260話 暴君ドロド
〜ダクラシフ商工会 等悔山刑務所 厨房〜
朝方、朝食の用意のために刑務官達は重たい瞼を必死に持ち上げて白衣に着替える。そのボヤけた視界に、黒と白の人影が映る。
「……んん?」
目を細めると、姿が少しだけ鮮明になる。それは、こちらに向かって一言尋ねてきた。
「そこ、通っても?」
「え? あ、はい……? あっ!!!」
目の前まで来てやっと気付いた。刑務官になる時、一度だけ相対した怪物。断将ブレイドモア。刑務官は足をすくませブレイドモアを見上げる。
「…………通るわね」
動かぬ刑務官達を“ブレイドモアは自ら避けて”、厨房の中に入っていく。刑務官達は静かに顔を見合わせ、朝食の準備も忘れてブレイドモアが立ち去るのを待つしかなかった。
「オリーブオイル……はないか。ニンニクは――――やめとこう。唐辛子と……他にスパイスは……。あ、先にハムか」
ブレイドモアは冷蔵庫から加工肉を出そうと手を伸ばす。すると、扉は僅かに開いて中から声がした。
「入ってまーす」
「いっ!?」
思いもよらぬ場所から聞こえた声に、ブレイドモアは仰天して怯む。そして恐る恐る冷蔵庫の扉を開くと、中にはメロンを頬張るドロドが入っていた。
「ノックぐらいしろよ。礼儀がないな」
「………………何してるの?」
「見りゃわかるだろ。食事中だよ」
「……………………どうして、冷蔵庫の中で?」
「人が来そうだったから。隠れるとこなんかここくらいしかないだろ」
「…………………………………………」
ブレイドモアは暫く呆然とした後に、ドロドを冷蔵庫から引っ張り出してハムを取り出す。しかし、バットに残されていたハムはたった一切れしかなかった。
「……少ないわね。食べた?」
「さっきラデックが塊3つ持ってったぞ」
「あなたは?」
「残りを頂いた。あんま美味くないな、そのメーカー」
ドロドの暢気な回答に、ブレイドモアは最早言葉を返す気も失って背を向ける。フライパンに油を敷き、細切れにした野菜とハムを炒め始める。すると、ドロドは調理台の上を芋虫のように這って近寄ってくる。
「お! うまそう! アタシのか?」
「なわけないでしょ。お嬢様達の軽食よ」
「ドロドお嬢様の分もよろしくな!」
「アンタはメロン食べたでしょ」
「帰り道に食うからよ。サンドイッチみたいなやつにしてくれ」
ブレイドモアは深い溜息をつきつつも、フライパンをもう一つ用意してトーストを焼き始める。
「それ横から中切ってよぉ、ジャガイモのカレー煮入れてくれよ」
「煮てる時間ないから、カレー粉塗したので我慢しなさい」
「……え、それマジでアタシの?」
「アンタが作れって言ったんでしょ」
怪訝な顔で問いかけるドロドを、ブレイドモアが更に怪訝な顔で見返す。
「……悪かったわ。今まで」
唐突な謝罪に、ドロドは感情を伏せて沈黙する。
「私は、確かにアンタに憧れてた。でもなれっこない。侮蔑の眼差しは嫉妬の裏返しだった」
「モア……」
「勝手に夢見て、勝手に期待して、届かないからって勝手に恨んで。アンタの言う通りだった。私の苦しみなんか誰も分からないなんて言うくせに、私は誰の苦しみも分かろうとしなかった。自分が1番苦しいって決めつけて、苦痛を横暴の免罪符にしてた」
「…………」
「子供だったと思うわ。苦しいからって、辛いからって、誰かを傷つけていい理由にはならないのに」
「…………」
「ドロドの言う通りだった。どんなに苦しくても、辛くても、終わりが来ないって分かってても……。歯を食いしばって、耐えるしかないのね」
焼き上がったホットサンドを包み、ドロドに手渡す。ドロドは暫く受け取らずにホットサンドを見つめていたが、やがて目線をブレイドモアに向けた。
「………………あれ、嘘だぞ」
「………………は?」
ブレイドモアは数秒固まり、なんとか声を絞り出す。
「う、嘘って……? 何が……?」
「全部。全部嘘。あ、全部でもないか。9割。9割嘘」
「え? は? ま、待って、9割? 1割は本当? ど、どれが本当?」
「全部。全部満遍なく嘘で、全部満遍なくちょっと本当」
ドロドは狼狽えるブレイドモアの手からホットサンドを取り、包みを開けて食べ始める。
「幻肢痛にはなったことあるけど、手足無くなってから2、3週間くらいしかなってないよ。それも別に悶えるほどじゃないし。今もたまーに痛くなるけど、ちょっと痺れる程度で「なんか変な感じしておもれー」くらいにしか思ってない」
「………………」
「ウンコぐらい1人で出来るぜ、浮遊魔法は得意だしよ。まあ部下がトイレまで背負ってってケツまで拭いてくれるっつーんなら是非ともお願いしたいが、そんなこと言ったら多分蹴られる」
