78話 どうかお元気で
〜スヴァルタスフォード自治区 廃棄された森 ゾウラ邸 (ラデック・ハピネス・シスター・ラプーサイド)〜
「ぶはぁっ!!!がはっ!!!げほっ!!!」
暗く深い海の底から脱するようにハピネスは目を覚ました。その横で治療にあたっていたであろうラデックとシスターが、蘇生したばかりのハピネスの顔を覗き込む。
「おお、生き返った」
ラデックが淡白な反応をする。ハピネスは大きく咳込み続けながら、顔を伏せたまま低く唸るように文句を溢した。
「シスターくぅん……、借りイチだからねぇ……」
シスターは軽蔑の眼差しをハピネスに向けたまま、小さく下唇を噛んだ。
「あーあ、気を失ってたからラルバ達を見失ったよ」
ハピネスが目玉をギョロギョロと動かしながら文句を吐き出した。
「大体今何時?もう真夜中じゃん。この暗闇じゃあ見つかりっこないねー。残念だけど、ラデック君の大戦争作戦は中止ぃーっ!」
「決行するが」
ラデックの拒否にハピネスは分かりやすく馬鹿にした変顔をして項垂れる。
「暗闇で見えづらいなら暗視の魔法でもかけたらどうだ」
そうラデックに指摘されると、ハピネスは手をぶんぶんと左右に振ってせせら笑う。
「ラデック君、私が盲目だから勘違いしているかも知れないけれど、私の異能はあくまで“視聴覚を有した思念体を遠隔操作する能力“だ。私に暗視だの遠視だのの魔法をかけたところで異能自体に影響はない。逆はあるがな」
「不便だな」
「不便で役立たずのハピネスお姉さんは一足先に寝させてもらうよ。明日は大妖エレメンタルのDr.ヒューリィと会食の予定が入ってる」
そう告げると、ハピネスは2階へと階段を登って行ってしまった。ラデックが首を傾げていると、シスターが手帳を取り出してペラペラとページを捲った。
「ええと……、Dr.ヒューリィ。昨日私達がコモンズアマルガムの酒場で出会した老人です」
「ああ、霊皮症を悪魔病だと言っていたインチキ学者か」
「……因みにラデックさん。旧文明の技術を用いれば、霊皮症を後天的に発症させたり感染力を持たせることは可能なんですか?」
「う〜ん……。できなくはないだろうが……研究に長い年数と設備を要するだろう。できたとしても、誰もやらなかっただろうな」
「そうですか……」
「もしかして、シスターは今回も使奴研究員絡みだと思っているのか?」
「え、あ、いや、なんとなく……ですけど。なんだかこう、作為的なものが感じられるような気がして。だって、不自然じゃありませんか?この肌の色による差別が何年も続いているってことは……、悪魔郷では霊皮症患者ばかりが、コモンズアマルガムではそうでない人ばかりが生まれてくる。そんなことってあり得るんでしょうか……」
「……そもそも、使奴の無彩色の肌は霊皮症じゃない。恐らく、使奴寄りの白い肌も霊皮症とは無関係だろう」
「え?じゃあどうして使奴の肌は白いんですか?」
「ええと……なんだったかな。確か“素体のメインギア”の異能で細胞が変質して……。すまない、よく覚えていない。だが、それにしたって変だ。使奴の子供が使奴寄りとして肌が白化するのは分かった。だが、それならばコモンズアマルガムには使奴寄りがいるのは不自然だ。使奴の血を引いていないのに髪や目の色が変質することはまず無い」
「そうですよね……。じゃあやっぱり誰かが意図的に……」
「……偶然、旧文明では説明できない霊皮症。それこそDr.ヒューリィの言っていた“悪魔病”が実在する可能性もある。まだ結論は出せない」
「そう、ですよね……」
「……シスター。先にハピネスと2人で逃げることもできる。無理に俺について来なくても平気だ」
「……いえ、大丈夫です。あ、でも無茶はしないでくださいね」
何か見えないものへの恐怖を払い除けるように、シスターは優しく微笑んだ。ラデックは彼の精一杯気遣った笑顔の意味を理解していたが、それを見て見ぬフリをした。そして、自分に言い聞かせるように独り言を溢した。
