42話 不思議な国
ハピネスは言葉を失った。
グリディアン神殿までの距離は、今までのスピードで行けばあと3日ほどであった。ここ数日、移動をすれば車に酔い、酔いが収まる頃に停車すれば揺れていない地面に酔い、高温多湿の環境に魘され、何もしていないはずなのに疲労困憊の身体を労り続け、やっと終わりが見えてきたところだった。
突然飛び出した車をラルバは、数時間で見知らぬ預言者を連れて戻ってきた。そして車に乗るなり唐突に――――
「目的地変更だ!この子を故郷に届けるぞ!」
ハピネスは絶望した。あと数日で終わると思っていた道のりが倍以上に伸び、ましてや乗員が増えたことにより車内はさらに狭くなった。ついには持参した燃料も底を尽き、使奴3名による魔導燃料を精錬し変換しての移動となった為、車体の揺れや排ガスの臭いはより激しく苦しいものとなった。
〜なんでも人形ラボラトリー ゲート前〜
まるで巨大な隕石が落ちてきたかのような鉄の塊。それが“なんでも人形ラボラトリー”を囲む城壁であり、国境である。一国をすっぽり覆う鉄板の外壁は上部が破けた繭のような形をしており、国というよりは収容所という印象であった。
「つ、つい……ついた……はぁ……はぁ……」
ハピネスは車から転がり落ち、杖に上半身を預けて老婆のような姿勢で蹌踉めく。ジャハルが黒煙を上げる輸送車のボンネットを開けて中を確認し、半ば乱暴に閉めた。
「完全にイカれたな。もう1日走れば良い方だ」
「もう……走ら……なくて、いい……次は、馬車にしよう……できれば浮くヤツ……」
「浮遊魔工車か?金持ちの乗り物だろう。贅沢すぎる」
2人の後ろから上機嫌なラルバがひょっこりと顔を出す。
「そうだぞハピネス。お前には立派な2本の足があるじゃないか」
「うう……」
「てかハピネス前まで馬車乗れてたじゃないか。あっちの方が揺れ強いでしょ」
「揺れの種類が違う……あと機械の臭いがダメだ……」
「ワガママですねぇ」
一行はゲート前の窓口に近寄り、預言者の女性に入国手続きを任せた。その間ラルバ達は少し離れたところで雑談を始める。
「そういやクラの助さんや」
「……クラの助ってのは俺のことか?」
ハザクラがラルバを怪訝そうに睨む。
「そうだよ?嫌?」
「とても不快だ」
「結局バリアが先生ってどういうことなの?」
「とても不快だ」
「移動中もちょくちょく会話してたよね。どういう関係?」
「とても不快だ」
「あ!わかった!さては「とても不快だ」
「ごめんて……そんな怒んないでよ……」
ラルバが面倒くさそうに上部だけの謝罪をすると、ハザクラは大きく溜息を吐いてから話し始める。
「使奴研究所の事故の直後、使奴研究員から匿ってくれたのが先生だ。そして外に出られるようになるまでの数日間、俺の面倒を見てくれた。使奴とは何か、外へ出たら何をすべきか、戦い方や知恵を教えてくれた。俺が人道主義自己防衛軍で幹部になれたのは先生の助言なしにはあり得なかった」
無反応のバリアにラルバが後ろから被さるように抱きつき、大きく左右に揺らす。
「いやあ偉いなーバリアは。あれあれ?てことはバリアを救出した私はー……ハザクラの恩人の恩人てわけだ!これは敬わないとねぇ〜」
「敬わないが」
「敬えよ」
そんな他愛もない話を続けていると、イチルギだけが数歩離れたところでラルバ達に背を向けた。
「私は行かない」
その言葉に全員が振り向き、ラルバがむすっとした顔で怒鳴りつける。
「なんだいきなり!!今更抜けようってんじゃないだろうな!!」
イチルギは大きく溜息をついて首を左右に振る。
「まあ行けば分かるわよ。私はここで待ってるから、ラルバ達だけで行ってきなさいな」
その後ラルバとイチルギは押し問答を続けるが、ラルバの方が先に痺れを切らしてイチルギの待機を認めることとなった。
【イチルギが離脱】
「まったく何だってんだあの頑固ちゃんは!!」
激しく 不貞腐れるラルバをラデックが宥める。
「別にもう俺達についてこないと言っている訳ではないんだ。多少の意見は認めるべきだろう」
「いっつも思うけど、べき論が使奴に通用すると思っているのか?」
「通用してくれ」
「むう……」
そんな話をしているうちに預言者が手続きを終わらせて、一般通路の扉が開放される。
外で手を振り見送るイチルギから離れ、洒落たレンガ造の通路を進むと大きな部屋に通された。
〜なんでも人形ラボラトリー 検問所〜
検問所を兼ねた待合室は向かいの壁一面がガラス張りになっており、なんでも人形ラボラトリーの景色を映し出している。そこへラルバは小走りで近づいて子供のように手を窓につけた。