「………………」
「別に荒野も爆発も特にトラウマとかにはなってない。打ち上げ花火好きだし、クラッカーは意味もなく鳴らすし。デケー音するのって楽しいじゃん?」
「………………」
「あ、でもアタシのせいで人が死んだってのはマジ。コンカラ少尉な。あれはマジで堪えた。あんまりにもショックだったもんで、焼きそばドカ食い大会は次の日に延期したよ」
「………………」
「昔、アタシが爆撃でダルマになった後さ、病室で相部屋になったダルマ友達がいんだけどよ。モアに話した辛い話の大部分はその友達から聞いた話。実体験じゃないよ」
「………………」
「………………気ぃ悪くした?」
「……………………………………………………」
ブレイドモアは拳を固く握り締め、大きく振りかぶってドロドを殴りつけた。ドロドの張った防壁に拳が激突し、凄烈な爆音が厨房に響き渡る。
「危な」
「なんっ……!!! おまっ……!!! 言っていいことと悪いことがあるだろっ!!! 幾ら冗談でもっ!!!」
「今までも言っていい冗談を言ってるつもりはなかったけどな……」
「このっ……!!! このっ!!!」
「手ぇ折れるぞ」
何度も拳が防壁に衝突し、その度に衝撃波が厨房を襲う。棚の食器類は落下し砕け、壁のかけられた調理器具が散乱する。
「あーあー。ちゃんと掃除しろよ」
「はぁっ……!!! はぁっ……!!!」
鬼の形相で佇むブレイドモアに、ドロドはホットサンドの最後の一口を頬張って悪態をつく。
「まあ安心しろ。普段からこのレベルの冗談を言ってるわけじゃない。アタシにだって礼節はある」
「何が礼節よっ!!! 人の不幸を……!!! さんざ嗤っておいてっ!!!」
「もしかして、モアんちの死んだ誰かもダルマってたりする?」
「……当主様の元で働いてた侍女は……、皆……!!! 暴徒に弄ばれて死んだ!!! 4人だけはなんとか一命を取り留めたけど……惨劇で精神を壊した!!! もう声も届かない!!! その中1人は……四肢を……全て……!!!」
「全部無いのはシンドイな、ケツ拭けないじゃん。クククク」
「……っ!!! このっ!!!」
飛んできた拳を、ドロドは片手で往なした。
「で、見舞いには行ってるのか?」
「え……」
「まさか行ってないなんてことはないよな? 大事な同僚だろ? もしかして、頭がいかれてるから会わなくてもいいやーなんて思ってないよな?」
ドロドの指摘に、ブレイドモアの顔色が変わる。
「だ、だって、ここからは、出れ――――」
「憑依の異能なんて便利なモン持ってて、まぁさか仕事が忙しくて行けませんなんて言わないよなぁ? まあ? アタシなら行かないけどね。お喋りできないんじゃ会っても面白くないし。クククク」
ブレイドモアは侍女達に会いに行っていなかった。誘拐されたイースとは違う。病院の場所も知っている。生きていることも知っている。けれど、会う勇気がなかった。会って、五体満足の自分を見せるのが申し訳なかった。あの日の惨劇を思い出すのが嫌だった。家族の痛ましい姿を見たくなかった。
「わ、わた、私……は……」
「真面目ちゃんだねぇ。やっぱり」
そんなブレイドモアの心を見透かしたかのようにドロドは嗤う。
「別にな、不幸な目に遭ったら可哀想にしてなきゃいけない決まりなんかないんだぜ?」
「………………」
「そりゃアタシみたいに、「こっちが苦しい時にへらへらしてんじゃねぇぶっ飛ばすぞ!」って捻くれモンもいるけどよ。大概の善人は、自分が苦しい時は家族の笑顔が見てぇもんじゃねぇのかなぁ。お嬢様方はそうじゃねぇのかい?」
「……いや、お嬢様は……お嬢様達は……」
思い返す、ジャージト家襲撃事件の後。頭に浮かぶのはどれも、笑顔の双子。
「いつも、笑っていた……。私に、笑っていた……!!!」
「お前は笑ってやったのか?」
「私は……私は……!!!」
ブレイドモアはその場に泣き崩れる。
家族を亡くして、1番辛かったであろう時に、フィースとイースはいつも笑っていた。ブレイドモアに笑って欲しくて。そしてフィースは、姉を誘拐されてから笑わなくなった。それでも、ブレイドモアは笑わなかった。笑ってやらなかった。
頭に侍女達の姿が浮かぶ。病室で窓の外をぼうっと見つめ、呼吸を繰り返すだけの侍女達。ブレイドモアに、礼儀を教え、節度を教え、道徳を、料理を、愛を教えてくれた。姉のような存在。笑いも、泣きもしない。声にも、痛みにすら応えない。そんな彼女達も、笑顔を見せてあげれば何か変わったのだろうか?
