269話 侵略者
〜ダクラシフ商工会 給冥エージェンシー 造幣局〜
クインテット・パレスの裏手。煌びやかなカジノ街に背を向けて聳え立つ荘厳な建物。飾り気のない石造りの壁が広場を囲み、来る者を威圧するように陽を遮っている。
「……陽当たりが悪い」
ラルバは1人門を潜り、入り口前の広場を散歩する。あちこちに置かれている騎士や兵士を模した石像の合間を抜け、館内の受付を訪ねる。
「ハロー! 理事長にお会いしたいんですけども!」
「……アポイントメントは?」
「あー、やっぱ要る?」
受付の女性の冷ややかな目線に、ラルバは茶化して踵を返す。
「やっぱいいや! 見学だけさせてねー」
「一階本館以外は立ち入り禁止ですので、ご了承を」
「りょーしょーりょーしょー!」
三階まで続く吹き抜けを見上げ、資料室と書かれた案内板を頼りに奥へと進んでいく。通路のあちこちには貨幣に関わる歴史資料や記念メダルの見本が展示されており、時折一般の入館者とすれ違う。
辿り着いた資料室は小さな博物館のようで、ガラスケース越しに貨幣の製造工程や素材の選定基準、エラーコインや特殊紙幣などが並べられている。
「特殊紙幣かぁー。法貨外紙幣……地域発行紙幣……。2種類だけ? 平和でいいねぇダクラシフ商工会は」
暢気に観覧を楽しんでいると、奥の小部屋から物音が聞こえてきた。関係者以外立ち入り禁止と書かれた扉から、掃除用具を手にした作業員が出てくる。
「おっ、ラッキー」
作業員が出て、扉が閉まる直前。ラルバは閉じる寸前の隙間から中へと侵入した。入り込んだ関係者通路の先には3人の職員が書類を手に会話をしている。視界の外を縫うようにしてすり抜け、その際に1人の社員証を盗み取る。
「――――明日までには終わらせておきたい……おい、お前社員証は?」
「え? あれっ!? うそっ!?」
「どっかに置いてきたか?」
「いやそんなはずないんだけどなぁ……。うわぁーマジかよ……!」
職員の困惑を背中で聞きながら、ラルバは我が物顔で通路を進む。しかし、2階に上がろうとエスカレーターの方へ向かうと、2人の守衛が立っていた。
「うぇっ……電子ロックじゃないのぉ?」
他の職員が守衛に顔写真付き社員証を見せて通っていくのを見て、ラルバは顎をしゃくれさせて社員証を投げ捨てた。
ラルバは守衛の前まで行ってから会釈だけして、近くに立て掛けてあった脚立を指さして尋ねた。
「これ、お借りしても?」
「む? 何に使うんだ」
「いや、ちょっと配管をね」
ラルバはその場に脚立を立て、天井の点検口から天井裏に上半身を突っ込む。そして、上水道が通っているパイプに小さな傷をつけた。傷から水が漏れ出し、ラルバの顔に飛び散る。
「あー、ダメだこりゃ。やっぱ漏れてる」
上半身をびたびたに濡らして降りてきたラルバに、守衛2人は動揺して尋ねる。
「ど、どうしたんですか?」
「さっき3階で漏水あってね。漏れてんのがここまで来てんのよ。どーすっかなぁー……天井腐っちゃうよ。上の1番近いトイレってどこですか?」
「あ、ここ登って左……」
「登って左ね。このまま脚立借りてもいい? すぐ返すよ」
「あ、ああ……構わない」
「どうも」
ラルバは脚立を担いでエスカレーターを登り、トイレの前に脚立を捨てて顔を拭く。掃除用具入れになっている奥の個室を開き、壁に付けられた鉄扉から配管スペースに侵入する。
「この辺どっか開いてそうだったんだけどなー……よいせ」
壁や天井の断熱材を無造作に引き剥がすと、天井に予備の配管を通すために開けられた穴が露出した。ラルバは自分の角を根本からへし折り、両腕と頭を突っ込む。
「む! おっぱいがひっかかる! バリアだったらすんなり行けただろうなぁ」
ラルバは強引に体を捩じ込み、なんとか3階のトイレに出る。汚れたジャケットを手に、埃だらけの体を叩きながら廊下を進む。
