61話 操り人形
〜グリディアン神殿 中央庁舎執務室〜
ロゼの虚構拡張により、地上3階にあったはずの執務室は黒雲が怒り狂う龍のように渦巻く荒野へと 変貌した。互いを 睨み合う、統合軍最高司令官のロゼとザルバス大統領。2人の邪魔をする者はこの場に居らず、黒雲から鳴り響く雷鳴だけが虚しく木霊している。
「なあザルバス。ここなら盗聴も監視の心配もない……本当のことを言ってくれ……!!」
ロゼが最後の希望に縋るように声を絞り出す。
「あなたを殺します」
しかし、ザルバスはロゼの言葉を冷たくあしらい、両手の二丁拳銃を構える。
「ーっ!!!クソがぁ!!!」
ロゼは腰に手を伸ばし、カードデッキから数枚の金属製のカードを抜き取り、勢いよくザルバスに向けて弾いた。
しかし、カードはロゼの手を離れた瞬間にザルバスの放った銃弾に撃ち抜かれ、あらぬ方向へと飛んでいく。ロゼは自分の脚を狙って飛んできた銃弾を防御魔法で弾き返しながら、炎魔法で煙幕を張り一旦見を隠す。
そこへザルバスは追い討ちをかけるように銃弾を打ち込み続ける。ロゼは身を隠していた筈の自らを正確に射抜き続ける銃弾に追われ、意図せず煙幕の外へ飛び出した。
「しまった――――!!」
ロゼがザルバスの方を見るより早くザルバスがロゼに接近し、ロゼのカードデッキ目掛けて雷魔法を放つ。ごく僅かな魔力によって打ち出された魔法にロゼは一瞬気付くのが遅れ、霊合金のカードは強い磁力を帯びてただのインゴットのようになってしまった。
カードが封じられたと見るや否や、ロゼは異能を使おうとザルバスに向けて掌を向ける。ザルバスの背後に突如として巨大な弾丸が現れ、目にも留まらぬ速度で射出された。しかしザルバスはこれをひとっ飛びで躱し、涼しい顔でロゼへと向き直る。
「くそっ……なんで避けられんだよっ……!!!」
ロゼがそう呟くのも無理はなかった。ロゼが召喚したのは、“200年前の旧文明が誇る魔導戦闘機“である。魔導防壁と超加速による体当たりを主力とした航空機。当然今の文明を生きる人間にとっては想像し得ない超技術であり、予測どころか想像することも不可能に近い未知の兵器。
ロゼの異能は“空間対象の変化系”である。かつてその座標に存在していた物体を、当時の状態、速度、温度のまま複製する。言わば疑似的なタイムマシン。
ラルバ戦の時には、ラルバが立っていた位置に当時存在していた爆弾や砲弾を呼び出した。今回は、ザルバスの立っていた位置を通過した事のある戦闘機を呼び出した。200年前に高度な文明による大戦争が起こっていたからこそ、この時代では絶大な威力を発揮する異能。
しかし、ザルバスはこの未知の攻撃をいとも容易く避けてみせた。ロゼが続けて呼び出した砲弾も、爆発も、刃弾も、魔法弾も、斬撃も、毒ガスも。全てを最小限の動きで躱し、淡々と反撃を繰り返す。
ロゼは隙を見てカードデッキにかけられた雷魔法を解き、カードを弾こうと数枚を掴む。しかしその行動を予測していたザルバスに手を撃ち抜かれ、地面にデッキごとカードをばら撒いてしまう。
「クソッ!クソッ!クソッ!クソがっ!!」
ロゼは焦って異能を連発し精神を擦り減らす。対するザルバスは機械のように無機質な表情で攻撃を避け続け、ロゼを確実に追い詰めていく。
