262話 ドブネズミ
〜ダクラシフ商工会 給冥エージェンシー カジノ“クインテッド・パレス” レース場〜
貴婦人サナヤハカウァは、レシャロワークを睨みつけカードを見せつける。
「カードを出しなさい」
「これですかぁ?」
レシャロワークがゲーム機を操作しつつ、ラルバから貰ったカードを取り出して見せる。側にいた執事が、取り出したリーダーに読ませて画面をサナヤハカウァに見せる。
「保有チップ12万4000枚……勝率0%、ランクはナシ……。ふん、やっぱりネズミね……」
ここ、クインテッド・パレスを始めとした高級カジノでは、飲食やマッサージその他サービスが無料で受けられる。なにせ、ここにいるのは誰もがトップクラスの資産家。100万刻を端金とする彼らに、高々十数万刻程度の支払いを願うのは失礼に値する。
だが、庶民にとっては1万刻でも大金。クインテッド・パレスには、時折不届き者がどこからか招待状を入手して入り込むことがあった。
そんな不届き者を弾き出す招待制だが、ここには更にもう一つの鼠返しが設けられている。それがこのランク制度である。
「ノーランクの客には早々に退席いただいてるの。もしここに居座るなら、私と勝負なさい」
「……あー、この勝率ってそういう……。じゃあ自分は大人しく帰りまぁす。お疲れっしたぁー」
ゲーム機に視線を落としながら去ろうとしたレシャロワークの前に、サナヤハカウァのボディーガードが立ち塞がる。
「それと、目上の者の申し出を断るのは御法度よ。もし無礼を働きたいならば、違約金として1000万刻の支払い義務が生じるわ。規約読んでないの?」
「……っはー、鬼殺意。たかだかネズミ1匹に熱心ですねぇ」
レシャロワークは呆れるように鼻を鳴らし、トボトボと戻って近場のソファに腰掛ける。
「じゃあとりあえず、あっちのおじちゃんが食べてるパスタ下さい」
離れていた老紳士の方を指差すレシャロワークには目もくれず、サナヤハカウァがゲームの説明を始める。
「種目は“キャットレース”。ルールはお前のような馬鹿にもわかるほど簡単。互いに着順を予想して、的中させた者だけが払い戻しを受け取れる。但し……ギャラリーにつまらない勝負は見せられないわ。最低でも1レースにつきチップ5万!! それを今から22レース分!! 賭けてもらうわよ!!」
怒鳴り声を受け、レシャロワークは少しだけゲーム機から視線を外し思案する。
「……とりまパスタ食べてからでいいですかぁ?」
「えーと、ゲーム坊やはどっちかなーっと。お、デクスじゃん。何してんの?」
「お前の監視だボケ」
レース場のバルコニーまでやってきたラルバは、思わぬ身内との遭遇に喜んで肩を組む。
「よく入れたね! 招待状どうしたの?」
「触るなカス。前に来たことがあんだよ」
「へー! きっしょ!」
「言っとくが遊びじゃねーぞ。仕事だ仕事」
「へー、きっしょ。ボクちょっとどいてねー」
ラルバが前にいた子供を押し退けバルコニーの縁に腰掛けると、デクスも縁に手をかけ下を覗き込む。
「なんだ? おい、レシャロワークが絡まれてんぞ」
「私の仕業じゃないよ〜ん」
「連れてきたのお前だろうが。何させる気だ?」
「まあまあ、いいじゃん何でも。折角のオモシロ、見なきゃ損だよ」
レーストラックよりも手前、生垣を挟んだ建物側の食事スペースでは、レシャロワークと黄色いドレスの貴婦人が言い争い――――もとい、貴婦人がレシャロワークに一方的に怒鳴り散らしている。
「へー、勝率ってギャンブルの勝率じゃないんだ」
「あ? たりめーだろうが。何でテメーは使奴のくせに規約読んでねーんだ」
「後で読むよ。……だが、この“虐待システム”は規約には書いてないんだろう?」
「まあ、不文律ってやつだな」
