75話 あからさまな綻び
〜スヴァルタスフォード自治区 コモンズアマルガム (ラデック・ハピネス・シスター・ラプーサイド)〜
突如現れた女性“エドガア”に、4人は誘われるがまま彼女の隠れ家へと向かった。
肌に色彩を持たない彼女の“自宅”は、僻地の森の中にある貫禄のある風通しの良い自然豊かな一軒家。とどのつまり、倒壊寸前の廃墟であった。
「どうぞ上がって!」
笑顔で迎え入れるエドガアに、ハピネスはせせら笑いながら杖で足元を突く。
「上がってと言われてもね。これはどこが外でどこからが君の家だい?“お邪魔します”はどこで言ったら良いのかな?」
「想像次第で庭もキッチンも寝室も自由自在だよ。良いとこでしょ?」
「…………ああ、確かに。野宿の訓練にはもってこいだね」
「訓練には向かないかなぁ。本番になっちゃうからね!」
ハピネスの悪態も上機嫌に返すエドガアを見て、シスターは気の毒そうに俯きながら目を合わせた。
「その……すみません。ウチの……えっと、教授が」
「ああ、その嘘なら今は吐かなくて平気だよ」
エドガアの先ほどまでの朗らかな笑顔が、シスターの目には途端に不気味に映った。エドガアは比較的綺麗なボロ椅子に腰掛け、ラデック達を見上げる。
「改めまして、私は“悪魔郷”出身の”不人“、エドガア……ああ、使奴寄りって言った方が分かりやすいかな?貴方達にお願い――――もとい、提案があるんだけど……聞いてくれるかい?」
ラデックが確認を取るようにハピネスとシスターの顔を見てから代表をするように前に出る。
「……ラデックだ」
「どうもラデックさん。じゃあ話させてもらうね」
エドガアが小さく咳払いを挟む。
「貴方達の狙いは、スヴァルタスフォード自治区への武力介入の口実探し……。だったら丁度いいのがあるんだけど、先に一個だけ約束して欲しいんだよね。それは、全世界へ向けて、ある人の”死亡報告“をでっち上げて欲しいの」
エドガアの真剣な眼差しに、ラデックは首を捻る。
「内容による。あと、俺の仲間がそれを承諾するかによっても変わる」
「あれ?貴方達以外にも工作員がいるの?」
「工作員……まあ工作員か……?何人かいるし、その内の1人……事によっては2人3人は説得にかなり苦労する。非人道的な事でなければ大丈夫だろうが……」
「ん〜困ったなぁ。連絡とかって取れそう?」
「すぐには……」
「できると思うよ。”ゾウラ“の死亡届くらい」
2人の会話に、ハピネスが唐突に口を挟む。その瞬間、エドガアは目を丸くして硬直した。ハピネスはいつもの怪しげなしたり顔で微笑んだまま、何も見えない眼でエドガアを覗き込む。
「”ゾウラ・スヴァルタスフォード“の死亡を世界に吹聴する代わりに、その身柄を世界ギルドに明け渡す。いい交換条件だと思――――」
ハピネスが言い終わる寸前。倒壊寸前だった廃墟の壁を突き破って人影がハピネスを襲った。その速度に辛うじて対応したラデックが、自己改造を挟みながらハピネスを庇う。
「ハピネス!!大丈夫か!!」
ラデックがハピネスに目を向けると、彼女は腹部の半分を抉り取られ内臓が溢れ出していた。しかし、そんな致命傷を負いながらもハピネスはラデックを睨みつけ、激痛を堪えながら声を絞り出す。
「使奴だ……!!!余所見をするな……!!!」
ラデックがハッとして振り向くと同時に、その眼前に何者かの爪先が映った。ラデックは強引に首を捻って顔を逸らすと、ラデックの目玉ギリギリを蹴りが空振りする。
「止めろ”カガチ“!!!」
エドガアの叫びに、白い人影は身を翻して廃墟の柱に登り獣のような姿勢を取る。立髪のような真っ白な髪に黒い痣、色彩を持たない白い肌に色彩を持たない黒い目。そこに爛々と輝く紅蓮の瞳。カガチと呼ばれた使奴は、ラデック達に殺意を突き刺したままボソリと呟く。
「信用ならない」
エドガアはすぐさまハピネスに駆け寄ってカガチを睨みつける。その後ろで、ハピネスが大量の血を吐き出しながら嘲笑した。
「ごぽっ……た、確かに……ははっ。そりゃ、そうだよ……ごぷっ」
シスターはハピネスの腹部に手を翳し必死に魔力を注ぎ込む。
「ハピネスさん喋らないで!!ラデックさん!!止血お願いできますか!?」
「任せろ」
「げほっ……カ、カガチ……さん、だっけ?」
「ハピネスさん!!喋っちゃダメです!!」
