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シドの国  作者: ×90
スヴァルタスフォード自治区
82/285

81話 裏切りと惑溺

〜廃棄された森〜


「ヘレンケルさん。戦う前に一つ、質問を良いですか?」

 ラデックがヤクルゥに弾き飛ばされた後、取り残されたシスターは緊張で跳ね上がる鼓動を抑えつけながら平静を装っていた。

「俺の興味次第だな」

 しかし、ヘレンケルはシスターの心を見透かしており、いつの間にか手にしたレイピアを構えてシスターの方へゆっくりと近づいてくる。

「先程“支配者を目指す”と仰っていましたが……、何故支配者を目指す者が自ら戦場の最前線に立っているんですか?」

「あー……本当なら最前線じゃあなくなる予定だったんだけどな。ちょいと傭兵に逃げられてよ。でも、だからって尻尾巻いて逃げるのは格好がつかねぇだろ。格好がつかねぇ奴には民もついてこねぇ。それに……この程度のちゃんばらごっこ、戦闘に入らねぇよ。お前、まともに戦ったことないだろ。そのナイフの握り方じゃあ力は入らねぇ」

 ヘレンケルの指摘に、シスターは一切怯まない。それどころか、肩の力を抜いて静かに構えていたナイフを下げた。

「まともに戦ったことがないのは、あなたも同じですよね」

「王たる者、暗殺者を返り討ちにする程度には腕っ節がなきゃ務まらねぇ。知ったかぶりは恥かくだけだぞ」

 ヘレンケルはそう言いながらも、自分から動こうとはしなかった。複数の防御魔法を周囲に施し、飛び道具や魔法による攻撃を警戒した。

 シスターは見るからに落ち着いており、先程とは打って変わって動揺の色が見受けられない。それは、今度こそ強がりなどではないように感じられた。ついさっきまで恐怖に震えているように見えたシスターが、戦闘直前になって冷静さを取り戻す。その理由がヘレンケルには分からず、初動を遅れさせた。そして、ヘレンケルは自らがシスターを討ち取るよりも、ヤクルゥが帰ってくるのを待った方が確実に勝利できると考え挑発を続けた。

「何だよ急に冷静になりやがって。気味の悪い奴だな」

 そしてレイピアの鋒をシスターに向けて、迎撃の構えを取ったまませせら笑う。しかし、シスターはそんなヘレンケルの取り(つくろ)った態度を見透かして冷たく呟いた。

「臆病者で嘘吐きのあなたには理解できないことです」

 基本的に、ヘレンケルに挑発は無意味である。彼にとって、臆病や嘘吐きなどの欠点が自分に多くあることは自覚している事実であり、それらは優秀な人物を演じるために必要不可欠な要素であると理解していた。故に、臆病者の嘘吐きなどという言葉は単なる事実であり、価値を(おとし)める悪口になり得ない。しかし、シスターの言葉は彼を揺るがした。シスターの挑発は恐怖心の裏返し――――そこまでは推測できたが、その恐怖心が何に対する恐怖なのか理解できなかった。シスターが何を怖がっているのか、そして今何を企んでいるのか。誰かの行動原理の一切が理解できないという経験は、ヘレンケルにとって使奴との会話を除き初めてのことであった。

 互いに得物を持ったまま微動だにせず、睨み合ったまま動かない。しかし、ヘレンケルは優秀であるが故に混乱に(おちい)り、その分思考に余裕のあるシスターの方に僅かな分があった。

 森の何処か遠くで草木の軋む音と衝撃音が木霊(こだま)している。それは木々のざわめきに掻き消されてしまうような小さな音であったが、ヘレンケル、そしてシスターの耳にはやけに大きく聞こえた。




「いいですか、シスター様。もし万が一私がいない時に敵と遭遇した時の対処法を教えておきます。でも、これはあくまで姑息な付け焼き刃であるということを理解しておいて下さい」


