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シドの国  作者: ×90
スヴァルタスフォード自治区

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80話 気弱な怪傑

〜廃棄された森〜


 このまま戦闘が長引けばラデックの敗北は確定も同然であった。ヤクルゥの速度は使奴寄りの身体能力そのものだけではなく、明らかに魔法で強化されたものだった。しかし、それを考慮してもヤクルゥの速度は異常であった。

 ラデックの身体能力は使奴とまでとは行かないものの、使奴寄りのソレとは比べ物にならない程高い。ましてや異能はこの旅の間に大きく成長し、今や一部の使奴にも匹敵する程の膂力を得ることが可能である。にも関わらず、そんなラデックの目にすら映らないヤクルゥ。彼女と出会ってから最初に食らった一撃は目で追えていた筈なのに、今や気づいた時には攻撃される直前で、そのどれもが想定していた中で最も恐れていた死角。

 そして、何より痛手なのが指を吹っ飛ばされてしまったこと。この暗闇に落ちた指を探すことは困難で、それにより虚構拡張のために指を組むことが出来なくなってしまった。虚構拡張を使うことができれば、改造の異能を発動するための接触と暗闇という不利な条件の両方を解決することが出来たが、判断が遅れたためにその機会を失ってしまった。

 そんなことを考えている間に再びの気配。ラデックは最早敵の方向を確認している余裕はないと前方に大きく身を転がすが、そのせいでヤクルゥの追い討ちを許してしまい、振り回されたハルバードがラデックの肋骨を叩き割った。ラデックの胸から勢い良く血が噴き出ると、血に触れまいとヤクルゥは再び闇へと姿を消した。

 ヤクルゥはラデックの恐ろしい異能に気がついていた。致命傷をも瞬時に治す異常な回復力と、粘土の如く歪にひしゃげたハルバード。自己治癒と物体の変形という、生物非生物を問わない広い影響範囲。逃げ回る自分に攻撃が飛んでこないことによる、接触という条件の把握。もし体内から連続して噴き出した血すらも接触判定を持つならば、触れた瞬間に自分が変形させられてしまうだろうという警戒。そして、彼女はごく僅かな可能性であっても“自分の異能”が推測されていることも考えていた。

 疑心と不安を煽る夕闇の森の中、ラデックは胸の傷に掌を押し付けながら目を閉じた。そして、いつぞやラルバに言われた言葉を思い出す。


「先手の行動は後手にとって値千金の判断材料になる――――」


 ラデックは血に塗れた自分の掌を見つめると、胸の傷を治すこともせず近くの木に縋りついた。ラデックが木に触れると、異能により改造を施された幹が(たちま)(とぐろ)を巻いてラデックを包み込む。ヤクルゥは何か罠があるだろうと思いつつも、中で治療をされること、もう少し言えば地面から何処かへ逃げられてしまうことを恐れた。ヤクルゥは”異能を使って“ラデックに接近し、両手のハルバードを振りかぶる。その直後――――――――

 突然身体が思うように動かず崩れ落ちた。何が起きたかもわからず、ヤクルゥは倒れたまま下手くそな操り人形のようにのたうち回る。

「やっぱり、一撃必殺にはコンフィグ弄るのが一番だな。練習しておいてよかった」

 木の幹がゆっくりと開き、中からラデックが顔を覗かせた。そしてラデックは”何故かなくなっている右腕“の切断面を撫でる。

「気付いているかもしれないが、俺の異能は”生物の改造“だ。無機物にも少しの変形程度なら干渉できる」

 ラデックの右腕が、根本からゆっくりと元に戻っていく。

「改造には接触が必須だが……、ヤクルゥが俺の血を避けた時に閃いた。接触という条件は、”俺の体の一部が少しでも触れていれば満たされる”んじゃないかと」

 よく見れば、ラデックの右腕から細かい糸のようなものが生えているのが見えた。糸はどこからともなくラデックに集まり、右腕を形成していく。

「体積や質量の増加はしんどいが、こうやって細かい糸にすれば多少は楽だ。あとは蜘蛛の巣みたいに空間に張っていれば、獲物が来た瞬間に異能が発動できる。まあ、その時に糸を引き千切られて凄まじい激痛を伴うが……。太いと気付かれてしまうから仕方ない」

 ラデックは元通りになったばかりの右腕の動きを確かめるように肩を回す。その間ヤクルゥの反撃が来ないことに安心したのか、タバコに火をつけて深く息を吸った。

「結局、ヤクルゥの異能は俺には分からなかった。よかったら聞いても良いか?」

 ヤクルゥは地面に倒れ込んだままラデックを見上げる。何度も身体を斬りつけられたというのに本人は平然としており、その表情に怒りや恨みの類は一切感じられなかった。ヤクルゥはその意志の強さに萎縮し、また、敬意を表して観念したようにぼそりぼそりと呟き始めた。

