248話 イグジット
シドの国をご愛読の皆様、いつもありがとうございます。
この度、5年も書いといて今更人気投票を行うことにしました。
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〜ダクラシフ商工会 等悔山刑務所 収容房〜
割れた石壁。ズタズタに引き裂かれた床板。ひしゃげた3段ベッドとトイレの扉。先の戦いで足の折れたテーブルを座布団がわりに、マーデアバダットが胡座をかいて腕を組む。
「それでー、刑務所ぶっ壊すってのはどー言うことだぁー? シスター」
向かいに座るシスターは、不安に冷や汗をかくラデックには目もくれず言い放つ。
「言葉の通りです。所長の殺害でもいいし、集団脱獄でもいいし、この等悔山刑務所が機能しなくなるまで攻撃しようと思っています。……まあ、犠牲者は少なくあって欲しいとは思っていますよ。貴方もその1人です」
「な、なあシスター……。その、本人の前で言うのもアレだが、バダット親分が刑務所側の人間だったらどうするんだ?」
「その時はラデックさんが何とかしてください。さっきは異能を隠していたから遅れを取りましたが、本気を出せば勝てない相手ではないでしょう?」
「あっちも手加減していたかもしれないだろう……」
「その時はその時です」
いつもなら頼もしい仲間の頼りない奇行に、ラデックの冷や汗はより勢いを増して背中を湿らせていく。マーデアバダットは首と境目のなくなった顎を撫でつつ、特に感情を見せることなく確かめるように尋ねる。
「解せねーなぁー。ブレイドモアとプレス機処刑を見ておいて、所長の殺害なんざ口にするたぁー……ましてや、刑務所をぶっ壊すなんてよぉー。ブレイドモアに勝てる見込みでもあんのかぁー?」
「それは後で考えます」
「んー……。オメーはそこそこ頭のいいやつだと思ってたが、オレの見込み違いかぁー?」
「狡賢いという点では賢いかもしれませんね」
真顔のまま押し黙るマーデアバダットに、シスターは続けて発言する。
「それはそうと、説得ついでに少し推理を披露しても良いでしょうか? 今し方、幾つか天啓が降りてきたので」
「天啓ー? さっき言ってた幻聴かー?」
「はい。バダット親分……“イグジット”は、貴方なんじゃあないですか?」
「………………おー?」
私が今まで気になっていたのは、バダット親分の子分の少なさです。プスパーカッカさんは数人の子分を連れていましたし、ドマドジュダさんの子分はゼラザンナさんと他数人。ところが、バダット親分には私とラデックさんしかいないし、私達が来るまでは子分はいなかったということになります。
しかし、貴方は決して統率役に不適格な人間ではない。たった数日間の付き合いでもそれは分かります。最初こそペンチで脅しはしましたが、大人しく従えば何もしませんでした。犯罪者への勧誘としては上等なものでしょう。刑務所のルールも教えてくれましたし、他の親分から守ってもくれましたし、自由時間を奪うようなこともせず、それどころか夜中の拷問中継に苦しまぬよう新品の耳栓までくれました。貴方に子分がいない理由が分かりませんでした。
もしかして貴方は、等悔山刑務所に於ける研修官の役割だったのではありませんか?
