266話 ラヴ
〜ダクラシフ商工会 給冥エージェンシー カジノ“クインテッド・パレス” レース場〜
空気が変わったことを察して、サナヤハカウァが案内人を連れてレシャロワークの元へやってくる。
「どうしたの? そんな楽しそうにして。私も混ぜなさい」
「嫌ですよぉ。オバさんみたいな勘違い陰キャ」
言っているスラングは分からずとも、嘲笑されていることだけは如実に伝わる言い口。サナヤハカウァは笑顔に怒気を詰め込み、拳に魔力を貯め始める。
「何度言っても分からないようね……でも、今だけは許してあげる」
「はぁ。別に許して欲しいとは思ってませんけどぉ」
「投票は1レースにつき1回、1通り、掛け金はチップ5万枚のみとする……。確かに賭けなくてはならない、とは言ってないわね」
案内人がレシャロワークの前のテーブルにレッドチップを5枚置く。禍々しい10000の数字が刻まれた、普通のチップよりも一回り大きなレッドチップを。それをすぐにサナヤハカウァが摘み上げ鞄に仕舞う。
「毎回賭け忘れたフリをして負債を軽くする……。そんな姑息な我儘が通ると思う? これはテレビゲームじゃないんだよクソガキ!!!」
サナヤハカウァの怒号に、レシャロワークはへらへらと薄ら笑いを浮かべて言い返す。
「その言葉、そっくりそのまま返しますよぉ」
「なんだって?」
「これはねぇ、ゲームじゃなくて"サーカス"なんですよぉ」
徐に立ち上がるレシャロワーク。顎をしゃくりあげてサナヤハカウァを見下し、不敵な笑みで言葉を続ける。
「おじちゃん、その投票用紙の番号。今ここで読み上げてもらえますぅ?」
「え? あ、ああ……」
老人がパスタソース塗れの投票用紙を手に咳払いをする。
「えっと、6-1-5……」
サナヤハカウァと案内人が失笑を溢す。
「12-3-2-10-9-11-7-4-8」
笑みが消える。
ギャラリーも顔を見合わせた後、吊り下げモニターの方を見る。
前レース着順。
一着、8番、ダクラシフシルク
二着、4番、アオノホウキボシ
三着、7番、ディスクメモリー
四着、11番、クリスタルアックス
五着、9番、ヒトシズクハート
六着、10番、スマイルトレイン
七着、2番、ミナモヅキ
八着、3番、トップカード
九着、12番、ボマーエクリプス
十着、5番、メイキョウシスイ
十一着、1番、タイクンヨゾラ
最下位、6番、ピガットロード
ギャラリーが響めく
「それって……」
「真逆だけど……着順全部言い当てたってのか……?」
「貸しなさい!!」
サナヤハカウァが老人から紙をひったくる。投票用紙右下には、パスタソースで滲んだ完全着順予想の落書きが確かに刻まれていた。
「どうですかぁ? 恐れ入りましたぁ?」
レシャロワークがしたり顔で笑いかける。
「ガキがっ……!!」
「高々3匹ぽっち言い当てただけで偉そうにしちゃってまぁ。その程度、自分だって余裕でできるんですよぉ」
「このっ……馬鹿なこと言わないでっ!!!」
投票用紙を丸めて踏み潰し怒号を上げる。
「偽造よこんなの!! 出来るはずないわっ!! 着順が決まった後に書き足したんでしょ!!」
「それは無理ですよぉ。着順確定後直後におじちゃんに見せましたからねぇ」
「じゃあその男が書き込んだのよ!! そうでしょ!?」
「それも無理でぇす。おじちゃんに渡した時にはパスタソースでべっとべとになってたし、ソースは文字の上に滲んでたでしょぉ?」
「っ…………!! じゃあその男が後からソースを――――」
「はいダウトぉ。おじちゃんが投票用紙見てから今まで2分も経ってませぇん。たった2分であんなに滲みますぅ?」
「じゃあまぐれよまぐれ!!! 今まで全部の投票用紙に落書きをしてて!!! 今ちょうど当たったからこれ見よがしに見せびらかしたんでしょ!!!」