「あ……あの、えっと……その……きょ、恐怖の、方向です」

「恐怖の方向?」

「あ、そ、その人が……怖いな、やだなって思ってる所に、あの、行ける……異能です……」

「敵が想定している最悪の奇襲を行える瞬間移動の異能か」

「あ、いや、あの……速く、動けるだけで……その……ガラスの向こうとかは出来ないし……あの、金網とかもダメで……えっと、あ、あと……直接見なきゃいけないっていう条件が、あの、はい」

「あくまで直線移動で到達できることと、直視することが条件か……こんな夜の森なんか最適の戦場だな。しかし、移動系の異能保有者が幼年期を無事に過ごせる確率は極めて低い。よくその年齢まで生き延びることができたな」

 ラデックの言葉に、ヤクルゥはバツが悪そうに押し黙る。


 異能とは、一部の人間が生まれながらに習得している原理不明な魔法の総称である。そして、様々な理由から異能保有者が無事に少年期を終えられることが極めて低いため、旧文明では異能は”魔法“ではなく”病気“として扱われることが一般的であった。

 通常の魔法が文字や計算といったものと同じように学習によって習得されることに対し、異能は生まれた時から自在に使用できる状態にある。魔法は刃物や爆弾と同じく、扱い方を間違えれば死に直結する危険物である。そんな危険な魔法を幼年期から自在に扱えるというのは、生まれながらに手榴弾のピンを指に嵌めている状態と言ってもいい。

 例えばラデックの”生命改造“を持って生まれた異能者であれば、子供の頃に自分の体を難なく改造し、その結果元に戻れなくなって臓器不全等で死んでしまう場合が殆どである。ハザクラの”無理往生“の異能であれば死を願った瞬間に不可避の自殺に陥り、バリアの”物理法則無視“であれば慣性を無視して星の自転から一瞬で宇宙の彼方に置き去りにされるだろう。仮にハピネスの覗き見の様な物理に関係しない異能も、その希少性と有用性から保有が発覚した途端に全世界から狙われてしまう。どの異能者も、幸福に育つ過程で必ず死の縁を歩くことになってしまう。

 これらの事情から、無事に青年期を迎えた異能者は例外なく”異常な過去“を経験していると推測できる。


 ヤクルゥは過去のことを一瞬思い出すも、トラウマに苛まれ拒絶する様に目をギュッと閉じた。ラデックは黙ったままのヤクルゥの側でタバコを吸い終えると、彼女の頬に手を当てて治療を施した。

「………………えっ?」

 ヤクルゥは自分の四肢が自由に動くことに驚き小さく声を上げる。

「どこか変な所はないか?」

 ヤクルゥは自分の顔を覗き込むラデックのことが理解できずに、座り込んだまま後退った。

「な、なんで……なお、治したんですか……?」

「ん? いや、異能で色々弄ったから俺以外に治せる奴がいない」

「………………?」

「恐らく俺達はこの後すぐに国を出ることになると思う。今治しておかないと、今後治す機会がない」

「治す……機会?」

「え? 治らないと困るだろう?」

 噛み合わない会話にヤクルゥは混乱する。

「あ、あの……いや、あ、え……えっと。わた、私……敵……ですよ……?」

「そうだな。それで俺が勝った」

「…………私が、もう一度……その……あ、あなたを……襲ったら……?」

「反撃する」

「……? な、何が狙い――――」

「あっ!!」

 突然大きな声を上げるラデック。ヤクルゥはびっくりして目を見開いてラデックを見上げる。ラデックは顔の半分を手で押さえて眉を顰めた。

「あの時の信者……治すの忘れてた……ああ、でも悪人だからセーフか……?いや、気分が悪いな……くそっ……」

 ラデックは“笑顔による文明保安教会”侵攻時のことを今更ながら思い出していた。そんなラデックをヤクルゥは呆然と見つめており、少しだけ俯くと徐に立ち上がった。

「あの……あ、えっと……その……ラ……ラデック……さん」

「ラデックさんだ。どうした?」

 ヤクルゥは顔を背けながら、自分の過去についてぽつりぽつりと話し始めた。

「あ、あの……わ、私は……その……捨て子…‥だったんです。その……貧民街で……」

 ラデックは黙ったままヤクルゥの横顔を見つめた。


 ヤクルゥの一番古い記憶は、兄弟姉妹と共に大きな荷車を押している時だった。長い長い土の坂道を、下で荷物を積んで家族みんなで運ぶ。日が昇ってから沈むまで働いて2個のパンを貰う。それから傘と鉄パイプで作った小さな家に帰って、石のように固いパンを泥水でふやかして食べた。水も凍てつく極寒の夜を、家族みんなで抱き合って耐えた。家族の中でも比較的体が小さかったヤクルゥは、兄や姉に挟まれて眠った。兄や姉もヤクルゥと歳はそう離れていなかったが、体が大きいからというだけで弟妹達を守ってくれていた。恐らく兄弟達は互いに誰とも血は繋がってはいなかっただろうが、兄弟達は本物の家族のように過ごしていた。

