256話 止まない雨
時は反抗夫乱入直後まで遡る。
〜ダクラシフ商工会 等悔山刑務所 運動場〜
「アンタは良いわよね……!!! 障害があるから皆に応援してもらえるでしょ……!!! 分かりやすく悲惨な過去もあるし、能天気だから不幸にも挫けないし、不真面目だから悪口も聞き流せる……!!!」
ブレイドモアがドロドに恨み言をぶつける。しかし、鬼の剣幕にもドロドはどこ吹く風で首を捻る。
「ヒステリック起こすなよ。結婚でもしたのか?」
「お前なんかに私の気持ちは分からない!!! 私には、私にはフィース様しかいないのよっ!!!」
ブレイドモアが、ドロドに浴びせられた闇魔法に視界を閉ざされたまま槍を構える。堅実で真面目な彼女が、初めて不条理な選択を取った。視力を取り戻そうと隙を見せればドロドに先手を打たれる。ならば、闇の中から先手を取る。奇策ではなく、愚策。気迫を力に変えようとする無意味な願望。
「……慣れないことすんなよ。アンタそういうタイプじゃないだろ」
「うるさい。お前なんかに、お前みたいな不真面目な奴に!!! 私の気持ちが分かるもんか!!!」
既にシスター達は反抗夫と共に逃走し、運動場にはドロドとブレイドモアの2人のみ。誰の横槍も入らぬ真剣勝負。本来であれば、ブレイドモアの得意とする理詰めの戦場。
しかし、その利を、理を、あろうことかブレイドモアは溝に捨てる。
闇魔法による目潰しを解くことなく、ブレイドモアは突進を始める。
「らしくないねぇ」
ドロドの波導体で練られた巨躯が、ブレイドモアを迎え討とうと左手の刃を振り上げる。その構えで変化した気流を、闇に閉ざされたブレイドモアが察知する。
ドロドの刃が振り下ろされる。それを紙一重で躱し、突進の勢いを殺さぬままカウンターの槍をドロドに打ち出す。
自暴自棄の偽装。狂乱の憤怒を隠れ蓑にした、呆気を突く蛇の一刺し。
「アタシ相手にすることじゃないだろ、それ」
槍はドロドを保護していた波導体に突き刺さり停止する。ブレイドモアの力量なら容易に切り裂けるはずの波導体が、今だけは大樹の幹のようにしなやかで硬い。
ブレイドモアは反撃が来る前に飛び退き、全方位に検索魔法の粉を散らして不意打ちを警戒する。
「っか〜……。溜息が出るね、まったく」
承諾しない。必要以上に近付かず、自分と敵の間には必ず一枚薄くとも防壁を挟む。得体の知れない異能者を相手取る時のセオリー。中でも、ブレイドモアはジャハル同様異能が世間に知られている国刀。否が応でも慎重にならざるを得ない。
その甲斐あってか、早々にドロドの異能を見破った。はたまた、ドロドが見破らせたか。
ブレイドモアは再び突進を始める。闇魔法は解除しない。
「おっ?」
2度目の愚直な突進。しかし、その愚直さがドロドの目に留まる。真っ直ぐ突き出された槍を、ドロドは再び波導体を防壁代わりに受け止める。波導体はまたしても刃を受け止める。
直後、ブレイドモアは素早く槍を引き抜き再び突き刺す。雨のような乱れ突き。そしてドロドが反撃に転じようとした瞬間に再び飛び退いて距離を離した。
「……狼王堂放送局に、”停滞“の異能者がいるとは聞いてた。アンタがそうね、ドロド」
「どうだったかねぇ、最近物忘れがひどくて」
停滞の異能。行動対象の劣化系。何か目的を持った行動に対し、その目的の完遂を阻む異能。進もうと思えば足は取られ、切ろうと思えば擦り傷。貫こうと思えば少しの凹みに終わる。停滞させる都合上、行動の開始そのものは止められないものの、如何なる致命傷をも防ぎ如何なる回避をも捉える攻防一体の異能。
「頭蓋骨は切れても、脳は切れない。足は出せても上げられない。槍は刺されど貫けない。タネがわかればもう十分。停滞させるなら、退けばいい」
停滞の異能、最大の弱点。妨げるのは行動の進行のみで、中断そのものは止められない。そして、開始も止められない。先の乱れ打ちを防ごうとするなら、攻撃に合わせて細かく発動と解除を連発しなければならない。
「どうだかねぇ。劣化系の異能は、アタシみたいな出来損ないのアッパラパーと相性がいいんだ」
「言ってろ!!」
