84話 中身の腐った隠れ蓑
〜スヴァルタスフォード自治区 国境付近〜
「さて、これからどうするかだが――――」
「車!! 車で行こう!! ほら!! 街に中古車売ってたじゃん!!」
「ラデック達とナハル達が食料や備品の買い溜めもしてくれたし――――」
「じゃあ船にしよう!! 海あるし!! 使ってない漁船の一つや二つあるよ絶対!! ねえ!! ダクラシフ商工会に寄ろうとか言わないから!!」
「1週間は保つだろう。それにグリディアン神殿の時とは違い――――
「せめて私にバイクを買って!! もうこの際自転車でもいいから!!」
「この辺は自然も豊かだ。水もたっぷりあるし、飢えることはないだろう――――」
「歩くのは嫌です!! 歩くのは嫌です!!」
「幸い、道中には小さい集落も多い。ひとまず西に向け歩こう」
「うわあああああああああああああああ!!!」
夜が明け、一行は今後の方針について話し合っていた。ハピネスが喚き狂う横でハザクラが涼しい顔で提案をすると、ハピネス以外の全員は異論なくそれに従うことにした。ハピネスの次に文句を言いそうなラルバも、今回は特に意見がなかったようで露店で買った吹き戻し笛で「ぴぃーっ」と返事をした。
しかし、ハピネスだけは頑なに譲らずハザクラに泣きつく。
「なあハザクラ君!! どうして!? どうしてこんな酷いことをするの!? どうしてか弱い盲目の淑女を歩かせようとするの!?」
「か弱い盲目の淑女をバイクに乗せる方が酷いだろう」
「前見えるもん!!」
「あとその盲目を盾に我儘を言うのやめてくれ。実際に盲目で困っている人間を茶化しているようで非常に不愉快だ」
「じゃあバイク買って」
子供じみた押し問答にハザクラはうんざりして溜息を吐く。ハザクラには言っても意味がないと諦めたのか、ハピネスはカガチの方へ寄って行ってロープをを取り出す。
「ねえねえカガチちゃん。可愛い可愛いゾウラ君を延々と歩かせ続けるのは庇護者として受け入れられないだろう? 板をこの紐で結ぶから引っ張ってあげなよ。ついでに私も乗っていい?」
ハピネスがモラルの欠片もない提案を言い終えると同時に、ジャハルが背後から早足で近寄り、思い切りハピネスの脳天に拳骨を振り下ろした。
「がっ――――!!!」
「使奴を何だと思っている……!!!」
「……つ、使い捨て性奴隷の略称」
「申し訳ないカガチ。この馬鹿には強く強く強く強く言って聞かせる。どうか許してくれ。いや、許さなくて良いから殺さないでやってくれ。数十発は殴ってくれて構わない」
「いや……不快感よりも感心の方が強い。よくもまあ蟻と象程の力の差があるのに喧嘩を売れたものだ……」
カガチが汚物を見る目でハピネスを見下ろすと、ハピネスは痛みに震えながらも答える。
「……か、感心してくれたなら少し気を遣ってくれてもいいよ?」
「そうだな。気を遣ってその使い物にならない目玉を抉るだけで許してやる」
「ゾウラ君助けて!!」
「いけませんよ。カガチ」
「……はい」
ハピネスがゾウラの後ろに隠れると、カガチは構えた人差し指と中指をそっと下げる。
極めて無駄な生産性のない議論が済むと、一行はテントを片づけ西へ向けて歩き出した。
〜恵天の森〜
行商人が利用しているであろう街道はすぐに途絶えてしまい。案内板と泣き喚くハピネスを無視して道を逸れ、草原を抜け、景色は次第に森へと変わっていく。先頭を歩くハザクラ、ラルバ、シスターは各々周囲を確認しながら、地図とコンパスを頼りに進んでいく。
「疲れたー!! ゾウラ君おんぶしてぇー!!」
「どうぞ」
「おやめ下さいゾウラ様」
一行の最後尾で喚くハピネスと、それに付き合わされているゾウラとカガチ。先頭を歩いているハザクラは、若干軽蔑するような眼差しを送り溜息を吐く。
「……元気な奴だ」
ハザクラが何度も地図を見直して確かめるように指でなぞっていると、すぐ後ろを歩いていたラルバが吹き戻し笛で地図の1ヶ所指し示した。
「ぴぃーっ」
「何だラルバ」
「ぴぃーっ」
「顔に当てるな。何だ」
「暇なので次の目的地の解説をお願いします」
「……まだ決めていない。ただあの辺は国が密集しているから、ある程度接近したら目的地についての話し合いをしたいと思っている。どこに行くにせよ、一度西へ行かなくてはならないんだ」
「国が密集って言葉、何か面白いね」
