268話 愚かな牙と黒い弾丸
〜ダクラシフ商工会 給冥エージェンシー カジノ“クインテット・パレス” レース場〜
出走ゲートが勢いよく開く。しかし猫達は走り出すことはなく、のっそりと歩き出した。実況は困惑して言葉を濁しコメントを思案する。
「い、今スタートしましたっ……が……えー、あー……と?」
まるで飲み屋に向かう日雇い労働者のように、緩慢で重たい歩みを進める。その中でも、1番、2番、3番の猫だけが気持ち早歩きなくらいで、4番と6番に至っては骨瘤の痛みで歩こうとすらしない。普通の競馬やドッグレースであれば、競争をやり直しにするような大トラブル。
しかし、誰1人として競争の中断を求める者はいなかった。そもそもがイカサマのレース。フールファング達による曲芸。サナヤハカウァの信用が地に落ちた今、このレースの決着を楽しみに見ている者など皆無。
観客が唖然として見守る中、フールファング達はのそりのそりと、15分かけて漫然とトラックを周る。そしてゴール直前、1番タイクンヨゾラが立ち止まりレシャロワークの方を見た。
「ラヴッ」
レシャロワークが指ハートで応えると、タイクンヨゾラはゆっくりと瞬きをしてから再び歩き始める。それから2番ミナモヅキ、3番トップカードがゴールゲートを潜った。
「あっ……えー、ゴ、ゴールしましたっ……! 一着、1番タイクンヨゾラ。二着、2番ミナモヅキ。三着、3番トップカードです……」
一切の歓声もブーイングもなく、堂々としたイカサマレースのゴールが告げられる。
中止でもなく、やり直しでもなく、誰もが対処できないまま事が流れ、着順が確定する。レシャロワークは配当金を受け取り、電子端末の画面をマジマジと見つめた。
「24.8倍? なんか多くない?」
そこへ、観戦を終えたラルバが近寄ってきて抱きつくように肩を組んだ。
「お疲れぃ! 大勝利おめっとさん!」
「近寄らないでぇ」
「なんだよ。折角オッズ上げてやったってのに」
「あ、これラルバさんが賭けてたからこんな高いんですかぁ?」
「うん」
ラルバは払戻金の表示をチラと見ると、嘲笑で鼻を鳴らす。
「ま、他にも何人かいたみたいだね。私だけならオッズは22倍そこらだったはずだよ」
「へー。ま、これで自分の借金はチャラですねぇ。……これ残りのレースどうするんでしょうねぇ」
レースはまだ中盤だというのに、猫達の遅すぎるレースで予定は後ろ倒し。その上イカサマがバレて、客は誰1人として次のレースを期待をしていない。天井の吊り下げモニターもブラックアウトし、実況の声も止んでいる。
視界の端で、呆然としていたサナヤハカウァがよろめきながら顔を上げる。
「ゆ、ゆるさっ……許さないっ……!!!」
彼女はレシャロワークの方を睨み上げた後周囲の客を睥睨し、パドックに休みに来た猫達に怒鳴り声を上げる。
「このバカ猫っ!!! 帰ったら全員再調教よっ……!!! 獣のクセに、私の顔に泥塗るなんてーーーー」
「デカい声」
レシャロワークがサナヤハカウァの真横に立つ。
「何ーーーー」
「やめろっつったろ」
サナヤハカウァの後頭部を鷲掴みにし、パドックの檻に顔面を叩きつけた。鼻と前歯がへし折れ、黄色いドレスに真っ赤な血がボタボタと滴る。
「くあっ……」
その場に尻餅をつこうとするサナヤハカウァを、案内人が慌てて受け止める。
「サ、サナヤハカウァ様っ!! おい誰か!! 救急隊を!!」
警備兵が血相を変えて飛び出し、レシャロワークを確保しようと警杖を取り出す。
「む」
「はいはーい帰ります!!」
その間にラルバが割って入り、レシャロワークの腕を引いて騒然とする観客の人混みを擦り抜けていく。
「待てっ!!」
「はいはいごめんなさいね〜。ちょっと通るよ〜。はいどいてどいて〜」
「待ちなさい!! あっすみません!! 道を開けてくださいっ!! 道を開けてくださいっ!!」
警備員は名だたる資産家である観客を押し除けることができず、無理矢理掻き分け押し除け進むラルバを捕まえることができない。
「バイなら〜」
「おじちゃんバイバぁイ」
レシャロワークはパスタをご馳走してくれた老人に手を振り、ラルバに引き摺られながらカジノを後にした。
〜ダクラシフ商工会 給冥エージェンシー 真人館 ホテル内レストラン〜
「レシャロワークの勝利に!! 乾杯〜!!」
「いぇーい」
「………………」
ラルバ、レシャロワーク、デクスの3人は、ホテルに戻り打ち上げパーティーを催していた。普段であれば悠に100人は収容できるレストランも、ラルバが全室占領したために貸切状態となっている。
しかし、それでもコック達は皆慌ただしく走り回り、水を飲むように料理を平らげていくラルバの元へ料理を運び続ける。