「信じよう。……遅かれ早かれ、通る道だ」
翌朝、ラデック達は朝食がてら作戦を練っていた。その席にはエドガア、ゾウラ、カガチの3人もいたが、主に会話に参加しているのはラデック、シスター、エドガアの3名だけであった。ハピネスが暢気に大欠伸をする隣で、ラデックはコモンズアマルガムの地図に印をつけながら説明を続ける。
「――――で、ラルバ達の奇襲が来週ってことは……先に悪魔郷にちょっかいをかけてから、蜻蛉返りしてコモンズアマルガムの本拠地に戻り……」
「待った」
ラデックの言葉を遮った声は、今まで一度も会話に参加しなかったカガチのものであった。カガチが許可を求めるようにゾウラを一瞥すると、ゾウラが和やかに笑って応じた。
「どうしました?カガチ」
「お前等。何故この男を無視して――――」
「お邪魔しまーす」
カガチが何かを言いかけた瞬間、ゾウラ邸の玄関の扉が開かれた。カガチは突然の侵入者に驚き、咄嗟にゾウラを守るように自分の背に隠す。そして侵入者、もといイチルギが手で顔を仰ぎながら全員の前へと姿を現した。
「こんにちは。私は世界ギルド元総帥のイチルギ。後ろにいるのが……」
そう言ってイチルギが振り返ると、遅れて2人の人影が玄関からやってきた。
「人道主義自己防衛軍の幹部、手前の赤髪がハザクラで、奥の銀髪がジャハル。よろしくね」
カガチとエドガアが3人を厳戒して睨み続けていると、ラデックがイチルギの隣に立ってゾウラ達の方へ振り返った。
「安心してほしい。俺達が言っていた“協力者”だ」
カガチは暫くイチルギの顔を殺意の籠った眼差しで睨みつけていたが、やがてぼやく様に舌打ちをして臨戦態勢を解いた。エドガアもそれを見て安心したように胸を撫で下ろし、イチルギ達に手を差し出す。
「いやあ悪いね総帥さん。私はエドガア。よろしく」
「元総帥よ。あんまり難しいことは期待しないでね?」
イチルギとエドガアが握手を交わしたところで、ラデックとシスターは今までのことをイチルギ達に説明した。
スヴァルタスフォード家の生き残りであるゾウラが、世界ギルドの武力介入の口実になること。世界ギルドへの亡命を本人も望んでいること。そして、ラデックのスヴァルタスフォード自治区を敵に回すという話を。
前半のゾウラの亡命の話は3人とも黙って聞いていたが、いざスヴァルタスフォード自治区を攻撃するという話になると、ハザクラとジャハルが困惑と怒りを足して2で掛けた様な形相で非難してきた。
「……俺の聞き間違いか?何をどうするって?」
「一体どういうつもりだラデック!!ラルバの予定を狂わせるためだけに奇行に走るなど……!!」
ラデックは詰め寄ってくる2人に深々と頭を下げる。
「頼む」
全く譲る気のないラデックに、2人は顔を見合わせて狼狽える。そこへイチルギが少し切なそうに目を泳がせてから、静かに口を開いた。
「わかった」
この承諾に、ハザクラとジャハル驚いてイチルギを見た。イチルギは2人に何か言われるよりも早く掌を突き出して制止し、数秒だけ動きを止める。そして――――
「と言うより、否が応でもそうなる」
イチルギが言い終わる瞬間、カガチが何かに反応して天井に手を広げる。カガチの掌から打ち出された光弾は天井を突き破って空へと飛んでいき、上空から降ってきた火炎弾を弾き飛ばした。
「ゾウラ様!!お逃げください!!!」
カガチが叫ぶと、ゾウラはニコリと笑った。
「はい。ではお先に」
ゾウラが小走りで風呂場の方へ向かっていき、イチルギとカガチは家の玄関の方に顔を向けた。カガチはエドガアを睨みつけて恨む様に歯軋りをする。
「貴様っ……!!尾行されたのか……!?」
「まさか!!カガチだって一緒にここまで来てたでしょ!?」
「喧嘩は後!!支度して!!」
イチルギが手を叩いてカガチとエドガアの喧嘩を仲裁する。全員は急いで身支度をして、エドガアを先頭に家を飛び出した。しかし、シスターは家を出る直前に狼狽してカガチに問いかける。