「旧文明とは違い、今は全ての陸が誰かの領土になっているわけではないからな」
ハザクラは別の地図を取り出して、ラルバにも見えるように傾ける。
「次の目的地となっているのは“氷精地方“だ。あの辺にある国は……。”ダクラシフ商工会”、”愛と正義の平和支援会”の二大国。その周辺に”爆弾牧場”、”崇高で偉大なるブランハット帝国”、”ベアブロウ陵墓”と、その従属国の”キュリオの里”。そして”バルコス艦隊”、”三本腕連合軍”、”狼王堂放送局”と、9カ国が1ヶ所に集まっている。中には領土が隣接している国も……と言うより、珍しく隣接していない国境の方が少ない。今は旧文明とは違って公陸がやたらと多いからな」
「ふぅ〜ん、変なの」
「国土の広さは国力に直結する。これもイチルギ達が初期に定めた政策だそうだ」
ハザクラは後ろの方にいるイチルギを一瞥すると、再び前を向いて歩き出す。それにラルバも続こうと一歩踏み出すが、視線を感じて振り向く。
「なによシスター。吹き戻し笛欲しいの?」
「いや、違いますけど……」
シスターは呆れたようにラルバを睨む。
「……今回は随分と素直に従うんですね」
「何よ“今回は”って」
「ラデックさんから聞きましたよ。いつも我儘ばかりで、特にハザクラさんやジャハルさんとはマトモに取り合わないって」
「それはラデックの嘘だよ」
「何を企んでいるんですか?」
「……シスタん。君意外と偏屈なのね」
シスターの何処か敵意の籠った眼差しに、ラルバは下唇を小さく噛んで睨み返す。そして、諦めたかのように溜息を吐いた。
「シスターは“漆黒の白騎士”って聞いたことある?」
「はい? ええ、まあ。御伽噺の英雄ですよね?」
「あ、そっちだと英雄になるんだ」
「地方によって解釈が異なるそうです。笑顔による文明保安教会では、悪を滅ぼす正義の英雄と言われていたと思います。たしかグリディアン神殿では、歩いた後を砂漠に変える破壊と再生の権化だとか……。それがどうかしましたか?」
「企んでること話せって言ったじゃない。今の所は、その“漆黒の白騎士”の討伐」
「え……お、御伽噺ですよ……!?」
「実在すると思うんだけどなー。じゃなきゃ世界的に名前は広がらないでしょ」
「……それで言うと、“魔人神話”はどうなるんですか?」
「魔人神話……ああ、そう言えばクザン村にも魔人神話あったねぇ。魔人も探さなきゃ。目的4つになっちゃった」
「いないと思いますけどね……。4つ? あと2つは?」
「通り魔の討伐。なんか知らない? 今の所、ハピネスの目撃証言しかないんだよねぇ。緑の髪で毛先が少し水色の使奴」
「……さあ」
「おっぱいはFかGカップくらい」
「……さあ」
「役立たず」
「最後の目的は氷精地方ですか?」
「いいや、あっちの町に向かうこと」
そう言ってラルバが唐突に進行方向とは少しそれた方向を指差す。シスターが指差す先に目を向けるが、木々が立ち並ぶばかりで人工的なものは一切見当たらなかった。
「町……?」
そこへハザクラが近づいてきて、地図を片手に辺りを見回す。
「この辺は何の手入れもされていないただの公陸だ。一番近い町はスヴァルタスフォード自治区か、少し戻ったところにある農村だけだろう」
しかし、イチルギがラルバの指さした方向を目を細めてじぃっと見つめると、少し驚いたように声を漏らした。
「……本当だ。波導が違う」
皆がイチルギに目を向けると、イチルギはラルバを一瞥した後に口を開く。
「この辺は地形的に魔力が乱れる筈はないの。山も少ないし海からも離れてる。ましてやこういう森の中じゃ、風も波導もそう変化しない。でも、本当に微かだけど、あっち側だけ波導が濃い。それが町かどうかは分からないけど、確かに少し違和感がある」
イチルギが言い終わらないうちにラルバが歩き出す。皆が呆気に取られ、半ば思考停止したままついてくるのをいいことに、ラルバは満足そうに鼻を鳴らす。
「正直、町って言ったのは勘だ。旧文明の座標で言うと、あの辺には“パルキオンテッド教会”があった筈。小さな教会だが、確か地下に大昔の防空壕があったっけ。そこで新種のバクテリアが発見されて、それが長寿の薬の研究に大きく貢献をした。ま、今はもうどうでもいいことだがな。重要なのは“防空壕があった”ってこと。この辺は小さい町だったし、200年前の大戦争では皆あの防空壕に閉じ籠ったに違いない。だが……」