 ある日、そこへ1人の青年がやってきた。身なりのいい青年はボロボロの服を着て働く子供達を眺めると、真っ直ぐにヤクルゥの元へ歩いてきた。

「お前は“使奴寄り”だな。ウチに来い。お前を買ってやる」

 ヤクルゥの家族が青年を警戒していると、そこへ仕事場を取り仕切る中年の女が近づいてきた。

「アンタ!!うちの子供達に何してんのヨ!!仕事が進まないじゃないノ!!」

 青年は喚き散らす女を一瞥すると、一切の躊躇なく魔法で吹き飛ばした。そしてヤクルゥ達が運んでいた荷車を軽々担ぎ上げて、起き上がろうとする女目掛けて投げつけた。そして、手を叩いてヤクルゥ達に向き直る。

「お前らはたった今失業した。でもって再就職だ。ウチは実力主義。美味い飯が食いたかったら頭使って働け!!」

 青年の正体は当時大学生だったヘレンケルであった。ヘレンケルはこの時期から自分の理想の国を創り上げるべく仲間を増やしていた。自分が天下を取るときに横に立つ優秀な人材。それらを安く確実に仕入れるために違法児童労働者を掻き集めていた。彼もまた陰で違法に子供を働かせて賃金をせしめてはいたが、彼の目的は金稼ぎではなく児童の育成にあった為、その殆どを様々な形で子供達に還元した。当時の一般的な価値観で見れば明らかな強制労働と違法搾取だったが、子供達は生まれて初めて自らが自由に使える金銭に喜び、ヘレンケルを信頼し敬愛した。

 当時から現在にかけてのヘレンケルの行動はお世辞にも褒められたものではなかったが、ヤクルゥを始めとした違法労働者の子供達にとっては救済者以外の何者でもなかった。


「――――あ、あの人も……ヘレンケル様、も、やってることは悪かったんですけど……その……私達は……その、すごい助かってて……」

「……異能で死亡しなかった理由は、幼年期に接する人間が極端に少ないことと、強制労働による行動範囲の狭さか。すまない。嫌な事を話させてしまった」

「あ、いえ……あ、あの……ラ、ラデックさん……は……?」

「俺の境遇か? 俺も似たようなものだ。ヤクルゥよりは相当良い暮らしだったとは思うが、ある実験施設で物心つくまでは機械に育てられて……それからはずっと刑務所暮らしみたいなものだった」

 ラデックの言葉にヤクルゥは目を見開いて詰め寄る。

「そっそんなっ!! 苦したかっ!く、苦しかったことに上も下もありませんっ!!」

「いや……普通に楽しいことは沢山あったし、特別苦しいこともなかったからな」

「でもっ…………あ、え、えっと……その……」

「食事も日に3度美味しいものが食べられたし、甘い間食もあった。自由時間には友人とゲームをしたり色々な本を読んだ。当時は、本の世界と比べて不自由な自分の境遇を恨む日も少なくなかったが……。今思えば、あの刑務所暮らしが子供の俺にとっては普通の幸せだったんだと思う。ヤクルゥ。個人の感じる苦しみにも大小はある。その感覚の共有が少し難しいだけだ。自分の苦しみを棚に上げてでも誰かに寄り添おうとする心は美しいが……、自分に寄り添ってやることも同じくらい大切だ」

 説教にも似たラデックの助言に、かける言葉を見失ってヤクルゥは目を泳がせる。ラデックはどこか頭の隅で“なんでも人形ラボラトリー”に残してきたスフィアを連想しつつ、ヤクルゥが戦意を喪失していることを再び確認し背を向けて歩き出した。

「さて、戻るか。シスターはうまくやっただろうか……」

「え、あ、わ、私もい、一緒に……」

「シスターは襲わないでくれ。恐らく一撃で死ぬし、その後きっと想像を絶する仕返しがくるぞ」

「え、あ、は、はい……あ、その……ラ、ラデック……さん」

「なんだ?」

「その……あ、えっと……あの……その、こんな時に……へ、変な話なんですけど……その、ラデックさんて、あの……こっ……こ、恋、あ、えっと……あ、しょ……将、来の……あ、お、お相手……とか……って……」

「……すまないが、間に合ってる」

 (あからめ)た顔に薄ら涙を滲ませるヤクルゥに頭を下げながら、ラデックはいつだかハピネスに言われた悪態を思い出した。


「この女誑し」


「別に誑かしているつもりはないんだがなぁ……」

 ヤクルゥに聞こえないよう小声で独り言を呟くと、2人はシスター達の方へ向けて森を進み始めた。


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[一言] 誑しすぎだぞラデック君
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