「ゾ、ゾウラさんは!?」
カガチは無言のままシスターを睨み、「早く行け」と舌打ちを鳴らす。シスターの疑問は晴れることなくイチルギに担がれ、全員は森の方へと走り始めた。
森を走り抜ける最中も、背後からはけたたましい爆発音と銃声が鳴り響き、ゾウラ邸が襲撃されているのだろうと言うことだけが分かった。先頭のエドガアは屡々後ろを振り返り、ハピネスを背負っているラデックや、人間であろうラプーやジャハル、ハザクラを気遣って速度を緩めた。それに気づいたハザクラが、速度を上げてエドガアに並び言い放つ。
「ハピネスとシスター以外お前より強い。気にせず急いでくれ」
エドガアは一瞬だけ面食らうも、すぐにニヤッと笑って力一杯地面を踏みつけ加速する。
一行の殿を務めていたカガチが後方に向かって手を広げ、影で造られた蛙の群れを召喚した。蛙の群れは飛び跳ねる度に分裂を続け、辺り一帯を真っ黒に覆い尽くして地面に溶け込んだ。混乱魔法“盲いた音色”は、意識の混濁を引き起こす力場を扇状に形成し広がっていく。追手は次々に力場の上を通過し、先頭から徐々に倒れ込んで勢いを落としていった。
〜スヴァルタスフォード自治区 時食海岸〜
森を抜けると、一行は広い砂浜へと辿り着いた。地平線まで続く砂浜はまるで砂漠の様であるが、終始吹き付ける凍てつく海風と海水に覆われ泥濘んだ足元がその連想を打ち消す。
全員がその雄大な自然に気を取られる中、先程までラデックの背で遠慮なく揺さぶられていたハピネスが、フラフラと覚束ない足取りで茂みに歩いて行く。
「うっ……おげええええぇぇぇ!」
そして、急激な環境の変化に耐えられず盛大に胃の内容物を吐き出した。
「ううっ……さ、寒い……苦しい……助けてくれ……」
腰を大きく曲げ、杖に全体重を預ける様な情けない姿勢で震えるハピネス。そして、その近くの茂みから1人の人影が出てきてハピネスに近づいた。
「寒いですよねぇ、ここ。あったかい紅茶ありますよ。飲みますか?」
人影の正体はゾウラだった。ゾウラは分厚いコートの内側から水筒を取り出し、カップにトポトポと紅茶を注いでハピネスへと差し出す。
「あ、ああぁあ……嬉しい……優しい……。ああ、美味しい……ゾウラ君、結婚しない?」
「いいですよ」
ハピネスが紅茶を啜りながら求婚をしていると、そこへ大股で近づいてきたカガチが握りしめた拳でハピネスの脳天に拳骨を打ち込んだ。獣の様な断末魔を上げて蹲るハピネス。その隣でカガチは折り敷いてゾウラに頭を下げる。
そんなゾウラ達を見て、ラデックはエドガアに尋ねた。
「ゾウラは異能持ちなのか?」
「ん?ああ、そうだよ」
エドガアの返答にカガチが眼光鋭く睨み付けるが、エドガアは小さく笑って首を振る。
「別に隠すこともないじゃない。それに、イチルギさんの前で隠し続ける方が無理あるでしょ」
話を聞いていたゾウラは頷いてから背を向け、森の中へと走り去ってしまった。それをラデックが追いかけようと一歩踏み出した瞬間、背後からは袖を引かれて振り返る。そこには、悪戯が成功して喜ぶゾウラの姿があった。
「……驚いた」
「うふふっ。私の異能、当ててみてください」
ラデックは森の中へと入って行き、辺りを見回す。そして、隣に生えていた木にふと手を触れる。
「……塩生植物?海辺に適応したハンノキか……」
ラデックが足元を見ると、森の中にまで海水が侵入していることに気がついた。その背後で、ハザクラがゾウラの方へ振り返って呟く。
「……水の中を移動する異能か」
ゾウラは両手を合わせて頬に当て笑う。
「惜しいっ!正解は、液体と一体化する異能です」
その直後、ゾウラの全身が一瞬にして消え去った。それとほぼ同時に、浜辺の遥か遠くで手を振る人影が現れた。そしてまたその人影が消え、ハザクラの真後ろにゾウラが現れる。
