258話 贋帥ジヤウヤン
〜ダクラシフ商工会 等悔山刑務所 通信室〜
マーデアバダットの遺していった隠蔽魔法の陣に、前触れなく罅が入る。咄嗟にラデックが補修をしようと手を伸ばすが、陣は忽ち粉々に砕けて霧散した。
「バダット親分の陣が……」
陣のあった場所を呆然と見つめると、ケイリが足先で払って痕跡を掻き消した。
「ただの効果時間切れだ。結界魔法じゃあるまいし、術者の死と陣の消滅に因果関係はない」
「……だが」
「おやおや? まだ逃げてなかったの?」
部屋の奥の暗闇に潜む何者かの声に、2人はバッと振り返る。
「まさか、戻って来ちゃったの? 馬鹿なの?」
そこには坊主頭に赤いキャップを被ったティスタフカがいた。彼女は下半身が丸見えになることも厭わず、オーバーサイズのTシャツの下から手を突っ込んで腹を掻いている。
「ティスタフカ?」
「なんだあの痴女ガキ。刑務所にだってパンツ履く文化くらいあんだろ」
ティスタフカは倒れ込むシスターとゼラザンナを一瞥すると、抱えていたトートバッグからジュースの缶を取り出して啜り始める。
「ふーん、あーね?」
それから、取りに来たであろう端末を拾い上げると手を振って背を向けた。
「何狙ってるか知らないけど、ココ長居しないほうがいーよー。“種“撒いちゃったから」
「種?」
ラデックが聞き返すと、ティスタフカは不気味に口角を上げる。
「戦火の火種」
直後、通信室の入り口が爆発魔法によって吹き飛ばされた。ラデックとケイリが振り返ると、そこには肩で息をするフィース所長が剣幕激しくこちらを睨んでいた。
「フーッ……!!! フーッ……!!!」
ラデックがおもむろに迎撃の構えをとる。そこへ、巻き上がった土煙の奥からもう一人の刺客が姿を現す。
断将ブレイドモア。
「そんな……」
マーデアバダットの足止めも虚しく、ラデック達は追いつかれてしまった。視界の端にはさっきまでいたティスタフカの姿は見当たらず、ケイリがガスマスクの奥で黙ったまま怪訝な視線だけを返している。
「これが種か……やられたな」
フィースが腰の剣を抜き、波導を纏った刃をギラギラと光らせる。ブレイドモアは砕けた壁から鉄筋を引き抜き、手で真っ直ぐに伸ばして即席の槍を拵える。
身を打つ凍える雨を忘れるために、槍を振るうしかないブレイドモア。
醜い真実を隠し通すために、囚人を沈黙させたいフィース。
互いに互いを愛し裏切った2人の目的が、今だけ歪に重なった。
「くそっ……バダット親分が……折角時間を稼いでくれたのに……!!」
「……いや、案外無駄じゃなかったっぽいぞ」
通信室に、微かな地鳴りが響く。そして天井に設置されたスピーカーがけたたましいノイズと感甲高いハウリング音を漏らし、すぐに若い刑務官の声が聞こえてくる。
「し、侵入者!! 侵入者!! そ、そらっ“空嫌い”ですっ!!! 助けっ――――」
「あっ! マイク切らんかオラァ!」
「うわああああっ!!」
激しいノイズと共にスピーカーが沈黙し、通信室の足元から段々と振動が近づいてくる。すると、ブレイドモアとフィースは突然苦しそうに姿勢を屈めた。
「ぐっ……!?」
「こっ……これはっ……!?」
フラフラと壁に寄りかかって姿勢を崩すフィースに、地に膝を突くブレイドモア。その2人の眼前、ラデック達との間の地面がひび割れ、中から1人の影が飛び出す。フィースが顔を歪ませたまま、恨めしげに声を上げる。
「クソっ……!! “贋帥”ジヤウヤンか……!!!」
「その名前で呼ばないでよぉーっ!!」
土煙が晴れ、中から1人の女性が姿を現す。
「あっ!! き、君は――――!」
「ラデックさん! おひさ!」
あまちゅ屋所属、ピリ・サンキォン。異能、“転移”。
「フィース様!! お下がりください!!」
ブレイドモアが膝をついたままの姿勢で、ピリの頭部目掛けて槍を投げる。炎魔法の渦を纏った槍を、ピリはあろうことか頭突きで弾き返した。
「ちょいやっ!!」
「なっ――――」
そしてブレイドモアに跳躍で近づき両手を広げる。そして、眼前で思い切り手を叩いた。
「猫騙しぃっ!!!」
高位の強化魔法が施された肉体。その並外れた剛力で打ち鳴らした両手の隙間から、超圧縮された空気の塊が銃弾のように放出される。その衝撃波はブレイドモアの眼球から頭蓋骨内へ侵入。側頭部への打撃を警戒していたブレイドモアの防御魔法は、その衝撃波を頭部内に閉じ込める檻へと変貌し脳震盪を引き起こした。
「モア――――!!!」
ブレイドモアが音もなく倒れ込む。フィースは目眩で視界が歪む中走り出し、ピリに魔法を放とうと手を伸ばす。しかし、身体を蝕む凄烈な違和感に妨げられ、魔法は不発に終わった。
転移の異能。他対象の生産系。転移の異能そのものを、がん腫瘍の転移のように転移させる異能。異能とは、自我と共に構築される能力であり、指や眼球と同じように自在に操ることができる。しかし、もしそこへ全く別の異能が移されることがあれば、それは突如背中に生えた第三の腕のような、頬に芽吹いた第三の目玉のような、得体の知れない身体的特徴として対象者の意識に介入する。対象者の殆どは、この新たに与えられた異能に順応することができず、自身の見知らぬ肉体に悶え苦しむことになる。
