77話 藁人形に愛をこめて
〜スヴァルタスフォード自治区 悪魔郷 ディコマイト宮殿大図書館 (ラルバ・バリア・ナハルサイド)〜
ナハルは一冊の分厚い本を手に取り、試し読みをするようにペラペラとページを捲る。そして5分程度同じような動作を繰り返した後に、小さく息を吐いて本を閉じた。
「すっげ……もう全部読んだのか?」
後ろにいた大男、皇帝の息子であるヘレンケルはそのギョロ目を丸くして呟いた。ナハルは別の本を手に取りながら口を開く。
「いや、ただの斜め読みだ。ページ1枚1枚を絵として記憶して、後で読み直す。まだ内容の咀嚼は出来てない」
「思ったより数倍スゲェことしてんのな……それ、使奴は全員できんのか?」
「恐らくはな……あと、あんまり使奴と呼ばないでくれ。気に入っていないんだ」
「うえぇマジかよ!!折角こんなウルトラハイスペックボディだっつーのに!!」
「そうだぞぉナハル」
本棚の奥からラルバが顔を覗かせる。するとナハルはヘレンケルを置き去りにしてラルバの首根っこを掴み、乱暴に壁に寄せて耳打ちをした。
「おい、これからどうするつもりだ」
「どうするって……何のために図書館来てるのさ。適当に粗探しして突っつきゃいいじゃん」
「一番槍の件はどうする。我々はコモンズアマルガムを襲う用心棒として、悪魔郷中に顔が知れてしまうんだぞ」
「え、ナハルちゃん本気でやるつもりなの?私ブッチする気満々だったんだけど」
「反故にするつもりか?悪魔郷の面々はどうなる。無謀な戦に大勢が命を落とすぞ」
「戦争ってそういうもんでしょ。え?まさかナハルん、無血の勝利とか期待してた感じ?」
「……お前についてきた私が馬鹿だった」
「そうだぞ馬鹿。アホ」
ナハルはラルバを軽く突き放してから、不機嫌そうに踵を返し立ち去って行った。その態と靴音を響かせて歩くナハルとすれ違ってヘレンケルがラルバに近づき、首を傾げて尋ねる。
「ナハルはどうしたんだ?」
「あの子、正義厨なの」
「へー。難儀だねぇ」
ラルバが一通り書物に目を通してから図書館を出ると、宮殿の中庭にある噴水の縁に腰掛けているナハルが目に入った。ナハルもそれに気付いたようで、顔を顰めてラルバから目を背けた。
「なあによナハルちゃん。反抗期?」
ラルバがナハルの隣に腰掛けると、ナハルはラルバの顔を睨みつけて溜息を吐いた。
「今からでもシスターを連れて逃げるのもアリだな。と、思っていたところだ」
「えー、そんなことしたらラルバちゃん寂しくて地の果てまで追いかけちゃうよ?」
「クソッ……。第一、何故シスターを連れて行くんだ。何が目的だ」
「え、聞いちゃう?オススメしないけど」
何の変哲もないラルバの言葉に、ナハルは何か禍々しい警告のような恐怖を感じて目を逸らした。そして、その答えから遠ざかろうと露骨に話題を変える。
「このままヘレンケルの計画に乗ると、シスター達に危険が及ぶ。しかし我々からは向こうの様子は分からない。この問題についてはどうするつもりだ」
「まあその辺はハピネスがなんとかするっしょ。イっちゃん達も向こうを重点的に見てるだろうし、私ら使奴組はさっさと逃げるに限るよ」
「“だろう”では困る!!お前にとっては単なる遊びかも知れないが――――」
「ナハル」
言葉を遮ったラルバの呟き。その重苦しさと鋭さにナハルは僅かに気圧され押し黙る。
「…………私は今回。今までで最も嫌ぁな予感がしている」
「……なんだ、急に」
「多分、すぐには分からない。何せ私が、最新モデルの第四世代使奴である私が“違和感”としか形容できない小さな綻びだ。この国に来てから、そういう小さな小さな“嫌な感じ”を何回も覚えている」
「それは……確かに、私も少しだが嫌な気はしている。バリアは特に何も感じていなかったようだが、彼女は第一世代だ。イチルギも第二世代だし、第三世代の私でこの程度なら、あの2人は気付けていないかも知れない」
「ああ、だろうな」
「ラルバ。その違和感というのは具体的にどういうものだ?」