シスターの必死の制止を無視して、ハピネスは血に溺れながらカガチに目を向ける。
「ごほっ!ごほっ!ゾ、ゾウラ……スヴァ、スヴァルタス、フォード……16歳……も、森の奥の……白い、二階屋……」
激しく咳き込むハピネスの言葉に、カガチとエドガアは表情を変える。
「ま、毎朝……あんな硬いパンじゃ……か、可哀想だよ。今の、ままじゃ。はぁっ……はぁっ……大好物のケーキだって、た、食べられない」
カガチは柱の上で暫く硬直する。その無機質で残酷な眼差しをハピネスに突き刺し、ハピネスもまたカガチの目から視線を外さない。その睨み合いが数秒続くと、カガチが音も立てずに下へ降りてきて、ハピネスに回復魔法をかけた。
「痛っ!痛たたたたたたっ!!ちょ、優しく優しくっ!!!」
急速に治癒していく怪我の激痛にハピネスは顔を歪め踠き苦しむ。カガチは魔法の勢いを一切緩めることのないまま、酷く不機嫌そうな顔でボソリと言い放った。
「……ゾウラ様に何かしたら、この苦しみを未来永劫味わってもらう。一生死ねると思うな」
並みの人間であれば恐怖で気絶してしまう程のカガチの脅しに、ハピネスは痛みに悶えながらもヘラヘラと笑った。
「ひ、人を疑うよりも、優しくする事を先に憶えたほうがいいよ。今から練習しない?痛い痛い痛い痛い!!」
〜スヴァルタスフォード自治区 コモンズアマルガム 廃棄された森〜
先頭をエドガア。最後尾にカガチの順で6人は森の奥へと歩みを進める。ラデックに背負われたハピネスは、終始不満そうに文句を溢している。
「全く……文武最強の使奴ともあろう方が、こんなか弱い乙女にいきなり蹴りを喰らわせるかね!なあラデック君!」
「計算の内じゃなかったのか?」
「計算外に決まってるだろう!どうせ死ぬならもっと面白可笑しく死にたいよ。こっちの意図をチラつかせれば少し踏み込んだ話ができると思っていたのに……白蛇さんは口よりも先に手が出るタイプだったらしい」
「ハピネスの言っていた“ゾウラ・スヴァルタスフォード”というのは何だ?人名か称号のようだが」
「この国、スヴァルタスフォード自治区の帝位継承者さ。12年前に皇帝だったスヴァルタスフォード家がコモンズアマルガムによって滅ぼされ、それ以来死人として扱われてきた。生きていれば今は16歳。もし生存が発覚したら、即座にスヴァルタスフォード自治区の皇帝につかなくてはならない」
ハピネスの説明に続いて、先頭を歩くエドガアが話し始める。
「ゾウラは12年前の事件以来誰にも見つからないように生きてきた。それを私が偶然発見した。他にもゴウカという仲間がいたが死んでしまった。今はカガチと私の2人だ。もしゾウラが他の連中に見つかったら……」
エドガアが言葉を詰まらせると、ハピネスが代わりに続ける。
「間違いなく殺されるだろうね」
ラデックは少し考え込んだ後首を捻る。
「何故だ?今は別の人間が皇帝なんだから関係ないんじゃないのか?」
「そこなんだよラデック君。今この国は皇帝不在のまま政治が行われている。一応悪魔郷の皇帝として“ラヴルス・ディコマイト”がスヴァルタスフォード自治区全体を治めてはいるが、コモンズアマルガムには殆ど関与していない。そしてコモンズアマルガムはというと、勝手に自分達で代表者を作り独自の政治形態を敷いている。悪魔郷としては、このままコモンズアマルガムを滅ぼしたい。コモンズアマルガムは悪魔郷を討ち倒すか、このまま国として独立したい。けれど、ゾウラ・スヴァルタスフォードの生存が発覚すれば両者の計画が崩れてしまう」
「そうなのか?」
「今世界ギルドがスヴァルタスフォード自治区への介入に二の足を踏んでいる理由は、大きく二つ。一つは正式な統治者不在による執行権行使の保留。世界ギルドが各国の調査をする際には統治者に令状を送る必要があるが、今のスヴァルタスフォード自治区にはそれを受け取る統治者が存在しない。そのため、スヴァルタスフォード自治区側から“正式な皇帝が決定するまで返答を保留する”との申し出がされているんだよ」
「そんなの無視すればいいだろう」
「そう簡単な問題じゃないんだよ。世界ギルドがこれに文句を言っても、スヴァルタスフォード自治区側には文句の受け取り手がいない。あくまで国民の総意として保留を要求されているんだ。悪魔郷もコモンズアマルガムも、世界ギルドに邪魔されたくないという点は同じだからね」