最初に私達を連れて刑務所の案内をしてくれた時、私達を他の親分や子分に見せびらかしましたね。あれは、自分の子分であることをアピールして私達を守ろうとしたのだと思いました。でもあれはきっと、私達に他の親分を見せびらかすことも目的だったんだと思います。
プスパーカッカさんは、明らかにバダット親分より気立の良い方でした。武力では分かりませんが、人望に厚く、気さくで、何よりバダット親分にも怯まず楯突く胆力の持ち主。もし私がバダット親分に愛想を尽かしたとすれば、間違いなく彼女の元を訪ねます。
ここでは、刑務官が受刑者の面倒を見ることはありません。貴方は右も左もわからぬ新人受刑者にルールを教え、他の親分達に引き渡す役目を担っていた。だから貴方には子分がいなかった。
新人受刑者に、研修官として最初は優しくルールを教え、やがてどこかのタイミングで突き放す。そして子分達は貴方の元を脱して他の親分の元を訪ねる。若しくは、他の親分の方から勧誘をする。一方的に従えられるよりも、自分から望んで子分になったほうが言うことも聞くでしょうしね。これは等悔山刑務所の治安維持システムの一つだった。
となるともう一つ疑問に残るのは、それでも貴方の元から離れなかった子分の行方です。貴方に追い出されようとも残ることを選んだ子分は、きっと貴方に従うというよりは刑務所と敵対することを選んだ子分でしょう。丁度、今回の私達と似た境遇です。
貴方は新人研修の役割の他に、死刑執行人としての側面も持っていた。刑務所と敵対した受刑者は、例外なくプレス機行きになるでしょう。貴方は、無謀な反逆者の凄惨な末路を阻止する役割も持っていた。
しかし、先の戦いを見て思いましたが、バダット親分は大きな見た目に反して腕力にものを言わせるタイプではありませんでした。呪術や混乱魔法による苦痛で相手を弱体化させる戦い方を得意としている。痛みも感じさせないような強烈な一撃による殺害は不得手なんでしょう。ベッドの下にあった新品の銃は、なるべく苦しませずに殺害するために用意したものだった。
だとすると新たな疑問が生まれます。それは、他の親分も同じ役割を担っているのか? という問題です。
貴方のように昨日今日知ったばかりの相手を殺すならばまだしも、他の親分は違う。慕い慕われ苦楽を共にした仲間を、その手で葬らなければならなくなる。それだけじゃありません。この等悔山刑務所は、毎晩ひとりはプレス機行きが確定する。どんなに最善を尽くそうとも、必ず誰かの子分は凄惨な末路を迎える。
それを見届けるのは、言葉にできない苦しみだったはずです。プスパーカッカさんのような気立の良い人であれば、特に。
バダット親分の役割はもう一つある。それは、心を病んだ他の親分達の“出口”となること。
自殺をすれば子分が悲しむ。逃げたと言えば反感を買う。そこで貴方達が考えた苦肉の策が、謎の存在“イグジット”による消失。
逃げたのかも、死んだのかも分からない。希望も絶望も有耶無耶にして、子分達から怒りと悲しみを奪う。刑務官達がイグジットのことを知らないのは、刑務所の思惑でも何でもなかった。受刑者である親分達が作ったルールを、知る由がなかったからです。
今思えば不思議な話です。子分親分の序列は強いるのに、親分同士の序列はない。こんなにたくさんの親分がいて、子分の数でも、お風呂を利用する順番でも争わない。刑務官の監視はこんなにも緩いのに、罵り合いを超える勢力抗争を見たことはありません。
貴方達は刑務所で幅を利かせたいわけではなかった。親分達の目的は、少しでも不幸な死を減らすこと。そして、苦しい生を減らすこと。貴方達は、横並びの同盟者だった。
「プスパーカッカさんを殺害したのは、貴方ではありませんか? マーデアバダット」
マーデアバダットは鼻をほじりながら話を聞いていたが、やがて欠伸混じりに口を開く。
「よくもまーそんだけ妄想拗らせられたもんだぁー。医者の不養生っつーのかぁー? 幻聴、早いとこ治した方がいいぞぉー」
「お気遣いどうも」
それから、2度目の欠伸を噛み殺して言った。
「でも大正解だぁー。よく分かったなぁー」
ひしゃげた3段ベッドをひっくり返し、一丁の銃を取り出す。
「本当はラデックがプレス機行きになる前日に殺そうと思ってたんだがなぁー」
