50話 あ
老人は用心深かった。
200年前、使奴が解放された直後に一つの目標を最前に掲げた。
“使奴に見つかってはならない”
長年自分を縛りつけ使役してきた研究員達への復讐。そして自由になる事。それらを達成するには、使奴の存在は余りにも邪魔だった。もしこの老人に善の心があったならば使奴に助けを求めるという発想に至っただろうが、残念ながら彼はそんな悠長な思考など持ち合わせていたなかった。
使奴への対抗手段。ラデックやハザクラは時間壁によるタイムスリップで200年後に飛んだが、使奴と対立している彼はそうするわけには行かなかった。
なんとしても使奴から逃げ切らなければ。
時間壁を止め、世界中を巻き込んだ戦争の中なんとか生き延び、自我のない使奴の在庫を燃料代わりに研究所を隠し、無限の命を得て、“法則改変“の異能を持つ研究員を隷属させ、研究所近くの集落を利用し、常夜の呪いを作り、使奴達の見えぬ所で楽園を創り上げた。
これであとは”脱走した使奴の誰かの記憶を全て消して、自身の記憶で塗り替える“ことができれば、使奴の肉体を得た自分の分身が出来上がる。研究員の殲滅。そして、自由を得ること。200年越しの彼の悲願が達成される筈だった。
〜なんでも人形ラボラトリー 使奴研究所2階〜
老人は酷く痛む身体を捩りながら、ゆっくりと意識を取り戻す。
「どうも」
目の前に座る赤い髪の青年が、無表情のままこちらを見つめている。
「……お前、は……」
老人はハザクラを知っていた。彼がこの国に入ってきた時から監視カメラをで追尾していたというのもあるが、元よりハザクラが5歳の時に使奴研究所に拉致された後、基礎的な知識を植え付けたのが自分だったからである。故に、ハザクラも朧げながら老人のことを知っていた。
「久しぶりだな。知識のメインギア」
老人は椅子に縛り付けられている事に気がつくと、反逆の意思を悟られまいと俯き沈黙する。
「お前の思っている通り、俺はお前に敵意を抱いている。しかし、それ以上にあるお前の能力を買っている」
老人が少しだけ目線を上げる。
「お前の処遇をラルバに任せなかったのはそういう理由だ。お前に頼みがある」
「……なんだ」
「まだ言えない。しかし頼み事をする以上、協力してもらえるならお前の身の安全は保障しよう。だからまずは――――」
『俺の命令に従え』
ハザクラによる無理往生の異能。返事をしなければいいだけなのだが、絶体絶命の老人に返事をしないという選択肢は存在しなかった。
「…………わ、わかっ、た」
「よし。まあやることは簡単だ。俺に殺されろ」
「……は?お前っ……!!」
ハザクラがポケットからナイフを取り出すと、老人は青褪めて身体を揺らす。
「勘違いするな。頼み事の都合上、ある程度の忍耐力がないといけないだけだ。それを確かめるためであって本当に殺すわけじゃない。お前が気を失った直後、回復魔法で復活させる手筈は整っている。第一、殺すつもりならそもそもお前が屋上で気を失っている時に突き落としてる」
ハザクラの言葉に、老人は半信半疑のまま歯を食いしばって黙り込む。ハザクラの思惑が何にせよ、老人はハザクラに従う他ないのだから。
「…………わか、った」
「じゃあ刺すぞ」
ハザクラは男に近寄り、勢いよくナイフを首に突き刺した。
「うっ!!!」
老人はドボドボと血を吐き出してむせ返り、激痛に呻く。そしてハザクラは突き刺さったナイフを感触を確かめるようにぐりぐりと押し込む。
「ふむ。じゃあ“思い出せ”」
突然の意味不明なハザクラの問いに、老人は遠のく意識の中で疑問を抱く。しかし、それは突如鮮明な記憶とともに絶望を呼び起こす。
「あ」
老人は思い出した。「これは3回目だ」と。
最初は確か絞殺、縄で絞め殺された。次は撲殺?そして、今は刺殺――――
ハザクラは手についた返り血を拭いながら老人を見つめる。
「……そろそろ気を失うか?じゃあ…………」