「往生際悪い〜。でもいい反論ですねぇ。ま、違うんですけどぉ」
レシャロワークが投票所の方に目を向ける。すると、群衆の中にいた察しのいい紳士が1人、投票所の受付に問いかける。
「な、なあ君、あの子の投票した紙って、まだそこにあるよね?」
「えっ。あ、はい」
紳士が紙を受け取ると、周りの者たちも横から覗き見る。そこへ、レシャロワークがのっしのっしとやってきて問いかける。
「その紙は当然、案内人さんがレース開始前に自分から回収した投票用紙でぇす。細工なんてできっこないですよねぇ?」
「……ああ、そうだね」
紳士の手にしていた投票用紙、その右下。競走猫全頭の着順を完全に予想した番号が記されていた。それも、第3レースから前回の第7レースまで。第1、2レース以外の全頭着順をレシャロワークは予想し切っていた。
それをサナヤハカウァが奪い取り、穴が開くほどに凝視する。力を込めすぎた手が震え、血走った目が怪物のように蠢く。
「イカサマよ……!! まさか異能持ち!? 私のカジノに泥を塗った罪は軽くないわよ――――!!!」
「まさかあ。イカサマ野郎はそっちじゃないですかぁ」
ギャラリーが一斉にサナヤハカウァの方を見る。彼女は激昂して否定を叫ぶ。
「するわけないでしょ!!! そんな馬鹿みたいなこと!!! 侮辱も大概にしなさいよ!!!」
「ああ、まあ、でしょうね。何せ、“オバさんは何も企んでませんから”ねぇ」
サナヤハカウァの激昂が止まる。レシャロワークの理解できない発言に、反論が思いつかず次の言葉を待った。
「……オバさぁん。競馬ってやったことありますぅ? ドッグレースはぁ?」
「ない。ないわよ。それが何?」
「えー、お客様の中に競馬やったことある人いますー? ドッグレースか、他のレースでもいいですよぉ」
レシャロワークの呼びかけに、数人の紳士淑女が前に出る。
「私は何度か、バルコス艦隊で見たことがあるわ」
「俺はヒトシズク・レストランのドッグレース場に出資してる」
「はぁい。じゃあじゃあ聞きたいんですけどぉ、このキャットレースと他のレース賭博。明確に違うところが3点あると思うんですけどぉ。どこか分かりますぅ?」
皆暫く思案した後、ひとりの男が答える。
「フールキャットを走らせてる点、とかじゃありませんよね? 同じ競走馬が連続してレースに出ることなんて珍しくありませんし」
「連続して出る? ワオ、マジで? こりゃあ他の賭場も潰さなきゃ〜……」
「すみません、何と言いました?」
「ああ、いやこっちの話。じゃあ違い2点だわ。勿論猫と馬と犬の違いとか言いませんよぉ」
「では……いや、人が乗るのは馬だけですね……。ルアー、は犬だけ……うーん……」
別の男が答える。
「そうか、目的か」
「おっ! ご慧眼〜」
レシャロワークは指をシュッと擦り合わせ、後ろに手を組んでうろつき始める。
「馬というのは非常に面白い生き物でぇ……並んで走ると競争心が刺激されるんですねぇ。隣の馬よりも前に出たい……野生では後ろから狩られますから、逃げ遅れたくないって本能なんでしょうねぇ。その本能を人間が制御するから面白くなる……ゲームになるんですねぇ。
翻って犬の場合、犬は基本的に狩る側の生き物でぇす。馬のような逃走本能も競争心もない……。だから、ドッグレースではルアーと呼ばれる獲物の模型を使うんですよねぇ、はいぁ。それを追わせることで、進行方向を統一して着順に競技性を持たせる……、狩猟本能を刺激させるんですねぇ。ルアー無しでそのまま走らせたら他の犬と遊んじゃったり喧嘩したりしちゃいますからねぇ。コミュニケーション能力が高いが故ですねぇ。
では、ネコちゃんはどうやって走らせたらいいんでしょうか?