「うおおおおおおお!!すっごい!!」
なんでも人形ラボラトリーはすり鉢状に掘られた大穴を国土とする小さな国である。下層に向け螺旋を描く岩肌には所狭しと家屋が犇き、至る所に煌びやかなイルミネーションが施され街を照らしている。ラルバ達が到着した時は昼間であったが、いつのまにか空には月が浮かび星々が瞬く真夜中になっており、広場や大通りでは人々が絢爛豪華な衣装を身に纏い楽しそうに踊っている。そこはまるで、御伽噺の世界がそのまま現実になったかのような“不思議な国”だった。
「スゴイぞラデック!なあ見てみろ!すごい!」
ラルバが笑顔を輝かせてラデックの手を引いて窓へ近づける。
「国っていうより街っぽいな!いやあ楽しみだなぁ!とりあえず宿探すか!」
そう言ってラルバはラデックの顔を見る。ラデックは暫く窓の外を眺めた後に口を開いた。
「確定的な絵画は炭坑夫の祈り。強制落下は絶対」
絶句――――
使奴という完璧に近い知能を持つ生物の意表を突くということは不可能に近い。その完璧生物のラルバの思考が、ラデックの支離滅裂な発言により数秒停止した。
「ラララララデックがおかしくなっちゃったぁー!!!」
ラルバは絶叫してハピネスにしがみつく。
「ハピネス!!!ラデックが壊れた!!!」
ハピネスは困った様子で首を傾げる。
「不明な動作は自分の驕り?短絡アラートの洪水」
「ぎゃあああああああああハピネスも壊れたぁぁぁああああああ!!!」
ラルバは飛び退いてから着地に失敗し盛大に転倒した。そこへジャハルが駆け寄り訝しげに見下ろす。
「暴発犬から瞼のデモンストレーションに……項目不可欠」
「んぎゃあああこっちくんなブス!!!」
ラルバはジャハルの頬をビンタすると、もと来た道へ走り去った。
「帰る帰る帰る帰るっ!!!もう嫌この国っ!!!」
〜なんでも人形ラボラトリー ゲート前〜
イチルギが暇つぶしがてらゲートの受付嬢とのんびり紅茶を飲んでいると、数分前に入国したばかりのラルバが血相変えて走り寄ってきた。
「あら、早いお帰りね」
【イチルギが加入】
「イチルギ!!ラデックが!!ハピネスが!!おかしくなっちゃった!!」
走ってきた勢いのまま抱きついてきたラルバをイチルギはひらりと躱して紅茶を受付嬢に渡す。すると通路の奥からラデック達が小走りで戻ってきて、最初にジャハルが口を開いた。
「いったい何だというんだ!!顎が外れるかと思ったぞ……!!」
「うおおおお!?治った!!」
ラルバはジャハルに飛び付き、粘土を捏ねるように顔をぐにぐにといじくり回す。
「んぎぎぎぎ……やうぇんか!はにゃしぇ……!」
「うんうんどこも悪くなってないね!いやあびっくりしたぁ」
「びっくりしたのはこっちだ!!」
ラルバはジャハルに突き飛ばされて数歩後ろに下がる。
「イっちゃんこれが分かってたから待ってたんだねぇ……先に言ってよ!!!」
「いや言ったら私も連れていかれるじゃない。私だってあそこ苦手なのよ」
そこにラデックが近寄って会話に割って入る。
「すまない。2人がなんの話しをしているのかさっぱりわからないんだが……イチルギ、どういうことだ?」
「ちょっと理解に時間がかかるわよ。“常夜の呪い”は」
「呪い?魔法にかけられたような気はしなかったが……」
ラルバがラデックの顔を不安そうに覗き込む。
「預言者の言葉、意味不明だったろう?あれと同じような状態にラデック達もなっていたんだぞ……」
「なんだと?そんな記憶は一切ない」
キョトンとするラデックにイチルギが人差し指を向ける。
「じゃあラデック、あのゲートの向こうで発言したことを一言一句そのまま言ってみて」
「はあ……えっと確か……窓――――む?あれ、ちょっと待ってくれ。思い出すから」
「無理よ。そういうものなの。あの中での会話は雰囲気で理解しているから、詳細には認識できないわ」
「これが呪いか……もう喉元まで出かかってるんだが、ギリギリ思い出せない……非常にもどかしい」
「なんでも人形ラボラトリーの空、見た?」
「ああ、綺麗な夜空だった。今は昼間なのに……」
「あれが呪いの正体って言われてるから”常夜の呪い“なの。まあ原因は別にあると思うけど」
顔を顰めて喉を摩るラデックの横で、不満そうなラルバが大きく大の字に寝転んで手足をバタつかせる。
「やぁーだぁー!!つーまーんーなーいーっ!!ルギルギ解決策ないの!?」
「探せばあるだろうけど……優先度低かったし探してないわ。防魔加工のアクセサリーでもつけさせれば?」
「そんなんで防げたら最初からやってるだろう……」
「防げるわよ?」