ハザクラは咳払いをしてから、罵るように老人を見下す。
「ここ10分以内の記憶を忘れろ」
老人は酷く痛む身体を捩りながら、ゆっくりと意識を取り戻す。
「どうも」
目の前に座る赤い髪の青年が、無表情のままこちらを見つめている。
「……お前、は……」
「久しぶりだな。知識のメインギア」
老人は椅子に縛り付けられている事に気がつくと、反逆の意思を悟られまいと俯き沈黙する。
「お前の思っている通り、俺はお前に敵意を抱いている。しかし、それ以上にあるお前の能力を買っている」
老人が少しだけ目線を上げる。
「お前の処遇をラルバにさせなかったのはそういう理由だ。お前に頼みがある」
「……なんだ」
「まだ言えない。しかし頼み事をする以上、協力してもらえるならお前の身の安全は保障しよう。だからまずは――――」
『俺の命令に従え』
「…………わ、わかっ、た」
「よし。まあやることは簡単だ。俺に殺されろ」
「……は?お前っ……!!」
ハザクラがポケットから注射器を取り出すと、老人は青褪めて身体を揺らす。
「勘違いするな。頼み事の都合上、ある程度の忍耐力がないといけないだけだ。それを確かめるためであって本当に殺すわけじゃない。お前が気を失った直後回復魔法で復活させる手筈は整っている。第一、殺すつもりならそもそもお前が屋上で気を失っている時に突き落としてる」
「…………わか、った」
「じゃあ刺すぞ」
ハザクラは男に近寄り、首筋にゆっくりと針を刺す。
「ぐっ……ううっ……!!」
老人は注射器の刺された首周辺を何かに蝕まれるような疼痛に襲われながら、必死に気を紛らわそうと目を逸らす。
「ふむ。じゃあ“思い出せ”」
「あ」
老人は思い出した。「これは4回目だ」と。
最初は確か絞殺、縄で絞め殺された。次は撲殺?そして次が刺殺。今回が毒殺――――
ハザクラは空になった注射器をしまいながら老人を見つめる。
「……そろそろ気を失うか?じゃあ…………」
ハザクラは咳払いをしてから、罵るように老人を見下す。
「ここ10分以内の記憶を忘れろ」
「どうも」
「……お前、は……」
「久しぶりだな。知識のメインギア……お前の思っている通り、俺はお前に敵意を抱いている。しかし、それ以上にあるお前の能力を買っている。お前の処遇をラルバにさせなかったのはそういう理由だ。お前に頼みがある」
「……なんだ」
「まだ言えない。しかし頼み事をする以上、協力してもらえるならお前の身の安全は保障しよう。だからまずは――――」
『俺の命令に従え』
「…………わ、わかっ、た」
「よし。まあやることは簡単だ。俺に殺されろ」
「……は?お前っ……!!」
ハザクラが雷魔法で手元に電撃と火花を弾けさせると、老人は青褪めて身体を揺らす。
「勘違いするな。頼み事の都合上、ある程度の忍耐力がないといけないだけだ。それを確かめるためであって本当に殺すわけじゃない。お前が気を失った直後回復魔法で復活させる手筈は整っている。第一、殺すつもりならそもそもお前が屋上で気を失っている時に突き落としてる」
「…………わか、った」
「じゃあ触れるぞ」
ハザクラは男に近寄り、老人の頭を鷲掴みにする。
「ごがががっ……!!!ががががっ!!!」
老人は自分の意思とは関係なく暴れる手足と激痛に悶えながら白目を剥く。
「ふむ。じゃあ“思い出せ”」
「あ」
老人は思い出した。「これは5回目だ」と。
最初は確か絞殺、縄で絞め殺された。次は撲殺?そして次が刺殺。前回が毒殺。今回は感電死――――
ハザクラは口から泡を噴き出しながら震える老人を見つめ、口を開く。
「……そろそろ気を失うか?じゃあ…………」
「ここ10分以内の記憶を忘れろ」
――――お前に頼みがある」
『俺の命令に従え』
ハザクラが水魔法で手元に水の球体を――――
「がぼぼぼぼぼっ……ごぼぼぼっ…………
“思い出せ”
「あ」
ゆっくりと意識を――――
炎魔法で足元に――――
ぎゃあああああああっ!!!
