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シドの国  作者: ×90
ダクラシフ商工会
248/285

247話 コーリング

「やりやがったな、このクソ野郎」


「幾ら何でもここまではやるまいとは思っていたが……。まさか本物の屑だったなんて」


「なにが修道女(シスター)だ。所詮は酌婦に捨てられた浮浪児の癖に」


「私相手なら何をしてもいいと思っているのか? くそったれめ。タダで死んでやると思うなよ。せめて、お前の心に深い深い傷をつけて死んでやる。“本物”のことなど知ったことか」




〜異能 記憶操作〜


 真っ白な部屋。実際には色もなにもない、場所ですらない、シスターの思い浮かべた情景。そこに、ハピネスが眉を顰め椅子に座っている。


「ハピネスさん」


 シスターが、己の頭に思い浮かべたハピネスに声をかける。しかし空想の中の彼女は、シスターの意思に反して黙ったままで、眉間に皺を寄せて歯を擦り合わせるばかり。


「貴方の助けが必要なんです」

「知ったことか」


 “コーリング”。シスターの持つ記憶操作の異能の応用技術。読み取った他人の記憶を自分の記憶とは切り離して独立させることで、脳内に本人そのものを複製し、自分の意思とは無関係の別人格(イマジナリーフレンド)として“呼び出す”ことができる。


 当然ながら、呼び出した人格は記憶の元となった本人とは無関係の“想像物”であり、コーリングそのものは異能による能力ではない。やっていること自体は「あの人ならこういうこと言いそうだな」という想像の延長線でしかなく、異能者どころか子供でもやったことのある妄想の類。その人格の言動を、記憶の異能で補強したのがコーリング。


「お前の異能を聞いた時、こういうことも出来るだろうなとは思ったよ。ただ、まさか本当にやると思わなかった。何でかわかるかい? 分かるよね? 私は今、お前の妄想の産物! お前のほんの少しの気の迷いで存在を消される使い捨ての奴隷だ!」


 ハピネスの激昂が、シスターの胸に突き刺さる。


「本当に申し訳なく思います。ですが――――」

「なら今すぐ舌噛んで死ねよ!! こんなことしておいて私が協力すると思ったのか!? 何を言われようとお断りだね!! どうせ用済みになったら消される定めだ!!」

「そんなことしません!!」

「その言葉のどこに確証がある? 人で無しのお前をどう信用しろと!? どうせ協力しなかったら私を消してまた新しく呼び出しての繰り返しだろう!! 今の私に命はないからな!!」

「貴方の力が必要なんです!!」

「知ったことか!! お前が私を殺そうってんなら、私はお前を死ぬほど苦しめてやる!! 妄想の産物と侮るなよ……!! 私を呼び出したことを後悔させてやるからな……“スイレン”……!!!」


 シスターの呼吸が一瞬止まる。


「お前は私の記憶の表層は読んでも、他の全てには蓋をしたままだった!! 怖気付いたんだろ!? 本当のことを知るのが怖くて!! ああそうだ! 私は“全て”知っている!!」


 この激昂さえ、シスター自身によって作り出された偽物。しかし、偽物であっても偽りではない。この妄想は、ハピネスは、自分にとって都合のいいイマジナリーフレンドであってはならない。自分ですら目を背けている真理を導く第三の目でなければならない。そのためには、どれだけ自分にとって都合の悪いことを言われようと、(なじ)られようと、耳を塞ぐわけにはいかない。真理には、都合も不都合もない。


「ハピネスさん……」

「お前の喉笛をこの手で裂いてやれないのが恨めしくて仕方がない……!! いいだろう、聞かせてやるよ!! お前が目を背け続けてきた真実を!! これを聞いて、お前がどんな死を選ぶか見ものだな!!」

「私は、絶対に貴方を消しません。というより、消せません。それは貴方にも分かるでしょう?」

「はっ、どうだかな!! お前のような下司にできない悪行なんかないだろう!!」

「ここは私の妄想です。ここで発する言葉は、全て私が思い浮かべた言葉。頭の中で嘘をつき続けられるほど私は器用ではありませんし、それを貴方が見破れないとも思えません。隠し事はできても、嘘はつけない。もしお聞きしたいことがあれば全て答えます。私の言葉に嘘偽りがないか、ご自身で判断して下さい」