「爪楊枝くらいの太さで繋がった水であれば一体化出来るんです。水が少ないと入れないとか、ギリギリ液体の水は難しいとかで制限はありますけど、水魔法で生成した水にも入れるので結構便利なんですよ」
説明しながらあどけなく笑うゾウラ。そんな彼の隣で、ラデックは顎に手を当てて呟いた。
「……風呂場の水を海から引いているのは、ただの節水じゃなかったんだな。いざという時の逃げ道……。しかし、海と一体化出来るとなると、一歩間違えば二度と同じ場所に帰って来られなくなるんじゃないか?」
「そうですね、それは訓練を積んだので大丈夫ですよ!昔ゴウカさんが――――」
「今後のことについて話がある」
ゾウラの言葉を遮ってカガチがイチルギに詰め寄る。
「何かしら?無茶なことはやめてね」
「この後無事に脱出できたとして、ゾウラ様の処遇はどうなる?」
「ん〜……そうねぇ。数年の間は少し窮屈な生活になるかしら。スヴァルタスフォード自治区への提出書類作成に会議出席、人道主義自己防衛軍との意見の擦り合わせと……」
イチルギの話を聞いていたゾウラは、少し考えた後に手を叩いてイチルギに提案をする。
「じゃあ、私イチルギさん達について行っても良いですか?」
「うぇっ!?」
驚きの声を上げたのはイチルギだけではなく、その場にいたカガチとラプー以外の全員が目を丸くした。中でもジャハルは顔を左右に激しく振りながらゾウラに詰め寄る。
「ばっ馬鹿なことを言わないで下さい!!何の意味が!?」
「いやあ、何だか皆さん楽しそうなので」
「我々の旅は危険極まりないものです!!何よりその目的を決めているのはラルバとかいうトチ狂った頭のおかしい傍若無人で人面獣心の快楽殺人使奴です!!百害あって一理なし、いや、億害あって千害あります!!」
「それはそれで面白そうですね!」
「話が通じない……!」
酷く狼狽して目を白黒させるジャハルと入れ替わり、イチルギがしゃがんで背の低いゾウラに目線を合わせる。
「ゾウラ。私達世界ギルドは、貴方の生存を理由にスヴァルタスフォード自治区を治めたいの」
「でも、イチルギさんはラデックさん達と暫く別行動だったのでしょう?他の理由も用意してあるんじゃないですか?優秀な使奴が別のプランを立てていないとは思えません」
ゾウラの指摘に、イチルギは僅かに目を細める。
「確かに用意してあるわ。それどころか、たった今ゾウラの家が襲撃されたことで、それを理由にゾウラ・スヴァルタスフォード殺害の容疑でコモンズアマルガムに干渉する大義名分を作れる」
「じゃあ私は世界ギルドに行かなくても良いわけですね!」
「ゾウラ……どうしてそこまで私達について行きたいの?」
「私はね、綺麗なものが好きなんです。美しいものをたくさん見たい」
ゾウラはラデックやシスターの顔を見てうっとりと目を細める。
「ラデックさんやシスターさんの、誰かのために戦おうとする姿がとても素敵でした。ハピネスさん。ラプーさん。ハザクラさん。ジャハルさん。そしてイチルギさん。ここにいる皆さんの姿は、どれも今まで見たことがないほど輝いていました。きっと、今まで色んな世界を見てこられたんだと思います。私もその隣に立ちたい。同じ景色を見てみたいんです」
まるで宝石を眺める少女の様に恍惚の表情を浮かべるゾウラ。イチルギがカガチを一瞥すると、彼女は黙ってこちらを見つめるばかりで何の反応も示さなかった。そして周りを見渡すと、ラプー以外は皆困惑して頭を抱えたり苦い顔をしていた。イチルギは大きく溜息をついて、ゾウラに目を向ける。
「……最終決定権はラルバにあるわ。あんまり期待しないことね」
「ありがとうございます!」
ゾウラが満面の笑みでカガチに目を向けると、カガチは黙ったまま目を瞑って頭を下げた。
「どこまでもお供します」
そしてゾウラがエドガアの方に顔を向けると、彼女は眉を顰めたまま笑い頭を掻いた。
「ん〜……私は遠慮しとく。カガチ、ゾウラを頼むね」
【元皇太子 ゾウラ・スヴァルタスフォードが加入】
【使奴 カガチが加入】