「さあ……。少なくとも取り返しのつかなくなるような何かではないが……得体の知れないものからはさっさと遠ざかるに限るだろう。今回ばっかりは先を急ごう。幸い、あのヘレンケルとかいう男は悪ではなさそうだしな」
そう言ってラルバは立ち上がって宮殿へと歩き出した。ナハルはその背中を見送りながら、街中で感じていた言葉にできない不快感を思い返していた。
しかしその不快感の正体が、目の前で子供が泣き叫んで助けを求めている“悲哀“なのか、怪物が唸り声を上げて血肉の混じった吐息を撒き散らす”殺意“なのか。何度考えても答えが浮かんでくることはなかった。
〜スヴァルタスフォード自治区 廃棄された森 ゾウラ邸 (ラデック・ハピネス・シスター・ラプーサイド)〜
「戦おう」
ラデックの発言に、ハピネスは目の色を変える。ゾウラ邸で一休みしたラデック達は、ハピネスの覗き見の内容から今後の行動指針を話し合っていた。しかし、ゾウラの亡命を幇助するという当初の目的から大きく外れた提案に、シスターだけでなくエドガアやカガチまでもが険しい表情をした。ハピネスは呆れた様子で額に手を当て、ラデックの顔を覗き込んだ。
「……ラデック君、私の話聞いてた?ラルバ達はそのままトンズラするんだ。しかも使奴の勘が過去最悪の何かを感じている。そんな中、悪魔郷に私達が対等に渡り合えるとでも?」
「悪魔郷だけじゃない。コモンズアマルガム含め、このスヴァルタスフォード自治区全てを敵に回す」
余りにも理解し難い言葉に、ハピネスは最早呆れを通り越して狼狽え始める。
「ラデック君なんか変なキノコでも食べた?あ、わかった。君その辺の水生で飲んだだろう。寄生虫に脳味噌喰われておかしくなっているんだ。シスター!オペの準備!」
「ハピネス」
ラデックは戯けるハピネスに顔を向け、真っ直ぐとその瞳を見つめる。ハピネスの目にその姿は映っていなかったが、その気迫は視覚を介さずとも薄れることはなかった。
「俺は本気だ」
ハピネスが伏し目がちにラデックを睨み続けていると、少し離れて立っていたカガチの地を這うような声がラデックに巻きついた。
「理由を述べろ」
ラデックはその威圧をものともせず、淡々と話し始めた。
「俺が気にしているのはラルバの今後だ。この調子で世界各国を巡るとなると、いつか大きなしっぺ返しを喰らう。ここらで予定を狂わせておきたい」
カガチの吐き捨てるような溜息と同時に、ハピネスがラデックの喉元に杖の鋒を突きつける。
「その無意味な行動が、今後使奴の足枷になるということを分かっていっているのかい?そのしっぺ返しとやらを、使奴が予測できないとでも思っているのか?」
しかし、ラデックは怯まない。
「この世界は使奴の常識の外で動いている。幾ら使奴とはいえ、全てを予測できはしないだろう。それに、俺の行動は無意味じゃない」
「じゃあどんな意味があるって言うんだ。私、シスター、ラプー、エドガア、ゾウラの身を危険に晒して、他国の愚昧なちゃんばらごっこに横槍入れることに!!どんな価値がある!!」
「さっきハピネスが言った“使奴の足枷”……それがメリットだ」
「……ラデック。それはメリットじゃない。“自分の行動を使奴が予測できないが故に、自分にも発言権が生まれる”。確かに私利私欲を度外視した奇行は、心理や習性から行動を予測する使奴にとって厄介この上ない。だが、それは君自身が使奴にとって厄介なものになるということだ。君、死にたいのかい?」
「死なないためだ」
「ラデック君……!!」
「ラデックさん」
シスターの声が2人に割り込んだ。
「私、お手伝いします」
「ありがとう」
「シスター君!?」
ハピネスが血相を変えてシスターの胸倉を掴むが、シスターは何の抵抗もせずに優しく微笑んでハピネスを見つめた。
「ハピネスさん。ラデックさんの言うことを信じてあげてください」
シスターの一切曇りのない澄んだ瞳に、ハピネスは大きく首を回してふらふらとその場を歩き回り始めた。