ブレイドモアは背中に魔法陣を展開し、大量の石礫を召喚してドロドに打ち出す。炎を纏った石の雨がドロドに降り注ぐ。ドロドは波導体で石を弾きつつ、突進してくるブレイドモアの足を停滞させる。
しかし、ブレイドモアは足が動かないと見るや否やしゃがみ込み、突進を跳躍に切り替えて停滞の対象から外れる。それもすぐに停滞の餌食となるが、今度は運搬魔法でスライド移動して少しずつドロドに近づいていく。
「曲芸師みたいだな。真吐き一座にでも入ったらどうだ?」
「アンタの方が似合うよ、見せ物小屋は!」
「国刀も見せ物みたいなもんだろ」
ブレイドモアの槍がドロドの首筋を掠める。停滞させる隙を与えぬ神速の斬撃。その僅かな傷は身を捩れば裂けて広がり、やがてはひとりでに致命傷となり得る。
「くっそー傷まみれにしやがって。お転婆娘だと思われるじゃねぇか。鼻に絆創膏でも貼ったらモテるか?」
「全身に包帯巻いた方がモテるわよ。ミイラにして美術館に展示してやる」
「まさか現代アートの棚に置くんじゃないだろうな。無理してでも博物館に置いてくれ」
それでもドロドは怯まない。怯むどころか、飄々とした振る舞いは増すばかり。その不真面目さが、不気味さが、ブレイドモアの喉を締めるように絡みつく。
何故ならば、ブレイドモアの冷静さはハリボテ。装って見せた自暴自棄の方が、実際の本音。本性。心の奥底からの叫びさえ飼い慣らし建前とすり替える絶対的な理性。その理性が、堅実さが、警鐘を鳴らし続ける。どうして奴は――――
「……っ!!!」
こんなにも、余裕ぶっている?
「であああああああああああっ!!!」
「急にでかい声出すなよ。イヤイヤ期か?」
ブレイドモアの振り翳した槍が、ドロドの頸動脈を掠める。
異能は見抜いた。刃も確実に届いている。魔力も随分と消費させた。しかし、波導が、気迫が、目が、微動だにしない。迫り来る死に、あまりにも無頓着。
どこかで間違えた? 実は、ドロドには確かな勝算がある? 疑い始めればキリがない。何せ相手は傀君ドロド。国刀イチの瞞着巧者。卑怯、小細工、誤魔化しの類において、彼女の右に出る者はいない。
「くっ!! このっ!! クソッ!! クソッ!! クソッ!!! クソッ!!! お前みたいな奴にッ!!! お前みたいなクソ野郎にッ!!! 私の気持ちが分かるもんか!!! 分かってたまるもんか!!!」
槍の刺突がドロドの肌を切り裂いていく。そのどれもが擦り傷。一歩間違えば即座に絶命へと至る擦り傷。それをドロドは停滞の異能でいなし、まるで小雨が顔を打つかのように受け止める。
「どんな不幸もへらへら笑いとばすお前に!!! 他人のトラウマも茶化すお前に!!! 気配りひとつできないお前に!!!」
その目が、憐れむかのような、蔑むかのような目が、細い触手を突き刺すようにしてブレイドモアの奥底に入り込む。全てを見透かされているような、内側から食い破られているような。得体の知れない恐怖が胃液を喉まで押し上げる。
「苦しいことなんか何もないお前に!!!」
「苦しいに決まってんだろ」
槍が止まる。
「……え?」
「モアちゃんさ、幻肢痛ってなったことあるか? ねえよな。五体満足だもんな」
ドロドは波導体の巨人を窄め、小さな椅子の形にして腰掛ける。
「昔も酷かったけどよ、10年以上経った今でもまだ痛む。稀なんだとよ、アタシみたいな奴は」
ドロドの自分語りに、ブレイドモアは槍を構えたまま立ち尽くす。
「特に夜中かな、腕の先が捻じ切られるような感じだったり、爪が剥がれるような感じだったり。毎日キッツイ薬を飲まなきゃ睡眠なんか取れやしねぇ。それだって4時間も寝れりゃ長い方さ。……心の問題だって言われたよ。普通はこんなことないんだとよ」
あの傀君ドロドが、弱音を吐いている。
「今でも荒野を見ると過呼吸になる。火薬の匂い、爆発音とか。こんな体になったことを思い出す。反抗夫の連中も気付いたんじゃねぇかな。酷い時はパニックで動けなくなんだ」
ブレイドモアの観察眼を以ても、洞察力を以ても見抜けなかった。ドロドの傷。トラウマ。