「まず、貴方が戦闘ができることを悟られてはなりません。相手が使奴であれば話は別ですが……。一通りの武器の下手な持ち方を教えておきます。大体の相手はこれで(だま)せるでしょう」


「使奴寄りや相当な実力者相手に嘘を吐き続けてはいけません。半分以上は本心を晒して下さい。(むし)ろ、見せてはいけない本心を優先的に。人は見えている弱点よりも見えない嘘を覗こうとします。そして、警戒し続けさせるという行為それそのものが致命的な足枷になります」


「後は……隙を見て逃げるか、一撃で仕留めて下さい。できれば逃げて――――」




 シスターは胸に手を当てて、懺悔(ざんげ)するように目を閉じた。

「……ごめんなさい。ナハル……」

 目を閉じた瞬間、ヘレンケルが音もなくレイピアをシスターに向かって突き出した。ヘレンケルにとっては、今のシスターが閉じた目が油断だろうと罠だろうと踏み出さざるを得なかった。才のあるもの同士の戦いでは、巧遅と拙速の取捨選択こそが命取りになると知っていたからである。

 そして、レイピアはそのままシスターの喉元を貫いた。ヘレンケルはシスターが避けることを想定して攻撃していた為、全く避けようとしなかったシスターの急所は外してしまったが、それでも常人には十分な致命傷。細い刀身が絹のようなシスターの肌を突き破り、傷口から小さく血を噴き出した。

 それでもヘレンケルは決して油断しなかった。逆転不可能な致命傷を与えて尚、これが混乱魔法による幻覚でないことを確認していて尚、最後に負けるのは慢心した側だということを、今まで負かしてきた数多の俗物から学んでいたからである。

 にも(かかわ)らず、ヘレンケルは選択を誤ってしまった。一見完璧にも見える彼の選択。時間的アドバンテージを与えず、弱者と(あなど)らず反撃を最大限警戒し、異能の発動条件となる接触や応答を最小限に留め、勝利を確定する一撃を加えた後も決して一欠片の油断もしなかった。しかし――――――――


「……あ?」


 (まばた)きをしたヘレンケルの目に映っていたのは、太い木の幹と、そこに突き刺さる自分のレイピアだった。

「ごめんなさい」

 そして、そのレイピアを持つヘレンケルの手に、そっとシスターの手が被せられる。滑らかで美しい、シミ一つない華奢(きゃしゃ)な手。しかしそれは、ヘレンケルの目にはまるで魔獣の舌のように恐ろしく不気味に感じられた。

「――――ストロボ」

 シスターが異能を発動すると、ヘレンケルはそのまま動かぬ人形となった。




 戦闘を終え戻ってきたラデック達が目にしたのは、レイピアを突き出した姿勢のまま固まるヘレンケルと、そこに寄り添うシスターの姿であった。

「……遅かったですね。我儘(わがまま)を言うと、もう10分早く来て欲しかった」

 額に汗を浮かべたシスターがラデックに微笑むと、ラデックの隣にいたヤクルゥが血相を変えてヘレンケルに走り寄る。

「へ、ヘレンケル様っ!!」

「心配要りません。無傷ですよ」

 ヤクルゥは今すぐにでもシスターを突き飛ばしたかったが、ラデックとの停戦の約束を思い出し狼狽(うろた)えて2人を交互に見た。ラデックはシスターに視線を戻し、小さく(うなず)く。

「ヤクルゥには手を出さないよう頼んである。シスター」

 シスターは安心したかのようにヘレンケルから手を離した。その直後、ヘレンケルは止まっていた時間が動き出したかのように姿勢を崩し、それをヤクルゥが支えた。

「ヘレンケル様!! ご、ご無事ですかっ……!?」

 今にも泣きそうなヤクルゥに支えられながら、ヘレンケルは辺りを見回してからシスターを睨む。

「何をした?」

 シスターは目を逸らして少し悩むと、ラデックを一瞥(いちべつ)してから口を開く。

「……口外しないと、約束をして下さい」

「あ? するする。誰にも言わねぇから、さっさと教えろよ」

「…………私の異能です。記憶操作の異能……、貴方の直前の記憶を消したんです。それをストロボスコープのように小刻みに発動させ続けると、まるで時間が停止したかのように動けなくなります」

