25話 如何物喰いのゼルドーム
〜ヒトシズク・レストラン ホテル「箸休め」〜
微かな食器の音に目を覚ますイチルギ。辺りに漂うコーヒーとトーストの匂いに誘われ、薄目を開けながら不自然に静かなリビングに目を向ける。
「おはようイチルギ。丁度今焼けたところだ」
風呂にでも入ったのか、髪をタオルで束ねたハピネスが朝食を用意して待っており、キッチンの隅にはシュレッダーの様にトーストを吸い込むラプーがちんまりと座っている。
「おはよう……ラデックとラルバは?」
イチルギは椅子に座ってコーヒーを啜る。
「朝早くにバリアを連れて出て行ったよ」
「そう…………で、ハピネス」
トーストを一口齧り、若干ハピネスを威嚇するように声のトーンを下げる。
「これからラルバ達が何をするのか、見当はついてる?」
ハピネスは返事の代わりに新聞をイチルギに差し出した。朝刊の見出しには、当然明日のグルメコンテスト特集が組まれている。イチルギはその一部に記されたトーナメント表に目を留める。
「…………これ、シード枠にラルバ入ってないの?」
イチルギが記憶を辿る限り、シード枠に書いてある名前はどれも著名な料理人達で、ラルバが偽名を使っている可能性すらなかった。
「仇討ちエンファに脅されたウルグラが、ラルバにシード権を譲渡しようと昨晩ゼルドームの元を訪ねた。しかし、ウルグラの血涙混じる懇願をゼルドームが蹴ったんだ」
「案外勘がいいのね、ゼルドームは……」
「本当にそう思……おや」
ハピネスがイチルギの方を見ると、先程まで少し不機嫌そうにしているだけだったイチルギは顔面蒼白になりながら口元を押さえていた。瞳孔は小刻みに揺れ、今にも吐きそうな様子で硬直している。
「……察しが良すぎるのも考えものだな。ご想像の通りだよ」
「ごめん、ごちそうさま……」
イチルギはまだ一口しか食べていないトーストを、ハピネスの方へ差し出して部屋を出ていく。
「おや……意外と繊細なんだな」
ハピネスはイチルギの食べ残したトーストを齧りながら、平然と記事を眺めていた。
〜ヒトシズク・レストラン レインフォン邸〜
ヒトシズク・レストラン中心部に聳え立つ、皇帝の巨城のようなレインフォン邸。黄土色のブロックで造られた外壁に鋼鉄の門。あちこちに美術品の彫刻や絵画が敷き詰められ、それを監視カメラにレーザーセンサー、数多のセキュリティゴーレムが徘徊する過剰な厳戒態勢。悪趣味な成金の、金と技術の闇鍋のような豪邸。
しかし、ラルバと案内役の使用人が歩く地下道はレインフォン邸の敷地内であるにも関わらず、無骨なコンクリートと蛍光灯だけが続く不気味な回廊であった。ラルバは昨晩遅くにゼルドームから手紙を貰い、グルメコンテストの参加の代わりに特別料理人として招待されていた。
「此方です。ラルバ様」
死人のような真っ白な肌をした黒髪の使用人は、廃墟じみた廊下にはにつかわしくない鋼鉄の扉に手を当て、電子ロックを解除する。
彼女が微笑みながら開いた扉の先は、人がやっと一人入れる程度の行き止まりであったが、僅かに覗き穴が設けられており、そこから向こうの様子が窺えた。ラルバが穴に目をつけると、手を伸ばしても届かないほど分厚い壁の向こうに人影が見えた。
「うまぃ……うまぁい……」
まるで熊のようなブクブクに太った大男が、頻りに手元を動かして何かを貪っている。何かをナイフで切っているようだが、手元は一切見えない。しかし、使奴の鋭敏な聴覚には大男の声の他に、乱れた荒い呼吸音のようなものが感じられた。
「メ、メインディっしゅぅぅぅ……」
大男は、イボだらけの手でカツラの様な黒い毛の束を持ち上げ、姿勢を屈めて何かを下品に啜り始めた。汚水を吸い上げるポンプを連想させるように不快な水音と、大男の荒い鼻息だけが響く。
「ふんっ!んふっ!んはっ!はっ!んもももっ!!」
終いには背中を老婆の如く折り曲げ、一心不乱に何かを啜り頬張る。
「んぶはぁ……うまぃ……うまぃぃぃぃぃぃ……んぶっ!んはっ!はぐっ!」
ラルバが穴を覗き続けていると、使用人に肩を叩かれ引き戻される。
「あれがゼルドームか?」
「はい。ご存知ありませんでしたか?」
ラルバは何も言わずにその場を離れ、勝手に廊下を進んでいく。
