279話 現場に血は流れない
〜ダクラシフ商工会 国会議事堂“ダクラシフ商工会議所” 閣議室〜
突如として現れたヘレンケル皇太子と闇妃ヤクルゥ。それからティスタウィンク工場長と、ザルバス大統領。そして爆弾牧場の宰相ヒヴァロバ。一切の通達も無しに乗り込んできた名だたる顔ぶれに、ダクラシフ商工会の大臣らは皆口々に文句を溢し始める。
「誰が呼んだんだ……!?」
「誰でもねぇだろ……呼ぶ意味がねぇ……!」
「勝手に? 頭おかしいんじゃねぇのか……!?」
「前代未聞だぞこんなの……!!」
なんとか堪えていた大臣らであったが、ヘレンケル達のあまりに無礼な態度に、そして常軌を逸した行動に、何かを口にせずにはいられない。国家の総裁が連絡無しに乗り込んでくるなど、宇宙人の来訪と同じくらい非現実的だからである。
ましてや、それが4人も。
「そうだティスタウィンク、テメー車の値段上げるつもりだろ。首相になったからって調子に乗るなよ」
「何を言う。首相になったからには国民のための政治をしなければな。貴方も我が国の国民になれば庇護してやろう。ザルバスもどうかね?」
「工業排水飲んで頭おかしくなっちゃったの? ソフトウェアと人間の区別がついてない奴に頭なんか下げないよ! ねえヒバちゃん?」
「……オマエら3人とも、起訴されてねーだけの犯罪者だってーの忘れるなよ」
一国の総裁が国を出るには、途方もない数の手続きを踏む必要がある。周辺国の状況、安全保障、議題設定、相手方への打診、日時と場所、ルート確保、警備隊の派遣、緊急時の対応、国民への説明。それらを数多の組織官僚が精査、判断、取り決めて、初めて出国が叶う。
それら全てをすっ飛ばしての来訪は、倒錯或いは侵略行為と見做される。ダクラシフ商工会は今まさに、爆弾を全身に巻いたテロリストと対峙しているに等しい。
「何の用事か知らないが、話すことはない。帰り給え」
ガナタアワシャ大統領がそう威圧するが、ヘレンケル達は聞く耳を持たない。代わりに隣のヤクシャルカが神妙な顔で答える。
「……許可さえもらえれば、3秒で全員転がしますよ……」
「よせヤクシャルカ。あんなのでも一応要人だ。向こうに敵対の意思がない限り、下手に手出しはできん」
「……十分侵略でしょ、これ……。別にブン殴るわけでも無し……よくない……?」
「いいや。恐らく、これがイチルギの策だ。表層だろうがな」
ヘレンケル達は、大臣らなど意に介することなく大人しくしている。何を言うわけでもなく、するわけでもなく、ただそこにいるだけで、時折仲間内で雑談を交わす程度。それがガナタアワシャの目には、一層不気味に映った。
「一方的とは言え、要人に居座られては我々は動けない。この隙にイチルギ達は何かを企てているはずだ……。ヤクシャルカとトマは敷地内の索敵に努めろ。おかしな点があればピスカリテを向かわせる」
「……了解」
ヤクシャルカとトマは指示通りに“異能”に集中力を注ぎ、ピスカリテも屋敷中に索敵魔法を飛ばし補佐する。動きを封じられたガナタアワシャは恨めしそうにヘレンケル達を睨み続ける。
だが、他の大臣らは最早我慢の限界だった。
「このっ……独裁者共が……」
最初に口を開いたのは外務大臣だった。
「お前ら自分のしでかしたことが分かっているのか!? これは我々だけでなく、世界への冒涜だぞ!!」
これを皮切りに、他の大臣らも口々に罵り始める。
「こりゃ歴とした侵略行為だ!! 今すぐ出て行け!!」
