事だ!!!」
「誰がお前らの飯取っで来でると思っでる!!!」
「子供産まね女なんか!! 死んでても変わんねんだぞっ!!!」
男達の怒声は共鳴するように増幅していき、先程までの鼻の下を伸ばした間抜け面とは打って変わって、今にもイチルギ達を嬲り殺さんと呼吸を荒げて躙り寄る。そして先頭にいた男が殴りかかろうと拳を振り上げたその時、教会の方から角笛の甲高い音が鳴り響いた。
それと同時に、男達はその音を怖がるように身を震わせて振り向き跪く。その視線の先には、角笛を手に持った別の男達が数人立っていた。服にしている毛皮には、骨で作られた禍々しい棘のような装飾が施されており、頭にはそれぞれ蔦や羽根などを遇った冠を付けている。今までの男達とは一風変わった威圧的な様相に、ラルバ達は彼等が“神の子”であることに容易に気が付いた。
先頭を歩いていた神の子の1人が、瘤だらけの棍棒で威嚇するように地面を殴りつけながら声を荒げる。
「お前らぁ!! 遊んでねぇで働けぇ!! 誰が休んでいいって言ったんだぁああん!?」
野太い怒号に、男達は蜘蛛の子を散らす様に逃げ出した。そして神の子の男はラルバに近づき、全身を舐める様に見つめながら問いかける。
「……でぇ。お前は誰だぁ? 見かけね顔だなぁ」
ラルバは深く頭を下げるのと同時に、二の腕で胸を挟み態とらしく強調させ誘惑する。
「はい、私。神の使いできました。何かお困りのこどが有ればと……」
「神の使いぃぃ〜!?」
ラルバが言い終わらないうちに、神の子の男は酷く顔を顰めて顎をしゃくり上げる。
「んなもん、俺達は聞いでねぇっ!!! お前、嘘言っただろぉ〜!! こっぢ来いっ!!!」
神の子の男がラルバの腕を強引に引っ張り、教会の方へと歩き出す。他の神の子もラデック達を囲い込み、持っていた棍棒や槍の先端を向けて包囲した。
「お前らもだぁ。神の名を勝手に使うなんて、絶対に許されねぇ。お仕置きしねえと」
「そうだぁ、さっさと歩けぇこの馬鹿」
神の子に包囲され連行される中、呆れる様にラデックが吐いた溜息にハピネスが失笑した。
「ラデック君、投獄に対するリアクションが変だね。普通もっと焦るんじゃないの?」
「いや……入国直後の投獄はいつものことだ。今回は上手いこと躱そうと思っていたんだが……、記録更新だ」
〜神の庭 神の子の棲家〜
教会が建っている高台の、手前の土手に掘られた洞穴。神の子が“お祓い”を行う祠として利用し、また、“献上された貢物”を肉欲の赴くままに貪る慰安所。中は獣の饐えた臭いと生木の焦げた臭いが充満し、絶えず呻き声が響き渡っている。
神の子達はラデック達を先頭に狭い通路を進ませた。すると通路が突然崖の様に途切れた。ラデックが崖の下を覗くと、どうやら先は薄暗い部屋になっている様で、ラデックが立っているのは丁度その部屋の天窓部分であることが分かった。
「ほれ、飛び降りろぉ」
神の子の言葉に、ラデックは渋々通路から飛び降りて部屋に降りた。高さにして身長の3倍はある高さ。常人であれば、間違いなく骨の1本や2本は折れてしまうだろう。続いてイチルギ、ラプー、バリア、ハピネス、ラルバが飛び降り、1人では着地できないハピネスをバリアが受け止めた。神の子達は全員飛び降りたのを見届けると、踵を返して立ち去っていった。
神の子の足音が聞こえなくなると、ラルバが残念そうに溜息を吐いた。意外なラルバの反応に、ラデックが問いかけた。
「どうしたラルバ。予想通りじゃないのか?」
「んあー……。思ったよりウケ良くなかったなあって。やっぱナハルんみたいに“どぷんっ! どたぷんっ! ぶるるんっ!”って感じじゃないとなぁ。連れて来ればよかった」
「ラルバやイチルギも相当肉付きがいい方だとは思うが……」
「それは旧文明基準でしょー? 昔はデブの方がモテたのよ。痩せ型がモテるようになったのは飽食の時代が来てからよ」
「ナハルも別に太ってはいないが……」
ラデックが雑談混じりに辺りを見回すと、薄暗くて見えづらいが何人かの人影が見えた。
「……なるほど。ここは“そういう”場所か」
そこにいたのは、同じ人間とは思えない程に痩せ細った女性達だった。何も寝転がったまま虚な表情をしており、意味もなく呻き声を漏らし続けている。そこへイチルギが歩み寄り、その凄惨な状態に顔を大きく顰めた。
「……酷い」
ラデックはその隣にしゃがみ込み、イチルギに問いかける。
「使奴でも治せないのか……?」
「治す治さないの話じゃないわ。彼女達は、もう“これが普通”の状態なの。中毒と、極限状態で崩壊した精神。仮に健康体にしたとして、それは彼女達にとっての“普通”じゃない」
「それは……病気とは違うのか?」
「…………ある意味、旧文明唯一の不治の病とでも言えるのかしら。普通の病気と違って、悪い臓器を良くすれば治るわけでもない。明確で確実な治療法は存在しない。今後、死ぬまでずっと引き摺る重い足枷にもなり得る」