「システム上のエラーか。イチルギがそんなミスをするとは思えないが……」
「それが二つ目の理由。本来であればこういった内戦事情には問答無用で手を出せるんだが……悪魔郷とコモンズアマルガムが共謀して世界ギルドを撥ね除けているんだ」
「敵国同士が共謀?」
「そう。世界ギルドとしては、コモンズアマルガムを独立させる事で悪魔郷調査の口実を得たい。互いの地域にはちゃんと統治者がいるからね。けど、そうすると悪魔郷は“コモンズアマルガムは我が国の一部であり独立は認めない”と拒否をする」
「そんな横暴、世界ギルドが認めるはずがない」
「これに続いて、コモンズアマルガムも独立宣言を取り下げているんだよ」
「何だと?コモンズアマルガムの目的は独立じゃなかったのか?」
「独立よりも悪魔郷を滅ぼしたいんだよ。けど独立してしまえば世界ギルドが決めた戦争禁止の条約で、その機会は永遠に消滅する。だから独立を見送るんだ」
「ならば内戦を理由に介入できるだろう」
「世界ギルドが来た時だけ内戦を停止するのさ。内戦を指摘されたら両者共に“言いがかりだ”と喚き立てる」
「……なら、国の側にでも駐留してしまえば内戦は止むんじゃないか?」
「一方的な監視に対して異議申し立てをする」
「………………子供の我儘だ」
「そうだよ。いつまで経っても堂々巡りで、どっちかが滅ぶのを待つしかない状態。今までは時々調査員を送って争いに水を差してはいたみたいだが……お陰で内戦は長引いて、このままじゃ共倒れ。世界ギルドはなんとしてもこの国を救いたいみたいだねぇ。見捨てちゃえばいいのに」
ハピネスの小馬鹿にするような物言いに、エドガアは遠い目をして呟く。
「ゾウラの正式な死亡届が出れば、もう誰もゾウラを探さない……。あの子は自由に生きていける。世界ギルドだって、スヴァルタスフォード家惨殺事件の真相を生き証人から聞けば、幾らでも難癖つけて調査を強行できるだろ?そうなったら、この国が世界ギルドの従属国になるのも時間の問題さ」
ハピネスが小さく鼻を鳴らして笑い、ラデックは余計な事を言わせぬよう背負ったハピネスを態と揺すった。
〜スヴァルタスフォード自治区 廃棄された森〜
「起きろハピネス。着いたぞ」
「ふがっ?」
ラデックは、背中で涎を垂らして眠るハピネスに声をかける。夜通し歩き続け辿り着いた場所は、鬱蒼とした森とは対照的に開けた花畑だった。青空からは朝日が燦々と降り注ぎ、丁寧に手入れがされた畑と真っ白な一軒家を照らしている。
「綺麗な場所だな……ん?シスター、大丈夫か?」
ラデックがふらついているシスターに声をかけると、シスターは苦しそうな表情をしながらも咄嗟に笑顔を作って頷いた。
「は、はい……!大丈夫ですよ……」
一行が一軒家に近づいていくと、玄関から黒髪の人影が出てくるのが見えた。
「あ、ゾウラ!おはよう!」
エドガアが手を振ると、ゾウラと呼ばれた人物はすぐに気付いて手を振り返す。ゾウラはそのまま小走りで近寄ってきてエドガアに抱きつくと、ラデック達の方を見て微笑んだ。
「おはようございますカガチ。こちらの方は?」
ラデックはハピネスを降ろし、ゾウラに握手を求め手を差し出す。
「ラデックだ。よろしく」
それに倣い、ハピネスとシスターも挨拶を続けた。
「私はハピネス。よろしく。ゾウラ君」
「シ、シスターです。よろしくお願いします」
「ゾウラ・スヴァルタスフォードです。遠路遥々ようこそ」
ゾウラはラデックの手を摘むように握り挨拶を交わす。整った顔立ちに相応しい可愛らしい振る舞いと顔つき。長い美しい黒髪と桃色の瞳が艶かしく輝き、少し悪戯っぽそうな微笑みと華奢な身体に、ラデックは何故か罪悪感に似た感情を覚えて少し怯んだ。
そして手を離した直後、カガチが早足で割り込んできてゾウラをラデックから引き剥がした。カガチはしゃがんでゾウラに目線を合わせる。
「ゾウラ様、見知らぬ相手との接触には注意して下さい。空間を介さない攻撃には使奴の反応速度でも対応できません」
そう鋭い目つきで言い放ったカガチに、ゾウラは優しく微笑む。
「カガチが私を貶める人を連れてくるはずありません」
その屈託のない笑顔に、カガチは少し下唇を噛んで視線をズラす。ゾウラはラデック達の方に顔を向け、案内するように家の方を指し示した。