「普通の人間はな、足の一本無くなるだけでもツラいもんだぜ。3本も捥がれてヘラヘラしてるのなんざアタシぐらいなもんよ」
どこへでも行ける足がある。何でもできる腕がある。それなのに、どうして何もしなかったのだろう。何もせずにいられたんだろう。皆があんなに愛を教えてくれたのに。
「よくまー傷の一つも負わねーで他人に説教できたもんだ。モアちゃんそう言うとこあるよな」
ドロドは泣き崩れるモアを素通りし、片手でひょこひょこと歩きながら廊下への扉に手をかける。
「見舞いにはフルーツの盛り合わせを持っていくように。メロンを欠かすなよ」
厨房の外に出ると、扉の裏にケイリが立っていた。あまちゅ屋のガスマスクは付けておらず、フィースと瓜二つの顔を歪ませてドロドを見下ろしている。
「盗み聞きとはいい趣味してるな。いいよな、盗み聞き」
「嫌な予感がして”観測“に来たんだよ。案の定だ」
「案の定? まさかあのメロンお前のか?」
ケイリは顔を手で覆ってわざとらしく溜息をつき、恨めしげな眼差しを向ける。
「お前……。信頼していいのか悪いのかまるで分からん。救おうとしてみたり茶化してみたり……おちょくってんのか?」
「おちょくってるよ? 不機嫌なヤツほど間に受けるから倍楽しいぜ。真似していいぞ」
「……傀君から暴君に二つ名変えとけよ」
「ダメって言われたんだよ。威厳がなくなるから」
「…………クソっ。死ねばいいのに」
不機嫌そうに踵を返すケイリに、ドロドは駆け“手”で追いつき嘲笑う。
「それじゃあ何かい? こんな畜生にモアちゃんが憧れてたままでも良かったってのかい?」
「言い方ってもんがあるだろうがよ。神経逆撫でするようなことばっか言いやがって」
「怒りは悲しみの特効薬だ。即効性もあるしな」
「本音は?」
「泣いてるよか笑顔になって欲しいだろ? でも笑顔はムズイからよ、怒り顔で妥協した」
「やっぱり死んだほうがいい」
「クククク」
〜ダクラシフ商工会 等悔山刑務所 空き雑居房〜
「ちょっとちょっと、なぁに一件落着みたいな雰囲気出してんのさ」
体を休めていたラデック達の元に、1人の女の子がやってくる。その姿を見て、ピリが大声を上げる。
「あーっ!! フカちゃん!! どこ行ってたのさっ!!」
ティスタフカはキャップを脱いで坊主頭を撫でながら溜息をつく。
「どこも行ってないよ別に……脱獄る必要無くなったから戻ってきただけだよ」
ピリはティスタフカの頭を掴み激しく前後に振って口撃を飛ばす。
「首謀者の癖して自分だけ隠れて!! 振り回されたこっちの身にもなってよ!!」
「痛い痛い。首折れる首折れる」
ラデックがピリを止めつつ、ティスタフカに問いかける。
「そう言えば君の狙いを聞いてなかったな、ティスタフカ」
「はぁ? 狙い?」
「君はボスの……ピリの手違いでここへ来たと言っていたが……」
「フカちゃんそんなこと言ってたの!? 自分で勝手に潜り込んだんじゃん!! 何他人のせいにしてんの!?」
「……とまあ、このようにピリにはその覚えがない。あまちゅ屋の理念からしても刑務所とは接点ないしな。俺が思うに、君は君個人の企みでここにいると思っているんだが、だとすると目的が分からない」
ティスタフカは黙ってジュースの缶を開け中身を啜り始める。何も答える素振りを見せない彼女に、ラデックは続けて尋ねる。
「君は何故ここにいるんだ? あまちゅ屋を離脱して、フィースの部下になって、君に何のメリットがある? 一体何が目的なんだ?」
それでもティスタフカは答えない。それどころか、ぶつぶつと聞き取れぬ声量で独り言を呟き始める。