「理解できない……これは悪い夢か?もしかしたら寄生虫に脳味噌を喰われているのは私の方なのか……?」
そのままヨタヨタと亡者のように覚束ない足取りで立ち去っていくハピネス。ラデックはゾウラ達の方に向き直り、真剣な表情でエドガアとカガチにも視線を送る。
「訳が分からないだろうが、協力して欲しい」
そう言って深く頭を下げた。それを見てゾウラは笑顔で頷く。
「はい。喜んで。いいですよね?カガチ。エドガア」
カガチはゾウラに跪いて頭を垂れ、エドガアは肩をすくめて困ったような笑みを溢した。
「まーいいけど……危なくなったら逃げるからね?」
ラデックは顔を上げてから、再び小さくお辞儀をする。
「ありがとう。ゾウラ、カガチ、エドガア」
その日の晩、シスターが風呂場で体を洗っていると、突然ノックも無しに扉が開かれた。
「きゃあっ!!ハ、ハピネスさん!?」
「やあシスター君。ご一緒していいかい?」
「だっだめです!!ていうか私男ですよ!?出て行ってください!!」
「そうだったっけ?まあいいじゃないか。どうせ私は目が見えないし」
「そういう問題じゃありません!!」
慌てふためくシスターを尻目に、ハピネスはさっさとかけ湯をして湯に浸かってしまった。
「ふぅ〜……やっぱり、風呂こそ人類最大の発明だ……しょっぱっ!!あ、これ海水か……エドガアさぁん!!もう少し熱くできるかぁい!?」
外で炎魔法による給湯を管理しているエドガアに向かってハピネスが声をかけると、壁の向こうから小さく“あいよ〜”と返事が聞こえた。
シスターは風呂桶とタオルで全身を隠していたが、一切立ち去る気配のないハピネスを見て大きく溜息をついた。
「シスター君、風邪ひいちゃうよ」
「……じゃあ出て行ってください」
「それはできない」
「……はぁ」
シスターは再び盛大に溜息をついた後、タオルを腰に巻き手で出来る限り体を隠しながら湯船に入った。
「見えてないってば」
「ハピネスさんはもう少し隠してください……!」
「何を?下心?」
シスターは勢いよくハピネスの頬を叩いた。
「痛っ!乱暴だなあ全く……そうそう、シスター君」
ハピネスが頬を摩りながら尋ねる。
「君、ラデック君の意見に賛成してたけど……あれはなんで?」
シスターは、なるべくハピネスの方へ目を向けないようにしながら口を開いた。
「……ハピネスさんは、どれくらい前からラデックさん達と一緒にいるんですか?」
「ん〜?まあ初期メンバーって訳じゃないが……相当前だねぇ。私が出会った時はラルバとラデック君と、ラプーとバリアちゃんの4人だけだった。そこから大体……もう2ヶ月くらいは一緒にいるかなぁ」
「そうですか……」
「何か関係あるのかい?」
「……ハピネスさんは、どうしてラルバさんについて行っているんですか?」
「質問ばっかだね……。最初は敵同士だったんだけど、ラルバに殺されかけてね。ついてきてもいいって言われたからついていってるだけさ。単なる怖いもの見たさだよ。で、それがどうかしたの?」
「………………私は、私がラデックさんの立場だったとしても、多分似たようなことをする気がします」
「ほう?」
「ここまで大それたことはできませんが……でも、これを口に出すのは良くないことだと思うので言いません」
「え〜!?ここまで勿体ぶっておいてぇ!?」
「すみません。でも、近いうちにわかると思います。ラデックさんの気持ちが、ラルバさんに伝われば……」
「え〜……」
ハピネスは湯船に鼻の下まで浸かってブクブクと泡を立てて抗議する。
「ん〜………………せいやっ!!」
「ひゃあっ!!!」
そして、シスターの股間を鷲掴みにした。
「何するんですか!!!」
シスターの肘打ちがハピネスの眉間にヒットする。そのままシスターは湯船に沈むハピネスを置き去りにして、さっさと風呂場から出て行ってしまった。
「……斬新な半身浴だな」
ラデックがシスターと入れ替わりで風呂場に入ると、浴槽には新鮮なハピネスの遺体がぷかぷかと浮いていた。