ロゼは焦燥感に蝕まれながらも、心の奥底に”悲しみ“と”懐かしさ“を感じていた。ザルバスは異能を持っていない――――にも拘らず、ロゼの不可思議な猛攻を避けられる理由は主に2つ。1つはザルバスがロゼの異能の性質を知っている事。ロゼの異能は物体にしか適応することはできず、生物にまで干渉することがない。そのため攻撃の挙動はある程度絞れてしまう。また、呼び出せる時間はごく僅かで、一回の召喚で行える攻撃回数はそう多くない。そしてもう1つの理由。幾ら攻撃の挙動を予想しているとはいえ、人工知能を搭載した機械の追従や、想像できない超技術に対応できている理由。それは、ザルバスがロゼを育てた張本人であるが故、ロゼという人間の癖を誰よりも理解していたからであった。
ロゼは攻撃を避けられる度に、頭の奥から声が聞こえてくるような錯覚を感じていた。
「また死角から狙ってる。目玉の動きでバレるぞ」
「無理に意識を逸らそうとするな。相手からは挙動不審に見える」
「行動がパターン化してきているぞ。2度目は読まれる」
「分かってる……!!分かってんだよ……!!」
ロゼはブツブツと独り言つ。その顔には苛立ちというよりは、子供が母親と逸れた時のような悲壮感が滲んでいる。
「ブラフを形骸化させるな。常に何を目的に動いているかを理解しろ」
「異能に頼り切るな。予測不可能な攻撃を、ロゼ自身が予測可能にしてしまっているんだ」
「隙を無理に突こうとするな。弱点は得てして罠にもなる」
「わかってるよ……!!わかってるってば…………!!!」
牙を剥き出しにして歯を擦り合わせる。自らにアドバイスを送る幻聴に、ロゼは目に涙を溜めて文句を零した。
「わかってるから……ちょっと黙っててくれよ……!!!」
一瞬姿勢を崩したロゼの太腿をザルバスの放った銃弾が貫いた。ロゼは勢い余って大きく地面に倒れ込み、そこへザルバスが銃口を突きつける。ロゼも、ザルバスも、この一手で生死が決まることを理解していた。
「さよなら。ロゼ」
「くたばれ嘘吐き野郎ぉお!!!」
〜グリディアン神殿 10年前〜
「おいっ!!お前っ!!止まれっ!!」
幼女の声にザルバスは歩みを止めた。ふと振り向くと、使奴寄りと思われる幼女が黒い白目に浮かぶ真っ赤な瞳でコチラを睨み付けていた。当時14歳だったザルバスは、持っていた参考書を閉じて幼女を見つめる。
「あれ!あれお前がやったのか!?」
「あれ?…………ああ」
幼女の指差す方を見ると、数人の人間が酔い潰れたかのように横たわっていた。先程、学校帰りのザルバスを襲った破落戸である。
「もしかして、君の大事な人達だったりした?だとしたらごめんね」
「違う!!誰があんな弱小共なんかと……!!」
まだ10歳にもなっていないような幼女が、屈強な大人を「弱小共」と卑下したのが思いの外面白く、ザルバスは肩を震わせながら口元の笑みを隠した。
「なっ何がおかしい!!」
「いや、別に?それで、なんの用かな?」
「俺と戦え!!強いんだろ!!お前!!」
幼女は腰の鉄の棒をザルバスに突きつける。幼気な挑発にザルバスは少し微笑ましくなったが、すぐにそれが傲慢であったことを思い知った。
「おっと」
突然跳躍した幼女の大振りを、間一髪の所で躱すザルバス。使奴寄りの身体能力は普通の人間より高いことは知っていたが、まさか幼女の宣戦布告が生半可なものではなかったことに目を見開いて驚く。
「お前ぐらい強いやつなら師範も認めるだろ……逃げんなよ!!」
ザルバスは、幼女が破落戸を”弱小共“呼ばわりしたことが強がりではなかったと知り、学生鞄を下ろして幼女を見下ろす。
「……いいけど。私、強いよ?」
「強くなきゃ意味ねぇんだよ!!」
「っはぁ……っはぁ……に、逃げんなっつーのに……!!」
「じゃあ追いついてみなよ」