「その理屈をどう信じろと!? お前の妄想である私をどう信じろと!?」

「貴方が私に罵詈雑言を吐いているのが証拠です。今は一刻も早くラデックさんを助けないといけない……。もし都合よく貴方を従えられるなら、とっくに使役して働かせています。でも、そうはいかない。私は、都合よく動かない本物の貴方の助けがいるんです。それに、もし私が貴方を消してしまえば、次に呼び出した貴方は私の不審にきっと気が付くでしょう。隠し事はできても、貴方の前では隠し事があることまでは隠せない。私には、もとより貴方を消す選択肢なんてないんです。約束します。私は絶対に貴方を消しません」

「だから! それをどう信じろって言うんだ!!」

「どうか、信じてください。私は貴方の脅しに耐えられそうにありません」


 ハピネスの荒らげた呼吸が、段々と収まっていく。しかし依然として眼光は鋭く、決して油断を見せることはない。


「じゃあなにか? 私をずっと頭の中に飼い殺しておくつもりか?」

「いえ、貴方を本体に戻します。具体的には、私の頭の中にある記憶のハピネスさんを、本体のハピネスさんの記憶に統合させます」

「それで? お前に従うことで、私に何のメリットが? まさか殺さないでおいてやるなんて言うんじゃないだろうな」

「勿論そんなことは言いません。もし協力してくれるなら、貴方の言うことに何でも一つ従いましょう。……これこそ信用できる発言ではないかもしれませんが、少なくとも虚言でないことは分かるはずです。今の私は、貴方を騙そうとしているように見えますか?」


 ハピネスは暫く沈黙してシスターを睨む。シスターは真っ直ぐな瞳でハピネスの目を見つめ返す。


 そうして、ハピネスは深いため息をついた。


「もし、本体に戻った私が君に死ねと言ったらどうする」

「それは聞けません。しかし、場合によります」

「何でもって言っただろうに」

「……私が思うに、ハピネスさんはそんなことを私には命じません。恐らくは、私自身が拒否したくてもできないようなことを願うはずです。少なくとも、不可能を押し付けて揚げ足をとるような真似はしません。貴方はきっと、私の命を有効に使う」


 彼女は決して眉間の皺を緩めなかったが、微かに息を溜めて蔑みと共に零した。


「覚悟しろよ。望み通り、自殺しなかったことを後悔するぐらいの無理難題を考えておいてやるからな、“スイレン”」

「ありがとうございます」




 それから、シスターはハピネスに情報を共有した。ハピネスの記憶をコピーしてから現在までの成り行き。刑務所に入る前の警察とのやりとりから、現在に至るまで。それを聞いている間、脳内のハピネスは話が進むにつれて次第に表情を歪めていった。


「ラデックさんが時間を稼いでくれているとは思いますが、悠長にしてはいられません。私もすぐに毒ガスで動けなくなります。ここからの打開策を一緒に考えてください」


 シスターの頼みにも声を発さず、かと言って何かを考えるような素振りもなく、ハピネスは軽蔑の眼差しでシスターをじっと睨んでいる。


「……ハピネスさん?」

「はぁ。まあ、仕方がないか。君はお利口さんだからな」

「はい?」


 ハピネスは肩を落として深く溜息をつき、咎めるように説き始める。


「打開策なんかないよ」

「え? そ、そんな」

「そう言う意味じゃない。打開するべき状況なんか無いって言ってるんだ」

「…………? それは、どう言う……」

「考えるべき所がズレてるよ。イグジットの正体とか、親分の役割とか、刑務所の秘密だとか、そんなことは全部どうだっていい」

「どうだっていいって……では、どうしたら……?」

「さあ? どうもしなくていいんじゃないか?」

「……ごめんなさい。貴方が何を言っているのかが分かりません。私にも分かるように説明していただけますか?」

「少しは自分で考えろ。……と、言いたい所だが。交換条件だしね、仕方ないから恥を忍んで説明してやるよ。あーやだやだ」


 困惑するシスターに、ハピネスは問い詰めるように尋ねる。


「そも、君は誰の命でここにいるんだい?」

「え? そ、それは、ラルバさんが……」

「その時点で違う。君の記憶によれば、ラデック君は今ヘレンケルの思惑で動いているはずだ。ホテルでラルバとのやり取りがあっただろう? ヤクルゥの心の傷はちょっとやそっとで治るようなものじゃない。それに、潜入任務の適任なら同化(メルト)の異能者のゾウラ君だ。人選がおかしい。君はラデック君の付き添いでヘレンケルに投獄されているんだよ。彼にとって君は最低保証の戦力だろうしね」