「やっぱり、そうでしたか」
「うぇっ」
「全部分かってんなら安楽死もクソもねーかぁー。殺しても死なねーみてーだしよぉー」
マーデアバダットは銃をシスターに渡す。
「もう要らねーからやるよー」
「どうも」
「ところで、確信したのはどこだぁー? まさか、マジの当てずっぽうってわけでもねーだろぉー」
「……昼休憩の時、ゼラザンナさんとお会いしました」
「ほぉー」
「イグジット探しはゼラザンナさんが言い出したことなのに、突然の辞退を告げられました。でも、恐怖に慄いているようには見えなかった……。どちらかと言うと、罪悪感に苛まれているような」
「罪悪感……だろーなぁー」
「昨日、ゼラザンナさんは他の子分に一日中追い回されていました。恐らくは、逃げ込んだ先で殺害の現場を目撃してしまったのでしょう。そこで彼女も、イグジットの正体を知った」
「……口止めはしたが、まーバレるよなぁー。アイツ、嘘とか下手っぽいしよぉー」
マーデアバダットはどこからか煙草を取り出し火をつけた。
〜昨晩 ダクラシフ商工会 等悔山刑務所 独居房〜
マーデアバダットが、蛍光灯が微かに照らす細い通路の奥へ歩いて行く。一般収容房から遠く離れた立ち入り禁止区画には、受刑者は疎か刑務官の姿すらなく、空調の鈍い音と古ぼけた蛍光灯の明滅する音だけが響いている。
一つだけ明かりが点いている薄い鉄扉を開くと、6畳ほどの小さなコンクリートの部屋にプスパーカッカが座り込んでいた。
「急に呼び出してスマンねぇ、おデブちゃん。手土産なぁに?」
「おー。酒持ってきたけど、飲むかぁー?」
「あらぁ気が利くじゃん! おつまみある?」
プスパーカッカは藁半紙に積まれた塩漬け肉の細切りを齧りつつ、プラスチックのコップを呷って唸り声をあげる。
「っきゃぁ〜! うんめぇー! 肝臓さんが喜ぶ声が聞こえるぅ〜」
普段通り剽軽に喜ぶプスパーカッカを、マーデアバダットはじっと見つめ呟く。
「ダメだな〜こりゃ。オメー、もう味してねーだろぉー」
プスパーカッカの顔から笑みが失せ、静かにコップを床に置いた。
「……おデブちゃんに気付かれなかったら、もう少し頑張ろっかなーって思ってたんだけどね」
「無理だなぁー。どーみても嘘くせー」
「…………そっか」
プスパーカッカは「ごめん」と言って、口の中の塩漬け肉を吐き出した。
「一昨日さ、子分に謝らせちゃったんだよね。不機嫌に見えたっぽい」
「あー……。まー、見えなくもないー」
「もうさ、ダメかも、いや、かもじゃないね。ダメ。ダメなの」
少しだけ寂しそうに笑う彼女は、震えながら続けて口を開く。
「ここんとこさ、プレス機行きになってる子。みんな、ベボちゃんのとこの子じゃない?」
「あー……。ベボんとこは厄介なの多いからなー。仕方ねー」
「でも、でもさ。ベボちゃんさ、すごい、頑張っててさ。でもさ、だって、みんな言うこと、聞いてくれなくてさ」
「そういや、こないだもブレイドモアにやられて何人か死んだって聞いたなぁー」
「こんなこと、ベボちゃんの前じゃ、言えないけどさ……。ウチ、やっぱああいうの、見てるだけでも、嫌で……! 嫌で……!! 助けに行ったけど……!! 間に合わなくて……!!」
蛍光灯一本で照らされたコンクリートの床に、ひとつ、ふたつと、染みが広がっていく。
「オメーの仕事じゃねーだろー」
「だって、だって……!! ほんとは、ほんとは、止められたんだもん……!! ウチが、もっと強く止めてれば……!!! あの子も、みんなも……!!!」
「あー……死ぬかー? プスパーカッカ」
無情で、無神経な提案だった。しかし、下手な同情や慰めより、ずっと温かかった。
「ごっ、ごめんね。おデブちゃん。ごめん。ごめん。……お願いして、いい?」
「おー」
「待って!!!」
その時、薄い鉄扉が蝶番を破壊して開かれた。そこには、青褪めたゼラザンナが立っていた。
「あー? オメー、ここは立ち入り禁止――――」
「ダメだって!! カッカさん!! なんでっ、なんでアナタが死ななきゃならないの!? そんなっ、そんなに頑張ってきたのにさっ!!」
「おい、ちっと黙ってろ――――」
「そうだ!! あのさ、脱獄!! 脱獄しようよ!! 外には楽しいこといっぱいあるよ!! ねえ!! 一緒に行こ!?」
「いい加減に――――」