「ヘレンケル!! お父上が築いた平和を破壊するつもりか!?」
「ティスタウィンクもだ!! さんざ我々が三本腕連合軍に援助してやった恩を仇で返すつもりか!!」
「ザルバス!! 貴様、今は人道主義自己防衛軍の総指揮官代理だろう!! 今までのように相手してもらえると思ったら大間違いだぞ!!」
文句はやがて怒号となり、聞き取り難い罵声となっていく。暴力こそないものの、その剣幕はヤクザの恫喝そのもの。
だがそれでもヘレンケル達は聞く耳を持たず、それどころか微笑みさえ交えて漫然としている。
年老いた大臣らが罵声に疲れて大人しくなり始めた辺りで、端に座っていたヒヴァロバが何か言いたそうに声を漏らす。
「……あー、一個いいか? 爺さん共」
爆弾牧場宰相、ヒヴァロバ。数ヶ月前、突如虚空から生えてきた実績不明の爆弾牧場のNo.2。彼女だけは、薄ら笑いを浮かべるヘレンケル達とは違い、終始気難しい顔で佇んでいた。その眉が、不機嫌から少しだけ訝しげな歪みに変わる。
「オマエら、コイツらのことをどう思ってるんだ? ヘレンケル、ティスタウィンク、ザルバスのことをよ。その、あー……」
彼女は言いあぐねて頬を掻き、ため息をついてから言葉を続ける。
「ぶっちゃけアタシは、コイツらを魔物かなんかだと思ってるよ。狡賢くて、欲張りで、打算的で。目的の為なら手段を選ばず、無駄を嫌い、ケダマモドキよりも執念深い」
「ちょっとヒバちゃん! ケダマモドキと並べるのはいいけど、この2人と並べないでよ!」
「アタシから見りゃ全部一緒だよ……」
ザルバスの文句を軽くいなして、ヒヴァロバは続ける。
「何が言いたいかっつーとだな。オマエら、このバケモン3匹が揃いも揃って大人しくしてることに、何の疑問も覚えないのか?」
大臣らは何のことか分からず首を捻るが、ガナタアワシャ大統領の頬にだけ一筋の汗が伝う。
「そもそもさ、このバケモンどもが共謀して一堂に介すると思うのか?」
続いて、ピスカリテとトマ、ヤクシャルカにも理解が及ぶ。
「仮にアタシがオマエら側に居たとしたら、まず大人しくしておくね」
大臣らは未だに理解ができない。ヒヴァロバの演説の意味も。大統領と国刀が言葉を失った意味も。
「靴でも床でも舐めてご機嫌をとる。少しでもマシな処遇を乞い願うさ」
ヒヴァロバがチラリと入口の方に目を向け、扉を引く。すると、今まさに扉を開けようとしていた男が小さく悲鳴を上げた。
「ひっ」
「よぉ。緊急だろ?」
「え、あっ」
男は走ってきていたようで息を切らしており、ヘレンケル達に気が付きながらも大臣らの方に向かって報告を叫ぶ。
「大変です!! ひ、等悔山刑務所が、解放されました!! 囚人が脱走しています!!」
「な、何だとっ!?」
大臣らは血相を変え、ガナタアワシャが声を張り上げる。
「フィースは何をやってる!!」
「それがっ、せ、先導者が、フィースとブレイドモアです!!」
「なっ――――」
〜ダクラシフ商工会 等悔山刑務所 正門前〜
「オラオラ走れ走れー!! シャバだぞシャバ!!」
「お前らハメ外し過ぎるなよー!! 親分の指示に従えー!!」
等悔山刑務所から逃げ出した囚人達が街へと傾れ込む。狗霽知大聖堂は大騒ぎになり、繁華街を中心にパニックに陥る。親分格の囚人が小隊を作って制御し、目につく店舗や倉庫に片っ端から囚人をけしかける。
「殺しはするな! 金だけ盗め!」
「ハンバーガー! 俺ハンバーガー食いたい!」