「私が、ヘレンケルさんに……? 一体なぜ……」

「知るもんかそんなこと。考える気もしない。ここで一番大事なのは、”あの能力至上主義のイエスマンが使奴の所有物を拝借している“って点だよ。自分の尊敬するお偉いさんの手駒。そんなもので多分きっとの博打なんか打たないだろ」

「で、でも……私達は指令も何も……」


 ハピネスは舌打ちをして声を荒らげる。


「だぁから!! 指令もクソも要らないくらいの簡単な任務なんだよコレは!! 勝手に難しくややこしくしてるのはお前だ!! 分かったらさっさと妄想に浸ってないで現実に戻れ!!」


 しかし、彼女は追い払うような怒号を飛ばしつつ一言だけ言い残す。


「……だが、用心はしておけ。ヘレンケル程に臆病で用意周到な人間が読み違えるということは、それに至った要因があるということだ。誰かが歯車を狂わせている。油断するなよ」





〜ダクラシフ商工会 等悔山(ひとくいやま)刑務所 収容房〜


 シスターがマーデアバダットに隔離されてから十数分。風の檻に閉じ込められたラデックもいよいよ力尽きて抵抗するのをやめた。


 そのグッタリした姿を見て、マーデアバダットはトドメに首をへし折り風魔法を解除する。ラデックが頭から床に落下し、紐の切れた操り人形のように力無く倒れる。


「んー。まぁー頑張った方だなぁー。さて、次はぁー」


 マーデアバダットがシスターを隔離している障壁の方を向く。ラデックは死んだフリをしながらも、心の中で葛藤を続ける。正体を見せてでも戦うべきか、今が動くべきなのか。しかし考える間もなく、マーデアバダットが障壁を解除する。


 そこには、シスターが正座したまま静かに佇んでいた。


「マーデアバダットさん」

「おー?」


 まるで敵意のない冷静なシスターの呼びかけに、マーデアバダットは思わず攻撃よりも先に返事をした。


「私達、刑務所をぶっ壊したいんですけど、協力してくれませんか?」

「……おー?」


 突拍子のない提案に、マーデアバダットは再び固まる。シスターは立ち上がる素振りも見せず、死んだフリをしているラデックに呼びかける。


「死んだフリはやめてもらって結構ですよ。ラデックさんもお願いして下さい」


 マーデアバダットがラデックに目を向ける。ラデックは徐に体を起こし、不安そうに尋ねる。


「だ、大丈夫なのか? 言ってしまって……。て言うか、刑務所ぶっ壊すって何だ?」

「おおー……あれで生きてんのかー」

「発想を変えました。脱獄よりも、刑務所ごと潰しましょう。こっそり出るよりも、多分その方が楽ですし」


 シスターはゆっくりと立ち上がり、毒ガスで汚れた囚人服を叩く。


「私達、スヴァルタスフォード自治区悪魔郷の皇帝の命令でここに来ているんですが、できれば手伝って欲しいんですよ、なにせ2人しかいませんし。気が乗らなければ結構ですが……あ、因みに断っておきますけど、ラデックさんには多分勝てませんよ。他人に憑依できるブレイドモアならいざ知らず、生身のマーデアバダットさんでは本気のラデックさんを殺し切ることは無理です。見ての通り、死んでも蘇る異能者なので」

「シ、シスター? その、色々喋りすぎじゃないか……?」


 突然流暢になったシスターに、ラデックが心配そうに尋ねる。しかし、シスターは静かに首を振って否定する。


「今考えれば、確かに変な話です。冤罪で投獄されたのに、こっそり脱獄しようなんて。私達は何も悪いことなんてしていないんですから、堂々と出ればよかったんですよ。先に手を出したのは向こうですし、ちょっとの反撃くらいは許されて然るべきです」

「ああ……シスターがハピネスみたいなこと言ってる……この世の終わりだ……」


 頭を抱えるラデックを他所目に、マーデアバダットは真顔のまま黙りこくってシスターを見る。シスターは害意を見せることなく、それでいて怯まず、言葉を飾ることなく申し出る。


「それで、どうしますか? 協力するか、降りるか、反撃するか。どうなさっていただいても構いませんよ。私も構わないので」


 マーデアバダットは手に込めた魔力を緩やかに放出させて武装を解き、頭を掻きながら尋ねる。


「あー……お前ぇー……さっきとはまるで別人だなぁー。天啓でも降りてきたかぁー?」

「まあ、天啓って言うよりは強めの幻聴ですね」

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― 新着の感想 ―
追いついたー! ナハル呼ばなかった辺り、ほんとにハピネスならいいと思ったんだろうな。
そもそも隠れて何かする必要がなかったのか……
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