「応援? 能天気? 馬鹿言え。その応援を貰うのがどれだけ辛いか。能天気を演じるのがどれだけ苦しいか。お前だって分かったもんじゃないだろ。お前にだってアタシの苦しみはわかんないだろ」
この弱音が、ブレイドモアには今までの何よりも致命的な攻撃だった。
「全部我慢してんだよ。何をするにも、どこへ行くのも誰かの手が要る。部下にウンコしてぇって言うのがどれだけしんどいと思う? ケツ拭いてもらうのがどれだけしんどいと思う?」
ブレイドモアは動けない。声も出ない。呼吸すら忘れている。なぜならば――――
「……なんか、悪かったな」
ブレイドモアは、ドロドの生き様に憧れていたから。
「能天気に振舞ったって、苦しみがなくなるわけじゃねぇんだ」
ドロドみたいにすれば、この苦しみから逃れられるんじゃないかと、ずっと思っていた。
「雨を止ませる方法なんかない。苦しい時は、歯ぁ食いしばって苦しみ抜くしかねぇんだよ。終わりが来ないって分かっててもな」
ブレイドモアの手から、槍が滑り落ちた。
初めてドロドと出会った時のことを思い出した。彼女は初対面の時からずっと戯けていた。その痛ましいシルエットとは裏腹に、いつも不謹慎な冗談を口にしては勝手に笑っていた。しかし、それが気遣いであったなら、虚勢であったなら――――
最初は腹が立った。不真面目で、不謹慎で、不可解で、不気味で。幾ら手足を失った被害者でも、許されない言動だと思った。
次第に呆れていった。何を言っても暖簾に腕押し。人のことは傷つけるが、自分は決して傷つかない。全てが馬鹿馬鹿しく思えた。
そして無視するようになった。相手をするだけ無駄。獣が喚いてるものだと割り切って、視界と思考から追い出すようにした。
でも、腹が立っていた。恨めしかった。悔しかった。辛い目に遭って、苦しい目に遭って、大事なものを失ったはずなのに、どうしてそんなに笑っていられる? 気楽に冗談が言える? 今思えば、これは全て嫉妬だった。
両足がないくせにどこへだって行く。片腕がないのに何だってやってのける。五体満足の自分は、どこへも行けやしないのに。何もできやしないのに。
狡い。妬ましい。憧れた。私もああなれたら。自分の不幸すら笑い話にできる、誰にどう思われても何を言われても決して傷つかない、強い人間になれたら。そうしたら、もうフィースに心配をかけずに済むのに。
「最近、私のせいで人が死んだんだよ。コンカラっつー人道主義自己防衛軍人なんだけどよ」
思いもしなかった。彼女も苦しんでいたなんて。
「まあ私のせいっつーか、巻き込まれたって感じなんだけどよ」
どうすればドロドのようになれるのか、なれないと分かっていても思い続けていた。
「流石に堪えるよ。食ったもんは片っ端から吐いちまうし、幻聴も聞こえるし」
いつか救われる。いつか平気になる。いつか笑えるようになる。その日を夢見ていた。ドロドはその夢を実現させるための保証、ゴールテープだった。
「死のうと思ったってよ、首吊っても体重が足りねー。何回かやったが、あんまり苦しいもんでやめちったよ」
でも実際は、そんなものはなかった。ドロドはただ、自分以上に耐えてきただけだった。虚勢を張り続けていただけだった。
「おかしな話だよな。生きてるのはつれーが、死ぬのもまあつれーんだ。何より、ウチにはお節介焼きの使奴がいる。中途半端な自殺じゃ死なせてくれねーんだこれが」
自分にはできない。そんなこと。なりたいものには、絶対になれないと知った。
「わかったかい、真面目ちゃんよ。お前は私になれないどころか、お前の思ってる私には、私だって届きゃしないんだ。笑ったところで雨は止まないんだよ」
ブレイドモアの中で、何かが音を立てて崩れた。
「うあああああああああああああっ――――――――!!!」
取り乱したブレイドモアが、頭を掻き毟って泣き叫ぶ。目の焦点はどこにも合わず、重心が崩れてフラフラと後退る。それから、落とした槍を拾うことなく逃げ出した。一刻も早くドロドを視界から消したかった。彼女から離れたかった。
子供のように走り去って行く国刀の背中を、ドロドが追いかけることはなかった。