「後にしろボケカス!! 今はとにかく親分の言う通りにーーーー」
「脱走者を発見!! 交戦に入りま――――ぎゃっ!!」
警備隊が出動し、囚人達に接近してくる。しかし、フィース、ブレイドモア、ケイリの3名によって瞬時に撃退される。
「はっはっは!! 3人一緒に戦うなんて初めてだよな!! フィース! モア!」
「姉さん、腕が落ちたね! 昔は私なんか目じゃなかったのに!」
「お嬢様方!! あまり前には出ないでください!! 後ろへ!!」
「何だよモア! まだ侍女面すんのか? 私らもう子供じゃねーぞ!」
「いえ――――」
ブレイドモアの連発した爆発魔法が警備隊を吹き飛ばし、衝撃波によって一瞬で意識を奪う。
「私だって自慢したいんですよ! 強くなった姿を!」
逃げ惑う市民。怖気付く警備隊。囚人の群れは大河となって街を呑み、それはブレイドモア達たった3名によって瞬く間に広がっていく。
「小銭はいい!! 紙の金だけ!! 一万紙幣だけ盗め!!」
「宝石屋ある宝石!!」
「紙の金だけだっつってんだろ!!」
「えー!? いいじゃんすかちょっとくらい!」
「お前らなぁ、これはそもそもーーーー」
警備隊は役に立たず、肝心の刑務所はまさかの先導者。勝手気ままを押し通す脱獄囚達にやられるばかりだった市民が、ついに包丁へと手を伸ばす。
その我慢の限界を見極めたかのように、囚人の群れを水流が切り裂く。それを合図に方々から魔法弾が飛び交い、けたたましいエンジン音と共に改造車が押し寄せる。
「救世主、参上っ!! なんつってね!」
その先頭のバイクに跨るは、三本腕連合軍の自警団。百機夜構の副総長。マルグレットであった。
〜ダクラシフ商工会 国会議事堂“ダクラシフ商工会議所” 閣議室〜
「フィースが裏切った……!? 馬鹿な!! だからと言って何故叛乱など……!?」
大臣らは血管を浮き上がらせて狼狽し、報告に来た者達を怒鳴りつける。
「さっさと警備隊を出せ!! 殺しても構わん!!」
「そ、それが、ブレイドモア相手では歯が立たず……!」
「言い訳してんじゃないよこのタコ!! ただでさえ金が撒かれてんだ!! あれが奴らの手に渡ったらとんでもない被害になるぞ!!」
「いっそのこと焼き払え!! どうせ死ぬのは労働者階級だけだ!! 狗霽知大聖堂から誰も出すな!!」
「給冥エージェンシーにまで手をつけられたら終わりだぞ!!」
「は、はいっ――――!!!」
報告に来た者が急いで踵を返す。大臣らはヒヴァロバ達を睨み、今にも殴りかかりそうな剣幕で唸り声を上げる。
「この鼠共が……!!! よくもやってくれたな……!!!」
「ふざけやがって……!!! ヤクシャルカ!!! やれ!!!」
防衛大臣の激昂が飛ぶ。しかし、眠姫ヤクシャルカは依然として眠そうな顔で黙りこくっている。
「おい!!! ヤクシャルカ!!!」
「んー…………」
他の大臣もヤクシャルカの方を向いて唾を飛ばすが、それでも彼女は何も答えない。疑問と憤怒に業を煮やした大臣らに向かって、ヒヴァロバがボソリと呟く。
「……馬鹿だねぇ。まだどうにかなるとでも思っているのか」
「何だと……!?」
防衛大臣が席を立ち、とうとうヒヴァロバの胸ぐらを掴む。
「言わせておけばこのババア……!!!」
「オマエもジジイだろうが。いい歳こいて愛人囲ってる場合じゃないぞ」
「っ!? このっ――――!!!」
「あと、仕返しなら早くしたほうがいい。一発くらい殴っときゃ良かったって後悔する前にな」