ラルバは足を止めてイチルギの方を向く。
「イチルギはそれを知らない」
「……ええ。少なくとも、パルキオンテッド教会に防空壕があるなんて、今初めて知ったわ」
「だろうな。私の記憶でも相当新しい情報だ。第二世代の使奴の製造時期よりも後に発見されたのかもなぁ。イチルギの仲間に三、四世代の使奴はいなかったのか?」
「ん〜……。ジルファは第三世代だけど、あの子は基本拠点での作業だったし……」
「じゃあ、これから行く所はまだ誰も踏み入れてはいないわけだ」
「でも、探検家や冒険家は比較的一般的な職業よ。それにこの辺は狩人も多い。町なんてあったらすぐに分かるわ」
「でも、それが“なんでも人形ラボラトリー”の時みたいに見えない要塞とかだったら?」
「………………」
「全世界を脅かす空前絶後の大戦争だ。隠蔽魔法くらい別に難しいもんじゃない」
ラルバの推測にイチルギは口元を押さえて黙り込む。皆ラルバの我儘を聞き入れたわけではなかったが、珍しくラルバに従ったイチルギに賛同して目的地の変更を受け入れた。
〜恵天の森 歪んだ境界〜
「もう少し右向いて」
「こうか?」
ラデックはラルバの指示通りの場所に立ち、前を向く。目の前には相変わらず何の変哲もない森が広がっており、陽が沈みかけてオレンジ入りの木漏れ日辺りを覆い尽くしていた。その幻想的な空間に見惚れていると、ラルバがパンッ!と手を叩いて合図を出す。
「はい! じゃあそっから真っ直ぐ前に歩け。真っ直ぐだぞ」
ラデックは言われた通りに真っ直ぐ前に進む。そして20歩程度前に進んだところで、ラルバが声をかける。
「はいストップ! こっち向いてー」
ラデックはピタリと停止する。そして振り向くと、真後ろとは大きくずれた右後ろのあたりにラルバが立っていた。しかしラデックはこの事実を気にも留めず首を傾げる。
「これは何の実験だ?」
「なんの実験か分からんか?」
「全く」
ラルバが小さく鼻で笑い、周囲の反応を見る。シスターやハザクラ、ジャハル、ゾウラといった人間組は同じく首を傾げているが、ナハルとカガチは眉を顰めて怪訝そうな顔をしていた。そして、中でもイチルギはとりわけ酷い顔をしていた。口元を手で押さえ、信じられないといった様子でラデックを見つめている。
そんなイチルギの様子を見て、ラルバはにやぁっと笑いラデックに向き直る。
「ラデック。私は“真っ直ぐ歩け”と言った筈だが?」
「ああ。言われた通りに真っ直ぐ歩いたが……」
「ほう。お前にはコレが真っ直ぐに見えるのか」
そう言ってラルバが足元に手を翳すと、追跡魔法によってラデックの足跡が淡く発光した。その軌道は真っ直ぐとは程遠い円弧を描いていた。ラデックはこの事実に身体を強ばらせて驚き、コレを見ていた人間組も同じようにハッとした顔で目を見開く。それを煽るようにラルバは足元を指差す。
「やっと気がついたか。本当は私が声をかけた時に気付いて欲しかったんだがなぁ。私から真っ直ぐ離れたなら、声は真後ろから聞こえなきゃおかしいだろう」
「言われるまで気にならなかったな……」
魔法によって淡く発光する足跡から、波導煙が湯気のように立ち昇る。その魔力を含んだ煙は風に煽られるように揺らぐが、風向きとは逆方向に棚引いている。
イチルギは波導煙を揺らしているであろう“風とは違う何か”の方向へ歩き出し、恐る恐る手を前に突き出す。すると、側から見ている分には何も分からないが、イチルギ本人は険しそうに顔を歪めて目を細めた。
「…………これは、防壁魔法と、隠蔽魔法と…………、混乱魔法……と」
その後ろからラルバがしたり顔で近づき、同じように手を突き出す。
「んふふふふふ。多分“ヘングラスの檻”だな。視聴覚と無意識に干渉する最新型の隠蔽魔法だ。この近くを通る人間は無意識にこの空間を避けてしまう……。さっきのラデックみたいにな。ただ、今もまだこの効力で防壁が維持されているってことはー。中に術者ないし集団がいるのは確定だねぇ」
そしてラルバは“見えない壁”の中に躊躇なく足を踏み入れ、勇ましく前へと進んでいく。イチルギ達は一瞬躊躇うも、何も言わずにラルバへと続いた。
先頭を歩くラルバは嬉しそうに呟く。
「200年間外界と断絶されて熟成された集落……。どんな人畜生が幅を利かせているのか楽しみだねぇ」