「カッカさんのこと、ウチよく知らないけどさっ……!! 何も、何も死ぬことはないって!! 楽しいこと一緒に探そ? ね? ね!?」
「メガネちゃん」
痺れを切らしかけたマーデアバダットを抑え、プスパーカッカがゼラザンナの両肩を掴んだ。
「君は、いい子だね……!!!」
そして、ゆっくりと抱き締める。
「カッカ、さん……?」
「ごめんね……。ウチは、その優しさに応えてあげられない……ウチに必要なのは、罰だから……! ごめんね。ごめんね……! ウチは、外に出ていい人間じゃないの……! 人殺しなの……!! だから、ウチは行けない……!!」
「人殺、し?」
「あー。上級国民拉致って身代金稼ごうとしてたらしいぞー。それが、勢い余って殺しちまったんだとー」
「え……」
プスパーカッカが体を離す。ゼラザンナは、離れていく彼女の両手をすかさず掴んだ。
「罪なら!! もう十分償ったって!! 子分達の面倒見たり!! 他の子分も助けてあげたり……!! カッカさんは、もう、十分頑張ったって……!! もう、自分のために生きてもいいって……!!」
ぼろぼろと涙を溢れさせるゼラザンナに、プスパーカッカは歯を見せて笑った。同じように涙を溢しながら笑った。
「違うの。ウチは、ウチの為に死にたいの。いっぱいの人に迷惑かけたから。子分もたくさん死なせちゃった。たくさん殺したの。だから、早く行って謝らなきゃ!」
「あ、あ、ああ……ああああ……!!!」
助けたい人が、助けを求めていない時。善人はどうすべきか。答えは、後悔をするべきなのかも知れない。ゼラザンナは、手を離さずにいることしかできなかった。この手を離してしまえば、彼女が地獄の底に落ちて行ってしまうような気がした。
「メガネちゃん。お名前、なんて言うの?」
「ゼ、ゼラ、ザンナ。ゼラザンナ」
「ゼラザンナちゃん。ゼラザンナちゃんね。覚えた。覚えたよ。ウチ、忘れないね。ありがとうゼラザンナちゃん。ウチに優しくしてくれて」
プスパーカッカがゼラザンナをもう一度抱き締める。
「ウチ、知らない人に良くしてもらったの、初めてかも。すごく嬉しい。今、すっごく嬉しいよ。……ねえ、バダットちゃん。一個お願いしてもいい?」
「…………聞くだけでいいならなー」
「ゼラザンナちゃんを、子分にしたげて。守ってあげて」
「…………さあなー」
「ありがと。ゼラザンナちゃん、ウチの分まで、いっぱい幸せになってね」
抱き締める力が強くなる。ゼラザンナも強く抱き返す。何か、何か言わなければ。
考えている間に、プスパーカッカの力が一気に抜けた。銃声が聞こえていた。
「あ……あ…………」
声にならない声を漏らし、ゼラザンナはプスパーカッカの顔を見る。こめかみから血が流れている。優しい顔をしていた。
「ゼラザンナぁー。今日、ここで見たことは誰にも言うなよぉー」
マーデアバダットが銃口を向ける。
「じゃねーと“イグジット”が、プスパーカッカとの約束、守らせてやらねぞー」
〜ダクラシフ商工会 等悔山刑務所 収容房〜
煙草を吸い終えたマーデアバダットは、割れたテーブルに吸い殻を擦り付ける。
「それからは、プスパーカッカの死体を粉々にして捨てたー。刑務官に事故死っつっとけば、もうこの件は終わりだー。オレ達は、昔っからこーやって生きてきたー」
シスターは何も言わない。ラデックも、押し黙るシスターを見て言葉を飲み込んだ。2人の様子に、マーデアバダットは不思議そうに首を捻る。
「ほぉー。講釈垂れるかと思えば、意外に大人しーなー」
「……貴方の行いを、善とは言いません。しかし、悪とも言いません。……私は、貴方達に何かを言えるほど世界を知りません」
「利口ってのは不便だなー。無責任な文句の一つも言えなくなるなんてよー。ラデックはそこまでお利口さんじゃねーだろー? 言いたいことがあるなら言っといた方がいいぞー」
「……俺は、アンタみたいになりたいよ」
「あー? あー……。無理だなぁー」
それから、マーデアバダットは暫く沈黙して思案した。そして、「よっこいせ」と面倒くさそうに立ち上がり収容房の壊れかけた扉を開ける。
「そうそう、シスター。オメーの推理、一個だけ間違ってるぞぉー。オレは“イグジット”じゃねー。親分の親分は別にいるぜー。会わせてやるよぉー」