ヒヴァロバの脅しに、防衛大臣の目が一瞬恐怖に揺れる。その躊躇いも束の間、1人の女性が駆け込んでくる。
「ほ、報告っ!!!」
女性は息も絶え絶えに叫ぶ。
「だ、脱獄囚の叛乱ですが、鎮圧されましたっ……!!! ひゃ、百機夜構によって――――!!!」
「何っ……!? 百機夜構!? にゅ、入国など許可してないぞ!!!」
「アタシらが来といて今更過ぎんだろ、この大マヌケ。それで? 報告はそれだけじゃないんだろう?」
「ひゃ、百機夜構の尋問により、ブ、ブレイドモアと、フィースが……その……。せ、政府の命令で刑務所を解放したと、報告を、したらしく……」
大臣らが息を呑む。防衛大臣は青褪めた顔でヒヴァロバから手を離し、一歩後ろへ蹌踉ける。
「百機夜構が民衆を扇動し、給冥エージェンシーに向かって来ています……!!!」
「な……馬鹿な……!!! 民衆を……!? そんなことしたら、大暴動になる……!!! き、貴様等、国民を皆殺しにするつもりか……!?」
「そう見えるのか? 何十年も政治家やって来てその程度じゃあ、税金泥棒って言われても仕方がないな」
ヒヴァロバは乱れたローブの皺を叩き、面倒くさそうに話を続ける。
「この国を滅ぼすつもりだったら、そもこんなトコ来やしないよ。外からボコスカ殴って終わりだ。それこそ、そこのメイドらが黙っちゃいないだろ。オマエらも恨み言の一つや二つ、言っといたほうがいいぞ」
そう言われて、ピスカリテはガナタアワシャ大統領の方を少しだけ見た後、重たく口を開く。
「……私達が危惧しているのは、ヒヴァロバさん達の狙いが不透明だからです」
「ヒヴァロバさん達、じゃなくて、ヘレンケル達、な。アタシを一緒にすんなよ」
「私達が今貴方達を止められないのは、侵略がどこまで行われるか分からないから……。もし暴動騒ぎ程度で済むなら今すぐでも止めたいところですけど……。生憎、私は貴族に仕えています」
ピスカリテがトマの方を見る。
「坊っちゃんは、ダクラシフ商工会のみならず世界各国を相手にする名家の生まれ。もしこの侵略がダクラシフ商工会そのものを脅かすなら、私は早々に国を裏切らなくちゃいけません。ヘレンケルさん達が次の政府になるんだから、今の内におべっか使っておかないと。国の存続よりお家の存続の方が大事ですから。合ってますよね? 大統領さん」
「……ああ。私が無理を言ったところで、最早主導権は武そのものであるピスカリテとトマにある。……ヤクシャルカを動かそうにも、コイツ1人で暴動とピスカリテとトマの三方を止めるのは不可能だ。我々は今、ピスカリテ達の気が変わって味方についてくれるのを待つばかり……だが」
言葉に詰まり、言いあぐねて俯く。意思を放棄したガナタアワシャの代わりに、ヒヴァロバが大臣らに告げる。
「このヘレンケル達が雁首揃えて大人しくしてる時点で察するべきなんだよ。コイツらが、「あちゃ〜、詰めが甘くて返り討ちにされました!」なんて末路を歩むと思うか?」
開けっぱなしになっている閣議室の扉から、無遠慮な足音が近づいてくる。
「もう手遅れなんだよ、何もかも。手を合わせるのは勝手だが、コイツらに神罰は効かないと思うぞ」
扉から、大型のモニターを担いだ大女と、軍服を羽織った女が姿を現す。
「お待ち遠ぉ! 代引きだぜティスタウィンク!」
「飯買って来たぞ。4人分しかねーけど」
三本腕連合軍、百機夜構総長。ピンクリーク。
グリディアン神殿、国刀。戦神ロゼ。