犬や馬のように集団行動が得意ではない。ネコちゃんは基本単独行動の動物。群れで動くなんてライオンくらいですねぇ。長距離走も苦手。ネコちゃんの狩りは犬とは正反対の、待ち伏せ奇襲型。燃費が悪いから短期決戦でカロリー消費を少なくしたいんですよねぇ。はぁい。
群れで動かないから集団行動は苦手。長い距離走るのも苦手。本能では走る理由がない。それがどうしてこんなにマトモなレースを作れてるんでしょうかねぇ。どうしてですかねぇ」
サナヤハカウァがフンと鼻で笑う。
「そんなの、私の調教の成果に決まってるじゃないの」
「ザッツライッッッ!!!」
レシャロワークが大声でサナヤハカウァを指差す。
「その通ーり!! ネコちゃんたちがきちっと走れるのは、オバさんの調教によるものなのですっ!!」
サナヤハカウァは劈く大声に耳を覆いながら睨み返す。
「…………はぁ? だからそう言ってんじゃないの」
「うんにゃ、そうは言ってないですねぇ」
「……馬鹿と話してると疲れるわ」
「動物虐待」
レシャロワークの指摘に、サナヤハカウァが徐に顔を上げる。
「何ですって?」
「自分を貶す時に言ってましたよねぇ。猫と一緒にガス室行き。オバさんはネコちゃんを死なせる時にガス室で殺してる。最初は安楽死ガスかとも思いましたけど、自分を入れるっていうなら多分苦しいやつなんでしょうねぇ」
「……当たり前じゃない。ガスだってタダじゃないのよ。死ねば何だっていいわ」
「それ以外にもさんざやらかしてる。毎日牧場に顔を出して、ネコちゃん達に酷いことをしてる」
「酷い? 酷いことなんてしてないわ。皆元気だもの」
「オバさんが来た瞬間にネコちゃんは毛を逆立てて逃げました。それに、ネコちゃんの前で何度も怒鳴り喚いて……このレースだって虐待そのもの。普通ネコちゃんは日に何回も全力疾走なんてできないんですよ」
「できてるじゃない。私の調教のお陰で」
「だから、ネコちゃんはオバさんを恐れてる。オバさんの命令に背くのを。“オバさんの宣言した着順が外れることを”」
ギャラリーが響めきだす。サナヤハカウァは今日一滑稽な顔をして聞き返す。
「はぁ〜っ!?」
「ネコちゃん達はオバさんを不機嫌にさせないために、連携してオバさんの宣言した着順通りにゴールしてるんですよぉ。これがオバさんの、無自覚のイカサマでぇす」
「いっ――――」
サナヤハカウァの顔が瞬く間に真っ赤に染まり怒号を放つ。
「言いがかりよ!!! 言いがかりにも程があるわ!!! 猫にそんな知能あるわけないでしょ!!! 仮にあったとしても!!! どこにそんな証拠があるのよ!!!」
レシャロワークは静かに反論する。
「オバさんが宣言をする時、毎回ネコちゃんの耳がそっちを向いてたんですよぉ。それだけじゃありませぇん。ゴール前、ネコちゃんがこっちを見てたんですよぉ。気付きましたぁ? あれはオバさんの顔色を見てたんでしょうねぇ。着順がこれで合ってるのかの確認ですよぉ」
「そんなのっ、たまたま見てただけかもしれないじゃない!!」
「ハンターが全力疾走中に余所見するって相当ですよぉ?」
「だから何!? 全然証拠にならないじゃないのよ!!!」
「極め付けは……。このレース、審判員がいないんですよぉ」
その指摘に、ギャラリーの1人が膝を打った。
「そうだ! 何か違和感があると思ったんだ! このレース、“同着”がないんだ!」
レシャロワークがニヤリと笑う。
「そうなんですよぉ。他のレースを嗜む紳士淑女の皆さんなら、当然お分かりですよねぇ? レースってのは、お団子ゴールがあるから燃えるんじゃあないですかぁ。鼻差、写真判定、判定が出るまでのドキワクウキハラ……。でも、このレースにはそんなものはありませぇん」
電光掲示板を指差してから、続けて監視カメラを指差す。監視カメラの向こうにいたレースの実況者はビクッと体を震わせる。