「ラルバ様。勝手な行動は謹んで……」
「臭い」
使用人の言葉をラルバが遮る。
「臭い?と、仰いますと?」
使用人が首を傾げると、ラルバは立ち止まって天井を見る。
「随分独り言が大きい奴だな。私みたいだ」
「何を仰っているのですか?」
「使奴同士、こんな狭い場所でボコスカ暴れたら迷惑だろうなぁ。アビス」
この一言で、アビスと呼ばれた使奴の使用人は一瞬で理解した。ラルバがわざと此処に招かれた事。ゼルドームが何をしているか知っている事。此処で何をされるか知っている事。そして、アビスがゼルドームの“奴隷”である事。アビスの首には“レベル3認証輪”が赤く浮かび上がっており、ラルバはそれを見てニヤニヤと不敵な笑みを浮かべる。
使奴の制御状態を表す認証輪には、3種類の状態がある。オーナー受付中の初期状態、レベル1認証輪。仮受付完了後のレベル2認証輪。そして、出荷完了を表す命令受付状態、レベル3認証輪。
バリア遭遇直前にラデックの話で認証輪の仕組みを知っていたラルバは、アビスが既にゼルドームの支配下にあることを見抜いた。
そして、アビスを下劣なしたり顔で煽っている。”この不躾な異端者を殺すに相応しい場所へ案内しろ“と。
「……ラルバ様、此方へ」
「はいはーい」
ラルバは誘われるがままに歩みを進める。その後ろで、自重でゆっくりと閉まる扉の隙間から、ゼルドームの声が最後まで漏れていた。
「んへぁ……うまぃぃぃ……うまい物を食ったモノはうまぃぃぃぃぃぃいぃぃいい」
〜ヒトシズク・レストラン レインフォン邸最下層〜
「聞こえますか?」
「んふふふ、ばっちし!」
アビスはラルバから聞いた“ハピネスの神託”の答え合わせのために、少し遠回りをして寄り道をしていた。
「目打ち、骨切り、焼き霜、湯引き。握り3年巻き8年。至高の料理を彩る要は、餌に拘る職人心と、死苦をも搔き消す幸福一匙。一世一代無上の味に、滴るネズミを殺す唾。この謎解きと答えは恐らく、ラルバ様のご推察の通りだと思いますよ」
「やったー!」
アビスは壁の向こうに“いる”であろう“仕込み中の食材”を思い浮かべながらコンクリートの溝を撫でる。
「目打ち、骨切り、焼き霜、湯引き。これは調理工程ではなく、ゼルドーム様が行っている拷問の暗喩ですね。目を潰し、身体の端から切り刻み、火で炙り、釜で茹でる」
アビスが指差した壁にラルバが耳をつけると、絶え間ない焔の踊る音と絶叫が聞こえてきた。音が遠くハッキリとは分からなかったが、何かを打ちつけるような金属音や、けたたましいエンジン音も混じっていた。
「握り3年、巻き8年。これは拘束法でしょう。握っているスイッチから手を離すと締まる首輪や、単純な簀巻きの刑もあります。前者が1〜3年、後者は8〜10年ほど行われることが多いですね」
再び歩き出したアビスに、ラルバが早足で近寄る。アビスは少しだけラルバの方に目を向けて、今まで通りの優しい微笑みを浮かべながら語り続ける。
「ラルバ様同様、此処には”本来グルメコンテストを優勝する筈だった料理人“達が招かれます。普段から美食を追求し切磋琢磨する。まさしく”餌に拘る職人心”の持ち主達です」
ラルバが顎に手を当て、目を輝かせながら口角を上げる。
「そいつらを拷問にかけることで見せるラストシアター、“死苦をも搔き消す幸福一匙”」
「”ネズミを殺す唾“のゼルドーム様曰く、この料理こそ唯一無二の最高峰だそうです。一人の人生と引き換えに得るその味は正に“一世一代無常の味”と表現するに相応しいでしょう。まあ、私は食べたことないので分かりませんが」
「あっはっはっは!私ら毒の効かない使奴に麻薬の味はわからんだろうさ!ましてや”脳内麻薬ドバドバでくるくるパーにした料理人の脳味噌“なんてゲテモノ。到底美味とも思えん」
「同感です」
〜ヒトシズク・レストラン レインフォン邸 「神の食卓」〜
「ラデック、手に涎ついてる」
「ああ、炎症が起きてすごく痛い。代わってくれ」
「やだ」
棒立ちで見ているだけのバリアを横目に、ラデックはゼルドームを椅子に縛りつける。
「お、お前らっ……!一体……!」