カードに記録される勝率は、対カジノのギャンブルの勝率ではない。これは、客同士の対人戦に於ける勝率とランクである。クインテッド・パレスでは最低限のチップの購入の他に、ランクを得ること、つまりは客同士での勝負が義務付けられている。
しかしここは貴族の社交場であり、多少の勝ち負けなどで目くじらを立てる輩はいない。それどころか、敗北の額はそのままクインテッド・パレスへの出資額に相当するため、大敗は自らの地位の高さを誇示する方法の一つでもある。
「客の間でも結構人気だぜ、この対人戦」
「まあ他のカジノで似たようなことしたら喧嘩になるもんね。強者の余裕は素晴らしいですなぁ。泥かけたい」
「だがこの強制決闘システムは、成金共にはウェルカムドリンクの代わりでも、紛れ込んだネズミには鉄壁の防御システムになる」
少し離れたところで談笑をしていた紳士達の声が聞こえてくる。
「いやー手厳しい! 中々思うように行きませんな!」
「そうだろそうだろ。俺たちゃ他所じゃ思い通りに行くことばかりだものな。それで、幾ら溶かした?」
「チップ10万? 15万? まあそのあたりですな。ランクもブロンズに上げていただきましたよ」
「その程度の負けでランク入りなら上々だ。どれ、次は俺と――――」
離れていく紳士達の背を見送り、デクスが言葉を続ける。
「大抵の客は10万そこらも遊べばランクがもらえる。刻にして100万。成金どもにゃ端金だが、貧乏人にはとても払える額じゃない。ましてや、こりゃゴールじゃなくてスタートラインの話だ」
「弱いのが悪いよ。勝ちゃいいじゃん」
「……勝った方が悲惨なんだよ」
「へー」
「チップの販売額は10刻固定。だが、買取相場は極めて変動の激しい時価を謳ってる。要するに、換金する奴見て相場変えてんだよ。目上の奴には1枚10刻の等価交換かそれ以上。ほどほどの奴には9か8刻。一見客には半値の5刻。んでもってネズミ相手にはたったの1刻。おまけに半年の換金手続きがかかる。清々しいほどの貧乏差別だな」
「で? それが何で悲惨なの? 待ちゃいいだけの話じゃん」
「ネズミが換金申請を出すと、“何故かチップが暴騰する”んだよ」
「ほう。あー、いいねぇ」
クインテッド・パレスで稀に起こる、チップの異常な一時的暴騰。通称“バーニングウォール”。その時のチップ相場は1枚約1000刻にまで跳ね上がる。偶然にもこのタイミングで換金申請をしてしまった者がいるならば、その者は“その瞬間に於ける保有チップの枚数分の所得税が課される“。もしチップ10万も勝ってしまえば、課される税金は4000万刻にのぼる。
「負ければ100万刻以上の支払い。勝てば確実な破産。ネズミは灼熱の隔壁で呆気なく焼き殺される。元よりタダで返すつもりなんかねーのさ」
「弱い者いじめは楽しいからなぁ。頭取と気が合いそう」
ラルバは近くを通ったウェイターが運んでいたカクテルを掠め取り、舌先で乗っていたフルーツをカメレオンのように絡め取る。
「でもさ、大負けしてもメンツが保たれるとか言い訳じゃない? 雑魚は雑魚でしょ」
「ダクラシフ商工会じゃ、個人の能力よりも資産の方が重要なんだよ」
「うっそだー。あのサナヤハカウァとか言う女、どう見ても強者の余裕ってツラじゃないでしょ」
「サナヤハカウァ? ああ、カーガラーラの姪か。アイツぐれーになると話は別だ」
デクスは懐から書類を数枚取り出し、そのうちの1枚をラルバに差し出す。
「ばっちい」
「ばっちくねーよ。ここの資料だ。端の方に写ってるだろ、あの女」
パンフレットの端、レース場の説明欄の枠にサナヤハカウァの写真が載せられている。
