44話 嗚呼、懐かしきふるさと
ラデックはティエップの両肩を掴み捲し立てる。
「どういうことだ!?ここは“なんでも人形ラボラトリー”じゃないのか!?何故ティエップが“多目的バイオロイド研究所”を知っている!!」
ティエップは酷く混乱した様子で怯える。
「え、えっと、あの」
見かねたハピネスが2人の間に割って入り、若干見下すような視線をラデックに突き刺す。
「ラデック君。私は君ほど短絡的でも優しくもないが……冷静ではあるよ。まずは落ち着き給え」
ラデックは自分に言い聞かせるように胸に手を当て、タバコに火をつけて大きく深呼吸をする。
「すまなかった。この国……多目的バイオロイド研究所の由来について、知っていることを教えてくれ」
平静を取り戻したラデックに安心したのか、ティエップは未だ落ち着きのない口調でぽつりぽつりと話し出す。
「あの……昔、ここにそういう建物があったそうなんですが……それが由来、らしいです……なんで今も変わってないのかは、わかんない、ん、ですけど……そう言うラデックさんはどこで多目的バイオロイド研究所のことを……?」
「……話が拗れる。今度にしてくれ。それと、俺がここを“なんでも人形ラボラトリー”と呼んだ時、ニュアンスが違うと言ったな。どういうことだ?」
「ええと……あの……」
「それについては私が話そう」
言葉を詰まらせたティエップを遮って、ジャハルが話に割って入る。
「ジャハル?分かるのか?」
「恐らくは……ラデック。“クラヴィアルド長槍”と言ってみろ」
「は……?まあ……“クラヴィアルド長槍”?」
「うむ。ではこれを着けろ」
ジャハルは紫色のスカーフを自分の首に巻くと、同じ物をラデックに手渡した。
「む?ああ……これでいいのか?」
ラデックがジャハルの真似をしてスカーフを着けると、ジャハルは小さく頷いた。
「ああ、これは防魔加工の抗魔スカーフだ。これで今我々は“常夜の呪い”の外にいる。ハピネス。試しに何か言ってみてくれ」
「……氷点下の炒り豆は白濁大将軍の許可」
「うん。ちゃんと防げているな。ラデック。さっきと同じ単語を言ってみろ」
「む……ああ、えっと……えーと……ちょっと待ってくれ。そもそも常夜の呪いがないと思い出せないんじゃなかったか?全く思い出せないんだが」
「適当でいい。兎に角言ってみろ」
「……えー、えーと……長い……えー………………“長くて強い…………おばあちゃん”?いや、絶対違うな」
「いや、合っている」
ジャハルはスカーフを取り、ラデックにも外すよう促す。
「正しくは“クラヴィアルド長槍”だ」
「ああ。そうだ。それだ。正しくはも何も、全く違う意味じゃないか」
「果たしてそうだろうか。ラデック、今度はスカーフをつけている時に何と言ったか言ってみろ」
「……長くて強いおばあちゃん」
「よし。ハピネス。クラヴィアルド長槍と長くて強いおばあちゃん。どう違う?」
突然話を振られたハピネスは、真顔のまま首を捻り口元に手を当てる。
「どう違うか聞かれると……難しいね。違う気はするが、明確に何が違うかは言えん」
ラデックはハピネスの言葉を理解することができなかった。文字も発音も意味も全く違う言葉を、ハピネスは「明確に何が違うかは言えない」と答えた。また、理解不能に陥っているラデックにハピネスもまた混乱している。2人が答えを求めるようにジャハルを見つめると、ジャハルは咳払いを一つ挟んで答える。
「クラヴィアルド長槍とは、竜の国“バルコス艦隊”から輸入された槍の種類だ。そしてクラヴィアルドというのは女性の名前。当時農婦だったクラヴィスという女性が、藁を運ぶピッチフォークを捻じ曲げて作った槍で一人軍隊に喧嘩を売ったのが始まりだ。クラヴィスはそのまま仲間を増やして軍隊と戦い、果てにはクーデターを成功させ英雄になった。その敬意と栄光を讃えて、クラヴィスにはバルコス艦隊の最上級の称号である“アルド”が与えられ、捻じ曲げられたピッチフォークの槍には彼女の名前がつけられた。故にクラヴィアルド長槍とは、恐ろしく強い老婆の槍なのだ」
ラデックは納得がいかないといった様子でジャハルを睨むが、気怠そうに髪を掻き上げて溜息をついた。
「……合点はいかないが、言いたいことは分かった。そうか、“誤翻訳”か」
ジャハルは大きく頷き、胸を支えるように腕を組む。
「この地で生まれ育った場合は別なんだが……“常夜の呪い”に罹ったばかりの人間の話すワードサラダは、若干本来の意味に近づく傾向がある。なんでも、は多目的。人形、はバイオロイド。ラボラトリー、は研究所。この国に訪れた別の国の人間による誤翻訳が原因だと思う。だからハピネス。お前がさっきなんて言ったか大体予想がつくぞ。「仰せのままに、ホイップフラペチーノ指揮官」とか言ったんだろう。ぶん殴るぞ」
拳を高く突き上げて威嚇するジャハルに、ハピネスは屈んで両手を突き出し大袈裟に抵抗の姿勢を見せる。
