74話 悪魔の国
〜スヴァルタスフォード自治区 コモンズアマルガム (ラデック・ハピネス・シスター・ラプーサイド)〜
地平線から薄らと影を覗かせる人工物を目指しながら、ラデック達は街へと向かっていた。ラデックは背後で疲労に呻くハピネスの方を見ない様に漫然と歩き、目線の置き場に困ってイチルギに貰った偽造パスポートを取り出した。
「ええと……道歴22年“狼の群れ”出身、万愛大学工学部卒、国立魔導医学研究センター特任准教授……ダメだ。さっぱり理解できない」
そこへ同じようにパスポートを取り出したシスターが顔を寄せる。
「あ、私殆ど一緒です。道歴26年“狼の群れ”出身、万愛大学工学部卒、国立魔導医学研究センター教授。ラデックさんは私の先輩ってことになりますね」
「俺が准教授ってことは、シスターは俺の上司ってことか?」
「そうはなりませんが……立場は私の方が上ってことみたいですね……」
「これからよろしくお願いします。シスターさん」
「や、やめてください……」
ラデックは振り向いてハピネスとラプーを見る。
「2人のはどんなだった?」
そう尋ねると、ハピネスがポケットから偽造パスポートを取り出しラデックの方へ向ける。
「出身は全員”狼の群れ“に固定してあるみたいだね。私は苗字のレッセンベルクを消されたぐらいか。肩書きは狼王大学医学部卒、国立中央メディカルセンター長、狼王大学脳神経外科教授、万愛大学魔導医学科教授、終堂狼遺伝学研究所所長、国立研究開発法人波導医学総合研究所副理事」
「そこまで肩書きがあると逆に頭が悪く見えるな……。早口言葉みたいだ」
「面白いかい?」
「あんまり」
ラプーも偽造パスポートを取り出してラデックに手渡す。
「どれどれ……狼歴152年“狼の群れ”出身、人答大学法学部公共政策学科卒、カース・ギルド副長……。これは……すごい……のか?」
ラデックが首を捻ると、ハピネスがへらへらと笑いながら口を開く。
「いや、凄いと言えば凄いが……鼻にかけるようなことでもない。優秀なのは確かだが、稼ぎは特別良い訳ではない。そんな所かな?」
「当たり障りのない感じか……」
「そんなことより、ラデック君おんぶしてよ。私はもう足が痛くて痛くて……」
「もう目と鼻の先だろう。頑張れメディカルセンター長」
「センター長命令。おんぶ」
「頑張れセンター長」
「おんぶー!!」
〜スヴァルタスフォード自治区 コモンズアマルガム 酒場“大往生“〜
コモンズアマルガムに到着したラデック達は、宿を探すよりも先に酒場へ来ていた。もう既に日は沈みかけ今すぐにでも宿を探さなければならない状態だったが、空腹のハピネスの強い主張、もとい我儘に付き合わされ、大衆酒場のテーブル席に着いたところだった。
「はいおまちどう!”手投げ芋の煮付け“と”紐豚のソーセージ“!!それと”紅蓮ビール“!!」
運ばれてきた料理をラプーが受け取る。ハピネスは我先にとソーセージにフォークを突き立ててむしゃぶりついた。
「ん〜!!美味いっ!!やっぱ肉だよ肉!!」
ハピネスが満面の笑みで頬張るのを見て、近くの客がほろ酔い状態で話しかけてきた。
「お姉さんいい食べっぷりだねぇ」
「いやはや、ここのところ野菜と魚ばかりだったもんで肉の脂が恋しくてねぇ」
「はっはっは!ならここの“豚足のロースト“を頼むと良い。ありゃ肉好きにはたまんねぇ一品だよ!」
「すみませーん!それくださーい!」
初対面の人間とも気さくに話し込むハピネスの横で、シスターが少し不安そうに芋の煮付けを口に運ぶ。それを見てラデックは顔を寄せて小声で話しかけた。
「どうしたシスター。何か気になるのか?」
「あ、いえ……あの……こんなこと言うと自意識過剰かも知れませんが……皆さん私を見る目が少し変なような気がして……」
ラデックが周囲に目を向けると、確かに酒場の客はどこか好奇の目に似たものをシスターへと向けているような気がした。するとシスターの所へ怪しげな好々爺が近寄り、顔を覗き込んだ。
「こりゃ奥さん……ありゃぁひでぇもんだ」
シスターをラデックの妻と勘違いした老人が、シスターの身体をまじまじと眺める。その異質な眼差しに、シスターは若干嫌悪感を抱きながらも挨拶をした。
「こ、こんばんは……その、私に何か……?」
「いやあその“肌”……こりゃいけねぇ。”悪魔病“にならねぇうちに診てやる」
老人の言葉にラデックが眉を顰めてシスターと老人の間に割って入る。
「”悪魔病“……それはひょっとして”霊皮症“のことを言っているのか?だとしたら全て間違いだ。シスターの色白は病気ではないし、そもそも霊皮症による肌の白化は先天性のもので後天的に発症することなどない」
ラデックの発言に酒場内が一瞬静まり返る。その不気味な静けさにラデック達は狼狽えるように周囲を見回す。すると老人が困ったように頭を掻きながら説明を始めた。
「こりゃすんません。申し遅れた。ワシは大妖エレメンタル医師の”ヒューリィ“と申します。今貴方が仰ったように”悪魔病“は長い間”霊皮症“と混同され無害なように思われてきた。しかし、それは間違った認識だったんじゃ」