「生まれてからずっと甘やかされて育ってきた温室育ちの総領娘だ。両親が猫牧場のデカい出資先で、その流れで牧場を私物化してるらしい。このキャットレース場も、クインテッド・パレス創始者の叔父、カーガラーラにせがんで無理くり造らせたらしいぜ。ちなみにそのカーガラーラってのは、財貨統制会頭取で造幣局の理事長もやってる。ダクラシフ商工会の刻発行権を単独で有する唯一の人間だ」
「うん、知ってる」
「じゃあ説明前に止めろ……!」
「自分で勝手に話した癖に……」
「お前に親切心を働かせたオレが馬鹿だった」
「そうだぞバーカ」
デクスは不貞腐れるように頬杖をついて、下の階にいるレシャロワークを眺める。
「応援ぐらいはしといてやるか。勝てるわきゃねーとは思うが」
サナヤハカウァは紙の束を手に、レシャロワークの前にあるテーブルに叩きつける。
「着順予想はこれに記入しなさい。幾ら馬鹿でも文字は読めるわよね?」
「その前にパスタ……」
葉書サイズの記入用紙には1から12までの番号と、チェックボックス用の空欄が書かれている。
「普通は単勝、連単以外にも、連複、ワイド、枠連なんかがあるけど、今回は三連単のみ。一着、二着、三着を、順番通りに予想してもらうわ。当然、どれか一頭でも外していたらノーカウント。同じ予想を出していた場合は引き分け。これなら分かりやすいでしょう?」
「パスタが出てこないのが理解できないんですけど」
ダン!! と、サナヤハカウァはレシャロワークの顔面の真横をにダガーを突き立てる、鋭い刃がソファーの背凭れを抉り、飛び出したウレタン混合フェザーがゲーム機の画面に落ちる。
「その強がりが、いつまで続くかしらね」
「……もう続きませんよぉ。腹が減って戦ができねぇです」
口答えを無視してサナヤハカウァが合図を出すと、レース場のスピーカーからノイズ混じりの威勢のいい声が響く。
「ご来館の皆様にご連絡いたします! 予定を繰り上げまして、これよりキャットレースを開催いたします!」
「……あん?」
レシャロワークが頭を擡げてモニターの方を見る。そこには既に第1レース出走予定の猫達の名前が記されていた。
「勝ち猫投票券はレース場内他、カジノ内のカード端末でもご購入頂けます。そして――――」
モニターにグリッチノイズが走り、レシャロワークとサナヤハカウァを画角に収めた監視カメラ映像が映し出される。
「キャットレースにてマッチングが成立しました。プレイヤーは、プラチナランク、サナヤハカウァ様とノーランクのお客様です。また今回はランクの差が激しいためマッチの勝敗による賭けは行っておりません。繰り返します――――」
レシャロワークはドアップで自分の顔が映し出されると、それを通じているであろう監視カメラの方を向く。そして、周囲の状況に気が付く。
客達がゾロゾロと集まり、皆嘲るような目でこちらを見ている。いじめられっ子を見る子供のように、自分達とは根本から異なる別の生き物がのたうち回るのを心待ちにしている。
しかしレシャロワークは、もっと別のところに目がいった。檻の中で毛を逆立てる猫達である。
「……あのぉ」
「何、パスタなら出ないわよ」
「えっ。……あ、いやそうじゃなくてぇ。“他の猫ちゃん達”はどこにいるんですかぁ?」
「他の猫?」
サナヤハカウァは首を傾げて侍らせていた執事を見る。しかし、執事も質問の意味を理解できずに黙って首を左右に振る。
レシャロワークは聞こえないほどの小声で呟く。
「……ふざけやがって」
「何? 何か言った?」
呟きが聞き取れず顔を寄せるサナヤハカウァ。レシャロワークは少し俯いたまま彼女を睨み返し、膝の上で操作していたゲーム機をスリープモードにする。それから威圧するように声を上げた。
「ご来場のみなさぁーん。今日は面白いものがみれますよぉー」
「……やっと私を見たわね。このドブネズミが」