「はぁ……全く…………“常夜の呪い”とは、言わば“過程と結果という法則を破壊する”魔法だ。言葉は相手に何かを伝えるためにあるが……常夜の呪いの中では、相手に言いたいことは伝わるが言葉は支離滅裂なものになる、結果に過程が影響しないんだ。そんなものが国内全土に蔓延している。それだけ広範囲に影響を及ぼす以上、密度は薄く防ぐことは容易いが……呪いの中で生まれ育った人間は最早、呪いがなければ生きていけないだろう。まるで首輪だ。そのせいで、なんでも人形ラボラトリーの国民が他の国で暮らしているケースは数えるほどしかない」
ジャハルがティエップにチラリと目を向けると、ティエップは酷く悲しそうな表情で俯いた。
「……わた、私が逃げ出せなかったのも……そういう理由……です。言葉も、文字も、わかんない、し……」
口調に段々と泣き声が混じり始めると、ラデックはティエップの発言を止めるように抱き寄せ髪を撫でる。
「言わなくていい。辛いことを聞いてすまなかった」
ラデックがティエップを落ち着かせようと背中を摩っていると、ハピネスが嘲笑するように鼻で笑う。
「……ここが使奴研究所なら……早くラルバ達に知らせた方がいいんじゃないかい?」
「確かにそうだな。きっと飛び上がって喜ぶ」
「あ、喜ぶんだ……」
ラデック達は再び宿に向かって歩き始め、明日の予定を話し合いながら真夜中の路地裏を進んでいく。一方その頃…………
〜なんでも人形ラボラトリー 地下街〜
「こっ高価な画角戦争に陽炎パンダがっ!!泳ぎ出すっ!!コンバート雨たちの制服ぅぅぅうううう!!!」
男の支離滅裂な叫び声。天井の低い閑散とした地下街を、男は何度も転びそうになりながら必死で走り抜ける。
「待て待て待て待てェェェエエエエエエイ!!!」
それを追いかける快楽殺人鬼が一人、ラルバは態とギリギリ追いつかないスピードで壁や天井を走り回り、男が泣き喚きながら逃げるのを楽しそうに追い詰めている。
やがて男は袋小路に入り込んでしまい、おろおろと壁に手をついて震える。そこへ追いついたラルバが前傾姿勢で詰め寄り男の顔を覗き込む。
「じゃっ寂静たる和音の味方っ……!!間隙は偉大なるゴミ細胞ぅぅぅ……!!!」
「う〜ん何言ってるかさっぱりだなぁ……まあでも子供虐めるのは良くないからね!お仕置きします!!」
そう言ってラルバは男の口に両手を突っ込み、勢いよく上下に開いた。石を砕くような音と共に口の端が裂け、男の顎は180度開いた状態から戻らなくなった。
「はぇぇぇぇぇえええっ!!!おえあええええぇぇええええっ!!!おあああああおあああ……」
「顎砕いてもうるさいなコイツ……ハザクラさぁん!?翻訳おなしゃーっす!!」
ラルバは振り向いて大声で叫び、ついてきているであろう人物を呼ぶ。
袋小路の角からハザクラが現れ、後ろにバリアと顰めっ面をしたイチルギが姿を見せる。ハザクラは面倒くさそうにポケットからマッチを取り出し、火をつけた。マッチの先端が火花を散らし勢いよく燃え上がると、周囲の景色が一瞬揺らぎ魔力の流れ――――波導が水面の影のように澱み始める。
「……寄るな化け物とか言っていただけだ。特にめぼしい情報はない」
「えーがっくしぃー」
マッチによって常夜の呪いの影響下から脱したハザクラは、僅かに眉間に皺を作りラルバを睨む。
「あまりマッチを使わせるなラルバ。“霊祓灯”はもっと大きな魔法を消すのに使いたい」
「ホイップフラペチーノ指揮官から抗魔スカーフ借りてこなかったのがいけないんでしょぉー。わがまま言わないの!」
ラルバの悪態にすぐさまイチルギがチョップを入れる。
「痛った!あにすんの!」
イチルギは返事の代わりに心底苛ついた表情でラルバを睨んだ。不満そうなラルバは、大袈裟に頬を膨らましながら袋小路の外へ歩いて行く。
「一日中真夜中で気が狂うから地下に来たのに……言葉が通じないんじゃどっちみち気が狂うよ!!オモシロなーんもないし!!」
後ろから小走りで近づいてきたバリアがラルバの横に並ぶ。
「……一個予想したんだけど、言っていい?」
「ん?バリアちゃんから何んか言うの珍しいね。なぁに?」
バリアは目を細めながら地下街に組み込まれた店を一軒一軒睨みつける。
「……“常夜の呪い”は……真夜中とは無関係」
「いやそれは分かるよ。そんで?」
「一日中夜にして、言語を崩壊させる……多分、“使奴除け”だと思う」
ラルバが突然ピタッと歩みを止める。
「……使奴除け?」
バリアは振り返って小さく頷く。
「……使奴は色んなものを予測できる。でも、簡単に予測できるものを覆されると弱い。これは使奴の特性を知っている人の仕業だと思う。例えば、“使奴研究員”とか」
ラルバはわなわなと肩を震わせて俯く。そして――――
「ネタバレ厳禁ですっ!!!」
ラルバの凄まじい怒号により、真横にいたバリアは吹き飛ばされ通路の壁に叩きつけられた。