「どんな時でも一瞬で判定がつく……。それはネコちゃん達が、着順を明確にするために互いに離れてゴールしているからなんですよぉ。折角着順が合っていても、人間の見間違いで順位が前後したらオバさんの制裁が待ってますからねぇ。ネコちゃん達にとってこれはゲームじゃなくて、オバさんの指示通りに曲芸をするサーカスだったんですよぉ。多分オバさんがいる日といない日で走り方違うんじゃぁないですかぁ? あ、オバさんに言ってもわかんないか」
サナヤハカウァがあまりの怒りに息を呑む。それから怒号を吐き出す前に、別の紳士がレシャロワークに尋ねる。
「だ、だが、それでは君が完全な着順を予想できた理由にはならない。あれはどうやったんだ?」
「お、ご慧眼セカンド〜。それは、ネコちゃん達のお陰なんですよねぇ〜」
「どういうことだ?」
「ネコちゃん達は頭はいいけど、レースのゲームルール全部を知ってるわけじゃありませぇん。特に気にしてるのは恐らく、オバさんの希望着順と、バラバラゴール。でもぉ、ネコちゃんは律儀に最後の一頭までバラバラにゴールを続けてくれてたんですよぉ」
「……何故そう言い切れる? 君はたった2レースしか見てないのに、第3レースから着順の完全予想をしている。全頭バラバラゴールなんてそこまで珍しいものじゃない。たまたまかもしれないだろう」
「ノンノンノン。当然それだけじゃぁありませぇん。それは……」
「それは……?」
「愛ッッッ!!」
レシャロワークが手でハートを作り天を仰ぐ。
「……何が言いたいんだ?」
「4番アオノホウキボシ、6番ピガットロード。あの子達は最初からやたらとオッズが高かったですよねぇ?」
「あ、ああ。あの2頭はあまり上位3頭に入ってこないからな……」
「トーシロじゃちょっと難しいですかねぇ。自分レベルの愛猫家なら見抜けて当然なんですけどぉ。あの2匹、後ろ足に骨瘤があるんですよぉ」
「骨瘤?」
「ネコちゃんに多い骨の疾患、特に軟骨の形成異常でぇす。その中でも、あの2匹は特に走りづらい後ろ足の踵に骨瘤があるんですよぉ。きっと歩くだけでも痛いでしょうねぇ……。パドックでも横になってばかりで全然歩いてませんでしたしぃ……」
レシャロワークは極端にしょぼくれた顔をして俯いた後、恨めしそうにサナヤハカウァを睨む。
「前のレースで一着だったネコちゃんは高確率で次走最下位になりますけどぉ、あの2匹が3位以内に入った時は、順位が上だった子は次走で後を譲ってるんですよぉ。あの子達は、皆互いに助け合って走ってるんですよぉ」
上体をだらりと下げたまま、ゾンビのように顔だけを上げる。
「全頭バラバラゴールはただの偶然じゃありませぇん。なるべくレースを長引かせる……サボってないようにサボる最善の策なんですよぉ。どうせレースを本気で走らなかったら制裁したりするんでしょぉ? だからあの子達は、わざと列を長くして、後ろの子がゆっくり走れるようにしてたんですよぉ」
ゆらゆらと揺れながら、ゆっくりとサナヤハカウァに近づく。その眼差しには、かつてない義憤が渦巻いている。
「心を通わせてたら分かったはずですよぉ。どのネコちゃんがどれくらい疲れてるのか。気遣い上手のネコちゃん、優しいネコちゃん、疲れやすいネコちゃん、頭のいいネコちゃん。お前がテキトーな宣言をぬかした後、どの子がどの位置に来るのか。どの子がどの子に後ろを譲るのか。想像できたはずですよぉ」
レシャロワークの威圧感に、サナヤハカウァは怒り以上の恐怖を感じて思わず後退る。
「そ、そんなのでまかせ――――」
「イカサマですよぉ、お前の勝利は。でも、お前のイカサマじゃあない。ネコちゃんの、可愛いネコちゃん達の健気な仲間愛による苦肉のイカサマでぇす。お前はネコちゃんたちにおんぶに抱っこで勝たせてもらってたんですよぉ。この目ん玉腐ったクソガキが」