「あ」
テープで口と鼻を――――
「あ」
「あ」
「あ」
「あ」
「あ」
「あ」
「あ」
「あ」
「あ」
「あ」
「あ!!!」
〜なんでも人形ラボラトリー 使奴研究所1階〜
ジャハルは腕を組みながら落ち着きなくラルバの周囲をうろうろと歩き回っている。
「ハザクラは大丈夫だろうか……何故こんなことを……いやしかし……でもだからといって……」
「んもーうっさいなハルっちょ!!着席!!手はお膝ぁ!!」
「これが落ち着いていられるか!!ハザクラが今も上で拷問をしてるんだぞ!?」
ラルバは大きく溜息を吐いて肩を落とす。
「まったく……拷問の一つや二つなんだってんだい……じゃ、私ハザクラんとこ行ってくるから。お留守番してるんだよ」
「ま、待てっ!今度こそ私も――――」
「お・留・守・番!!」
ラルバに凄まれ、ジャハルはしょんぼりとその場で俯く。
「すぐ戻ってくるからそんな顔しなさんなって。行ってきまーす」
「たっだいまぁーうえっへっへっへ。あーおもしろ」
ニコニコと上機嫌で戻ってきたラルバに、ジャハルは恨めしそうに尋ねる。
「……もう10回だぞ。一体何をしに行ってる?いい加減教えてくれ……!!」
「んー?まあもうそろいいかな……私は助けに行ってるだけだよ」
「助け……!?ハザクラに一体何をさせている!!!」
ジャハルはラルバの胸ぐらを掴んで大きく揺さぶる。
「やめなさい。ボタン取れちゃうでしょ。それと、助けてあげてんのはハザクラじゃなくてジジイの方」
「…………!?い、一体何故……!?」
「んふふ〜。今頃またハザクラがあのジジイぶっ殺してるだろうよ」
ジャハルは理解が及ばず、その場に尻餅をついて倒れ込む。
「ハ、ハザ……クラ……?」
ラルバはジャハルに引っ張られた襟元を直す。
「早い話しが“麻痺させてる”んだよ。倫理観を」
「り、倫……理?」
「あの子は世界を統べようと今まで頑張ってきたわけだが……今まで人を殺したことがない。人の命を奪う覚悟を知らない人間が悪を滅ぼそうなんて無理があるでしょ?だから今“殺してもいい悪党”を殺しまくることで自分の中の道徳心やらなんやらをボッコボコに痛めつけてんのさ」
ジャハルは飛び起きてハザクラの元へ走り出そうとするが、ラルバに足を引っ掛けられて転び、受け身を取って立ち上がる。
「行かせないよ」
ラルバはジャハルの前に立ち塞がり冷たく見下すが、ジャハルも怖じけず獣のように睨みつける。
「こんなことあっていい筈がない!!止めさせろ!!」
「止めてどうすんの?」
「人殺しの経験訓練なら人道主義自己防衛軍にもある!!ベル様の演技による殺害訓練で十分耐性はつく!!」
「あー使奴が人間のフリして自分を殺させるわけね?そりゃ良い方法だ。使奴なら人間の致命傷程度じゃ屁でもないし、演技もモノホンに限りなく近い……」
納得したラルバを見てジャハルはハザクラの元へと走り出すが、再びラルバが進路を塞いで立ちはだかる。
「――――で、それが今回の拷問するのとどう変わるの?」
「おまっ……人の話を聞いていなかったのか!?」
「聞いていたから言っているのだ」
ラルバは冷徹に、冷淡にジャハルを睨む。
「ハザクラは漠然とした陳腐な倫理観を乗り越えなければならない。その為には演技をしている使奴か、実際に人間を殺さなければならない。ならば理解を得ている使奴を殺した方が健全で、人殺しの経験のみを得たいならば実際に人間を殺す必要はない……そう言いたいのだろう?」
「そ、そうだ……わかっているなら――――」
「お前がわかっていないんだ阿呆め。もう既にこの時点で“実際の人間の殺害”より“演技をしている使奴の殺害”の方が道徳的であると明言しているではないか。道徳心に反抗する為に道徳的な行為を選ぶ能天気なボンクラが、その程度で自分を変えられると思うな。このモラトリアム人間め」
ラルバはジャハルを蹴飛ばし跪かせ、軽蔑するように背を向ける。
「何が総指揮官だ。笑わせるな。お前は結局、都合のいい安直な性善説に見切りをつけられていないガキだ」
ジャハルは憤慨し言い返そうと口を開くが、言葉が出ることはなかった。
「意識の奥底で私の意見に賛同しているから反論が出ないのだ。私に楯突くのは一向に構わんが……姑息な善行を説くのはやめろ。鬱陶しいだけでなく、この上なく見苦しく醜い」
ジャハルはその場に座り込んだまま、再びハザクラの元へ向かうラルバを追いかけることはできなかった。