幼女はぜえぜえと肩で息をしながら、ふらふらとザルバスに近寄る。しかし最後の力を振り絞った渾身の斬撃も、ザルバスにいなされ地面に突っ伏した。
「ひ、卑怯者……!!」
「卑怯者に負ける弱者に発言権はないよ」
ザルバスは幼女相手に容赦なく吐き捨て、鞄を拾う。
「君、名前は?」
「おい、その言い方だと……俺が負けたみてーじゃねーか……!!」
「うん。君の負けだよ。だから名前教えて?」
ザルバスは人差し指を幼女に向けて「バーン!」と銃を撃つジェスチャーを行った。
「………………ロゼ」
「あれ。潔いね。えらいえらい」
「子供扱いすんな!!俺は大人より強いんだぞ!!」
「大人より強くても子供は子供だよ」
ザルバスは参考書を読みながら背を向ける。
「じゃあねロゼちゃん」
「おっ……おい!!次!!次は勝つからな!!」
「ふーん?じゃあ……また明日ね。次も負けないよ」
「だークソッ!!勝てねぇ!!」
「これで100連敗だね。毎日毎日、飽きない?」
「ちくしょー!!何でだ!?お前異能持ちか!?」
「なわけないでしょ。人のせいにしないの。言ってるでしょ?目の動きで狙いがバレバレ」
「そうじゃねぇ時もあるだろ!!」
「無理に意識を逸らすと逆に怪しいよ。もっと自然にやらなきゃ」
「くっそームカつくーっ!!」
「ふう。これで何連敗だっけ?えっと会ったのが卒業式の半月前だから……」
「…………多分……700……くらい……」
「……なんかごめんね?」
「謝んな!!惨めになるだろーが!!」
「でも最初の頃よりだいぶ良くなったよ!!」
「当たり前だ!!つーか俺人生で負けたのお前とクソババアにだけだからな!?」
「おーすごい」
「……つーかザルバスはなんでそんな強いんだよ」
「………………強くないと、生きていけないんだ」
「そこまで強くなくても生きていけるだろ」
「………………私がじゃない」
「はぁ!?大統領選に出る!?何で!?」
「この国を変えるの。だから将来の選挙に向けて、今から色んな人とコネ作らなきゃ」
「いやいや急過ぎんだろ!!」
「急じゃないよ」
「いつ決めたんだよ」
「ロゼと会う前から」
「……はぁ!?」
「この国を変えて、差別をなくす。貧困もなくす」
「……ザルバスって意外と馬鹿なんだな。無理に決まってんだろ」
「無理じゃない。ロゼ。あなたがいれば」
「いや俺は政治家なんかやらないよ?頭悪いからそっち方面は絶対無理」
「ロゼは頭悪くないよ」
「お前の横にいれば嫌でも理解すんだよ。自分の馬鹿さ加減ぐらい」
「ロゼには軍の偉い人になって欲しい。確かお母さんが大佐だったよね?入れない?」
「入れってめちゃくちゃ言われてっけど絶対やだ。アイツの血縁ってだけでも吐きそうなのに」
「お願いロゼ。あなたぐらい強い人の協力があれば、絶対に叶えられる」
「やだってば」
「お願い」
「やだ」
「お願い!!」
「やーだ!!!」
「あの……師範……」
「なんですかロゼ。学校はどうしたんですか」
「いや……その……が、学校は、辞めようと思う」
「……私の反対を振り切って得た選択を捨てるのですか?」
「……軍に、入れて……下さい」
「はっ……今更何を」
「お願いします」
「傭兵で勝手に稼ぐと言ったのは自分でしょう。傭兵上がりでも軍には入れますよ」
「傭兵上がりでは間に合わないんです。お願いします」
「間に合わない……?ロゼ、あなたまさか親の七光で軍に入ろうっていうんじゃないでしょうね」
「実力は必ず示します。お願いします」
「ふざけるな!!自分の選択も満足にできない奴が!!軍隊になぞ入れるものか!!」
「お願いします!!!」