「一撃必殺の異能持ちっつーのは態度から察してた。俺が聞きてぇのはその前だ。どうやって俺の攻撃を避けた。あの時、確かにテメェの首を貫いた(はず)だ」

 シスターは顔を大きく(ゆが)め、絞り出すように言葉を(つむ)ぐ。

「……つ、通信魔法と複製魔法を組み合わせた立体映像、所謂……ホログラムです。ヘレンケルさんの視点から見た私の姿を、複製魔法によって表層だけ再現しました」

「ホログラム? 何でホログラムから血が出んだよ!!」

「……薄く張った霧魔法の粒子を複製魔法を映すスクリーンにしたんです。霧の粒子を予め組んで置いたプログラムの通りに動かすことで、(あたか)も物理的影響を受けたかのように見せかけました」

「……どこまでが本当でどこまでが嘘だ?」

「全て本当です」

「ふざけるな!! そんな機械みたいな魔法の併用、使奴でもないのにできる筈ねぇだろ!! 仮にテメェがサヴァンだったとしても無理だ!!」

 興奮気味に反論するヘレンケルの威圧に、シスターは辛そうに顔を背ける。すると2人の間にラデックが割って入り、シスターを庇うようにヘレンケルと対峙(たいじ)した。

「話を戻す。この戦いは2戦2勝で俺達の勝ちだ。コモンズアマルガムへの侵攻を止めろとは言わないが、俺達にはもう干渉しないでもらえるか」

「……ああ?」

 ヘレンケルが眉を(しか)めながらラデックを睨む。その翡翠(ひすい)のギョロ目が、今まで以上に鋭く怪しく光る。しかし、ラデックは怯むことなく言葉を続ける。

「シスターが本気を出せば、記憶操作でお前の記憶全てを消すこともできた。それに、ヤクルゥも俺が異能を解除しなければ死人も同然だっただろう」

「情けをかけてやったんだから見逃せっつーのか」

「そうだ。情けに免じて見逃してくれ」

「コモンズの屑野郎が……、何が目的だ気持ち悪りぃ」

「目的は達成された。でもって俺達はコモンズアマルガムの味方じゃない。悪魔郷の味方でもないが」

「……はぁ!? じゃあテメェら何の為にっ……!!」

 激昂(げきこう)するヘレンケルを(なだ)めるように、ヤクルゥがヘレンケルのマントの端を摘んだ。

「何だヤクルゥ!! お前何聞いた!!」

「あ、その……あ、え、えっと……」

 脂汗を浮かべて困惑するヤクルゥを見て、ヘレンケルは舌打ち地面に唾を吐きラデック達に背を向けた。

「……チッ。ヤクルゥ。お前は前線のカバーに入れ。ダッシュ」

「え、あ、は、はいっ」

 ヤクルゥが猛スピードで走り去っていくのを見届けると、ヘレンケルは大きく溜息を吐いてラデックを睨む。

「……テメェのせいで、ウチのヤクルゥが使い物にならなくなっちまったじゃねぇかよ」

「申し訳ない」

 ラデックが淡白に頭を下げて、形だけの謝罪をする。

「はぁ〜……。 ま、ヤクルゥが(たぶら)かされるっつーことは、それなりに筋の通った話なんだろ。コモンズアマルガム襲撃は止めねーからな」

「構わないが……」

「どうせ世界ギルドも来んだろ?」

「――――! 知っていたのか?」

「いや、イチルギ総帥が退陣してから毎日警戒してた。あの正義馬鹿の使奴が、この国を放っておく筈ねーからな」

 ヘレンケルは欠伸(あくび)を一つ漏らすと、気怠(けだる)そうに森の奥へと消えて行った。それを見届けてから、ラデックはシスターと共にハザクラ達の方へ歩き始めた。

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