「このエビうまい!! もっと!! あとこのスープもおかわり!!」
「たっただいまお持ちします!」
「んめっ。んめっ」
「………………」
ひたすら料理を貪り続けるラルバとレシャロワークを、デクスが冷ややかに見下す。
「よく食うなホント……。太るぞ、レシャロワーク」
「うわいほほえほはえひひへふわふひあんがひんへいは」
「あ?」
「んぐっ……んぐっ……。はぁ〜んめぇ〜。至福至福……。あ、そうだ。ラルバさぁん」
唐突に話を振られ、ラルバは口に物を詰め込むのを一旦中断する。
「フールファングって、旧文明からある血統なんですかぁ?」
「……何で?」
「いやほら、あの猫ちゃん達は着順予想を聞いて、それに合わせて走ってるって言ったじゃないですかぁ。オバさん脅すためにわざと断言しましたけどぉ、今考えたら割と無理あるなーって思って」
「ほう」
「数字の理解とかぁ、着順だとかぁ、あと次のレースへの備えとかでもですねぇ。ネコちゃんには理解が難しいと思うんですよぉ。ご褒美があるならまだしも、恐怖じゃ躾けられないと思うんですよねぇ」
ラルバは相槌も打たず、黙って話を聞いている。
「ネコちゃんはそもそも、相手の顔色を窺う生き物じゃないし、社会性のある生き物でもない。躾できる生き物でもないし、物事の流れも理解できない。サーカス猫もここまで複雑なことはできないと思うんですよぉ。でも、実際フールファングちゃん達はできてましたよねぇ。てことは、相当おっきな品種改良をされてるんじゃないかなぁと。今の文明じゃ無理そうな、遺伝子改造レベルの」
話し終えたレシャロワークがローストチキンに齧り付くと、ラルバは満足そうにニンマリと笑う。
「大正解。詳しいね〜」
「ほんほ? うえひぃ〜」
「フールファングの正体は、旧文明で遺伝子改造によって“造られた”軍用猫。“ブラックバレット”だよ」
「かっこいい〜」
旧文明に、“オオコウモリネコ”と呼ばれる大型の猫がいた。闇に溶け込む漆黒の長毛は体の表面積を増やして魔力の循環効率を上げ、寒冷地の低温から身を守った。そして、その美しい毛並みは人間を魅了した。積雪や吹雪にも適応するため発達した聴覚は人間の僅かな発音の違いも聞き分けた。餌の少ない寒冷地で人間は食料と棲家を提供し、オオコウモリネコは鼠や熊、果てには敵対する人間から家を守る戦力を提供した。この2者は古くより共存して生きてきた。
そうして人間と共存して進化してきたオオコウモリネコは、やがてサーカス猫として人気を博し、世界で最も賢い大型猫として知られるようになった。
ある時、遺伝子工学の発展によって動物兵器の研究が推進された。その時、真っ先に取り上げられたのがオオコウモリネコである。
猫ながらも犬並みに従順で、魔法の扱いに長け強靭な肉体を持つ。もしこの大猫に犬のような計画や因果を理解する思考力が備わったら。数多の品種改良と実験を経て、それは完成した。
「複雑な因果関係の理解。視野の拡張。危険を顧みずに粛々と任務を遂行する姿から、黒い弾丸の異名で親しまれた動物兵器。それが200年前の大戦争以来、自由交配によって一度野生化したのが、今の愚かな牙だよ」
優雅にワイングラスを回しながらラルバが言うと、レシャロワークは顎に皺を作って鼻をすする。
「うっ……!! うっ……!! そっ……そんなっ……可哀想にっ……!! うっ……!!」
「さっき食ってた鶏はいいの? あれも旧文明の時バチバチに遺伝子改造された品種だけど」
「ネコちゃんは別!!! ううっ……!!」
「ふーん……。さっき食べてたドリアの肉、あれ猫だよ」
「ぎゅいやぁぁああああーっ!?」
「ははは、うそうそ」
そこへ、料理の匂いに誘われたイチルギと、共に行動していたハザクラとジャハルとバリアがやってくる。
「はー疲れた……。あらラルバ、お帰り。……何してんの?」
「じゃれあい」
「え〜ん! この女殺しても死なないよぉ〜っ!」
にっこりと微笑むラルバの首を、泣きながらナイフで掻き切るレシャロワーク。その横で無言で食事を続けるデクス。けったいな光景にイチルギ達は理解を放棄し、食卓の方に目を向けた。
「あっ! 何それ美味しそう! 私にも頂戴!」
意気揚々とデクスの隣に腰掛けるイチルギに続き、ハザクラ達も椅子を持ってきて料理に手を伸ばす。
「ん〜おいし〜! このエビ美味しい!」
「さっきおかわり頼んだよ」
「このスープも美味しい!」
「それもおかわり頼んだけど私が飲む」
珍しく上機嫌のイチルギに、デクスはへらへらしながら尋ねる。
「なんだイチルギ。珍しく機嫌いいじゃねえか」
「良くないわよ」
朗らかな笑顔が一瞬にして消え去り、恨めしそうにラルバを睨む。