「じゃあ殺そう」
背後からの声に2人が振り向くと、そこには静かにこちらを見下ろすハピネスが立っていた。
「救ったところで地獄を見るんだろう? じゃあ、今殺そう」
ハピネスの追い討ちにも似た発言に、ラデックが立ち上がって詰め寄る。
「馬鹿なことを言うな」
「……何だか、なんでも人形ラボラトリーの時に似ているね。意識のない生命体を、助けたところで上手くいくかは分からない。じゃあ意識のないままにしておこう。周りの子達を見てごらんよ。今自分が殺されるかどうかって話を聞いているのに、眉一つ動かさない。……これを助ける意味がどこにある」
ハピネスがラデックの横を素通りし、無言で俯くイチルギの隣にしゃがみ込む。そして虚なまま呻くだけの女性に手を伸ばし、全身を弄るように診た。
「……目玉の中に寄生虫が泳いでる。多分これ、もう見えてないね。歯が全て抜かれている。”具合が良くなかった“んだろう。喉に膿がへばりついてる。歯がないから、食べ物を丸呑みして喉に傷がついて化膿したんだろうな。ん、爪も全て剥がされているな……。肩、肘、指、膝、足、関節の殆どに真っ黒な擦り傷。こんな土の上で男の相手をしていれば、瘡蓋になった側から擦れて剥がれてしまうんだろうな。さて……肝心の”穴“は……。これは、全部膿か……? 予想はしていたが、いざ目にすると耐え難いものがあるな。粘膜に見える部分、全て傷口だ。これでよく子を孕めるものだ……」
ハピネスに身体中を調べられている間、女性は欠片も抵抗することはなかった。それどころか、ハピネスが下腹部に手を伸ばした瞬間、自ら四つん這いになろうと身動ぎをしてみせた。この反応には、ハピネスも憐れむような目で静かに息を吐いた。
「…………人ってのは頑丈だ。ここまで壊れても、壊れきってはいない。…………ああ、そうだ。あんまり深く息を吸わない方がいいよ。そこら中に落ちてる焼け跡、多分毒草を燃やした後だ。この臭いは……多分神経系に作用するヤツだと思う。これで自由を奪って羽交締めにしたんだろうねぇ……」
ハピネスの言葉を聞いている間、ラデックはずっと黙ったまま立ち尽くしていた。ハピネスの言った「殺そう」という言葉。それにすぐ真っ当な反論ができなかった自分の本当の考えに気付くのは、ラデックにとってそう難しいことではなかった。
「ラデック君、私は生憎彼女達を即死させる術を持っていない。この朽の国じゃ魔法も使えないしね。……君ならできるんじゃないかな。生命体の改造ってそういうのできないの?」
無論、できる。苦しみを伴わない絶命など、赤子の手を捻る程に簡単である。しかし、ラデックはそれを行えなかった。ラデックの中には、“殺人は絶対に許されない悪行である”などという漠然とした道徳観念よりも、もっと複雑で陳腐な問題があった。
ラデックはの行動理念は、幼い頃に読んだお気に入りの絵本「トンタラッタの大冒険」である。悲惨な運命の元、悲惨な死を遂げる主人公。しかし、その主人公の純粋な信じる心に憧れたラデックは、己の人生がハッピーエンドかどうかは自分次第であると信じていた。
しかし、今ここで彼女達を殺せば、ハッピーエンドは自分の力のみで達成できるという理想を汚してしまうような気がした。彼女達は本当に幸せにはなれないのか? じゃあ自分もそうじゃないのか? だが、ラデックには“彼女達を救おう”という提案ができなかった。心の奥底で、彼女達にハッピーエンドは訪れないと思い込んでしまった。
そして何より、彼女達を殺す自分を想像してみても、特別悪いことをしたという実感が湧かなかった。
「……俺は」
ラデックが一歩前に歩き出した瞬間、後ろから強く腕を引かれた。
「……ラルバ?」
「殺すな」
手を引いたのはラルバだった。彼女はいつになく真剣な眼差しでラデックを睨んでおり、そこにはいつもの獰猛さや野蛮さは無かった。ラデックには特別殺意などは存在していなかったが、ラルバの強い制止に応じて深く頷いた。その後、ラデックも、ラルバも、ハピネスも、イチルギも、誰一人として今回の一件への疑問が晴れることはなかったが、誰一人として言及する者はいなかった。
神の子が戻るまでの間、ラデック達は女性達の治療に専念した。女性達の心が修復されることはなかったが、幸い外傷の殆どは無事治療が完了した。そしてラデックが一息つこうと顔を上げると、部屋にラルバがいないことに気がついた。
「あれ……ラルバは?」
ラデックがイチルギ達の方へ目を向けると、苦虫を噛み潰したような顔で目を逸らすイチルギと、嘲笑うような不気味な笑顔をしたハピネスがいた。
「……ああ、“お楽しみ”か」
ラデックは部屋の唯一の出入り口である通路を見上げる。そこにはいつの間にか縄梯子がかけられており、僅かに血が滴ってきているのが見えた。