「ちょっとあなた!」
背後から、眉間に皺を寄せた女性に呼び止められる。
「そんな汚い格好で――――」
「ああ! “マナタシカファ”課長! ちょうどよかった!」
ラルバは女性の首に下がる社員証をチラ見した後、まるで知り合いかのように振る舞う。
「そこのトイレにマムシザルがいるみたいなんです。駆除業者呼びますね」
「誰っ、え? マムシザル!?」
マムシザルは、爪の先に猛毒を持つ小型の害獣である。度々家屋に忍び込み食料を漁ることで忌避されているが、稀にこういった人の多い庁舎などにも迷い込むことがある。人食い蛇や野犬、スズメバチと同じグループにカテゴライズされるタイプの危険生物とされている。
「2匹くらいいたんですけど、逃しちゃって」
「あなたっ……なにっ……早く追っ払ってちょうだい!!」
「撃退スプレーどこでしたっけ?」
「向こうの備品室!! 早くっ!!」
「はいはい〜」
怯える課長に背を向け、ラルバは堂々と廊下を進んでいく。備品室から猛獣撃退用スプレーを手に取り、我が物顔で辺りを闊歩する。虚偽の害獣情報に怯えた職員が避難する中、微動だにしない守衛が見張る扉を見つける。
「ちょいメンゴ」
「ぎゃっ――――」
「うわっ――――」
出会い頭に撃退スプレーを浴びせ、怯んだ隙に傍に抱えて締め落とす。そのまま2人を引き摺って意気揚々と扉を開ける。
「やっほーお偉いさん! 元気?」
部屋の奥で書類を眺めていた細身の老人が、チラとだけ目を向けて再び書類に視線を落とす。
「汚い。それ以上部屋に入るな」
「言うのがちょっと遅いねぇ」
見るからに危険な侵入者に、老人は落ち着いた様子で無視を決め込んでいる。ラルバは守衛を床に投げ捨て大股で突き進み、執務机に勢いよく両手を突いて顔を寄せる。
「私と組まない? “カーガラーラ理事長”!!」
カーガラーラは皺だらけの瞼をゆっくりと持ち上げ、目玉だけでラルバを見上げる。
「断る。逸れ者の使奴」
〜ダクラシフ商工会 給冥エージェンシー クインテット・パレス併設ホテル"雲海"〜
ホテル正面入り口からは入ることができない、VIP専用スペース。利用者は表のホテルの1割にも満たないが、かけられている金額は10倍以上。受付から守衛、コックに掃除員、マッサージ師からコンパニオンまで、このVIPスペースに従事する者全ての人間は、クインテット・パレスに私生活を監視されている。情報漏洩を徹底的に潰す狂気的な力技。故に、たった一泊で1千万刻かかろうとも、利用予約が絶えたことはない。
例え人身売買の商談だろうと、麻薬の取引だろうと、国家侵略に企だろうと、ここで話されたことが外に漏れることは決してない。
「値段の割にそこまで美味くない!」
その一室。あるパーティーホールで、ラルバは顰めっ面をこぼした。テーブルに並べられていた料理を片っ端から口に放り込み、部屋の隅でじっとしているウェイターに皿を見せる。
「これおかわり!」
しかしウェイターは微動だにせずじっとしている。ラルバが不満たっぷりに頬を膨らませ睨んでいると、向かいの席に1人の老人が座った。
「実際に手をつける者は初めてみたな」
白髪の短髪を綺麗に切り揃えた、常に伏目の老人。財貨統制会頭取、造幣局理事長。“カーガラーラ”。実年齢よりも大分老けて見えるその疲れ切った風貌は、弱さよりも覚悟の強さとして皺を深く刻んでいる。
「飯は食うもんだろ」
「君はここに飯を食いに来たのか? 侵略者」
ラルバは仕方なく鞄から缶ビールを取り出し、氷魔法で冷やしつつ問いかける。
「で、なんで場所変えたの。てっきり接待してもらえると思ってたんだけどー。こんなでっかい部屋まで貸切にしちゃってさあ」
「君のためだ」