「ここまで来るのに疲れたでしょう。中へどうぞ」
家の中はとても市街地から離れているとは思えないほどに綺麗だった。整理整頓と掃除が行き届いた部屋に、色とりどりの花を咲かせた植木鉢。お洒落な絨毯やテーブルクロス、家具や壁にも汚れなど一切なく、とても世間から死人扱いされている人間の家とは思えなかった。
ゾウラはキッチンから冷たいお茶を持ってきて丁寧にテーブルへと並べていく。ハピネスは受け取るや否や一気に飲み干し、大きく息を吐いた。
「っあぁ〜!美味い!」
まるで仕事終わりの酒を飲む日雇い労働者のような振る舞いにも、眉間に皺を寄せるカガチとは正反対にゾウラは嫌そうな顔ひとつせずおかわりを注いだ。
「庭で採れた“ブラックカモミール”のアイスハーブティーです。気に入っていただけたようで何より」
再びハーブティーをぐびぐびと呷りはじめるハピネスの横で、エドガアが咳払いをしてから口を開いた。
「早速だけど、これからの話をしよう。突然なんだけど……ゾウラには、この人達について行って貰いたい。世界ギルドの工作員だそうだ。そうすればこの国を出て平和な暮らしを手に入れられる」
ゾウラは突然の話にも拘らず、穏やかに微笑んだまま胸に手を当てた。
「はい。わかりました」
そこへカガチがゾウラの顔を覗き込んで付け足す。
「私も同行します。絶対に一人きりにはさせません。
「ありがとう。カガチ」
何の躊躇いもなく同行を了承したゾウラに、シスターは驚いて尋ねる。
「あ、あの……受け入れて貰えるのはありがたいのですが、その、不安ではないんですか?このお家も、お庭も、捨てることになってしまうんですよ?」
心配そうなシスターに、ゾウラは微笑みを崩さず肩をすくめる。
「そうですね。別れは少し残念ですけど、新しい暮らしもきっと素敵です」
口をポカンと開いたままのシスターから視線を外して、ゾウラは両手を合わせてラデック達に顔を向ける。
「そうですね、きっと今日が最後になるでしょうし!皆さん今日だけここに泊まって行きませんか?カガチ、人数分の寝床を用意して頂けますか?」
「畏まりました」
ゾウラは上機嫌で皆の器を片付けると、そのままキッチンへと入って行った。
ラデックはゾウラの背中を見送りながらハピネスに耳打ちをする。
「問題なく解決しそうだな」
「馬鹿か君は」
予想外の罵倒にラデックはハピネスの顔を見る。ハピネスは何か警戒しているような目つきでぎょろぎょろと目玉を動かす。
「変だと思わないのかね」
「ゾウラの態度か?」
「それもそうだが、この国そのものを――――だ」
ハピネスの吐き捨てるような呟きに、ラデックは首を捻る。
「この国はどこかおかしいのか?」
ラデックの疑問に、シスターが少し言い淀みながらも口を開く。
「……もし、ゾウラさんが国の重要人物であるなら……死人扱いではなく、寧ろ偽物を用意して権利を横取りするのではないでしょうか。国の権力者全員がゾウラさんと敵対しているのであれば証拠の隠蔽や捏造も容易いはずです」
キッチンから水音だけが響く静寂の中、ハピネスは何も映らない目玉で何かを探し続ける。
「それどころか、コモンズアマルガムと悪魔郷にそれぞれ自称ゾウラ・スヴァルタスフォードが居てもおかしくない。仮にバレた時のリスクを考慮しているとしても、ゾウラを生きていることにして生前退位の証拠をでっち上げた方がリスクが少ない。それを、今政権を握っている奴らが揃いも揃って“ゾウラ・スヴァルタスフォードの生存が証明されるだけで瓦解する悪手”を選んでいるなど、不自然にも程がある」
ハピネスの独り言の様な呟きに、横で話を聞いていたエドガアが口を挟む。
「貴方が思っている程この国は賢くないよ。それに、その生前退位の捏造だって結構大きなリスクを伴うじゃないか。為政者は臆病者ばっかりだ。別に不自然じゃないよ」
ハピネスは暫く沈黙した後に、机の上の焼き菓子を摘んで訝しげに中空を睨む。
「”争いという激流の中に、奇跡的に発生する澱みを安寧と呼ぶ“……受け売りの格言だがね。子供が親の心を知らない様に、豚が己の役目を知らない様に、物語の主人公が書き手の存在を知らない様に……物事はいつだって、己が知り得ない強者の掌の上で起こる。疑うことを忘れたら、待っているのは取り返しのつかない現実だ」