ゼルドームが狼狽えるのも仕方のないことであった。十重二十重にロックとセンサーが張り巡らされたお気に入りの食事部屋“神の食卓”に、手練の護衛数十人を無傷で薙ぎ倒して来た侵入者が、まさかのたった2人。ラルバがこの部屋を覗き見したほんの数分後の出来事であった。
「えーと、確かゼルドームと言ったか」
真顔で手をプラプラと振り涎を払うラデックに、ゼルドームは怯えながらもハッキリとした物言いで対峙する。
「おおっお前らこんなことしてタダで済むと思うなよっ!!私のバックにはあの笑顔の七人衆が1人、“残飯喰らいのドンマ”直属の部下であり、自警団“空腹の墓守”団長!!“クレイメロン“がついているのだぞ!!」
「そうか」
威勢のいい啖呵に生返事をし、タバコに火をつけて一息つくラデック。
「その様子だとウルグラから聞いていないみたいだな。“黙りボルカニク”が出たという話を」
「だんっ……!?」
ラデックがそっぽを向いているバリアを肘で小突くと、ハッと気づいたように一瞬身体を強張らせたバリアがゼルドームに向かって真顔でピースサインを見せる。
ゼルドームの顔がみるみる青ざめていき、金魚のように口をパクパクと痙攣させる。
「さて……今から結構痛いことをするから、早めに覚悟を決めてくれ」
「まままままてっ!!待って、待ってくれ!!」
「コトによる」
「わたっ、私が死んだら“至高の料理”はもう2度と食べられなくなるっ!!!」
「………………詳しく話してみろ」
ラデックが興味を持ったところは全く別のところにあるが、ゼルドームはラデックが“至高に料理“に惹かれたと思い込み、一筋の光明に腐った涎を撒き散らしながら捲し立てる。
「そそそそうだっ!!我が人生の集大成であり最初で最後の至高の料理!!それこそがこの“神下奈豆技“だっ!!」
椅子に縛られた足をモゾモゾと動かし、ゼルドームは足元に転がっている男の死体を見下ろしながら叫ぶ。つい先程までゼルドームが食べていた“料理”は、額から上の頭蓋が綺麗に切断されており、本来頭の中に収められるはずであった“内容物”を床に溢している。
「美味い豚を育てたければ酒を飲ませ!美味い牛を育てたければきのみを食わせ!美味い魚を育てたければ果実を食わせる!美味い物を食った物は美味くなる!!なら、“美味い食材を食い続けた料理人”は!!もっと美味いはずだっ!!」
「人の肉を食うコトに抵抗はないのか」
「何故?人間ってのは雑食だ――――!美味けりゃなんでも食う!気持ち悪いナマコやら貝でも!腐って糸引く豆でも!猛毒の魚や虫でも!挙げ句の果てにはションベンでも糞でも食う!なのに何故人間は食べない?見た目良し!鮮度良し!栄養価も高く、そこら中にゴロゴロいる――――!なのに誰も食べようとはしない!そっちの方が不思議じゃないか!」
ラデックは大きくため息をついて後頭部を掻く。
「たったそれだけの理由で食殺……ましてや余興に拷問とは、どうしようもない悪党だな」
あまりに的外れな弁明に呆れ返るラデック。しかし、ゼルドームの目には説得が足りてないように映り、余計に熱弁を激化させた。
「拷問は余興じゃない!立派な“仕込み”だ!!アラを煮込んだり、焼き目をつけるのとなんら変わりない!!恐怖に支配された脳は、死によるストレスから自我を守るために自身に幻覚魔法をかける!死ぬ直前に花畑が見えるってやつだ!脳内麻薬がドバドバ出て、波導閉塞の症状で脳内に魔力が溜まる!!これが一番美味いんだ!!!」
「非人道的だ。人の命でやるコトじゃない」
「何故!?じゃあ豚は殺してイイのか?牛は?魚は?虫は!?植物は!?感情がなければ殺してもイイ?苦しめなければ殺してもイイ?詭弁だ!!結局皆!美食に目がないんだ!!牛を食って豚を食って魚を食って植物を食って!!!人間だけがその輪から外れられると思うのは筋違いだ!!!何故人間を食ってはいけないのかを誰が説明できると――――」
ラデックはゼルドームの顎を握り締め言葉を遮る。
「別に人を食うのが悪いとか、殺すのが悪いとか、そんな倫理観の話をするつもりはない。だが、お前のように“一般世間で言う悪行”に最もらしい持論をぶら下げて、さも大義名分を得たかのように振る舞う奴を悪と呼ぶことは知っている――――――」
次回26話【精忠無比な謀反人】