「……ってことは? いや、まあそうか。ふーん? あーね? だとしたら……まあいいか……は? いや待てよ?」
「ティスタフカ? 聞いてるのか?」
「オマエ、それマジで言ってんの?」
「え?」
ティスタフカの謎の問いに、ラデックは言葉を詰まらせる。
「そんなもん、オマエらの方がよっぽど詳しいだろうよ」
「え、な、何も分からないが……」
「そっちの白髪に聞いてみろ」
ラデックは振り向き、その先にいたシスターに尋ねる。
「シスター、何か知っているのか?」
「私も何も知りませんけど……」
「……ティスタフカの言っていることが何も分からない。俺がおかしいのか?」
「さあ……」
ティスタフカは再び大きく溜息をついて肩をすくめて見せる。
「オマエら、ここに何しに来たんだよ。マジで何の考えもナシに来たのか?」
「マジで何の考えもナシで放り込まれたが……」
「ふーん? あー……あー? あーね? ただの小間使いか……」
またしてもティスタフカは独りで納得し一方的に会話を終了する。その時、シスターが思い出したかのように口を開く。
「そう言えば……、ラルバさんがここへ来る前に何か言ってたような……。確か、声の大きい鶴がどうとか……」
「俺何も聞いてない」
「あー? あー……あー? そっち? あー……ラルバ……兄貴の言ってた使奴か……他には?」
「他には……? 特に変なことは……。強いて言えば、悪魔郷のヘレンケル・ディコマイト皇太子に偶然出会ったのですが、その際にやたらとたかっていたような……」
「たかる?」
「お金をせびったり、ホテルを全室欲しがったり、その上ヘレンケル本人は廃ビルで寝泊まりするよう言ったり……」
「あー……あー……はいはいはいはい……あーね?」
「独りで納得しないで、私達にも教えてくれますか?」
「アタシも分かってないよーん」
ティスタフカは唐突に背を向けどこかに歩き始める。
「どこ行くんですか?」
「口止め」
「はい? 誰に? 何を?」
「本当はオマエらの役なんだから、感謝しろよな〜」
〜ダクラシフ商工会 等悔山刑務所 昇降エレベーター〜
ティスタフカは通路を駆け足で進みながら、大きく手を振って“彼女”を引き留める。
「待った待った〜! ストップー!」
エレベーターの前にいた“フィース”が、徐に振り返る。
「なんだ、ティスタフカ。お前が走るなんて珍しいな」
「あー脇っぱら痛ぇ〜……走ったのなんざ何年振りよ」
「……成長期なんだからもう少し運動をしろ」
ティスタフカはぜえぜえと息を切らしつつフィースを見上げる。
「ちょいと頼み事が。頼み事っつーよりお知らせ? 脅迫? まあそんなん」
「……侵入者の報告なら、暫くは隠蔽するつもりだぞ」
「おっと! 話が早い! ……早すぎるね。誰から聞いた?」
「ドロドからだ。狼王堂放送局の国刀が、アポイントメントもなしに入国したことが公になるとまずい。空嫌い……あまちゅ屋と反抗夫も同様。あれらは今、狼王堂放送局の直属部隊だそうだな」
「ふーん? あーね?」
「独りで納得をするな。お前はどういう理由で私を止めに来たんだ?」
ティスタフカは暫く首を捻って思案した後、ヘラヘラと笑って答えた。
「言わな〜い」
「……今回の被害を全てお前に押し付けてしょっ引いてやろうか」
「別に〜? どうだっていいかなぁ〜」
「何だと?」
怪訝な顔で訊ねるフィースに、ティスタフカは変わらず薄ら笑いを浮かべてくねくねと首を捻る。
「じきに全部どうでも良くなるよ。ワタシの勘が当たってればの話だけどね〜」
〜ダクラシフ商工会 給冥エージェンシー カジノ“クインテッド・パレス”〜
「さあて! 悪い金持ちの身包み剥ぐぞ〜!!」