「こっち見んな」
「ラルバが変なこと考えるから根回しが大っ変。カガチも碌なことしないし」
「え〜。今回は私悪くないでしょお〜」
レシャロワークがサナヤハカウァを下している頃、等悔山刑務所ではシスターとラデックが収監され、狗霽知大聖堂ではカガチとナハルとラプーがキールビースの蘇生作業をしていた。
収監されたシスターとラデックの身元偽装、キールビースの行方を捜索する関係者団体への偽情報の流布、そして先日に引き続き、偉大で崇高なるブランハット帝国襲撃の事後処理と隣国官僚との連携。イチルギはこれらをたったの半日で済ませなければならなかった。
「ナハルは手が空いてないし、バリアは手伝ってくれないし、カガチは仕事増やすし、ラルバは遊びに行っちゃうし!! 使奴が5人もいて何でこうなるのよっ!!」
ハザクラが申し訳なさそうに目を伏せる。
「主に俺のせいだ。すまない」
「いーや、ラルバが悪いわ」
「えぇ……何でイっちゃんクラぽんにだけ甘いの?」
「私は基本誰に対しても甘いわよ。度がすぎる馬鹿以外にはね」
「ラデックは?」
「度がすぎる馬鹿よ」
ラルバの隣で水を啜っていたバリアが、イチルギに対して嫌味たっぷりに愚痴を溢す。
「自分で勝手に走り回っておいて……よく言うよ」
「ほっぽっておけないでしょーよ!!」
「別に? 甘いって言うか過保護だよ。シスターもラデックも、冤罪くらいどうにかするよ。キールビースはナハルに任せればいいし、何ならラプーに丸投げしたっていい」
「できるわけないでしょ! こっちの都合で振り回してるのに!」
「イチルギの都合じゃないでしょ。責任取るべきはラルバで、私達は無関係」
「知らん顔できないでしょ!」
「私はできてる」
「あーもうっ!!」
「いいぞーぅやれやれーい!! 殴れ殴れ!!」
「自分の祝勝会なんで喧嘩しないでもらえますぅ?」
珍しく言い合いをするバリアとイチルギ。それを見て手を叩いて喜ぶラルバ。賢者達の幼稚な争いに、ハザクラとジャハルは顔を見合わせて眉を顰める。
「……世界平和よりも、ここの平和をどうかすべきかもな」
「無理だろう……。とても私達の手には負えない」
2人が我関せずと見守っていると、不意にラルバが微笑みかける。
「そうそう、次に大変なのは君達だからね。クラぽんジャハルん」
その言葉に、2人は別の意味で眉を顰める。事前に聞いていた、ラルバの策。ハザクラの計画を後押しするための、地味かつド派手な謀略の一端。
「攻め落とすはクインテット・パレスの最深部。カードゲーム、ダイスゲーム、マシンゲーム、レースゲームに続く、超々々々VIP専用の名誉ギャンブル!! 楽しみで寝れなくても、明日は早起きしろよ!」
翌朝、客室で死んだように眠っていたレシャロワークが目を覚ますと、辺りは薄暗いままで不気味なほどに静かであった。それからゲーム機を手に暫く布団にこもっていたが、いい加減空腹に耐えかねて部屋を出た。
寝巻きのままレストランに来ると、そこではデクスがサンドイッチを手にイチルギと話をしていた。
「あら、レシャロワーク。おはよう」
「なんだお前、こんな時間まで寝てやがったのか。もう昼だぞ」
「おはようございますぅ。……ラルバさんはぁ?」
「もうとっくに出てったわよ」
「へぇ……てっきり叩き起こされるかと思ってましたよぉ」
レシャロワークはボサボサの髪を手櫛で整えつつ、デクスの皿からサンドイッチを掠め取る。
「触んな」
「件の名誉ギャンブルとやらは、ハザクラさんかジャハルさんがやるんですかねぇ?」
「さあな」
「あの2人は違うわよ。あとバリアも」
「へぇ。……あれ、じゃあ誰がやるんですかねぇ。ハピネスさんとかぁ?」
「呼んだかい?」
レシャロワークが振り返ると、同じくボサボサ髪のハピネスが半裸のまま枕とシーツを引き摺って現れた。
「ちょっと! 服くらいちゃんと着なさいよ!」
「はっはっは。貸切のホテルで着る必要があるか?」
「1人でいても着なさいよ……!」
ハピネスはデクスの手からサンドイッチを奪い取り口に詰め込む。
「テメーら自分で頼めよ!!」
「カーガラーラとやり合うには、レシャロワークじゃ不足だろうな」
「へぇ。不足って、力がですかぁ? それとも役?」
「はっ。どっちもだ」
「どっちもってことある?」
ハピネスは食事用の円卓にシーツを広げ、枕に頭を預けて寝転がる。
「似たような理由で、私も今回は補欠だ。ま、あんなとこ、幾らラルバの頼みでも御免だけどね」
「ハピネスさんは知ってるんですかぁ? ゲーム内容」
「勿論」
光のない灰色の瞳が、邪な期待に鈍く光る。
「国家予算さえ端金になる、現金焼却ギャンブル。“シーソーゲーム”だ」