ラデックは老人の言葉の真偽を確かめるように、シスターの方へ目を向ける。しかしシスターは魔導外科医の知識を以ってしても老人の言葉の意味が理解できず、ただただ困惑しているだけであった。老人は2人の反応を見て、再び言葉を続ける。
「この話を知らないと言うことは……恐らく貴方達は外国の方じゃな?確かにワシの研究は未だ世界に発表されていないものじゃ。しかし、全て事実なんじゃよ。”悪魔病“は感染性の強い”忌病“じゃ。これは先進国である“狼の群れ”や“世界ギルド”、“笑顔による文明保安教会”では大昔から分かっていた事実じゃが、今やその感染源となっている“使奴”による情報統制が行われ、真実が隠蔽されておる。知らないのも無理はない」
“悪魔病の真実を使奴が情報統制によって隠蔽している”。これは最早ラデック達にとってこの話が虚偽であることの証明であった。この絵に描いたような陰謀論に、ラデックは少し躊躇いながらも偽造パスポートを見せて口を開いた。
「残念ながらご老人。俺は“狼の群れ”の魔導医学研究センターで准教授をしている。貴方のその陰謀論が虚偽であることは――――」
その直後、ハピネスが空のビールジョッキでラデックを殴りつけた。
「がっ――――!!!」
「いやあすみませんDr.ヒューリィ!うちの若造がだらだらとしょーもないことを!!」
困惑するラデックの横で、ハピネスは偽造パスポートを老人に見せて笑顔で話し始める。
「私、狼の群れで国立中央メディカルセンター長、狼王大学脳神経外科教授、万愛大学魔導医学科教授、終堂狼遺伝学研究所所長、国立研究開発法人波導医学総合研究所副理事を務めさせて頂いております!ハピネスと申します!!今Dr.ヒューリィが仰られたように、我が国でも”悪魔病“に関する史実との食い違いは度々議論され現在も研究が行われています!!」
立板に水を流すようなハピネスの言葉に、老人は一瞬気圧されるもすぐに穏やかな表情に戻った。
「おお、ハピネス様……これはこれは、話が早くて助かります。やはり気づいておられましたか」
「当然ですとも!この使奴による世界の独裁を認めてはならないと、私も常々思っていたんです!それをウチの者はまだ理解出来ていないようで、それで”コモンズアマルガム“では密かに”悪魔病“を始めとした世界ギルドの策略を止めようとしている方々がいると噂を聞きまして!こうして遠路遥々――――――」
「それは素晴らしい。ではワシの事務所にて紹介状を――――」
狼狽えるラデックとシスターを置き去りに、ハピネスは興奮気味に老人と話し込んでいる。その様子を見て、ラデックとシスターは邪魔しない方が面倒臭くないだろうと思い、静かに頷き合った。
〜スヴァルタスフォード自治区 コモンズアマルガム 真夜中の表通り〜
「全く……何をしているんだか」
酒場を後にした4人の先頭で、ハピネスが呆れるように文句を溢した。ラデックは態とらしく溜息を吐くハピネスの言葉に若干ムッとして口を開く。
「あのヒューリィという老人の言っていることは酷い出鱈目だ。言いがかりをつけられたシスターだけではなく、イチルギ達を不当に貶める悪意の篭ったこじつけだ」
ラデックの言葉に、ハピネスは顔を顰めて振り向く。
「だぁから、それに反論することに呆れているんだよ。私は」
「反論するだろう。イチルギの努力は並々ならぬものだ。それが馬鹿にされて――――」
「はぁ……ラデック君てば、中途半端に頭が悪いねぇ」
ハピネスは持っていた杖の鋒をラデックの眉間に突きつけようとして、誤って側頭部を強打する。
「痛っ」
「良いかい?馬鹿の主張が出鱈目こじつけ何でもアリなのは分かりきってることだろう。陰謀論てのはそういうものだ。問題は、その出鱈目こじつけ荒唐無稽なクソ理論を、ああも自信満々に語る有識者気取りの馬鹿に正論をぶつけようとする君のやり方さ」
「あそこまで馬鹿にされたら言い返したくもなる」
「言い返して何になる。私たちの目的は、世界ギルドが武力介入する口実探し……延いてはこの陰謀論を根絶させる事にもなる。なら、君がやるべきは馬鹿に馬鹿の土俵で子供じみた口喧嘩をする事じゃない。上辺で媚び諂って油断させて、懐で家探しする機会を得る事だよ」
ラデックはハピネスの叱責に言葉を失って黙り込む。その横で同じように俯いているシスターを見て、ハピネスはまたしても盛大に溜息を吐いた。
「はぁ〜あ。私の肩書きがこれだけ豪勢な理由がやっと分かったよ……。今回弱者のお守りをするのは私ってことか……。ま、ラデック君が今後いつでも私をおんぶしてくれるって言うなら引き受けてあげてもいいかな。シスター君はもうちょっと頑張りなよ。君、もうちょっと頭使えるでしょ」
ハピネスの光すら映らない眼に睨まれると、シスターは身を一瞬震わせて狼狽えながら小さく頷いた。
「その話、もう少し聞かせてもらえるかな?」
唐突に会話に混ざってきた声。ハピネス達が声の方向に目を向けると、使奴のように真っ白な肌をした黒髪の女性が立っていた。
「アタシの名前は“エドガア”。ちょっとお話いいかな?」
【悪魔の国】