「我儘も大概にしろ!!!ロゼ!!!」
「お願いします!!!」
「ロゼ!!凄いじゃないか!!もう少尉になったんだって!?」
「……ズルしたけどな」
「お母さんに……言ってくれたんだな……」
「そっからソッコーで上位階級に喧嘩売りまくって、全員ボコした。後は実力主義の上層部に取り入って汚職上司を脅して……前代未聞、異例の大出世だ」
「……それ、大丈夫なのか?」
「いや、もうじき問題にされてクビになると思う。だからザルバス。早く権力者騙くらかして助けてくれよ」
「無茶を言うなぁ」
「お前も無茶言ったんだから、これぐらい頼むぜ」
「……頑張るよ」
「と、統合軍……最高司令官……?俺が……?」
「どうだロゼ。私も見事大統領当選確実!これで権力と軍事力両方を牛耳ったわけだ!!」
「お前……何した?」
「んー……良くないことを少々……」
「…………はぁ。まあこの平和馬鹿について来ちまったんだから、今更文句言ってもしょうがねぇか……」
「平和馬鹿ってなんだ平和馬鹿って」
「ぶっちゃけ、俺は今でも国を変えるなんて不可能だと思ってる」
「できるってば!!」
「ザルバスが幾ら吠えたとこで、結局行動すんのは国民だろうが。でも……取り敢えずお前が先頭切って走ってるうちは、ついて行ってやる。お前がどんなに変なことをしてても、盲信して従ってやるよ」
「……ロゼ。ありがとう」
「……頑張れよ。ザルバス」
「なっ何だこれは……グリディアン神殿の地下にこんな場所が……!?」
『んふふぅ〜……あなだが次の大統領……?』
「お前……お前が……この国を……!!!」
『うるざいわねぇ……いいがら黙っで、私のいうごどを聞きなさい……!!』
「断る!!お前なんぞに……私の……私達の国を汚させるものか!!」
『お前達っ!!この女が「分かりました」って言うまで……目の前で赤ん坊を殺しなさい。これでもかってくらい痛めつけて』
「やめろ!!そんなことをしたって国は変わらない!!」
『弱者なら少年でもなんでも良いわ。あ、可愛い子以外ね。お前達が一番残酷だと思うやり方で殺し続けなさい』
「お前達もこんな奴に従う必要はない!!私が必ず国を変えて見せる!!だから……だからそんなことはやめてくれ!!」
「やめろ!!やめろ!!ふざけるな!!」
「命を……命をなんだと思って……!!!」
「頼む……もう、もうやめてくれ…………!!!」
「………………………………どうして」
『一回だけでいいのよぉ?一回だけ「わかりました」っで言えば……やめであげるがらぁ』
「ほ、本当だな……?言うだけで……」
『そうそう……“言うだけ”よぉ……』
「わ……わかった――――」
「おい……ザルバス……!!!」
ロゼが激痛が走る身体をゆっくりと起こしてザルバスを見上げる。片目は銃弾に貫かれ、最早絶命一歩手前。そんな瀕死の状況でも、ロゼは最期の力を振り絞ってザルバスに問いかける。
「お、俺。お前が……何しても、ついてってやるって……いったよな……?」
ザルバスは再び銃口をロゼに向ける。
「お前は、頭が良いから……俺には、お前が……何やってるかなんて……全っ然わからねぇ。だから……理解は、お前、に、任せて……俺は……手足になろうって……」
銃弾が放たれる。弾は喉を貫き、ロゼはその場に崩れ落ちた。ロゼは唇をゆっくりと動かし、声に出せなくなった言葉を繋ぐ。
これは、お前の意思じゃないよな?
暗くなっていくロゼの視界に、一滴の雫が落下した。雫は渇いた荒野の大地に染み込み、すぐに消えてなくなった。
ああ、やっぱり。
それがわかれば、十分だ。