カーガラーラが目配せをすると、ウェイター達はすぐさま扉の外へ出ていった。
「君のことは、イチルギ総帥の退陣の頃から気にしていたよ。ラルバ・クアッドホッパー」
「……ほう?」
ラルバの目の色が変わる。
「第四使奴研究所、と言うのかな? 世界ギルドで魔工研究所の看板で運営されていた施設。彼等は我々の取引先でもあった」
「ふーん……」
「魔工研究所から連絡が途絶えた頃、イチルギ総帥の退陣が発表された。恐らくは、君がきっかけだね?」
「………………」
「それからは笑顔による文明保安教会の神官からの連絡も途絶え、イチルギ元総帥が訪れたヒトシズク・レストランでゼルドームが死亡。秘書だった使奴のアビスが国防長官に就任。その後、イチルギの訪れた人道主義自己防衛軍ではハザクラ総指揮官とジャハル総指揮官がイチルギの出国に同行。その後も彼等3名の行く先で大きな事件が起きている。なんでも人形ラボラトリー、グリディアン神殿では大規模な内乱。真吐き一座が世界ギルドに統合され、スヴァルタスフォード自治区では悪魔郷とコモンズアマルガムの争いが激化。バルコス艦隊では元帥ファーゴの存在が抹消され、爆弾牧場ではレピエン国王が処刑された。診堂クリニックは人道主義自己防衛軍に降り、三本腕連合軍はヒナイバリの悪行が公表されて大混乱。君は、行く先々で国を滅ぼしている」
カーガラーラがの瞼が、重たそうに持ち上がりラルバを睨む。
「あの放送は私も見た。ヒナイバリ元工場長を追い詰める君を。最初はイチルギが世界を滅ぼして回っているのかと思っていたが、あの映像で分かった。主犯は君だ。そして、イチルギを好き勝手振り回せると言うことは使奴だろうとも思った」
「……へぇ」
「人道主義自己防衛軍が証拠の隠滅に躍起になっていたが、私の情報網の方が少しばかり優秀だったようだ。そんな君が、私のカジノにやってきた。身が震えたよ。ああ、次は私の番か、と」
身が震えたとは口ばかりに、落ち着いた様子で紅茶を口元へ運ぶ。
「……永く働いた。特別善行をしたつもりはないが、世の中が良くなるきっかけを作ったとは思っている。銀行とは、実に地味な仕事だ。ミスをすれば方々から刺され詰められるが、真っ当に働いているうちは誰にも感謝などされない。……だが、嫌いではなかった。引退にはまだ早いが、死神のお迎えが来たと言うなら仕方がない」
「………………」
「しかしだ、私とて官僚。威張ることではないものの、矜持がある。幾ら脅されたところで、国家に反逆することはできない。残念だが、君とお友達になるつもりはないよ」
ラルバの所業を知って尚、正体を知って尚、性癖を知って尚、カーガラーラの目は曇らない。
「取引だ。カーガラーラ」
静かにラルバが口を開く。
「取引?」
「私にお前の持っている情報を提供しろ。見返りは、スヴァルタスフォード自治区悪魔郷皇太子、ヘレンケル・ディコマイトの首だ」
「……人殺しは好かんな」
「それと、ハザクラ総指揮官とジャハル総指揮官の首もつけよう」
カーガラーラの瞼がピクリと動く。
「人殺しは好かないと言っただろう」
「人殺しはついでだ。この3名が死ねば、人道主義自己防衛軍はダクラシフ商工会を急襲せざるを得ない。正当防衛の口実が得られる。そして、悪魔郷を滅ぼした功労者としてコモンズアマルガムの実権までついてくる。“上納金”としては十分過ぎるだろう?」
「君は……私の何を知っている?」
「お前の後ろ盾は、笑顔の七人衆のひとり、“黙りボルカニク”だな? お前の推測の殆どは、奴から聞いた話が元になっている」
胸を穿つような言葉に、カーガラーラは思わず冷や汗をかいて目を見開く。
「…………ラルバ。君の目的は、一体何なんだ?」
ラルバは自分の胸に手を当てて答えた。
「私は、“私の元になった女”を探している」