「え?」
「そのかわり国民と会話できなくなるけど。常夜の呪いは罹患者同士でしか会話ができないの」
「意味ないじゃん!」
「ねー。どうしようかしら……あれ?そういえばバリアとハザクラ君は?」
全員が辺りを見回すと、確かに一緒にゲートを潜ったはずの2人が見当たらない。その様子を見てハピネスがゲートの方を指さす。
「まだ2人とも中だよ。でも不思議だな……2人とも何故会話を……ん?こっちに戻ってくるな」
ハピネスの言った通り、すぐに2人はゲートの中から戻ってきた。そしてハザクラが全員に提案する。
「今しがた先生と少し話し合ったのだが、中では二手に分かれたほうがいいと思う」
“少し話した”という発言に、イチルギとラルバが驚いて詰め寄る。
「ハザクラ君!“話した”ってどういうこと!?中で会話ができたの!?」
「どうやった!?てかバリアが“先生”って結局どういう意味だ!教えろ!」
するとバリアが後ろから代わりに返事を返す。
「口頭会話じゃないよ。ジェスチャーは通じたから、それで状況確認しただけ」
その言葉にラルバは大きく肩を落として再び大の字になって寝転がる。ハザクラはそれを半ば軽蔑するように見下ろしながら提案を続ける。
「あそこでは俺たちの主体となっているラルバの動向を制御できる人員を固めつつ、いざという時に融通が効くメンバーを待機させるべきだと思う」
ラルバがガバッと飛び起きてラデックの首根っこを掴む。
「ラデックはこっち!!どうせハザクラーズで私を縛る気だろう!!」
ハザクラは胸の前でバツを作り言葉を返す。
「却下だ。当然ハザクラーズでお前を縛る」
「ムキィーッ!!!」
こうして一行は二手に分かれ探索することとなった。
積極的に探索する調査班、ラルバ、ハザクラ、バリア、イチルギ。
調査班の動向を安全圏で補佐する待機班、ラデック、ハピネス、ラプー、ジャハル。
終始不満そうにブーイングを飛ばすラルバは、不貞腐れてバリアの髪を暇潰しに掻き乱しながらゲートに先陣を切って入っていった。そして調査班の最後尾にいたハザクラが、振り向きざまハピネスに指示をする。
「預言者の女性はそちらに任せる。時間がある時に家に返してやってくれ」
「はいはい。それで、私達は完全に別行動でいいのかい?」
「ああ、通信魔法は傍受されると厄介だ。ハピネスの異能でサポートして欲しい」
「わかった。それ以外は自由行動でいいよね?ラデック君!折角ラルバもいないことだし、美味しいパスタでも食べに行こう!」
「そうだな。あとはのんびり風呂にでも入りたい。ラルバもいないし」
「ああそうだねぇ。楽しそうな国なんだし、久しぶりにゆっくりしよう」
「聞こえてるぞお前らーっ!!!」
ゲートの奥からラルバの声だけが突風のように響いた。ハザクラは声のする方を見つめながら呆れたように2人に尋ねた。
「……ラデック、ハピネス。お前たちは何故ラルバについてきたんだ……?」
「脅されたので」
「面白半分」
「…………そうか」
そのままハザクラはゲートの奥へと消えていった。ハピネスはにこやかに手を振って見送ると、ラデックの様子を伺うように見上げる。
「じゃあ我々も行くかい?…………ラデックくんどうしたんだい?」
ハピネスは呆然と地平線を眺めるラデックの肩を少し揺さぶる。
「ん……いや、逃げ出すなら今のうちだと思ったんだが……よく考えたらメリットが少なかった。行こう」
「ふふふっ。ラデック君世渡り下手そうだし、大人しくしておいたほうがいいと思うよ。ラプー?美味しいパスタを出してくれる店に案内してくれるかい?」
「んあ」
〜???〜
薄暗く無機質なボード張りの小部屋には、所狭しと高性能な機械が軍隊のように列を組んでいる。しかし、稼働しているのはごく一部のみで、緑の電源ランプを怪しく光らせながら耳鳴りのような駆動音を絶え間なく響かせ続けている。
この暗澹とした埃と滑り輝く影に塗れた空間で、機械の隙間を這うように走る男が1人――――
「くりしっくくっくりしりるっ……くりしりるぅぅぅぅ……!!!」
フケだらけの髪は脂で黒光りし、ぎとぎとの肌に埃を貼りつけては黄ばんだ白衣で拭っている。男はぜえぜえと息を切らしながらモニターまで這い寄り、鼻水が引っ付いた眼鏡をかけ直してログを見つめる。
ハッキリと光る“使奴部隊”の表示。男は額に山脈のような皺を作って、吐息をより一層荒げる。
「くくくくっくりしりるっ!くりしにいでぃい……!くりしにいでぃぃぃいいいぃぃ……!!!」
男はそのまま踵を返して走り出し、壁や機械に何度も激しく体をぶつけながら立ち去っていった。