転移の異能の恐ろしい点は、主に2つ。1つは、転移の異能を受けた対象者が新たな転移の異能者になるという点。この影響は時間経過や距離によって解除されるものの、対象者は突然増えた異能を制御しきれず、感染源となって転移の異能を他者にばら撒くことになる。
そしてもう1つは、転移の異能の対象は人ではないという点である。
「クソっ……たれっ!!!」
「食らえっ! “メタ・スプラッシュ”!」
ピリが指をパチンと鳴らすと、立ちあがろうとしたフィースが目を剥いて倒れ込む。
「がっ――――!!! ひっ――――」
フィースは右脇腹に感じていた凄烈な違和感が、首筋にも芽生えたことを感じた。右目の裏や顎の右端にも微かに感じており、それらのどれもが自身の一挙手一投足の延長線上にあるような気がした。
転移の異能の第二段階。転移の異能の対象は人間そのものではなく、肉体部位を参照する。これにより、本来は魔法と同じく波導制御と同じ意識系統で行われる異能が、指や足等の特定部位に転移し、元の転移の異能者の意思や時間経過により更に別の部位に転移していく。その結果、全身の至る部位に指が生えたような感覚に苛まれることになる。
やがて訪れるのは最終段階。心臓や大腸といった、本来は意識して動かせない不随意部位に異能が移ると、不随意部位に随意部位があるという矛盾した状況に陥る。単なる不快感と言ってしまえばそれまでなのだが、その悍ましさは容易に自死を選ばせる。
フィースとブレイドモアが共に戦闘不能に陥ると、ピリはそれ以上警戒する素振りも見せずにラデックにVサインを向ける。
「イェイ! 間に合いました?」
「あ、ああ。……一体何をしたんだ? 魔法か?」
「ナイショ! あ、でも一応変な感じしたら言ってくださいね? これフレンドリーファイア有効なんですよねー……」
「フレンドリー……なんて?」
「フレンドリーファイア。仲間にも攻撃当たっちゃうやつです」
「そりゃ当たるだろう……」
「ごめんなさい、ゲーム用語です」
暢気に会話をする2人に向かって、ブレイドモアの手から火炎弾が放たれる。
「うおっ」
「あだぁ!!」
ラデックは難なく躱すが、ピリはモロに食い涙目で額を抑える。
「いだい〜!! おでこなくなった〜!!」
ラデックが火炎弾が飛んで来た方に振り返る。ブレイドモアは依然として壁に背を預けて座り込んだまま意識を失っており、片手だけを亡者のように前方に向けて力無く突き出している。そしてだらりと腕を下げ、その反動で上体が揺れ地面に倒れ込んだ。
「……無意識で撃ったのか」
「ラデックさん、おでこ治せます? すっごい痛いの」
「俺がやるともっと痛いぞ。……ブレイドモアとフィース相手に立ち回れるのに、あの火炎弾は避けられないのか? そんなに速い攻撃じゃなかっただろう」
「私の戦力は9割が異能頼りなので……。強化魔法以外へたっぴだし、その肉体強化の魔法も10分保たないし。今はもう全てが限界。ただの一般通過オタクです……」
「俺なんか異能10割だ」
「それは流石にどうなの?」
ラデックはフィースとブレイドモアに近寄り、念の為筋力を大幅に低下させて擬似的な拘束を施す。
「まさかピリが贋帥ジヤウヤンだったとは……。空嫌いはあまちゅ屋との掛け持ちか?」
「それを説明すると私の鬱憤で6時間は喋り倒しますよ。詳しく聞きたいですか?」
「……ざっくりで頼む」
「空嫌いなんて組織も、贋帥ジヤウヤンなんて人もいません。あまちゅ屋と私が勝手にそう呼ばれてるだけです。フカちゃんに」
「ティスタフカ……ああ……」
ラデックはシスターから聞いたティスタウィンクの話を思い出し、ティスタフカがその妹であることを改めて認識した。
「思い出したらムカムカしてきたんで、今度全部聞いてくださいね?」
「……頑張る」
そこへ、ケイリがピリに拳を突き出し労いの言葉をかけた。
「ピリさんお疲れ。ナイスタイミング」
「お疲れ様! ……じゃないよ!! ええっ!? なんでケイリさんがここに!?」
仰天するピリに、更にラデックが驚いて尋ねる。
「え、ケ、ケイリに呼ばれてここに来たんじゃないのか?」
「違います!! あまちゅ屋で戦えるのは私だけ!! 他の皆は全員刑務官の制圧に行ってもらってるんです!! ケイリさんもそっち行ったと思ったのに……」
「悪いなピリさん。ちょっと野暮用」
ケイリは2人から離れ、壁に寄りかかっているフィースとブレイドモアの方へ歩いて行く。
2人はラデックの改造の異能で最低限の治療を受けているものの、転移の異能による苦痛は継続されており、呼吸一つさえやっとの状態。
そんな2人に無防備に近寄ってくるケイリを、フィースは最後の力を振り絞って睨む。
「……………………な、ん…………だ…………」
その視線を受けて、ケイリは顔を覆っているガスマスクに手をかけた。
「ただいま」
その下から、フィースと同じ顔が露わになる。フィースとの同じ山吹色の瞳が、2人を優しく見つめる。フィースとブレイドモアの目が揺れる。
「……ね、姉……さん……?」
「お……お……嬢、さ…………ま…………!?」
「色々謝らなきゃならないことがあるよな。互いに」
ケイリが気恥ずかしそうに頬を掻く。
「でも、その前に言うべきはやっぱこれだよな」
そして2人の肩に手を回す。
「会いたかった、2人とも。生きていてくれて……ありがとう……!!!」




